「起きて下さい」
白昼夢の中に現れたのは、今と変わらずにちっこくて、でも今よりも数段は優しい表情で、そして今よりもほんの少しだけ幼い顔をした、元相棒だった。
暑い。とにかく、暑い。ジリジリと照りつける太陽は俺を殺すつもりなのか。ただでさえ黒い肌が、もう真っ黒になるんじゃねぇかと思う。焼けるっつうか焦げる。日陰に避難したとはいえ暑いもんは暑い。こんな日に屋上でなんてサボるんじゃなかった。
「あちぃ…」
部活で暑さに慣れていなかったら、今ごろ熱中症にでもかかってるんじゃないだろうか。そういえば、アイツはよく夏にぶっ倒れてたな。校庭から響いてくる野太い声を聞きながら、そんなことを思い出した。ジリジリジリ。頭がぼんやりしてくる。目の前が霞む。やべぇ、マジで熱中症かも。
――アイツが倒れた時は、黄瀬が大騒ぎして、緑間がおろおろして、紫原が赤司を呼んで、赤司が俺に命令して、俺がアイツを運んで、さつきが介抱する。これがパターンだった。
「なよっちいなぁ」と笑う俺に、「体格の差です。不可抗力です」なんて減らず口を叩くあいつ。楽しかった。それくらいは素直に思えるんだけどな。
だんだんとフェードアウトしていく真夏の空。抵抗する気力はわかなかった。
―…くん
―…峰くん
「青峰くん」
「んー…」
「起きて下さい」
ああ?
浮上してきた意識と共に五感が感じ取ったものは、控え目に髪をすく手つきに、呆れたような声。これらの感覚を、俺は知っている。何回も何回も繰り返されたこと。だけど、今ここにあるはずは絶対にないもの。そう、あるはずがない。いやいや嘘だろ。ぱっと目を開く。チカチカチカ。眩しい太陽の光と一緒に視界に現れたのは、やっぱりそれだった。…いやいやいや嘘だろ。
「テ、ツ」
「起きました?」
「なん、で」
「君を迎えに来たんですよ。緑間くんに聞いたら、五限目からずっと教室にいなかったらしいですね。もう放課後です。部活始まりますよ」
違う、聞きたいのはそんなことじゃない。なんで、お前が桐皇にいるんだ。なんで、俺を迎えになんか来るんだ。なんで、そんな、普通に。何が起こってるんだ一体。緑間?部活?あっけらかんとしたあいつを前に、脳内がこんがらがっていく。
「ほら、さっさと行きますよ」
ぐいっ。何の躊躇いもなしに俺の腕を引くあいつの手。一瞬だけビクッと身体を震わせた俺は随分と情けない。テツにはばれてないみたいだったから良かった。何をしてんだ俺は。そんなにも意外なことだったか。いつからだったっけ、あいつが、俺に触れなくなったのは(いや、俺が先だったかもしれないけど)
「バスケにかける情熱の百分の一くらい、授業の方にもかけて下さい。来年また二年生だなんて笑えませんからね。そうなったら赤司くんに殺されますよ」
言ってることは過激だが、その口調は柔らかった。こっちに向かって垂れるさらさらの空色の髪。幾度と見てきたはずのそれが、異常に綺麗に見えた。太陽の光を浴びて、キラキラ輝く。
「もう少しで夏休みですし、がんばって下さい。休みに入れば、嫌ってほどバスケできるんですから」
そう言いながらテツが逆の手で指差すのは、俺の膝にのったバスケットボール。そういや、中学ん時はよく授業中に屋上でボールいじって遊んでたっけ。たまーに黄瀬が来たりもして。あいつだって出席やばいくせに。体育中の校庭にボールを飛ばして、職員室行きになったこともあったな。確か体育教師のハゲの頭に直撃したんだった。ありゃあみんなに笑われた。
そんな、くだんねぇことばっかやってた気がする。そんで待ってたんだ。テツが、俺を迎えにくるのを。
「青峰くん?」
テツ、と動かした口から音はでなかった。でなくてよかったのかもしれない。
「何をぼけっとしてるんですか。全中に向けて練習厳しくなってるんですから、早く行かないと。まあ、君にとっては楽しみが増えるだけかもしれませんが」
全中。
その言葉に、気がついた。今あいつが着てんのも、俺が着てんのも、同じく見飽きたブルーのシャツ。ああ、そういうことか。なんてことはない。ただの夢だったのか。なんだ。
なーん、だ。
「黄瀬くんもレギュラーにあがりましたし」
夢だと判ったら、急に冷静になってきた。俺を見下ろすテツをゆっくりと見返す。現在と大差ないけど、心なしか幼い気がしてきた。俺の腕を掴むあいつ。俺とは対照的に冷たい体温。こんなにも、当たり前だったのか。ジリジリと照りつける太陽は治まらない。
「二連覇に向けて、みんな士気が高まっています」
饒舌に喋り続けるあいつの口。無表情とかいう言葉をよく当てはめられているのを知っているが、とんだ間違いだろうと思う。だって、見てみろよテツの顔。
「きっと、これからもっと楽しくなりますよ」
どこが無表情なんだ。
すっげえ、楽しそうじゃねえか。
どうせこれは夢なんだろう。この茹で上がる暑さに夢とくれば、言い訳としては上等だ。だったら
「テツ」
「なんですっ…」
ぐらり、と。軽く引いただけで簡単によろめく小さなからだ。一瞬の、しかも触れるだけのキスなんて、あの頃だったら物足りなくてしょうがなかったはずなのに。でも、今はこれで十分だった。これだけで。
「先に行っててくれ。すぐ、追いつくから」
弱
虫
は
た
ぶ
ん
唇をぺろりと舐めた。汗に濡れた、しょっぱい味だった。あいつのはよくわからなかった。とりあえず、柔らかかった気がする。なんて、あの頃の当たり前を必死になって思い出そうとしている自分に、つい笑ってしまった。
「甘ぇ」
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時間軸なんて気にしちゃいけない