「市川さん」


 さほど高くは無い塀を乗り越えて赤木がうすく雪の積もった庭に降り立つと、眠っているのか動かない老人が縁側の柱にもたれかかって座っていた。近寄ってその名前を呼んでやれば、無断で人の家に入られているというのに市川は驚いた様子も無くゆっくりと目を開ける。


「赤木か」
「なんだ、死んでるのかと思った」
「馬鹿をぬかすな」


 簡単にくたばる人間じゃあないだろうけどね、などともらしながら縁側に座ると、市川は露骨に嫌そうな顔をした。赤木はそれに気がつくが勿論気になどしない。週に二度ほど赤木はこの家にやってくる。互いに嫌味を言いながら縁側に座り、そのたびに市川が眉をひそめるのはお決まりの流れだった。


「帰れ」
「冷たいな、じじい」
「……そんなこと言える立場か、お前が」


 ふ、と市川はため息をつく。その息が白く空中に消えていくのを赤木はしばらく無心に見つめていたが、何を思い立ったのかそろりと市川に近づくと、その顔を相手の顔の前に寄せた。体重をすっかり預けていた柱に手を置かれ、眼前を圧迫されるような状況に市川は迷惑そうな顔をする。


「何のつもりだ」


 市川の問いにも赤木は答えない。ただ瞳を覗き込んで、この目が自分を映すことは無いのだと思うと少し侘しい気持にもなる気がする、と瞬きを数度した。これだけ見つめてもこのモーロクじじいは気が付きもしないのかもしれない。そんな事を考えていると、赤木に問うてからは何を考えているのか押し黙っていた市川が唐突に口を開いた。


「……なにかくだらねえこと考えてるな。 え?赤木君」
「別に」
「嘯くな」


 離れようとした赤木の後頭部をいつかのように手探りで捕まえて、市川はにやりと笑った。


「ガキが、センチにでもなったか」


 赤木はやはり答えない。市川にとってはその沈黙が十分な答えだった。

 手をやった赤木の後頭部が赤く濡れているのを、市川は先程から気が付いていた。赤木がやって来た時から漂っていた血の臭いにどうせまた喧嘩でもしてきたのだろうと思っていたが、どうやら今回は結構大きな喧嘩だったらしい。赤木の怪我もそれに比例しているようで、血こそもう流れ出てはいないがその傷口はけして浅くなく感じられた。自らの命を省みない鬼の子でも疲れるときはあるってことか、と市川は赤木を感じて思った。


「お前の考えることなんざ、顔が見えなくてもわかる」
「麻雀には負けたくせして」
「……言いやがる」


 先ほどよりわずかに緩くなった赤木の空気と声に、市川は小さく鼻を鳴らした。甘えることも素直にできないガキめ、と呟くと赤木は眉をひそめて無理やり市川の手から逃れた。どうやらこいつにも気恥ずかしいなんて気持ちが存在するらしい。可愛いところもあるじゃねえか、などと思っていると、赤木は洗面台とタオル借りる、と立ちあがった。市川もそれに呼応するように腰をあげる。


「なんでついてくるの」
「鬼の血で手が汚れてんだ」
「自業自得でしょ」


 そう言いつつも、赤木は小さく口角をあげた。
 血を洗い流したら赤木は図々しくもここで昼飯を食べていくのだろう。多少のことがあろうといつもそうだった。


「市川さん、これが終わったら麻雀しよう」
「しねえ」


 そしてこれもいつものこと。





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