「市川さん、女でも抱いた?」
勝手に市川家にあがりこみ、勝手に市川家の緑茶を入れて飲んでいた赤木が唐突にそんなことを口にした。ちゃぶ台に置かれているであろう自らの分の湯飲みを取ろうとそろりそろり手を動かしていた市川は、一瞬腕の動きを止めると怪訝そうに眉をしかめる。
「なんだ急に」
「甘い匂いがする」
見当違いのところを探っている市川の指先に触れるよう目的の湯飲みを移動させながら、赤木は匂いのもとを探ろうと市川に顔を近付けた。クラクラするような甘い香りは、どうやら市川の服から漂ってくるらしい。
赤木のその様子を感じて何か心当たりがあったようで、市川は湯飲みを握っていないほうの腕、その袖口を顔に近付けると納得したようにああ、と呟いた。
「花か」
「花?」
「玄関に飾ってあったろう」
そうだったろうか。赤木は一人暮らしにしては少々広く物の無い玄関を頭に広げたが、そういえばここ最近は面倒がって庭から入ってきていたことを思い出し市川に首をひねって見せた。
「知らない」
「玄関から入ってこないからだ」
「もらったの?」
「買ったんだ」
それを抱いて帰って来たから匂いがついたんだろう、と市川は匂いを落とすように服をはたきながら言った。いつも無愛想なこのじじいが花屋で立ち止まり、幾種類の中から気に入ったものを選んでいる様を思い浮かべて赤木は小さく笑う。その笑いをどう勘違いしたか、市川はフンと鼻を鳴らした。
「目が見えないからこそ、香りのいいやつを買うんだろう」
そう言ったっきり黙って茶をすすりだした市川を置いて、赤木はゆっくりと畳から腰をあげると玄関へ足を運んだ。市川の言うとおり、落ちついた玄関の隅、存在を主張する大きな花が花瓶に無造作に活けてある。物の無い玄関の派手な花はそこだけ別世界のように見えて、赤木はまた小さく笑った。
「趣味の悪い花だな」
ただ、玄関に漂う甘い香りはそれほど悪くないように思えた。
「随分な花だね」
「口出しされる言われはない」
赤木が市川のもとへ戻ってくると、先ほどまで飲んでいたらしい湯のみはもう空になっていた。赤木が半分ほど残していた自分の茶も随分ぬるくなってしまっていて、一気に飲み干すと新しいものを二人ぶん注ぐ。
「文句があるなら、君が買ってきたらいい」
「……オレが買ってきたら、飾ってくれるの?」
新しく注がれた茶に口をつけ、市川は少しの間のあとああと呟いた。
「香りがよければな」
「フフ……文句言うなよ、じじぃ」
「……どうだかな」
微かにあたりを漂う甘い香りをかぎながら、赤木はまた玄関から尋ねなくちゃいけねえかな、と薄く笑いつつ茶をすすった。
香りシリーズ2