「……旅に出る理由?」
ぼんやりと窓の外を眺めていたアカギは、カイジの唐突な問いに怪訝そうに眉をしかめた。
「なにそれ」
「そのまんまの意味だよ」
先程まで寝転がっていたベッドから身体を起こして、カイジは改まったようにベッドのふちに座り直す。意味がよくわかっていないらしいアカギとは対照的に、カイジにとっては相当意を決した質問だったらしい。顔だけをこちらに向けたアカギの眼と、部屋の隅に放り投げてある古びた鞄とを交互に彷徨っていた視線が居心地悪そうに床へと落ちた。
「お前、ちょくちょくいなくなるだろ」
遠慮がちに呟いたカイジの言葉にやっと納得したのか、アカギは小さくああ、ともらした。
アカギはカイジの前からしばしばふらりと消えた。出会ってすぐの頃からそうだったし、それはアカギがカイジの部屋に同居するようになってからも変わらなかった。3日で戻ってくることもあれば、1カ月音沙汰ない事もあった。しかしどれほどの長さであっても、アカギがそのことを事前にカイジに告げることはけして無かった。
今まで、カイジはそのことについてアカギになにか問いただしたりすることはしなかった。アカギが縛られる事を嫌う人間であることは承知しているつもりだったし、結局はここに帰ってくると信じていた。今までは。
「なんかこう、不安になったんだよ、唐突に」
「……不安、ねえ」
女々しい話だけどな、とカイジはベッドの脇に置いてあった煙草を取り出し、フィルターを軽く噛んだ。空回りして火花を散らすだけの安ライターでひしゃげたそれになんとか火をつける。
「俺がひとつのところに長くとどまれる性分じゃないことは知ってるでしょ」
「まあ、それは」
「だから、別にアンタへの感情がどうというわけじゃなくて……」
「……違う!」
言葉を遮った大声にアカギは思わずカイジの顔を見た。薄い白煙をはさんで、床に向けられていたカイジの眼はアカギをしっかりと見据えていた。
「俺の知らないとこで、お前が死んじまうかもしれねえってことを心配してんだ、こっちは!」
つけたばかりの煙草を乱暴に灰皿に押しつけ、カイジはベッドから立ち上がった。そう高くないベッドが、ギシと頼りなさげに鳴いた。
「俺の知らないとこで、命賭けるような勝負してるくせに、あまりに当たり前に帰ってくるから、いなくなっても、きっと帰ってくるだろうって思っちまうんだよ!」
拳を握りしめ、カイジは絞り出すように叫ぶ。アカギに言っていると言うより、自分をしかりつけているようにも見えた。
今まで黙ってカイジを見上げていたアカギが、クククと小さく笑った。
「……アンタがさ、あまりに当たり前に待ってるから、ついこっちも当たり前に帰ってきちまうんだよ」
「……はぁ?」
アカギの言葉に気を抜かれたのか、カイジの拳がわずかに緩んだ。その様子を見てアカギは続ける。
「俺がどんなにここを長く離れようが、何も告げずいなくなろうが、馬鹿正直に待ってるから。いなくなっても、きっと待ってるだろうって思っちまう」
「……お、俺のせいかよ」
「ま、そういうことだ。旅ってのは帰ってくるとこがあるから出るもんじゃねえのかい」
「うまいこといったつもりかよ……」
はあ、と大きなため息をついて床に崩れ落ちるように座り込んだカイジを見て、アカギは再びクククと笑った。床に手をついて力なく天井を見上げていたカイジは、しばらく何か考えるように眼を閉じたあと、決意したように低く唸った。
「決めた」
「は?」
「……今度の『旅』、俺もついていく」
「……はあ?」
カイジの言葉に、アカギは彼にしては珍しく気の抜けた声をあげた。そんなアカギの様子にもかまわず、カイジは天井から視線を戻して真剣な表情を見せる。
「俺も一緒に行けば、なんも問題ねえだろうがっ……!」
元々この話がしたかったのだ、とカイジは言った。
「そしたら、俺も待つ必要ねえし、お前も帰る必要、ねえだろ」
「……アンタが知らないうちに出て行くかもしれないぜ」
「そんなら、手錠でもつけて見はっといてやらあ」
「……敵わねえな」
アカギは呆れたように肩をすくめた。
「ここに帰ってくる理由、なくなっちまった」
「その代わり、旅に出る理由でもこじつけようぜ」
「……うまいこといったつもりかよ」
そう言って、煙草を取り出して火をつける。薄い煙があがった。それを見て、カイジは思い出したように苦々しい顔をした。
「ああ、まだ長かったのに、消しちまったよ、煙草……」
「アンタも大概馬鹿だな」
前の旅の帰宅から数カ月。次の旅は近い。