変態注意報 番外編
3 sideリン意識はあるもののとにかく体に力が入らなかった。
サカナちゃんが私のチャクラを根こそぎ吸い取ってしまったのだ。あんなに可愛がってやったのに、なんて奴だ。
小さく愛らしかったサカナちゃんは私のチャクラで相当育ってしまった。
私がぶっ倒れながら最後に見たのは大きく開いたサカナちゃんの口。
おそらく飲み込まれたんだと思う。臭いとかそんな次元じゃない。とにかく苦しい。
思うように動かない体でなんとかもがいていたものの、そのうち周囲が浸水して絶望した。
おそらくサカナちゃんは私を咥えたまま、水の中を深く深く潜っていったのだ。
このまま水の底に沈められるのだろうか。サカナちゃんに美味しく頂かれてしまうんだろうか。
酸欠で朦朧とする意識の中でぼんやりとそんなことを考えていたが、意外にもサカナちゃんはそのうち水の底から進路を変え、どうやら浮上し始めたようだった。
幸か不幸かサカナちゃんの動くスピードはとても早く、ギリギリだけど水上まで私の息もなんとか続いた。
突然サカナちゃんから吐き出されるように私の体が宙に浮く。
何がなんやらだけどとにかく酸素を取り込むのに精一杯で、着地とかそんなのは二の次だった。
そんな私の体を、誰かの腕が支えてくれた。
「リン、大丈夫か?」
「シカマル……!」
ずぶ濡れな上に魚の口内ですっかり生臭くなった私を受け止めてくれたのは、驚くほどやさしい目をしたシカマルだった。
「シカマルが助けてくれたの……?ありがとう!」
「いや、そういうわけでもねぇ……。見てみろ」
さすがはシカマル!なんてシカマルの顔に見蕩れていたのも束の間。
シカマルに促されて向けた視線の先の景色の信じられなさに、私はぽかんと口を開けて固まった。
私たちが今立っているのは大きな湖の上だった。
水が驚くほど透明で、輝いていて、昼間に訪れた北の湖によく似ている。
だけど違う。北の湖は開けた平地にぽつんと浮かんだ大きな水たまりのようで、湖そのものにも周辺にも何もなかった。
しかし今私の目の前には、城と呼ぶにふさわしい立派な建造物が建っている。
「な、なんじゃこりゃあ……」
しかも城はどういう原理か湖の上に建っている。こんな建物は初めて見た。
赤い外壁や金の屋根飾りは派手で煌びやかだが、今まで見たどんな貴族の邸宅よりも高貴で、どこか神聖な空気を感じる。
改めて辺りを見渡してさらに思った。もはや辺り一体の空気感からしてどこか違う。見渡すかぎりに広がる湖からマイナスイオンが出まくっているんだろうか。澄み切った空気が肺に入れば、全身が少しずつ浄化されていくような気さえした。
本当にあったんだ……竜宮城。
「……入ってみるか」
「うぇ!?」
「他に何もねーしな。それにリンもその格好のままじゃ冷えるだろ、着替えた方がいい」
着替え!?こんなよくわかんない場所で着替え!?
たしかに寝巻き用の浴衣だし、ずぶ濡れだし、着替えたい気持ちは十二分にあるけど。
シカマルの中で竜宮城ってそんな、宿屋みたいな扱いなの?
……あ!
「ラブホ?」
「だったら話は楽なんだがな」
シカマルはわざわざ私を抱え直して竜宮城に向かって歩き始めた。
さっきからなんだかシカマルが優しい気がする。もう自力で歩けそうな気は気はするけど、お姫様抱っこは最高に嬉しいから黙っていよう。
立派なお城だけど、門扉の前には門兵の一人もいない。
そもそもここに人はいるんだろうか。
それを確かめる間もなく、さらにはどこかしらから忍び込むでもなく、なんとシカマルは大きな扉を足で開けて、竜宮城を正面突破した。
確かに敵陣ぽい雰囲気はないものの、一応ここがおそらく誘拐犯の根城なのに。なんて大胆なのシカマル。普段の慎重なシカマルも好きだけど今日のシカマルもかっこいい。
「あら、新人さんね」
「――!人がいる!」
「ええ、いるわよ。たくさん」
扉を開けてすぐの広間にいたのは、誘拐犯とは程遠い印象のきれいな女の人だった。
敵意は感じられない。かといって誘拐された被害者という感じもしない。
見るからに上等な藍色の打ち掛けがよく似合っている。天女のような羽衣こそ身につけてはいないようだけど、もしかしたらもしかして……
「あなたが乙姫様……?」
「私が……?ふふ、まさか。私はね、浦島太郎よ」
「はええ?」
「あんたが秋鈴か?それとも夕顔?花紫?」
シカマルが挙げたのは依頼のあった妓楼からいなくなった妓女の名前だ。つまり私たちの尋ね人だが、彼女は「どれでもないわ」と首を横に振った。
「それにその名前、源氏名でしょう。ここでそんな名を名乗る人はいないわ」
そう答えた彼女の声はどこか冷たかった。
それからここはどこであなたは誰だと質問を繰り返したものの、話はとりあえず着替えてからねと城の奥の一室に押し込まれた。
ただの客室だとは思えないほど広く、高価そうな調度品がいくつも飾られた煌びやかな部屋だ。部屋の手前にはバスルームもあるし、天蓋付きの大きなベッドまである。
……本当にラブホかもしれない。あとでめちゃくちゃ高額請求されたりしないだろうな。
しかし着替えろと言ったってこっちは手ぶらなのに、何に着替えれば……と部屋を見渡せば、さぞ値の張りそうな鮮やかな菜の花色の打ち掛けが衣桁に掛かっているのが目に入った。一見そういう飾りかと思ったが、衣桁の下にはご丁寧に真っ白な襦袢や掛下が畳んで置いてある。
……え?まさかこれを着ろってこと?
「着替えがあってよかったな」
えええ?ほんとに?私の給料じゃあこんな着物買えないよ?
さっきの女性に何か他に服がないか聞いてみようか。大体こんな裾を引きずるような着物では何かあった時に動けない。こんな得体の知れない場所でこんな浮かれた格好をしてる場合じゃ……
「ほら、よく似合ってる」
「!?」
素手で触れることすら憚られるような着物をシカマルは平然と持ち上げて、私の肩にかけた。
しかも似合ってるって。あのシカマルが私に『似合ってる』って!
「そ、そう〜?え、えへへへ……じゃ、じゃあシャワー浴びてくるね……!」
シカマルってばここへ来てからなんかご機嫌じゃない?いつもより妙にやさしい気がするんだけど。竜宮城にはそういうパワーがあるのか?人をこう……素直にさせてしまうのか?
「あれ?そういえば、シカマルは冷えてない?大丈夫?シャワー、私が後でもいいよ。なんなら一緒でもいいし……!」
「ああ、俺は大丈夫だ。気にすんな」
シカマルもきっと私と同じルートで来たんだと思うけど、シカマルは私のようにずぶ濡れになった様子がない。もう乾いたのかな?まぁ私は宿の浴衣だったけど、シカマルはいつもの忍服だもんね。
「じゃあお言葉に甘えて……」
魚に誘拐された先で私は一体何をしているのだろうか。
ここは本当に『ラブホテル・竜宮城』なのか?だとしても一体なんの目的で私とシカマルをこんな場所へ。カカシ先生とサクラは大丈夫かな。どうしよう。二人で別の部屋に入ってたりしたら。次会った時に二人の顔が見れないよ。
もはや何を疑えばいいのか何を気にすればいいのかもわからない状態で全身を洗ったものの、こんがらがる頭とは裏腹に体だけは妙にスッキリしてしまった。なんだかすごく気持ちのいいお湯だ。あの湖の水を引いているのかな。そういえば私を誘拐したサカナちゃんはどこへ行ったんだろう。
「ごめん、お待たせ」
すっかり長湯をしてしまった。もしかしたら今は敵陣の真っ只中にいるのかもしれないのに、なんたる体たらく。ここは居心地が良すぎてまずい。
湯上りの温まった体に掛下や打ち掛けを着るのは辛く、まぁ気にすることもないだろうと、とりあえず襦袢だけを身につけて部屋へと戻った。
どこで見つけたのか、シカマルはシカマルで質の良さそうな着物に着替えていた。
当たり前だけどもんのすごくかっこいい。シカマルは衣服については機能性重視なことが多いから、着物姿なんて当然お目にかかったことはなかった。
今だけはこの誘拐騒動に感謝したい。ありがとう。ありがとう。こんな優美でジェントルなシカマルの着物姿を目にする日がくるなんて。寿命を三年ぐらい持っていかれても不思議じゃない。
「打ち掛けは着ねぇのか?」
「う、うん……もう少し涼んでから……」
でも不思議だ。さっきから警戒心の強いシカマルらしくない行動ばかりで。二人してこんな動きにくい格好をして、いざと言う時はどうするつもりなんだろう。いざと言う時なんてこないという確信でもあるんだろうか。シカマルは何かを知っている?何か私に黙っていることがある?
シカマルの着物姿に舞い上がりたいのに、少しの不信感が私を理性的にさせる。
シカマルに限ってそんな、いい加減なことはしないと信じてるけど。
涼んでからと言ったものの、こんな豪華絢爛な部屋ではどこで落ち着いたらいいものかもわからず、所在無さげに立っているとシカマルが近づいてきた。
そしてそっと私の頬から首筋にかけてをなぞるように触れた。
「こんな格好で男の前にのこのこ出てきやがって。どうなっても知らねぇぞ」
「え……?」
何を言われているのか本気で理解できなかった。
確かに普通なら人前に出られる格好ではないけど、男の前っていうか、シカマルの前だし。
これがパンイチならさすがに躊躇うけど、そういうわけでもないじゃん。
大体どうなってもって、なに。
「わっ」
いろんな反論が言葉になる前にシカマルに膝を掬われた。
ここへ来た時と同じように横抱きで抱えられ、そのまま天蓋つき巨大ベッドへ連れられる。
優しくベッドに降ろされた時には心臓はバッコンバッコンで、今にも口から飛び出していきそうなほどだった。
覆いかぶさってきたシカマルが、熱っぽい目で私を見ている。
これがラブホテル・竜宮城の力?いつの間にか催淫剤でも盛られちゃったの?
「し、しかま」
る。と続くはずだった言葉はシカマルの口の中に飲み込まれた。
シカマルの冷たい唇が、私の唇に重なっている。
「ずっとお前とこうしたかった」
離れた唇はそのまま首筋に寄せられた。微かな吐息にぞくぞくして、頭が痺れて、なんだか涙が出そうだった。
「シカマル」
「ん?」
「好き」
「ああ、知ってる」
「大好き」
「俺もだ」
なんでこんな幸せが急に降ってきたんだろう。
任務とかカカシ先生とサクラとか、いろんなもん全部ほっぽってもちろんこの幸せを享受してしまいたい。
だけど、
「じゃあ里へ帰ってからもう一度聞かせて」
私はシカマルの肩を押し返した。
濡れたせいだと思ってた。ずっとシカマルからシカマルの匂いがしないのは。
だけどたぶん、そうじゃない。
私の大好きなシカマルはね、いくら催淫剤を盛られたとしても、こんな意味わかんない場所でいきなり発情するような、そんな危機感に欠ける男じゃないの。
私の好きって気持ちを、情欲のために弄ぶような男じゃないの。
「ごめん。今のシカマルって、やっぱ解釈違いだ」
そう言うと、シカマルは一瞬悲しそうな顔をした。
でもすぐに、
「わぶっ」
水になったシカマルが私の顔面に降り注いだ。
着替えたそばから何してくれてんだ。
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