変態注意報 番外編
2 sideシカマル一匹の小さな魚を入れた金魚鉢を持って、俺たちは街へと戻った。
健全な宿で部屋を取り、明日からの行動について話し合いをする。しかしもっぱら意見を出すのは俺とカカシ先生で、サクラは話を聞きながらもうつらうつらと船を漕ぎ、リンはぼうっと部屋の窓に身を預け、夜風で風呂上がりの髪を乾かしているようだった。
「ーーおいリン、聞いてんのか?」
「あー……うん……どうやったらお迎えが来るんだろうね?お迎えが来る妓女と来ない妓女の違いはなんだろう……」
「ったく、今はそういう話じゃ……」
「こんな綺麗な満月の日にはお迎えがあってもおかしくないかもしれないけど、春になってからもう三人ってことは関係なさそうだね……。魚の種類……?いろんな色の魚がいたし……。そもそもこの子は稚魚なのかな?これで大人なのかな?稚魚だとしたらどこまで成長するんだろう。こんな小さな鉢じゃあ飼いきれなくなるんじゃないかな……」
まるでこちらの話なんか聞いちゃいない。
リンは消えた妓女と湖の魚の関係をどうしたって切り離して考えられないらしい。
竜宮城だなんだよりもよほど現実的な話はいくらでもあるだろうに。
「消えた女たちは妓楼の中でも群を抜いての美人揃いだったそうだ。それを囲いたい男なんて探せばいくらでもいるだろう」
だからこそあの妓楼も、俺たちにわざわざこんな依頼をしたんだ。
「足抜けにしろ誘拐にしろ、とにかく明日からはそういう筋で……」
「美人揃いかぁ……じゃあ竜宮城はそりゃもう『絵にも描けない美しさ』ってやつになってるんだろうねぇ」
「だから、竜宮城じゃなくて……」
「もしかして竜宮城に行くには顔審査があるのかな。ねぇサカナちゃん、私じゃだめかなぁ?」
「サカナちゃんって……その魚の名前?」
「そう」
絶望的すぎるネーミングセンスはさておき、思考回路が竜宮城に引っ張られっぱなしのこいつをどうしたもんか。
今回のフォーマンセルは元第七班であるカカシ班に助っ人として俺が組み込まれた形のため、隊長はもちろんカカシ先生だ。でもそのカカシ先生がなんか妙にリンに甘いというか、リンを自由にさせすぎているような気がしてならない。竜宮城なんて夢物語はさっさと忘れろとぴしゃりと言い切ってくれればいいものを、二人して何の変哲もない鉢なんか覗き込んで、一体どうしようって言うんだ。
「リンは竜宮城に行きたいの?」
「え、まぁそりゃ気にはなるでしょ。先生は興味無いの?」
「そうねぇ……鯛や鮃の舞踊りは気にならなくもないかなぁ」
「でしょう」
「でもお話では浦島太郎は竜宮城から帰ってきた時には家族も家もなくなってて、ひとりぼっちで孤独に苛まれた挙句におじいさんにされちゃうって言うじゃない」
「そっか。竜宮城は時間の流れが違うんだったっけ。たしかにそれは困るなぁ」
第七班って呑気な連中の集まりなのか。
本当に妓女を探す気があるのか?上忍一人と中忍二人の揃った、人探しにしては豪勢すぎるメンバー構成のくせに、こんなに頼りないのはなんでだ。
「けど消えた女の人達が竜宮城にいるんだとしたら、やっぱり一度はそっちへ行って連れ戻してこないとねぇ。恋人と離れ離れで平気なわけないだろうし、きっと何か戻って来れない事情があるんだよ」
「なるほどねぇ」
なるほどねぇ。じゃねぇ!
「まぁまぁシカマル。気持ちはわかるけど落ち着いて」
「サクラ……リンもカカシ先生もいつもああなのか?自由奔放というか呑気というか……」
「まぁ……リンは限りなく素なんだろうけど……あれじゃない?二人とも、必要なことは全部シカマルが考えてくれるだろうって思って安心してるのよ」
「…………」
つまりめんどくせーことを全部俺に押し付けてるだけじゃねーか。
二度とこんなチーム組んでやるもんか。
「というわけでサカナちゃん、私を竜宮城に連れてってくれない?お迎えが来るの?あなたが連れてってくれるの?」
鉢を持ち上げて、小さな青い魚にそう語りかけるリン。傍目には頭がおかしい奴にしか見えない。
「さすがにもう少し大きくならないと難しいか。でもこういう魚って何を食べるんだろう……」
「そいつの背に乗れるサイズまで育てる気か?そんなの待ってられるか」
俺が心底呆れているのを気にした風でもなく、リンはがさごそと自分のカバンを漁り始めた。
俺たちの携行食は魚にやるためのもんじゃないぞ、このばか。
そんなリンの背の後ろで、青い魚は鉢の中を悠々と泳いでいる。あんな広い湖から急にこんな小さな鉢に入れられて、不憫なもんだ。
魚は水の中を泳いでいる。
俺の目の前で、優雅に、ごく普通に。
ーーちゃぷん。
魚は水の上に顔を出した。
まるで息継ぎでもするかのように。あれ?魚って水の中以外でも息できるんだっけ?
――ちゃぷん。
ついに魚は空中を泳ぎ始めた。
「〜〜〜!?」
驚きのあまり何も言葉にならない。
呑気に相変わらずカバンの中を探索しているリンの背中を、引き攣った顔のサクラがバシバシと叩いた。
「んー?どうしたのー?」
あほの極みみたいな声を出すリンの視線の先を、魚が横切った。
さすがのリンもそれには目を剥いた。
「せ、せんせ……?これなに……?どういう状況……!?」
「新種の魚かなぁ……」
「いや、え!?そういう話!?」
空中が水中であるかのように、魚はすいすいと自由に部屋の中を泳ぎ回った。
時折リンに近づいてはつつくような素振りを見せる。
「え、え、え……?」
戸惑いながらもリンはその魚の背を撫でた。こんな時に愛でるな。
かといってこれはどうしたものか。何か害があるようには思えないが、一応捕まえて鉢に戻すか?木の葉に連れ帰ってこいつが何なのか調べてもらった方がいいだろうか。
「おいリン、とりあえず……」
それを捕獲しろと言うつもりだったが、その前に魚がリンの指先に吸い付いた。そして何かを嚥下するように顎を動かしている。
哺乳類が親の乳を飲むかのような仕草だ。しかし哺乳類のそれは愛らしく見えるのに、魚類の場合は不気味でしかない。
よくわからないが、とにかく今のうちにこいつに鉢を被せて……
「あれ……?なんか、力が……」
それまで不思議そうに魚を見つめていたリンだったが、急にぐらりとその場に倒れた。
「リン!」
「どうしたんだ!?」
全員がリンの傍に寄ろうとした。が、突然目の前に水の壁が現れてそれを阻まれた。
「なに……!?」
忍術だと……!?どこから、一体誰が……!
「あ!リンが!!」
窓際にいるサクラが声を上げた。
そのサクラの隣を、2メートルはあろうかという大きな青い魚が猛然と通り過ぎて、窓の外へ出ていったのが見えた。
しかも驚くべきことに、魚の口からはリンの足が飛び出ていた。
「リンが、た、食べられちゃった……!」
「一体なんなんだ……!」
慌てて窓辺へ駆け寄って、影真似の術で魚を捕まえるべく印を組んだ。
しかし空中を泳ぐ魚に影はなかった。地面から離れすぎている。
「くそっ!」
「これでいい、シカマル!後を追うぞ!行方不明の妓女達の居場所にたどり着くかもしれない!」
俺たちは魚を追ってそのまま窓から飛び出した。
なんなんだあの魚は。あの小さな魚が一瞬であそこまででかくなったのか?それとも俺は幻術でも見てるのか?
――まさか本当に、このまま竜宮城に行っちまうんじゃねぇだろうな。
魚の体からぼたぼたと滴る水が風に流れて、雨のように顔に降りかかった。
魚の動きは尋常でないほど速かった。
目的地を突き止めるまで泳がせるまでもなく、そもそも振り切られないように後を追うだけで精一杯だ。
だが魚が辿ったルート自体はわかりやすいものだった。なにせ昼間に俺達も通った道だ。
北の湖。つい先程、あの魚を連れ帰った場所だ。
早くも里帰りのつもりか?それならそれで一人で帰ってくれ。
嫌な予感しかしない。これ以上あの魚を自由にさせるのはまずい。
「カカシ先生!」
「ああ……!」
先生も俺と同じ考えのようだった。
魚を目的地まで泳がせることよりも、リンの奪還優先に切り替えた。
ロープを括りつけたクナイを魚に向かって投げる。しかし青い鱗は難なくクナイを弾いてしまった。
次に起爆札付きクナイを投げた。しかしその爆発でも足止めどころか、体に傷一つつきやしない。
カカシ先生も術で足止めを図ってくれたが、魚の動きは止まらなかった。
「まずい……!」
魚がリンを咥えたまま湖の中に飛び込んでしまった。
慌てて俺も飛び込んで、必死に泳いだが魚との距離は離れるばかりだった。
湖の底へと魚は真っ直ぐ突き進んでいく。
この先俺の息はどこまでもつ?水に慣れているリンですら底にはたどり着かなかった。俺がそれ以上に進めるはずもない。
もうとっくに月明かりは届かなくなって、あたりは真っ暗で何も見えない。自分がどこに向かって進んでいるのかも分からない。
無謀なのはわかっていた。けれど諦めることなんかできずにもがいていたら、急に足を掴まれる感覚がして、そのままそれに引っ張られて浮上させられた。
「げほっ、ごほっ、ごほっ……!」
「溺れ死ぬ気か?冷静になれシカマル!」
「けど……!」
俺を引っ張りあげたのはカカシ先生だった。
今まで俺が見た中で一番険しい顔をしている。
「水中で魚と競えるような人間は、うちじゃリンぐらいだ。無謀な真似はよせ」
「でもそのリンが、食われたまんま湖の底に連れてかれちまったんスよ!さっさとなんとかしねーと……!」
「その『なんとか』は無闇に潜ってどうにかすることじゃないだろ。考えるんだ。それがお前の武器だろう」
「……!」
はい、と頷いたもののそんなすぐに妙案なんか出てこない。
くそ……馬鹿リン、なんとか無事でいろよ……!
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