あかいろ
ずるい人
付き合ってもう半年近くになるけど、縁下先輩の家に来るなんて初めてのことだった。
事の発端は私が期末テストで赤点を取ってしまったことだ。
初めての赤点に私が嘆いていると、先輩が勉強を見てあげると言ってくれた。
初めての先輩の部屋、初めてのお勉強会、ていうか久々のデート!
私は相当うかれていたし相当楽しみにして来ていた。
それなのに!
「…起きない…」
なんだか先輩は相当お疲れらしい。
とりあえずそれ解けたら教えて、と私に問題を指示した途端私の向かいで机に伏せって眠ってしまった。
なんか、やっぱ来ない方がよかったのかな。
こんなの起こすに起こせないし。
先輩の部活はほとんど休みがない。だからこれまでまともなデートなんてほとんどしたことがないし、たまの休みでも先輩はいつも眠そうな顔をしている。
私の存在なんて迷惑なだけかなと、結構不安になったりもする。なんか心の支えとかいうのにも全然なれてる気がしないし。来ないでって言われてるから応援とかも行ったことないし。
私は先輩の頭頂部を眺めながら、知らず知らず長い溜息をついていた。
とりあえず勉強進めといて、先輩が起きたらわからないところを聞こう。
そう決めてとにかく問題に取り組んだ。
のだけど…
ふと気づいた時にはほっぺたが机の上のノートとこんにちはしており、慌てて起き上がった正面ではお怒りのご様子の先輩が鎮座していらした。
「わ、わたっ、ねてっ…!?」
「夢野…お前何しに来たんだ…?」
額からぽろりと、それまでくっついていたんであろう消しゴムが落ちた。恥ずかしい。絶対型ついてるし。恥ずかしい。
「う、ごめんなさい…」
「…はぁ。違うな、俺も悪かった。勉強みてやるって言っといて、起きてられないなんて…ちょっと最近疲れ溜まっててさ。けど起こせなんて言われても起こせないよな。ごめん」
ふるふるふる。私は必死で首を横に振った。
結局お互いどうすることが正解だったのかなんてわからないけれど、別に私は先輩が悪いなんてこれっぽっちも思っちゃいない。
「…なぁ、今日やっぱり勉強やめにしないか?」
「え?」
「勉強しようって言って集まったし、実際今日まだ何にも教えてないのにほんとに悪いけど…やっぱりちょっと思ってたより疲れてるみたいで、勉強見てやれる感じじゃないんだ」
「あ、わかりました…」
大人っぽい先輩とは違ってまだまだガキくさい私は、すぐに感情が表に出てしまう。私が見るからにしょげた顔をしてしまったんだろう、先輩を「ごめんな」と改めて謝らせてしまった。
仕方ない、先輩はこの期末テストの間でさえ毎日部活をしてたんだ。疲れてるに決まってる。貴重な休みなんだから私につき合わせたりせずにしっかり休ませてあげないと。今日はこうやって少しだけでも会えてよかったと思うことにしよう。
これ以上変な顔をしないうちに帰ろうと、私は机の上に散らばっていた荷物をちゃきちゃきとカバンの中に詰め込んだ。
「それじゃ先輩、おじゃましました!」
「え、え?帰るの?」
「え?」
勢いよく立ち上がった私に対して、先輩は焦ったような目を向けた。
え、え?私帰った方がいいんじゃないの?ん?
「あ、ごめん俺別に帰ってほしいって意味で言ったんじゃなくて…勉強抜きで一緒に居たいなってこと」
「え、あ、ああ!…え!」
早とちった!
「でも、いいんですか…?私邪魔じゃないですか…?」
「なんでかわいい彼女のこと、邪魔だなんて思うんだ?」
ちょっと笑いながら告げられた言葉に、かあっと顔に熱が集まるのがわかった。
縁下先輩はずるい。私は先輩の迷惑なんじゃないかって、私なんかいない方がいいんじゃないかって思って、何度も先輩のことを諦めようとしてるのに。
当たり前のように発せられる言葉一つで、また私の心を捕まえる。
先輩はわかっててやってるようにも思える。
ずるい。少し離れた私の心を見透かして、やすやすと引き戻す。
私の悩みなんて無駄であるかのように、私が何か考えるだけ無意味であるかのように。
私を離すも戻すも全部先輩次第だ。ずっと先輩の手の平の上で転がされているみたい。
「おいで」
突っ立ったままの私の手を先輩が引く。
膝をついた私はそのまま先輩の胸に抱きとめられた。
付き合って半年と言ったって、まともなデートはほぼしたことがないし、大体会うのは学校の昼休みだし、こんなスキンシップは滅多にない。
私の心臓はばくばくと音を立てて、頭の中は真っ白だった。
だけど至近距離で見上げた縁下先輩は私とは違って随分余裕な顔をしていて、微笑みには大人の色気を感じた。
私が初カノって言ったのに。どうして先輩はそんなに涼しげなんですか。
ずるい。先輩はずるい。
「いつもあんまり構ってあげれなくてごめんな」
「…ううん」
「好きだよ、ユメ」
初めての名前呼びに驚く間もなく、互いの唇が重なった。
それは何度も角度を変えて繰り返されるが、完全にキャパオーバーでショートしていた私は、どうすればいいのかわからずに固まっていた。
「ユメ、息止めなくていいから」
唇が触れ合った状態のままちょっとおかしそうに笑った先輩は、いつもより少しだけ低い声でつぶやいた。
「で、でも…」
「わかった、俺がちゃんと全部教えてあげるよ」
すっと自然な動作で先輩は私を抱き上げ、ベッドの上に横たわらせた。
すべてがスムーズすぎてもう私は何が何やらだ。
ずるい、嘘つき、絶対先輩私が初カノなんかじゃないでしょう。
「勉強じゃなくてごめんな」
再び唇が重なった。さっきよりも少し熱っぽくて、湿っぽい唇。
私はちゃんと息をするようにした。教わった通りに。
さっきよりもまだ意識を保ててる頭の中で私はぼうっと、最初から、勉強見てあげるって言ってくれたあの時からここまで全部、先輩の筋書き通りだったのかななんて思っていた。
だけどこんな思考もあと数秒後には全部、息と一緒に奪われた。
やっぱり、ずるい人だな。
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