※思いを伝えられなかった女の子と菅原くんのお話。























朝目が覚めて、ハンガーにかけられている制服を着る。まだ覚め切らない目を覚ますために顔を洗って、リビングに向かう。すると既に朝ご飯の用意が整ったテーブル。キッチンから出て来たお母さんが、一言。


「咲子、卒業おめでとう」

「ありがとう」


今日は烏野高校の卒業式。私も晴れて卒業する身だ。この制服を着るのも、今日で最後。朝ご飯をすませて、いってきますと声をかける。外に出るとまだ肌寒くて。少し小走りで駅へと向かう。

学校に着くと、卒業式と書かれた大きな看板があった。校門をくぐり抜けて昇降口へ向かう。一番下の、少し使いづらい下駄箱に自分の靴を入れて上履きに履き替える。階段を2つ登って2階の教室までの廊下を歩く。卒業式当日だと言うのに騒がしい廊下。でもそれも最後かあ、なんて思うと微笑ましくて。名前もクラスも知らない男の子達がじゃれ合っているのを見て笑みがこぼれた。


「なーに笑ってんの?」

「あ…智絵。おはよう」


同じクラスで一番の友達の智絵。後ろから声をかけられて、一緒に教室に入る。


「で、何でにやにやしてたの?」

「にやにやなんてしてないよ。もう卒業式なんだなあってしみじみしちゃってたけど、男の子ってなんかいいなって」


そう言うと智絵は私のことをじーっと見つめる。何だろう。


「咲子が他の男の子見て笑うなんて、珍しくて」

「え、そうかな」

「だって咲子は菅原のことしか見てないじゃん」


まだあまり人もいない教室。そこそこの声の大きさで私が3年間想い続けた人の名前を口に出す智絵。私は慌てて智絵を止める。


「ちょっと!他の人に聞こえちゃう」

「いいじゃん、もう卒業だし。私も咲子も東京行くし、皆忘れちゃうよ」

「それでも…駄目なの」


まだ少しだけ静かな教室に私の声は小さくなって消えた。確かに3年間、菅原くんのことを思い続けてきた。でも、彼女になりたいとか想いを知ってほしいとか、そう言う気持ちはあまりなかった。ただクラスの真ん中で楽しそうに笑う菅原くんを見ているだけで、よかった。


「わかったわかった、ごめん。でもね、もう会えないかもしれないから、最後に何か話しときなよ」


智絵がそう言うとチャイムが鳴って、担任の先生が入って来る。このクラスで行う最後の朝礼が始まった。タイムリミットはもう少し。

朝礼が終わって、体育館へ向かって卒業式のために並ぶ。何度か行ったリハーサル通りに。名前の順で男子が並んでから、女子が並ぶ。少し前の方から聞こえる、菅原くんの声。あの声が、最後に私に向けられたのはいつだったかな。そんなことを考えていると入場の音楽が聞こえてくる。私たちが順番に入場して、卒業式が始まった。

卒業式は何の問題もなく終わった。最後のHRでは、先生のお話。あっさりした先生なので涙を流すような話はしなかったけれど、またいつでも遊びに来ていいという言葉はすごく嬉しかった。HRが終われば、全部終わり。外には部活の先輩とか、憧れの先輩を待つ後輩達がたくさんいるようだった。特に部活にも入ってなくて、目立つようなことは何もしてない私には縁がない。


「咲子、皆でカラオケでも行かないって話になってるけど、どう?」

「わ、楽しそう。私も行く」

智絵が声を掛けてくれる。クラスの子達とは、智絵以外にも仲が良い子はたくさんいるからすごく嬉しい。最後に後輩に会ってから行く子もいるということで、少し学内で待つことになった。


「ね、外行こうよ」

「私はいいよ…人多そうだし」

「だからいいんじゃん!菅原も外に行っちゃったよ」


智絵はどうしても私に最後に、菅原くんと話してほしいらしい。でもこういう強引なところは、私も助けられていた。

外に出ると人がたくさんいた。泣いてたり、笑ってたり、写真を撮ったり、プレゼントを渡したり。すごく楽しそうで、さみしそうで、私もこんな風に何か心に残るものがあればよかったな、なんて。


「あ、あの…!」


突然掛けられる声。その声の方を向くと、少し大人しそうな女の子。誰だろう、と思っていると智絵が一言。


「あれ、委員会が一緒だった…よね?」

「は…はい!そうなんです。覚えててくださって嬉しいです」


智絵は世話好きで、誰とでもすぐに打ち解けられる性格だから、きっとあの子もそんな智絵に憧れてたんだろう。私は智絵に小さく手を振ってその場から離れた。きっと2人の方が話しやすいだろう。

せっかく外に来たし、智絵の言う通り菅原くんを探そう。私も卒業式で少し浮かれているのかもしれない。菅原くんは、バレー部だから集団で固まってるかな。そう思って運動部らしき集団の近くを順番に回ってみても、菅原くんらしき人もバレー部らしき集団も見つからなかった。もうどこかに移動しちゃったのかな。そこで思いついた、場所。菅原くん達の全てが詰まった体育館。私は体育館の方に足を向ける。

何度か入口の近くまでは足を運んだけれど、結局勇気がなくて入れなかったその場所。近くまで行けばボールの音や人の声が聞こえてきた。少しだけ開いている隙間から覗いて見ると、たぶん、バレーボールが見える。そして人影も見える。でも菅原くんがいるのかどうかは、わからない。どうしようかと考えると、入口の近くに窓があるのを見つける。鉄格子が付いているため見えづらいけど、何度かジャンプして中を見てみる。…うん、見えない。完全に覗いてるみたいで怪しくなってきたので教室に戻ろうと後ろを振り返ると、体育館へ向かってきた人とばっちりと目が合ってしまった。しかもその人は。


「す…菅原くん…」

「小鳥遊さん、誰かに用事?」


何てタイミングが悪いんだろう。たぶん、ジャンプしているのも見られたような気がする。恥ずかしすぎて逃げ出したい。誰に用事?菅原くんに、なんて言えるわけがない。私が黙っていると、菅原くんはまた口を開いた。


「もし暇なら、ちょっと話さない?」


私は頷いた。菅原くんは体育館の前中へは入らずに、体育館の側にある水道があるところで止まった。どうしよう、まさか本人から話す機会をもらえるなんて思ってもいなかった。


「ここさ、部活の休憩時間によく使ってたんだ」

「そうなんだ。私、ここに水道があるの知らなかった」

「…不思議だよな。同じ学校に通ってても、知らない場所とかあってさ」


そうだね、としか言えなかった。菅原くんが3年間過ごした体育館の、その近くにある小さな場所。私は卒業する日まで知らなくて。見ているだけでよかったはずなのに、知らなかったことがなんだか悲しくて。もし3年間をやり直せるのなら、もう少し近づく努力をしたかったな。


「小鳥遊さんは、思い入れのある場所とかある?」

「思い入れ…かあ」


部活、生徒会、同好会。放課後に活動する組織はたくさんあって、それでも私はその中のどれにも所属していなかった。学校で過ごした時間は、部活に一生懸命だった菅原くんよりも遥かに短い。そんな私でも、大事に思える場所。


「やっぱり、教室かな」


教室は、友達と過ごした楽しい思い出も、菅原くんの笑顔を見られた小さな幸せも詰まってる場所。あの場所が、4月には別の誰かの場所になるのかと思うと、それはすごく悲しい。


「教室か。確かに一番長くいる場所だもんな」

「うん。菅原くんは、やっぱり体育館?」

「おう。部活は、これでもかーってくらい練習したからな」


バレーのトスの動きをする菅原くん。本当に楽しそう。私は1つ浮かんだ疑問を聞いてみる。


「菅原くんは、大学でもバレー続けるの?」

「続けるよ」


それの答えはすぐに返ってきて、菅原くんは真っ直ぐ前を見てそう言った。菅原くんの今までもこれからも、バレーは欠かせないもので。でも私はそれを、知らなくて。それでもこれからの菅原くんと、少しでも関わりを保ちたくて。自然と力が入っていた手を広げて、菅原くんの方を見る。


「菅原くん…っ」

「あれ、清水」


私の言葉は、行き先を失った。清水さんは体育館に向かっているようだった。すごく綺麗で、優しい人。


「なに、菅原」

「清水も田中達に呼ばれた?」

「うん」


どうやらバレー部の人たちは体育館で何かをするらしい。3年生である菅原くんと清水さんが呼ばれたということは、そうなんだろう。2人が続ける会話は聞こえてるはずなのに、頭に入ってこない。だってその話には、私は入る余地などないのだから。


「俺も、もう少ししたら行くよ」

「わかった。…小鳥遊さん、またね」

「あ…はい!また、どこかで」


清水さんに突然視線を向けられて、声をかけられた。うわ、緊張して敬語になってしまった。体育館の方へ歩いて行ってしまう清水さんの後ろ姿は凛としていて、やはり美しかった。


「小鳥遊さん?」

「あ、ごめんね」


清水さんに見とれていたら、菅原くんが私のことを呼んでいたことに気が付かなかった。たしか3年生は呼ばれているみたいだし、清水さんももう体育館に向かってしまったから私が引き止めておくのは、菅原くんにもバレー部の後輩さん達にも悪いだろう。


「菅原くん、この1年間良くしてくれてありがとう」

「いや、俺の方こそありがとう」

「すごく楽しかった。それじゃあ…元気でね」


最後に、今出来る精一杯の笑顔を顔に浮かべて菅原くんの横を通り過ぎる。私の名前を呼ぶ声が聞こえたけど、振り向けない。最後なんだし、もうちょっと何か言えたらよかったな。…なんて終わってみればそう思えるけれど、私には出来なかった。菅原くんの、清水さんに向ける目と私に向ける目は、違う。3年間同じ目標を目指して頑張ってきた努力を、私は知らないのだから当たり前だ。それでも、考えてしまう。

もっと菅原くんと話したかった。くだらない話を言い合いたかった。もっと菅原くんの笑顔が見たかった。その笑顔を私に向けて欲しかった。もっと名前を呼んでもらいたかった。もっと私を見て欲しかった。好きって、言いたかった。

その場で足を止める。3年4組と書かれた教室の前。誰もいなくなってしまった教室の扉を開ける。がたがたと音を立てる扉は、開けるコツがあったりして。中に入って、1つの机の前に立つ。机の表面をそっと撫でる。ここは、菅原くんの机。きっともう誰も来ないだろう。私は椅子を引いてその場所に座る。菅原くんが、この教室で見た景色。私の席は菅原くんから見ると、斜め前の方。プリントを回す時は菅原くんの方見てたなあ。智絵の席は菅原くんの後ろだから、すごく羨ましかった。古文の授業はすごく眠たくてうとうとしちゃってたけど、見られたりしたかな?なんて、ありもしないことを思う。退屈な授業の時は、少し顔を伏せてみたりした。菅原くんの席でそれをやると、少しドキドキする。ひやりと冷たい机が、頬にあたる。


「…好き、だったな」


小さな声で言ったはずなのに、私の声は響いた。まだ智絵達が来るまで時間あるかな。私はそっと目を閉じて、頬を濡らすものを感じながら彼女達を待つことにした。





声を無くした
小鳥いた

(声を上げずに泣くことは)
(とても苦しいことだと知る)













あとがき

久しぶりのハイキューでした。卒業シーズン、そして自分も卒業ということで記念に何か書きたいなと思って書き始めました。4月から環境ががらりと変わる方も多いかと思います。頑張りましょう。いつか咲子ちゃんとすがさんがいつか再会してくれたらいいなあ。

2016年03月24日 羽月

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