あかいろ


諸々考えるところはあったし大分悩んだけども、一応約束だから、と思って試合はちゃんと見に行った。
最大限の抵抗として、当日はスーツを着て、バレー部全体への差し入れも持って行って、あくまで私は教師としてこの場にやって来たんだという姿を澤村君に見せつけた。

でも私のそんな考えはおかまいなしに、澤村君は私が来たことを純粋にすごく喜んでいて、私はなんだか、すごく悪いことをしているような気がしてしまった。
だけど同時に、私ごときの行動一つにこんなにも喜んでもらえるのかと、満ち足りる気持ちや、うれしく思う気持ちがあったのも事実だった。

これはまずい。そう思ったけど、まさか試合前に帰るなんてことはできなかった。
そして実際試合で見た澤村君は…尋常じゃないぐらいかっこよかった。
私は正直、本気でやばいと思った。

さすがに惚れはしてない。
そもそも私の中で生徒は恋愛対象ではないし、教師と生徒との間であれやこれやなんてあってはならないことだと思っている。私はそんな教師にはなりたくない。

だけどなんとなく、『やばい』のだ。
澤村君は私のこの、対象外ゾーンをいつ越えてくるかわからない怖さがある。
越えられる前に、越えさせてしまう前に、なんとかしなければならない。


「夢野先生!」

なんとかしなければ…でもどうすれば…と考えながら校舎内を歩いていたところ、ふいに背後から声をかけられた。
この声はまずい。待ってくれ、まだ何も考えてないんだ。

「さ、澤村君…」
「先生、昨日は来てくださってありがとうございました!」

運動部らしくガバーっと勢いよく頭を下げられて、私は驚いてうろたえた。
「ど、どういたしまして」と答えた声は明らかに動揺していた。

「えっと…一次予選突破おめでとう」
「はい!ありがとうございます!試合、どうでしたか?」
「どうでしたか?……え!ほ、惚れてないよ!?」
「…あ、いや、そういうことじゃなくて……こう、楽しんでもらえたかなー、みたいな…」
「へ!あ、ああ!う、うん!」

我ながら気持ちの良いぐらいの空回りっぷりだった。
あーもう絶対余裕ない教師だってばれてるしなめられてるわこれは。
朝から非常に気持ちが落ち込み始めた。
けれどそんな私に反して澤村君は、照れたような笑みを顔に浮かべていた。

「なんか…本気で意識してもらえてるみたいで嬉しいです。昨日は、教師として来ましたって感じだったからちょっと残念だったんすけど…」
「え…」

ぐあああああの抵抗結構利いてたのか!なのに私が今台無しにしたのか!てか意識しちゃってることバレてるしやばいまずい、てか違う、意識してるってのも君にとって前向きなあれじゃないし、ちょっと待って、まずこんないつ人が通るともしれん廊下でそういう話は、やばい!

完全なパニックに陥った私は、無言ですぐそばの数学準備室の鍵を開けて、そこに澤村君を放り込んでから自分も滑り込み、内側から鍵をかけた。

「え、せ、先生…?」
「あのね澤村君、これはもうお互いの為によくないと思うからはっきり言うよ…!」

意を決して顔を上げると、思ったよりずっとに近くに澤村君の顔があって、私は無意識に後ろに飛び退いた。
ドンと、背中が自分が先ほど閉めた扉にぶつかる。

「ちょ、近い!なんで!もうちょっと後ろスペースあるでしょう!下がって!」
「いや、なんか足元いろいろ置いてるんで、これ以上は…」

ハッと我に返って彼の足元を見る。新しい教材だろうか、ただでさえ狭い物置部屋に、所狭しと段ボールが並んでいて確かにスペースがない。誰だ、こんな邪魔な置き方しやがったやつ!

「くっ…じゃあもういいや、このままで」
「はい」
「それで…だから…あのね、私は教師で、澤村君は生徒なわけじゃん」
「はい」
「その…澤村君の気持ちは嬉しいけど、やっぱりお互いの為にはね、その…なんというか…」

やばい、何がはっきり言うよだ。何一つはっきり言えてないじゃないか。

「…やっぱり迷惑ですか?」
「…えっ」
「俺の気持ちは、先生にとって迷惑ですか?」

扉に背を預ける私の頭の隣に、とんっと澤村君の手が置かれた。
20pもないような距離で、悲し気な目が私の表情を伺っている。

…はっきり言ってやる気持ちは本当にあったのだ。
生徒と恋愛なんてする気はない、そんなタブーはお互い犯すべきじゃない、私は忘れることにする、だから君も忘れるんだと。
それが彼を傷つけることになったとしても、もはや私はそう言うしかないのだ。教師として、言わねばならないのだ。

それなのに、相変わらず大人の余裕なんて持ち合わせちゃいない、心臓ばくばくな私がなんとか絞り出した言葉は「迷惑じゃないです」の一言だった。
しかもこの前と言い、なんでよりによって敬語なんだ…。

「よかった…俺別に、先生に迷惑かけたいわけじゃないから」

深く安堵の息を吐いた澤村君の頭が、そのまま私の肩に乗せられる。
私は本気で心臓破裂で死ぬんじゃないかと思った。

「…先生の心臓の音聞こえる」
「え!?」
「すっげードキドキしてる」
「〜〜〜〜っ!!!」

私はすぐさま澤村君の両肩をつかんで、自分からひっぺがした。
どうせまた顔は真っ赤だろうし、それ見られるのは恥ずかしいけど、心臓の音聞かれるのも恥ずかしすぎる!

「こ、ここここれは、その…!」
「…うそ。すみません、聞こえてたのは俺の心臓の音でした」
「…へ」
「けどその感じだと、先生も本当にドキドキしてくれてたんですかね」

…や、やられた…!!!!
そんなことってある?!一生徒にこんなに心も頭も引っ掻き回されるなんて、私教師むいてないのかな…もうやだ。
あまりの恥ずかしさで、勝手に目に涙がにじんできた。

「…先生、俺、今すぐ付き合ってくださいとかは言う気ないよ」

顔を隠そうとする私の手を澤村君が止める。
そして目の端に溢れた涙を、彼の親指がやさしく拭った。

「言ったべ?迷惑かけたくないって。だから…俺が卒業するまで、待っててください」

そう言って向けられた微笑みにはありありと余裕が見て取れて、私は現実逃避しつつある思考で、その余裕私にも分けてくれよなんて思っていた。


やっぱり、なんとなくやばいって気持ちは的中した。だけど時既に遅し。
卒業してからなら別にいいのかなぁ…なんて考えてしまっている私は、もうとっくに彼の手中なのだ。

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