黒子テツヤという人間がピアスをつけているという事実を知っているのは、果たして学校で自分以外に存在するのだろうか、と思う。それくらい周囲は彼の左耳を貫く異物に対して何の反応も示していなかったし、尋常ではなく影が薄い彼のこと、本当に気がつかれていないという可能性もありえなくないのが恐ろしい。水色のシャツを第一ボタンまで留めて、黒色のネクタイを隙間なく締めて。今すぐ学校紹介のパンフレットにでも載れそうなくらい彼の制服は崩れていなかった、けれど。だからこそ白い耳たぶで存在を主張するその銀色が、ひどく違和感で、しかたが、なくて。



「自分で開けたの?」

「はい」

「痛くなかった?」

「そうですね、でも、一瞬だったので」



つまりは痛かったんだ。部活に所属していた頃よりも少しだけ伸びたスカイブルーの髪が、小さな銀色を隠しては、さらり、揺れる。テツ、黒子っち、黒ちん、黒子くんは、人形みたいに喜怒哀楽の分からない表情を上辺に張り付かせて、バスケットボールを空中に放り投げた。ああ、入らないな、と思う。彼の耳の穴に入り込んだ極彩色の感情は、ほじくり出したならばきっと瞬く間に腐って溶け落ちてしまうんだろう。がごんっ。聞き慣れた衝突音がして、足下ではあっけなく予測が事実へと姿を変えていた。



「似合ってないよ」

「そうですね、僕もそう思います」

「似合ってない」



例えば、ホームから線路へ飛び降りた時の空走距離。広辞苑の正しい意味なんて自分は知らない。黒子、テツ、テツヤ、黒子くんは、そんな言葉にしたら何一つとして残らないような絵空事を、無理やり握り潰して詰め込んで封をしたんじゃないかとか。もしかしたらそれは痛くて痛くてたまらないんじゃないかとか。運命と宿命の違い。ストリートコートの上を転がる球体に、その内側に、答えは書かれているはずだった。



「にあわないの。それこそ、耳ごと引きちぎってやりたいの。どこかの可哀想な主人公みたいに」



だって、そうでしょう。空走距離の測り方なんて知らなかったもの。














「ねぇ、祥吾くん。知ってる?テツくんがピアスつけてるの」

「あ"あ"?テツヤがか?」



相変わらず彼の左耳には異物が貫通したままだった。特に意味があるのかどうかは分からなかったけれど、この前に見かけた時は銀色じゃなくて深い青だった。深すぎて、光らない。海の底に光は届かないのかもしれない。祥吾くんの耳に散らばっているものは彼と同じピアスという名前のはずだったけれど、おそらく閉じ込めているのは似て非なるもの、いや、きっと似てすらもいないもので。けれど祥吾くんの髪もまた、あの頃よりも少しだけ伸びていた。



「知らね。つーか、姿すら見てねぇし」

「似合ってないの」

「何が」

「テツくんに、ピアスが」



虚栄心だとか、劣等感だとか。叶うならば焼却炉に投げ入れて灰にしてしまいたくなるような、生きていく上でひどく邪魔なもの。黒ちん、テツ、黒子、黒子くんとは正反対に、これでもかというくらいに着崩された白い制服。格好いい、とは思わない。そして格好悪いとも思わない。祥吾くんは飲んでいた缶ジュースを数メートル先のゴミ箱へと放り投げた。ああ、入るな、と思う。どうやら缶にはまだ中身が残っていたようで、オレンジ色の液体が宙に舞って地面に染みをつくった。

焼却炉の中の燃え滓を拾い上げてみれば、もしかしたら見えてくるのかもしれない、あの白い耳たぶに閉じ込められた極彩色。からん。鮮やかに決まったスリーポイントシュートにも、祥吾くんの目が細まることはなかった。



「そりゃあな。似合わねぇだろ、あんなクソ真面目な奴に」

「テツくんのことクソとか言わないでよ」

「めんどくせぇなぁ、お前」



恋はめんどくさいものなのよ、なんて言ったら、たぶん祥吾くんは馬鹿にして鼻で笑うから言わなかった。でも、恋だとか。そんな音にして二つ、文字にして一つのちっぽけな言葉に、全ての意味を封じ込めるなんてことできやしない。それこそ、決壊して流れ出していくに決まっているじゃないか。そうでしょう。

億劫そうに立ち上がった祥吾くんは大きくて、ピアスまでの距離は随分と遠い。手を伸ばさなければ届かない。彼の両耳を引きちぎるのは一体誰の役割なのか。少なくとも自分には無理だ。ねぇ祥吾くん。



「性格はめんどくさいけど、お前の顔は好きだぜ」

「うん。私も祥吾くんのこと、嫌いじゃないよ」

「付き合うか?」

「そうだなぁ、どうしよう」



悩んだ表情をつくって小首を傾げてみせたら、祥吾くんは軽薄に笑いながら「お前、美人だけど女優にはなれねぇな」と小馬鹿にしたように、ニヤリ、口元が歪む。でも言わせてもらうならば、祥吾くんだって俳優なんか到底無理だ。きっと幼稚園のお遊戯すらも主役にはなれない。

ねぇ祥吾くん。テツくんのピアスが似合わないの。でもね、私にはそれが、どうしても彼自身の逃げ道には見えないの。あの小さな小さなピアスの穴、空洞、欠落、ワームホールは、一体どこに繋がっているんだと思う? 一般相対性理論。時空の跳躍。おどけた顔したアインシュタイン。物理は高校生にならないと習わないんだもの、そんなの解けるわけないよ。



「なぁ。俺、女は好きだけど、女にはなりたかねぇや」

「えーどうして?」

「お前、鏡で自分の顔見てこいよ」



どんな化粧でも隠せないぜ、それ。何とも不明確な回答が置き土産だった。ひらひらと手を振って去っていく後ろ姿を見ながら、髪をかき分けて自分の耳たぶを触ってみる。そこにあるものは滑らかな感触だけで何もない。栓だった。多くの人にとっては飾りのそれが、彼にとっては栓だった。覗き込みたくないと言ったら嘘になる、けど、今の自分にはその資格はないと分かっていたのだ。


(それに、どうせ、覗いたところで)


本当は分かっていたこと。あの穴の中へと落ちたのは彼じゃなかった。だって、彼の影の薄さでは悲劇の主人公なんかなれやしないに決まっていたし、そもそも彼はリアリストの皮を被ったロマンチストだった、から。むしろ穴を五つ開けなかったことが不思議だった。今日のピアスは果たして何色だろうか。


ねぇ。彼が閉じ込めたのは、落ちたのは、繋いだのは、むしろ、ほら、




瞬間最高速度は秒速4万km




「それでも、私は男になりたいとは思わないよ、祥吾くん」



証拠なんてものないけれど、予測ではなく確信だった。テツ、黒子、黒ちん、テツヤ、黒子っち、黒子くんは、いいやテツくんは、この学校を出て行くまでにピアスを焼却炉に投げ入れて、そして空を走るのだと。結果として五人の友人たちに彼のピアスの話をしなかったのは、それが恋だったから、と言ったならば、祥吾くんはつまらなさそうに笑うんだろうな、やっぱり。









********

案外タフな黒子っちと、案外まともな祥吾くんと、案外めんどくさい桃井さんの中三時代

「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -