※安平未満



「……うわ」


 けして小雨とは言い難い目の前の風景に、5階建てのビルの玄関で平山幸雄は眉をしかめた。半分押しあけていたガラス戸を閉じると、ガリガリと頭をかく。先刻までいた2階の雀荘のラジオでは「雨は深夜から」と言っていたはずだ。天気予報も案外当てにならねえな、と夕方にも関わらず音を立てて降り注ぐ雨粒に平山は深くため息を吐きだした。

 「帰る」と言った手前先程の雀荘に戻るのもはばかられ、かと言ってこのままこんなところで立ち尽くしているわけにもいかない。一張羅であるこのスーツが濡れるのはかなり厳しいが走って帰るしかないか、と悩みつつも再び扉に向き合ったところで、外開きのガラス戸がギッと音を立てて開いた。


「なんだ、やっぱ平山か」
「や、安岡さん」


 入ってきたのは見知った顔だった。半分駆けるようにもぐりこんで来た安岡に、平山は思わず半歩下がる。雨から逃れに飛び込んだらしい刑事は、腕をするどく振って申し訳程度に雨を落としながら、改めて平山を確認すると特有のにやりとした笑みを浮かべた。


「そんな派手な格好してるやつもそういねえからな」


 安岡はそう言ってクックッと笑う。相変わらずこの人は馬鹿にしてんのかそうでないのかわからないな、と平山は心中でため息をつくが口には出さないことにした。どうせこの人のことだから、言葉にしたらたとえそうでなくても「馬鹿にしている」と言うのだろう。


「こんなとこで立ち往生してるのを見ると、帰るとこか」
「えっと……ええ、まあ」


 外の様子と、雨をしのぐものを持っていないらしい平山とを交互に見ながら安岡は言った。その言葉に、平山は曖昧に返す。もし「どうせならもう少し打っていかないか」と言われても断るつもりでいた。再びあの雀荘に舞い戻る恥をこうむるくらいなら濡れて帰ったほうがましだと思っていた。平山幸雄はそういう男だった。


「……ちょっと待ってろ」
「え」


 そんな平山の心中を知ってか知らずか予想になかった言葉を残すと、安岡は上階へと続く階段を時折一段飛ばしながら登って行ってしまった。取り残された平山は、おいおい、何をしてくれるつもりだ、と噛みしめた歯の隙間から息をもらす。別に卓の確認とかだったらいいんだけど、俺は帰るんだから。そんなことをしばらくがりがり考えていると、安岡が階段から再び姿を現した。右手では頭を白いタオルでわしわしと拭き、左手には黒くて大きな傘を握りしめている。どちらも、さっきは持っていなかったものだ。


「おら、帰るんだろ」
「え、その傘」
「あ?借りてきた。一応俺もここの常連だしな」


 よく見れば確かに傘柄には雀荘の名前が白いマジックで書かれている。もともと貸しだす為に置いてある傘のようではあったが、それでもフッと行って借りてくる安岡は、平山には何か偉業を成し遂げた男のように見えた。

ある程度水を吸収し終わったのかタオルを自らの肩にかけると、安岡は呆然としている平山の腰をばしと叩いた。いまひとつ状況が飲みこめていないらしい平山に安岡は肩をすくめる。


「ここで会ったのも何かの縁だろ、送ってってやる」
「え、でも傘ひとつしか」
「ひとつしか借りれなかったんだよ、他にも客はいるしな」
「男同士の相合傘なんて」
「こんな急な雨じゃ、誰も他人を気にしてる余裕なんてねえよ」


 相変わらず他人の目が気になる奴だな、と安岡はまた笑った。相変わらず馬鹿にしてるのかしていないのかわからない。すでにガラス戸を開けている安岡の背中を目で追いながら、俺の考えがわかってるのかわかってないのかもわからん、と平山は頭をかく。けれどなんだかんだで胡散臭いこの男について雨の中に出ていくのは、やはりこの人を好いているからだろうか。外に出ると、雨は先ほどよりまた少し強くなっていた。


「……安岡さん、なんなら家寄って来ますか」
「ああ?」
「缶ビールぐらいなら御馳走しますよ」
「……刑事に昼間っから酒のめってのか」


 平山の隣で安岡は苦々しく呟いた。突然の雨で人通りの無い道を、足元を少し濡らしながら二人はだらだらと歩く。黒い傘は大の大人ふたりはいってもほとんど濡れない程度には大きい。そんなこと言ってても、多分俺ん家に寄るんだろうなこの人、と平山はポケットに手をつっこみながら小さく笑った。雨は深夜までやみそうにない。









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