「・・・おは、ようございます・・・?」

「なんだそのぎこちねェ挨拶は」

「まだ慣れなくて・・・」


挨拶を返すなんてどれくらいしてなかっただろう。

彼に治療を繰り返してもらいながらこの部屋で過ごして5日はたっていた。

この船の船長である彼は毎日決まった時間に足を運んでくれて、
点滴や包帯の交換といった、まるでお医者さんのような仕事を手早くこなしてくれた。


「かなり良くなったな」

「そうですか?」

「あぁ。
今夜にでも向こうで飯を食えるだろ」

「あ、・・・は、い」


船長さんが私から点滴を取り払う。
今日までの食事はこの部屋で、シャチさんという、キャスケット帽子の船員さんが運んでくれていたから、皆で食べている場所に行くのは初めてになる。


目を伏せたまま告げられたその言葉に少し動揺した。
それは、船員の皆さんに私の存在を伝えるということだ。


彼は私を奪うと言って、現に居場所を提供してくれた。
けれどここは海賊船の上なことに変わりはなくて、
どんなに彼が船長と言っても、船員の皆さんが私を受け入れてくれるとは限らないのだ。


奴隷のように、生きることさえ許されなかった私が
ここの人たちと同じように生活してもいいのだろうか。


不安がじわじわと私を蝕むように襲う。
そのまま、ただ黙って顔を伏せた。

あの日、彼の言う通りにしようと決めたのは私。
それでもこの漠然とした不安は私の中から消えることはない。



「ユノ」

「・・・!あ、はっはい・・・?」


呼ばれたそれは私の名前。
ユノ。
私の新しい名前。

まだ呼ばれ慣れないその名前に遅れて反応して顔をあげる。


「何も心配するな」


まるで患者を落ち着かせるように、ベッドに腰掛ける私の目線より下に屈む彼。
そんな船長さんの言葉は不思議と、不安を拭い去るように穏やかで。


「・・・はい」

「確かに馬鹿は多い船だが、気のいい奴らだ」


馬鹿だけどな。
繰り返された同じ言葉につい笑ってしまう。

そうだ。この人が言うなら、きっと大丈夫。
なんの根拠もないのに先程と打って変わって気持ちが楽になる。


彼の手が自然と私の髪に走った。
長い髪が零れて曲げたひざ元に散らばる。


「さすがに、少し長いですね」

「伸ばしてるもんだと思ってた」

「切る暇もないと、つい伸ばしっぱなしになっちゃって」

「そうか」


毛先で遊ぶように、船長さんが指に巻く。
ランプの明かりで銀色の髪がきらきらと光ってみえた。


「切って頂けませんか?」


さらりと伸びた髪は、何故か自分自身でも驚くほど傷みが少ない。

美しい髪ね、とよく褒められていた。
褒められ羨まれた髪。
それでもこの髪が伸びた分の時間は、自分にとって忘れてしまいたい時間なのだ。


「お前がそうしろって言うなら構わねェが」

「ありがとうございます」


この髪を少しでも切ることが、今の私に出来る前向きな行動だと
そう思ったから。


「俺はそういうのは得意じゃねェから、後で一人連れて来る。
そいつに切らせればいい」

「はい」


船長さんの手が髪から離れると、腰をあげる。

あの、と言って私の手が彼の袖を指先で掴む。
いくら慌ただしく時間が過ぎたとは言え、私は彼に礼を言うことすらしてなかったことを思い出したのだ。


「ありがとうございます、船長さん」


けれど彼の顔はどうも晴れやかとは言えない。
元々表情をくるりと変えるタイプの人では無いのは見て分かるけど、
なんとも不満げなその表情がまた私を困惑させた。


「お客様だの船長さんだの、
お前は一回で覚えねェのか」

「え、と・・・?」

「俺の名前」

「お、っ覚えてますよ!!
・・・トラファルガーさん、ですよね?」


馴れ馴れしく呼ぶのもためらわれたから、そう呼んでいたのに
馬鹿呼ばわりは酷くないだろうか。
それでもまだため息を含む呆れた声が静かに告げた。


「・・・ローだ」

「え?で、でもそれはっ」

「ローと呼べ。めんどくせェ」

「・・・・・・、ろ」



「・・・・・・ロー・・・さん」

「・・・まぁいい」


人の名前を呼ぶのに、口が強張って動かしにくい。
まだ彼は不満げではあるが、納得したように私から離れた。

首を窓に向ける。
さらりと髪がこぼれる音がした。
窓から見る空は、初めて見るもののように、青く澄んでいるように思えた。







青い海の延長線
(空と海は同じ色をしているんですね)







2014/12/22



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