あかいろ
澤村君と先生

「夢野先生、ちょっと質問があるんですけどいいですか」

澤村君は、二年生の頃からよく質問にやってくる。
部活も勉強もがんばっている、熱心な生徒だ。

「いいよ、なに?」
「この問題のこことここ、あとこっちの問題も…」
「んーまた時間かかりそうだね、隣の資料室行こうか」
「はい!お願いします」

いつものパターンだった。
資料室の鍵を持って職員室を出る。
その後ろを澤村君はうれしそうに着いて来てて、よくわかんないけど慕ってもらえてるっぽくてよかったなぁなんて思った。
私はまだ教師二年目だ。まだまだ新前の私をなめている生徒は多けれど、頼りにしてくれる生徒なんてほとんどいないかもしれない。澤村君のような存在は本当に貴重だ。

「澤村君は二次関数苦手だよね。この問題はそんなに難しくないよ、とりあえずなんとかグラフ書いてみ?」
「はい」
「そうそう、うまく書けてるよ。じゃあ次はこの中で範囲を出して―――」

澤村君は普通に優秀なのでちょっと助言をすればすらすら解いてくれる。なんなら別に私の助言なんかなくとも、少々粘って考えれば一人でも普通に出来るのではないかと感じているのだが、こうして頼られるのが嬉しいので私はいつもそうは言わずにいる。

「先生」
「ん?」
「迷惑してませんか?俺、しょっちゅう質問来ちゃって」
「迷惑だなんてとんでもない。先生冥利に尽きるってもんよ」
「ならよかった…」

彼はほっとしたように息をついて笑った。
気遣いといい笑い方といい、大人っぽい子だなといつも思う。妙に貫禄もあるし、制服を着てなかったら高校生には見えないかもしれない。そんな失礼な事、本人には言えないけど。

「そういや澤村君、部活続けるんだってね。いいよね春高、私毎年テレビで見てるよ」
「え!先生バレー好きなんですか?」
「うん、やったことはないし見る専だけどね。高校の時の彼氏がバレー部だったから応援に行ってるうちにハマっちゃってさー」
「じゃあ!今度の宮城予選!応援来てくださいよ!」

澤村君が身を乗り出してまで食いついてきた。
そんなにノってくるなんて思ってなかったからちょっとびっくりしてしまう。

「う、うーん、私土日も仕事ため込んじゃってるからなかなか難しいんだよね…」

決して私が無能だからではない。ただただ教師の仕事が限りなくブラックなのだ。
二年目といえどまだ余裕のない私が休日の約束をしてしまうのは気が引ける。
けれど澤村君が目に見えて落ち込んでしまったので不憫に思い、腹をくくった。

「でもそうだね、澤村君に全国行ってもらいたいしね!わかった、応援行くよ!」
「―――っし!ありがとうございます!」

あ、この笑顔はちゃんと高校生っぽいな。
あまりにも喜んでくれるから、つられて私も嬉しくなってしまった。

「ほら、じゃあ続きやるよ」
「あ、もう全部終わりました。たぶん大丈夫だと思うんですけど一応見直ししてもらっていいですか?」
「え、あ、うん」

いつの間に終わったんだ。ほんとに私の力なんて必要ないんじゃないか?
不思議に思いながら見直しを始める。私の手元を見つめる澤村君は、心配でもしているのか真剣な表情だった。

「…バレーしてる彼氏の姿って、かっこよかったですか?」
「そりゃあかっこよかったよ。あれは普段の8割増しぐらいかっこよく見えるね」
「じゃあ俺も…バレーしてるとこ見てもらったら、チャンスできますかね」
「…え!それって好きな子に見てもらったらってこと?そりゃもうチャンスよ!しかも澤村君主将でしょ?そんなん見ててくれとか言われたら女子は一発で惚れちゃうね。いやなに?澤村君もちゃんとそういう青春してんだねー!」

まさか生徒に恋バナをされるなんて!恋バナってか恋愛相談?うわぁそこまで頼ってもらえると嬉しいけど照れるなぁ!
なんだか勝手にニヤニヤしてしまう。見直し全然進まん。

「本当に惚れちゃいますか?」
「惚れちゃう惚れちゃう」
「夢野先生も?」
「…え?」

一瞬、時が止まったかのようだった。

「夢野先生も、俺に惚れてくれますか?」

私の手からペンが転がり落ちた。静まり返った空間に、時計の秒針の音だけが響く。
私は中途半端に口を開いたまま、何も言えずにただ呼吸を繰り返した。

からかわれてる?冗談?本気?
必死に考えている間にも私に向かって注がれる、一際真剣な眼差し。
そんなものを見てしまえば、本気なのだということは嫌でもわかった。

「…はは、困らせちゃってますよね、すみません」

何も言えないままだったぐずな私より、先に一歩引いた澤村君の方がよっぽど大人だった。
いろんな意味で恥ずかしさが込み上げて来て、顔に熱が集まってきてしまう。
私はやっとのことで、なんとか彼から顔をそらした。

ばかだ。こんな反応、ほんとにばかだ。教師のやることじゃない。普通の女のような反応を見せてどうする。もっとなんというか、こう、気丈に、子犬をあしらうかのようにできないのか私!降りて来い大人の余裕!

「ま、まったく、ばかなこと言って。大人をからかおうったってそうはいかないからね」

おそらく赤くなっているであろう顔で私は何を言っているのか。
だめだ、私には大人の余裕なんてない。ここはもうすぐにでも立ち去るべきだ。

「ごめん、ちょっと仕事があるからもう行くね」

私は適当に自分の荷物をかき集めると立ち上がった。
けれどその手を、一瞬、澤村君が掴んだ。

「先生、俺が本当に、先生のことからかってるって思ってる?」
「―――っ!」
「俺が冗談言ってんのか本気なのかぐらい、先生はわかりますよね?」

また真剣な目に射すくめられて、私は気付いたら今にも裏返りそうな声で「…はい」と返していた。
それを聞いて澤村君は「よかった」と言って笑う。

「じゃあ先生、約束ですからね」
「…え?」
「試合、見に来てくれるんですよね。俺待ってますから。……逃げないでくださいね?」

爽やかなようで、それでいて裏がありそうな笑顔と私を残して、澤村君は先に部屋を出て行った。
…なんだこれ。こんなことってある?私はただ、先生として慕われたかっただけなんですけど。

その場にへたりこんだ私は、しばらく動けないままでいた。
試合…応援…どうしよう、行って大丈夫なのか…?

「ほんとに惚れちゃったらどうすんだ…」

こんなことを考えている時点で、なんだか私はもう彼に負けているような気がした。

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