あかいろ
六月
この日鷹君は家でテレビを見ていました。
もっぱら特撮かアニメか野球中継しかついていないこの家のテレビにしてはめずらしく、今日の画面にはたまたま音楽番組がついています。
「にーじゃ、これなんだ?」
「あ?」
鷹君は画面の中で演奏中のアーティストの手の中に見たことのある形を目にし、それを指さしながらお兄ちゃんに聞きました。
「ギターだろ」
「ぎたあ!おお!おでぎたあしってる!」
「いや知らなかっただろ」
お兄ちゃんはそうツッコミましたが、鷹君の言葉はあながち嘘でもありませんでした。
翌日、鷹君は保育ルームをこっそり抜け出して、すっかり覚えてしまった裏門への道を走り出しました。
そして目当ての人の姿を見つけて飛びつきます。
「ユメー!」
「うわ!ああ、鷹君か。君も懲りないねぇ」
以前と同じように花壇に腰掛けていたユメちゃん。
急に飛び込んできた鷹君に驚きましたがちゃんと受け止めてあげました。
あんなに怒られてあんなに泣いたのにまた迷子になったのかと、すっかり自分に懐いてしまった様子の鷹君を見ながらユメちゃんは笑ってしまいます。
「ユメ!おで、ユメのぎたあきいてやるじょ!」
「へ?」
ぎたあ?ああ、ギター?
「ギター聴きたいの?いいよ」
ユメちゃんは背負っていたケースをおろし、それを開いてギターを取り出しました。
赤っぽい茶色の、ぴかぴかしたアコースティックギターです。
かっこいい…!鷹君の瞳がきらきら輝きました。
「うたも!」
「おっけー」
ユメちゃんはギターを弾き、それに合わせて歌い始めました。
それは鷹君にとっては聴いたことのない曲でしたが、鷹君はとても胸が高揚しました。
昨日テレビで見たアーティストが今目の前にいるような気分です。
そんな二人のところに、今回もお兄ちゃんがやってきました。
今日彼は保育ルームではなく野球部の方にいたのですが、鷹君がいなくなったことに気付いた竜一君が慌てて狼谷君に知らせに行ったのです。
狼谷君はなんとなく鷹君の居場所について検討がついたので、竜一君にはそれを伝えた上で保育ルームに戻ってもらい、自分で鷹君を連れ戻しに来ました。
勝手に保育ルームを抜け出すとかふざけやがってと怒り心頭でここまで走ってきたのですが、楽し気にギターを弾いて歌を歌うユメちゃんと、きらきらした目をユメちゃんに向けながら黙って演奏を聴いている鷹君を見て、怒っていた気持ちはしぼんでしまいました。
そのまま狼谷君は、ユメちゃんがその曲を歌い終わるのを黙って待ちました。
しばらくしてギターの最後の和音が鳴り、曲が終わりを迎えます。
「…す、すっげー!!!」
「ありがとう」
鷹君は興奮して「すげー!」の言葉を繰り返します。
鷹君がとっても褒めてくれるのでユメちゃんは少し照れました。
「狼谷君も、最後まで聴いてくれてありがとう」
ユメちゃんは振り返って狼谷君に笑顔を向けます。
気付いていたのかと狼谷君は驚きました。
「にーじゃ!ユメすげーな!」
「…ああ」
狼谷君は特にそれ以上は言わずに鷹君の隣に座りました。
あれ?今日は怒らないのかな?ユメちゃんは首をかしげました。
「鷹君って今日は迷子じゃないの?」
「保育ルームを勝手に脱走したらしい」
「え、余計だめじゃん」
興奮冷めやらぬ様子だった鷹君は、急に「あ」と真顔に戻りました。
どうやら自分は怒られる立場であるということを今思い出したらしいです。
一瞬にして脅えた顔になり、恐る恐るお兄ちゃんを見上げます。
お兄ちゃんはいつもの怒った時の鋭い目で鷹君を見ていました。
「ひっ…にーじゃ、おで…」
目に涙を溜めて、鷹君は言葉を紡ぎます。
「ごべんなさい…」
「…はぁ」
狼谷君は鷹君から視線をそらしました。
「反省してんならもういい」
あーいいお兄ちゃんだなぁ。
ユメちゃんはお隣の兄弟をあたたかい眼差しで見つめていました。
「鷹君ごめんなさい言えてえらいぞ!」
ユメちゃんは鷹君の頭をわしゃわしゃと撫でました。
お兄ちゃんに怒られなかったことも、ユメちゃんに褒められたことも嬉しくて、鷹君は笑顔を取り戻しました。
「鷹君これからはさ、私に会いたかったらお兄ちゃんに言って連れてきてもらいな」
「え」
「勝手に来るのは危ないからね」
え、と声を漏らしたのは狼谷君の方でした。
まさかそんな提案がされるなんて思ってもみなかったのです。
対して鷹君の方は、また来てもいいんだと大変喜びました。
「わかったじょ!」
元気にいい子のお返事ができた鷹君をユメちゃんはもう一度褒めてあげました。
なんとなく嫌だとは言えない狼谷君は、またため息をつきました。
〔back 〕