踏み切り線
勝利なんてものはまるで酸素のようだ。息をすれば。地に立てば。生きてさえいれば。笑えるくらいに簡単に手に入る。道で配ってるポケットティッシュよりもお手軽だ。 |
「なら死んでしまえばいいのに。貴重な経験ができますよ」
挫折を知らない者は弱いなどという言葉を言ったのは誰だったか。くだらない。そんなありふれた言葉はありふれた人間にだけ当てはまるものだ。だからありふれてない人間の僕には関係ないのだ。
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「僕も大概ありふれてない人間だと思いますけどね」
別に僕は変態ではないから他人の負け顔を見たって興奮なんかしない。そりゃあ僕だって男だから?好きな子の泣き顔なんかはこう下半身にくるものがあったりもするけれど。絶望させるのって得意なんだよ。おもしろい特技だろ? |
「この上なく変態的な特技だと思いますよ」
運動勉強芸術なんでもござれ。通知表をもらうのにドキドキするとか言ってみたいもんだ。あまりにも満点を連発するもんだから、カンニングでもしてるんじゃないかって言われたこともあったな。ほらあの先生だよ、下山さんに手を出して懲戒免職になったあのマントヒヒ。ほんとに馬鹿な人だったよな。 |
「赤司の野郎、って現行犯逮捕された時に叫んでたらしいですけど」
ははは今ごろ元気にしてるかな。生きてればいいよね。僕に逆らうとか自業自得だからどうでもいいんだけどさ。頭の悪い人間って嫌いなんだよ。そいつらのせいで地球上の酸素が失われるとか許せなくないか?せめて温暖化防止に役立てって話だよな。ああ頭悪いって言っても別に勉強できるできないの話じゃないぞ。僕は大輝や涼太のこともちゃんと好きだから。 |
「じゃあ彼らにその気持ちを伝えに行ってください」
もう十分伝わってるさ。ツンデレな真太郎とは違って、僕は思いを隠すなんてケチな真似はしないからな。あーあ才能も売買できたらいいのに。テツヤには特別に破格で譲ってあげるよ。どう、嬉しいか? |
「君名義の才能なんて、玄関先で突き返しますよ。それかシュレッダーにかけます」
つれないなぁ。僕ってさ、空を飛べとか水面を歩けとか言われたらさすがに無理だけど、大概は不可能なことってないんじゃないかと思うんだよ。ほら僕天才だからさ。 |
「そんなに世の中は個人に味方しませんよ」
「ああ、知ってる。普通の人はね」
その得意気な表情を引きちぎってやりたいだとか、広げられた両腕をもぎとってやりたいだとか、そんなけっこう物騒なことが頭にポンポンと浮かんでた。
踏切の内側に立って延々と話し続ける赤司くんの相手は、いささか飽きていた。よく話すことが尽きないなと思う。
カンカンカン
縞模様の棒の間という僕を隔てた世界で、赤司くんはまるで神様のような雄弁っぷりだった。真っ白なワイシャツがひらひら風になびく。棒の外側の僕は、この世界には入れない。危険を侵してまで不法侵入しようとも思わないから、所詮彼と僕の関係性なんてその程度だ。
「君のその傲慢さはいっそ羨ましいです」
「はは、見習ってくれて構わないよ」
「皮肉を言ったつもりなんですが」
「テツヤも、もっと自分に都合よく世界を見た方がいいと思うな」
都合よく。だから、彼は棒の内側に入ったのだろうか。僕の立っているここは、彼が生きていくには都合が悪いんだろうか。相変わらず我儘だ。我儘と言うとちょっと言い方が悪いか。ゴーイングマイウェイということにしといてあげよう。ワイシャツの白さが目に痛い。馬鹿だな、どうせ汚れるのに。
「そんな、全てが自分の思うがままだなんて、愉快な思考は持てません」
「似たようなことを、藤原道長は言ってたけどね」
「千年近くも昔の人の話をしないでもらえますか」
彼と会話をする度に、脳のどこかが削られていくような錯覚を覚える。早くこの場から帰りたかった。未だシャツの真っ白な赤司くんなんか放っておいて、黄色と黒色の棒なんか真っ二つにへし折って、早く早く。カンカンカン。帰る場所は、どこだろうか。君は、どこに立っているだろうか。錯覚だ。どの方向が真実なのか、サッパリわからない。
「だけどさ、僕にだってスマートにこなせないことくらいあるよ」
「へえ。それはぜひお聞きしたいですね」
愉しげにプラプラと振られる右手。ああ、やっぱり、あの手はもぎとってやりたいな。半月を描く赤い唇。帰りたい。一体どこへだったかは思い出せない。だけど、僕と彼の立っている場所は違うんだ。シロクマとラクダが一緒には生きられないのと同じだ。いや、それとはちょっと違うかもしれない。カンカンカン。本当は、最初っからわかってた。どうせ、たぶん、真っ二つになるの、は
「それはね、き
どんっ
ふっ飛んだ右手。こういう時、スローモーションになるというのは本当なんだな。いつもと変わらないオッドアイ。やっぱりその瞳くらいは嫌いじゃないかもしれないな、と思う。僕が心配した通り、真っ白だったワイシャツはべっとりと汚れてしまった。馬鹿ですね、天才のくせに。そう言ってやろうと思ったが、残念ながら声帯は震えてはくれなかった。
ちょっとだけ、寂しそうな顔に見えた。ちょっとだけ。
一歩くらいは、あっち側に足を踏み入れておけばよかったかもしれない。それか、こっち側へ赤司くんを引っぱってやればよかったのかもしれない。まあ、どうせ彼は梃子でも動かないんだろうけど。なんだ。結局は、どっちもどっちだったということか。
だんだんと赤から黒へ切り替わっていく視界。
ああそういえば。
僕も、今日は真っ白なワイシャツだったっけ。
(あんがい、痛くもないもんだ)
チカチカチカ、チカ。照明がまぶしい。アイボリーの天井と堅いフローリング。嗅ぎ慣れた部屋の匂い。「大丈夫か?」視線をちょっと横へ移せば、本を片手に僕を見下ろす赤髪がいた。
「…背中が痛いです」
「そりゃあソファから落下すればそうなるよ」
ああ、寝ていたのか。そういえばそうだった。再び天井へと目線を戻した。照明をバックに右手をかざす。
「生きてます、よね」
「頭も打ったのかい?」
上から覗きこむ赤司くんが、奇異なものを見る目をしていた。失礼な。というか見るだけじゃなくて起こしてくれたらどうなんだ。
「赤司くん」
かざした手を移動させて、すぐそばにある腕を引っ張った。てっきり抵抗されるかと思っていたのに、意外にも赤司くんは素直にソファから下りてくれた。「なぁ、テツヤ」僕のすぐ横に座ったと思ったら、目元を覆われた。「ちょっと、何してるんですか」「意味はないよ」「くだらないですね」掴んだ腕を動かして、その手のひらを心臓に乗せた。「赤司くん」
「思っていたより、僕は君のことが大事だったのかもしれませんよ」
「ああ、知ってる」
涼やかな顔、をしているんだろうと思う。視界は真っ暗でよくわからないけれど。でも、とりあえずその平然と応える様がかっちーんムカついた。やっぱり、あんなこと言ってやらなきゃよかったかもしれない。ぱっと腕を放した。知っているはずがないんですよ、君は。
「テツヤ」
「なんですか」
「僕も、大事だよ。君のことが、とってもね」
どうやら、何をどうしたって彼は馬鹿であるらしい。体を起こして、手放したその腕に噛みつく。赤司くんは逃げない。汚したくなるくらいに、ワイシャツは白い。噛み跡の残る腕からは血が滲む。嘲笑ってやった。
「軽薄ですね」
つまらないんで、笑ってください
ああそうか。彼からしてみれば、僕のいた方が内側だったのか。
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実は線路の上にいたのは黒子だったとさ!
赤司と黒子は互いのことが好きです。ただ相手の想いは信用していないのです。
赤黒ってこういう殺伐なんだか甘いんだかわけわからん文が書きたくなる^^