(誠凛バスケ部創立直後)










「なぁ、何で伊月は誠凛に入ったんだ?」


お前が俺にそれを聞くのかと。そんな被害妄想も甚だしい思いが胸の中を渦巻いて、しかし決して吐き出すことのないように、溜まった唾をゆっくりと飲み込んだ。

















「…別に、大した理由はないよ。学力が自分に見合っていて、通学時間も悪くない。歴史はないけど校舎が綺麗。そんな感じ」

「でも、誠凛にはバスケ部がなかっただろ」


決して、責めるような言い方ではなかったと思う。それなのに責められてると感じるのは、俺自身に何か後ろめたい気持ちがあるからだろうか。だむ、だむ。新品の体育館に新品のボールが跳ねる音。早く戻ってこいよ日向、と少し前にカントクと共に職員室へと向かった友人を脳裏に思い浮かべた。


「それは必ず答えなくちゃいけない質問か?」

「いんや別に。ちょっと気になっただけ」


その言葉に嘘はないんだろう、木吉はボールを指先でくるくると回しながら大して興味もなさそうに言い放った。視線の向こう、コートの中では小金井が水戸部にバスケのルールについて教わっていて(なぜ彼が喋らない水戸部にそれを教わることが可能なのかは全くもって不明である)だむ、だむ、中学時代に聞きなれた音が俺の鼓膜を揺らしている。


「じゃあさ、伊月」

「なに」

「何でお前は、日向に何も言わないんだ?」


ああ全く。
こいつは本当に嫌な男だ、と思う。


「…どういう意味か分かんないんだけど」

「そのまんま、だよ。出会ったばっかの頃から思ってたけど、お前は日向に対して何も言わないからさ」


ずっと気になっていたんだ。先ほどと変わらないトーンで、しかし今度は答えることから逃がさないというような押しを含んだ声で。なぁ水戸部ー、あれ何だっけ、ほらあれ、試合終了と一緒にゴール決めるヤツ!近くにいるはずの小金井のそんな言葉を、どこか遠い場所に感じている自分がいた。木吉が見ているのは俺ではなくバスケットコート。くるくると回されるボールに、酔いそうだと思った。


「俺よりも、リコよりも。ずっとずっとお前は日向のことを理解しているだろ。あいつがバスケを諦めきれないことも知ってたし、もしかしたら今のこの結末も予測できていたのかもしれない」

「……」

「それでもお前は、決してあいつに『バスケを続けろ』とは言わなかった」


だむ、だむ、中学時代に嫌というほど聞きなれたその音が、大好きなはずのその音が、今ばかりはじわじわと俺を蝕んでいく。
木吉鉄平という男はその見た目や普段のボケ具合からは想像もつかないけれど、実際ひどく鋭い観察眼をもっている。何も考えていないようで何もかもお見通しだと言わんばかりなその淡い瞳が、俺は嫌いだ。


言わなかったんじゃない。言えなかったんだ。


三年間一緒にプレーをして、一度すらもあいつに勝利をプレゼントしてやれなかった自分に、それどころかあいつから勝利を奪ってきたのかもしれない自分に。バスケを続けろ、などと、そんなことを言う資格なんてないと思ったからだ。そして日向が誠凛に行くと知った時、そこにはバスケ部がないと知った時、一瞬でも裏切られたと感じた自分を殺したいと思ったんだ。

もちろん俺自身だって勝ちたかった。俺だって日向に負けないくらいにバスケが大好きで、どれだけ負け続けたってバスケがしたくて、好きで、諦められなくて。けれどそれでも、それなのにこの高校に入ったのは。


「なぁ、伊月」


くるくるくる、回って、回されて。


「言わないと、伝わらないことも多いんじゃないのかな」


お前が、俺にそれを言うのかと。

そう叫び出したい気持ちを、拳をぐっと握り締めることで耐えた。この思いがただの薄汚れた被害妄想だということは分かっていた。自分にはないものを持っていて、自分にはできなかったことを成し遂げたこの男が嫌いだ。そして感謝している。すごいやつだと思う。惹かれていくのもわかる。けれどだから、だからこそ。

徐々に緩やかになっていくボールの回転。くるくるくる、くる。そして止まる。大きな指から零れ落ちる。落下、していく。


「ああ、知ってたよ」


自分でも驚くくらい冷静な声が出たと思った。


「あいつは、日向はバスケが好きで好きでたまらないんだ。誠凛にバスケ部がないって知った時も、あいつには無理だと思った。日向がバスケから離れられるわけがないって、ちゃんとわかってたよ。お前にバスケ部に誘われて、あいつが靡かないわけがないんだって」


全部全部、もしかしたら日向本人以上に、俺はあいつのことをわかっていたよ。

でもさ、木吉。俺はそれ以上に


「俺の言葉じゃ、日向を動かせないということも知ってたんだよ」


伊達に、中学三年間もあいつと一緒にいたわけじゃないぜ。

そう言って笑おうと思ったが、はたしてちゃんと笑えているのかどうか分からなかった。冷静だ何だと評されることの多い自分だけれど、おかしいな、それでも決して表情筋が固いわけではないと思っていたのに。
ちらりと隣を見てみると一瞬だけ木吉は悲しそうに顔を歪めたが、しかしすぐにいつもの飄々とした表情に戻った。理解不能な言動で俺たちを振り回すことの多い木吉だが、本当はひどく賢い男だということを知っている。そして同時に、馬鹿みたいに優しい男だということも。だからこそ木吉は今も俺の言葉に深く追求してくることなく、そうか、と一言小さく呟いただけだった。


「おーい、二人ともこっちきてー!2on2やろうよー!」


突如、小金井のそんな場違いに明るい声が体育館に響く。今はそれが救いに思えた。


「呼んでるな。行こうぜ、木吉」

「伊月」


呼ばれるままに隣を向く。そこには少しばかり困ったかのような顔をした木吉が立っていて、それこそこちらが笑ってしまいそうになった。わかっているよ、お前は俺が心配なんだろう?


「お前のその鷲の目は、俺たちにとって大きな武器だ。お前の誇るべき特技だ。でもな伊月、見ているだけじゃ、伝えないままじゃ、その景色が見えるのはお前だけなんだぞ」


随分と回りくどい言い方をするもんだ、と呆れた。けれど、それが木吉の優しさだということはわかっていた。木吉は優しい男だ。そして強い男だ。こいつの創ったチームならば強くなるだろうな、と他人事のように思う自分がいた。


(大丈夫だよ日向。今度こそは、今度こそは)


今の自分がどんな顔をしているのかはわからない。泣き出しそうな顔をしているのかもしれない。けれど僅かに口角が上がっているようだから、もしかしたら笑えているのかもしれない。

そうならばいいと思った。


「悪いな木吉、くちばしは喋りにくいんだ」


未だに何か言いたげな男に背中を向けて、俺はバスケットコートの中に足を踏み入れた。





















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誠凛創立話を読んでいると伊月が無言で日向を見つめてたり考えてたりする場面が多いように思います。けれど彼は決して日向に「バスケ部に入れ」とは言わないんですよね。

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