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雨が降っていた。薄い硝子越しにザーザーと流れていく水をぼんやりと眺める。硝子は、冷たい。手を這わせ息を吐くと、白い模様が浮かびあがった。肌寒い午後。携帯の着信履歴は0。メールも0。いつもあの人は休日には何かしら連絡をくれるというのに、今日は何ひとつなかった。だって分かってる。私の部屋のカレンダー、今日の日付。


分かっていたことだけれど、想像以上の痛みを伴った。そりゃあそうだ。だってあの人は夏未さんのことが好きで、私は眼中にないもの。眼中にない、この言い方はとげがあるかもしれないけれど、でも、本当のことだった。いつの日だって、あの人は練習が終わると真っ先に夏未さんの元へ走りドリンクを貰っていた。ありがとうって、笑っていた。私に向ける「妹」のような目線ではなく、「想い人」の目線だった。私はあの人のことを、「好きなひと」として見ていたのに、あの人は私の想いには気づいてくれていなかった。


でも、ひょっとすると。もしかしたら、気づいていたのかもしれない。そう思ってしまうのは、あの人が私の元から離れ夏未さんのところへと向かっていくとき、ほんのすこしだけ、一瞬だけ、私に申し訳なさそうな表情を浮かべていたからだった。それに気づいてしまうたびに私は横からあの人を想っていることに罪悪感を浮かべた。けれど、私は自分の気持ちにうそをつくほど器用な人間ではなかった。


ザーザー雨が降っている。今頃あの人は夏未さんと雨宿りをしているのだろうか。喫茶店に入ってお茶をしているかもしれない。どこかの屋根の下で二人仲良く雨がやむのを待っているかもしれない。そう思ってしまうたび、祝福したいと思う気持ちとは裏腹に、雨が激しさを増してしまえばいい、ああ、憎らしい、そういった負の感情を水底に浮かべてしまう自分がいやになった。マナーモードにしてある携帯は、まだ鳴らない。


両思いなのかは、分からない。何しろ夏未さんは表面上はキャプテンに心を寄せているようだし(傍から見てもそれくらいは誰だってわかった)、そう考えるとあの人は実らない恋をしているのかもしれない。片思い、片思い、の、片思い。矢印が左右を行き来することはないのだろうか。けれど、あるいは。今あの人達が一緒にいるということは、矢印が交差する可能性も、なくはないんじゃ、と思えてしまう。建前は部の買出しとして誘ったらしいけど、あのときのあの人は、いつも以上ににこにこしていた。夏未さんだって、いつも以上に業務を張り切ってこなしていた(若干空回りしていたような気もするけれど)。ああ考えるだけで、もやもやとする。脳裏にすぐに思い浮かぶ二人の情景、絵になるようだった。私とあの人だったら、お世辞でもお似合いだなんて言えないんじゃないだろうか。


明かりもつけない部屋は外の天気と相まってひっそりとしていた。無機質のなかの一つの存在になっているようで、私はもう一度窓に触れた。薄い硝子、薄い、はずなのに、あの人と夏未さんと、私を隔離するその硝子は押したくらいじゃあ割れそうになかった。当たり前だ、この硝子は、私を閉じ込めるためにあるものだもの。鍵を解き開け放つという考えはまったくおきなかった。だって今開けてしまったら、雨に濡れてしまうじゃないか。


時計の針は0時を示している。いつまでこうしていたのだろう、ベッドに身を預けてはあ、とため息をついた。明るいのが取り柄な自分は、どうしてしまったのだろう。小説では初恋が実らなかった主人公が泣いてしまって、それでも元気を取り戻すというパターンはとても多いのに、現実はそう上手くいかないものだなあと思った。付き合っているのかさえもわからないのに、こうも早くからあきらめて、絶望して、何も喉を通らないようになって。親だって心配している、お兄ちゃんもゴーグル越しに私を見つめている。それでも、この思いを吐き出すなんてことは出来なかった。おこがましいだろうか。お似合いの二人の邪魔をするのは、おこがましいことだろうか。部の買出しだったら同じマネージャーである私でも良いじゃない、わざわざ二人で行かなくてもいいじゃない、なんて。理由なんて分かりきっているのに。


時計の針は更に進んでいた。一睡もできない。体を起こして電気をつけると、目の前の鏡がげっそりとした女を映しだしていた。目は赤くて、その下には隈が出来ていて、髪はかきむしったかのようにぼさぼさだ。今一番、見たくない顔だった。ふと顔を背けるとテーブルにおいてあった携帯がぼんやりと光っている。


メールだった。


差出人は、名字先輩だった。


『遅くにごめん、起きてる?』夜中にメールを送ってくることは何も今日に限ったことではなかった。マイペースなあの人はいつも、夜中にメールを送ってきていた。それはつまり、昼間は他にメールする相手がいるからだろうか。


『起きてます』


返事はすぐに来た。


『良かった 外見て』


私は閉じていたカーテンをそろそろと開いた。雨はまだやんでいなかった。他の家も寝静まり光が消えた住宅街。私の家の前だけは、赤い光がほの暗く示していた。傘を片手に持ち、名字先輩は私を見つけて手をふってきて、その手には、何かがぶら下がっていた。


あわてて階段をおり、玄関へと向かう。震える手で髪を整えながらドアノブを回す。「やあ」水滴のついた傘をほろいながら先輩は私に笑顔を向けて、それなのに私は先輩とは対照的に「どうしてこんな時間に外にいるんですか!」と怒りの感情をあらわにした。先輩は心底おっかなそうに苦笑して、「だって音無さん、メール返してくれないじゃないですか」と答える。その言葉に引っ掴んでいた携帯の画面に目をやると、たしかに、最初のメールは随分も前に受信されたもので、「寝てました」「まあ、いいんですけどね」私が悪いですし、と名字先輩はまた笑った。よく笑う先輩、私は昔から何が楽しいんだろうといつも首を捻っていた。


「どうしているんですか」


「デートはどうだったんですか」そう言いかけて、止めた。自ら傷つく手段を選ぶのは馬鹿以外の何物でもない。先輩はその言葉に持っていた鞄をごそごそとかきわけ、何かを取り出した。「これあげる」差し出されたのは、ピンク色のリボンに包まれた包装紙。半透明だから中身は自然と分かった。「クッキー、ですか?」「はい。音無さん、前にプレーンクッキー好きだって言っていたでしょう?だから、作ってみたんですよ」確かに言った覚えはあった。それを彼が覚えていてくれたというのが少しうれしかった、けど。


「どうしていま、渡しに来るんですか?学校ででも、別に」
「出来たての方が美味しいじゃないですか。だから」


まあ、作るのに時間食っちゃってこんな夜中になっちゃったんですけどね、そう付け加えて先輩は笑った。でもそれよりも、不可解な事象があった。


「夏未さんとの買出しはどうしたんですか?」
「ああ、あれは、うそです」
「は?」
「夏未さんの家ってああですし、専属パティシエさんとかいるかなと思いまして。案の定お抱えさんがいたから、クッキーの作り方教わってたんです。あまりお菓子は作ったことなかったので、大分てこずりましたけど」


そこまで言って彼は強引に私の手の平にクッキーを収めた。仄かに温かい。クッキーの熱か、それとも、先輩の温度か。


「それで、私実は音無さんのこと」
「好きです」


気づけば、私は先輩のせりふをさえぎってそう口に出していた。止まらない止められない。


「ずっと前から、好きでした。笑顔も泣き顔も怒った顔も、私をなでてくれる手もグラウンドを駆ける足も靡く髪も、先輩のことぜんぶ、大好きです」


まるで言葉の雨。ザーザーと地面に浸透していく、雨。先輩はこの言葉の雨を受け止めてくれるだろうか、それとも、傘をさしてしまうだろうか。もう、どちらでも良い気がした。


「…ひどいなあ、」


名字先輩は、そう言って笑った。


「私の方が、先に言いたかったのに」


先輩の手のひらが私の頬をなでる。さらさらとした指がくすぐったい。そしてそのまま、私の雨を拭うように、唇を重ねた。驚きはしたものの、嫌な気分は、なかった。すぐに離されたそれは弧を描いていて、私は応えるように、「好きです」と言った。


「知ってますよ」


先輩はそう言って笑った。雨はやんでいた。


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