部屋に通されてから暫くは、慶次と色々と話した。慶次とはまだ会って半日も経っていないというのに、その人柄のせいか、会話は途切れなかった。
話によると、慶次は奥州に行く最中だったということ。本来ならば、今日中に小田原城とやらへ着いておきたかったらしいが、私と出会い、こうして甲斐に来た。
「まあ、急いでるわけじゃないし、もう暫くは甲斐に滞在するよ」
「でも悪いよ」
「けど名前ちゃんを放っとく訳にもいかないしさ」
「私のことなんていいのに…」
むしろ、ここで面倒を見てもらうという働きかけをしてくれただけでも十分だ。
俯いて、申し訳なさそうにしていると、頭に温かいものが乗せられた。それは慶次の手で、その手は優しく私の頭を撫でた。
「け、慶次…っ」
「そんなショボくれた顔しない!どうせなら笑わなくちゃ!」
「笑えって言われも、私はそんな…」
「俺のことはいいから!そんな顔してちゃ、運も裸足で逃げ出しちまうよ!」
「ちょっ、ちょっと慶次っ!髪ぐしゃぐしゃになるよっ」
豪快に笑いながら更に頭を撫でる慶次の手を掴んでどうにか止めさせたが、既に髪は恐ろしく乱れていた。それを見た慶次が、また笑い出した。
自分の頭の惨状と慶次の笑み、こっちまで笑えてきてしまった。
「ふっ、ははは!もう慶次のばかっ」
「へへっ、バカでも皆の笑顔が見られればそれでいいよ!」
近くで木の枝で遊んでいた夢吉も、いつの間にかきーきーと楽しそうにはしゃいでいた。それを見ていると、ややこしいことを考えることもどうだっていい気がしてきた。
「名前ちゃん」
「うわぁっ!」
いきなり背後から声が聞こえてきて、思い切り肩が跳ねた。大慌てで後ろを振り向くと、猿飛さんが物凄く面倒臭そうな顔でしゃがんでいた。
「うわぁじゃないよ。さっき大将からあんたの話聞いたけどさー…」
「ああ…信じてくれませんよね」
「そりゃあね。俺様は自分の見たことしか信じないから」
「でもこれ見たら一発で信じたくなるよ!」
「あっ、ちょっとそれっ!」
「なにそれ」
「携帯デンワって言うカラクリなんだってよ」
ほんの少ししか触ってない筈なのに、慶次は慣れた手付きで携帯を操作している。それを興味津々に覗く猿飛さん。なんか妙な図だ。
まあヤバい画像とかメールは鍵付きのとこに入れてるからいいんだけど。
「…カラクリの域超えてない?」
「俺もこれ見たときビックリした」
「あのー…そろそろ返してもらっていいですかね?」
「その前に俺様にも触らせてくんない?」
返事を聞く前に猿飛さんは私の携帯を慶次から受け取り、ディスプレイをじっと見出した。色々とボタンを押してみたりしてから納得したのか、猿飛さんは私に携帯を返して、また大きく溜め息付いた。この人いつか禿げそう。
「名前ちゃんの事情はもう十分わかったよ」
「それはどうも」
「えー、じゃあこれから暫くよろしく頼むよ」
「はい、こちらこそよろしくお願いしますね」
崩していた足を正座しなおし、猿飛さんに向かって礼をした。慶次もそれに続いてよろしく、と告げたら、何故か猿飛さんに殴られていた。
「まず早速だけど、名前ちゃんにはいくつか守ってほしいことがある」
「ああはいなんでしょう?」
「…まず一つめは知っての通り、魔王に知られちゃ不味い。だから自分のことは一切人に言わない」
「はい」
「ニつ目、あんたは記憶喪失で自分の名前以外は覚えてないってことになってるから、困ったことがあればそれを使う」
「了解です」
「最後に、もし何かあっても自分でなんとかすること」
「…敵襲とかですか?」
「うんそう。俺様達はできる限りのことはするけど、不在だったり不意討ちだったりすると名前ちゃんのことまで手が回らないからさ」
猿飛さんは真剣な表情で、私への約束事を告げた。三つめの約束は、イマイチピンと来ないが、一番大切な約束なんだと思う。
「わかりました」
「うん、約束はこれだけだから、後はまあ楽にしてくれていいよ」
「はい、ありがとうございます!」
こうして私は甲斐の虎、武田信玄の元で、暮らすことになった。
(120212)