短編 | ナノ
×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -
お姉ちゃんでしょ、という言葉は呪いだと思う。

お姉ちゃんは弟を守らなきゃいけない。お姉ちゃんは最後のから揚げを譲ってやらなければならない。お姉ちゃんは迷子になった弟を迎えに行かないといけないし、一緒になってやったいたずらは大抵お姉ちゃんが怒られる。少し早く生まれたからって、親というのは理不尽である。その言いつけすべてを守ったかと言われれば、そうでもないけど。

「名前、お姉ちゃんでしょ」

ああ、また母がなにかを言っている。私の手の中にあるそれを見て、母は「ゼリーくらい譲ってやんなさい」と溜め息をついた。ゼリーくらいだと。これは、たまにお歳暮のときに送られてくる高級ゼリーだ。それのみかん味は一番おいしいんだ。みかんがまるごと一個ごろんとぷるぷるのゼリーに入ったそれは、一口食べればうっとりするおいしさなのに。それをくらいと言ったか。母よ。

「やだよ。私が先に取ったじゃん」
「おれを押しやってな」
「公平、ほかのやつ一個多く食べたじゃん」
「味が気に入らねぇっておれに押し付けてきたんだろうが」

きいいい!と互いに取っ組み合いを始めた子供たちに、らちが明かないと母はじゃんけんで決めるよう言った。ごたごた文句を言い合ったのち、結局じゃんけんをして、負けたからみかんゼリーは公平のものとなった。じゃんけん、いつも公平が勝つのお母さんも知ってるくせに。ぶうぶうと口を突き出せば、「お姉ちゃんがいつまでもそんな顔するんじゃないの」と母に窘められた。







昔から弟のことはそんなに好きじゃない。喧嘩をすればすぐに母に泣きつくし、そうなると母は私より幼い公平の味方をする。最近は別に泣きついたりしないけど、それでも母は「名前はお姉ちゃんでしょ」と公平に甘い。そんな事が続いているから、きっと私は公平に優しくできないのだ。

「公平、じゃま」

んー、と公平がソファの上で唸った。今日はボーダーの仕事はないらしく、私が家に帰って来てからずっと公平はソファの上だ。

生意気にもうちの弟は、ボーダーに所属している。最近じゃボーダー隊員というだけで好感度が一段階高いのだからやってられない。ただ同じクラスというだけの女子からも「弟がボーダー隊員って本当?」と聞かれることもあるくらいだ。本当だけど、おすすめはしないよ、うちの弟は。

「いま手ぇ離せねーの」
「少し立てばいいだけでしょ」

スマホを横に持っているから、たぶんゲームをしているのだろう。公平は少しこちらを見ると、しぶしぶという態度でソファからどいた。私が家事を手伝っているということに気付いたらしい。

公平はボーダーなんてものに所属はしているが、家じゃソファでぐうたらしているのが基本だ。いつもごろごろしているのにモテるなんて、ボーダー隊員だってのはそんなに偉いのか。掃除のお手伝いをしている私のほうが偉いんじゃないか。前にそのことを母に言ったとき、「どっちが偉いなんてないでしょ」と苦笑された。それはそうだけど、って話だ。

「最近それよくやってるけど面白いの?」
「ガチャ回したくてやってるからよくわかんね」

ふーん。返事をしながらソファ周りを掃除していく。「あ、」端末を横にしていた公平が、ピロンという通知の音に端末を縦に戻す。どうかしたのかと聞けば、「太刀川さんから。シフト変更になったってさ」と指を動かしながら公平が言った。多分返信を打っているのだろう。たちかわさん、というのは、確か公平のところの隊長さんだ。

公平がボーダーに入隊したのは14のときだ。今よりもっと背も低くて、声変わりもしていないような齢で、弟は守る側の人間になった。それから数年経って、最近弟が所属している隊はボーダーの中で一番強い隊になったらしい。なんでも太刀川さんって人がえらく強いそうだ。弟も、それに準じて結構強い、らしい。どれも公平の口から聞いた自慢話なので本当かは定かではない。

だからといって、私にとっては奴はぐうたら弟に変わりないけれど。どれだけすごくなろうが、奴は迷子になっては姉に迷惑をかけていた弟でしかないのだ。そのことを言えば、「いつの話してんだよ」と弟は面倒そうな顔をする。いつの話だとしても、それが公平の話であることは変わりないと思うのは、おかしいのだろうか。







弟がボーダー隊員だとバレると、だいたいの人間は「じゃあ名前もボーダーについて詳しいの?」と聞いてくる。そういう類のことを聞かれたとき、私は決まって「弟とボーダーの話しないから」とかわしている。嘘だぁと言われるけど、実際公平とそんな話をすることはない。

いつからか、私は公平にボーダーの話をすることはなくなった。公平が入隊して最初の頃は普通に聞いていたが、今ではさっぱりだ。だってその話をすると、公平は小さい頃にこっそりお菓子を食べたときと同じ顔をするのだ。ごまかすように笑うのがうまくなっていく弟を見るにつれて、私はだんだんとボーダーについて聞くことはなくなった。家族にも言えないことがあるのだと、気付いてしまったから。

「どうしても泊まらなきゃならないの?」

「遠くないんだから、夜だけでも帰ってきたらいいじゃん」私の言葉に、公平は「合宿みてーなもんだから」と笑ってそれを流した。

ボーダーの仕事の一つとして、弟は次の土日から二週間の間本部に泊まりこまなければならないらしい。まあ、それ自体は別にいい。ただ問題なのは、その期間が明確に定まっていないという点だ。終了予定日こそあるが、そんな曖昧な仕事内容で大丈夫なのか。仕事中だからと、その期間は家に連絡を入れることすらできないそうだ。両親はすでに納得しているらしいので、もしかしたら両親だけは詳しい内容を知っているのかもしれない。私だけ仲間はずれのようで、少しつまらない。

「これさぁ」

姉ちゃん預かっててくんない? 壁にもたれかかってぶすくれている私に、公平が振り返ってそういった。公平が出したのは、差出人も切手もない、白い封筒だった。紙が折りたたまれて入っているのが、透けて見える。「なにこれ?」受け取りながら聞くと、公平は少し気まずそうに、「手紙」と言った。手紙、だって? 端末での連絡に慣れ切った弟からは到底ありえない単語に、耳を疑った。

「気持ちわるぅ。どうせ点数悪かったテストかなんかでしょ」
「じゃあ、それで」

じゃあって何よ。公平は、自分が帰ってきたらその手紙をまた自分に返してほしいらしい。変な要望だが、たぶんまたボーダーの書類かなにかなのだろうと察しをつけてそれ以上言及することはなかった。一定期間家族に渡しておかないといけない書類。……なんだそれ?

「……おれが帰るの遅かったら、開けてもいいから」

視線を外したまま笑った弟は、そんな事を言っていた。







変な手紙を残して、公平は家を出ていった。公平がいなくなった家は、少しだけ快適になった。朝の洗面所で顔を洗うのを急かしてくる者も、見ているテレビ番組を変えてこようとする者もいまこの家にはいない。数日間、私の機嫌はじつに良かった。それも一週間を超える頃には、いつもいた弟がいない違和感に変わり始めていた。

そういえば、こんなに公平が家にいなかったのは初めてかもしれない。修学旅行だって、せいぜい3日かそこらの話だ。数週間も家を空けることなんて、今まではなかった。物心ついた頃には公平は生まれていたから、こんなにも家に弟がいない感覚は、初めてだった。

二週間が過ぎても、公平は家に戻らなかった。ボーダーに連絡を入れたほうがいいんじゃないかと母に言ったが、母は「そうね」とだけ言って、連絡をすることはなかった。







公平が家に帰ってきたのは夜の8時を過ぎた頃だった。リビングでテレビを見ているとき、静かに鍵が開く音がした。暇つぶしでつけていたテレビを消して、久々に会う弟の顔を見た。「おかえりー」と玄関に行くと、公平も「ただいま」と言った。

「予定より遅いじゃん。そんな仕事立て込んでたの?」

「まあな」と靴を脱いだ公平が階段を上る。荷物を部屋に先に置くようだ。私はキッチンに向かい、公平が食べる予定のラップのかかった夕飯を電子レンジに入れた。公平が帰ってくるかはわからなかったが、母は毎日公平の分の食事を用意していた。

リビングでソファに座ったままレンジが鳴るのを待っていると、降りてくるはずの弟が遅いことに気付く。「公平ー?」と階段の下から呼びかけた。

「荷物は後にしてご飯食べちゃいな。今レンジかけてるから」

少しの間、返事がなかった。聞こえていないのかな、と階段を上ってノックをして扉を開く。同じことを聞くとんー、と返事にならない声がした。それから、あんま腹減ってない、とも言われた。食べてきたのかと聞くと、「あー、うん」と歯切れ悪く頷く。あっそう、とこちらも頷いた。

「……今日、私バイトしてきてお腹空いてるから。食べといてあげるよ」

そういうと公平は少し驚いたような顔をしてから、「食いたいなら、どーぞ」と返してきた。そこは食べてください、だろ。階段を下りるとすでに料理は温まっていて、そんなにお腹は空いていなかったけど、全部食べた。帰ってきた母には、公平が食べなかったことは言わなかった。







夕飯を二回も食べたから、さすがにお腹はいっぱいだ。健康番組がやっていたのでそれを参考にエクササイズはしたが、それでもやっぱり満たされた感覚が強い。明日は体重計の数字が増えているかもしれないなぁ、と少し気持ちが重くなった。

お風呂はすでに入っていたから、しゃこしゃこと歯磨きをした。私と公平の部屋は姉弟らしく隣同士に並んだ部屋なので、同じように階段を上り部屋に戻った。明日の授業を思い出しながら教科書を鞄に詰めていく。あ、レポート。あぶないあぶない、と提出物類でまとめた棚を探した。

あ。レポートを見つけると同時に、隣にあった白い封筒を見つけた。預かってくれなんて言われた以上なくしてはいけないので、普段からよく見る提出物の棚に置いていた。返したほうが、いいのだろうか。帰ってきたら返してほしいと言われた変な手紙、ただ今の弟に返すのはなんだか、気が引けた。

そもそも食べてきたなんてわかりやすい嘘が、姉に通じるとでも思っているのだろうか。だっていつも食べてくるときは夕食が必要ないことを連絡するくせに。いっちょ前に食欲がないだなんて、好きな女の子にでもふられたか?

少し考えて、結局私は手紙をそのままにした。また今度、もっと話しやすいときに返せばいいのだ。レポートを鞄に入れる。電気を消して、布団にもぐった。暗い部屋は、かちこち時計の音がした。それから誰かが、鼻をすする音もした。

……好きな女の子にふられたのならよかったのになぁ。壁越しに聞こえる押し殺したような苦し気な声に、そう思った。







ぱしゃぱしゃ。水が顔に当たって跳ね返る。お気に入りの洗顔フォームでできたもっちり泡が、水に溶けて流れていく。ふぃー、と息を吐きながらタオルで水気を拭いた。そこで初めて、鏡に映った公平の姿を発見した。急かさずに黙って待っていたのかと少し驚く。それからその顔を見て、別の意味で驚いた。

「……早くどいてくんねぇ?」

洗顔後はすぐに化粧水を塗るのが世の乙女の常識だが、私はタオル棚から新しいタオルを取り出して弟に投げつけた。「おわっ」弟が呻いた。

「なにすんだよ!」寝起きでだるそうな声だった公平の声が大きくなる。しかし私からすれば、そのタオルも優しさみたいなものだ。

「そんなみっともない顔で外出るの?」
「みっと」

そこで初めて鏡を見たのか、公平が黙った。私の言うみっともない顔がなんなのかわかったらしく、怒りで握りしめたタオルをゆるやかに下ろした。洗面所にくるまで鏡を見ないとは、男の部屋には鏡のひとつもないらしい。「タオルで冷やしてれば自然と治るから」と赤い目に言った。

「どうしても治んないならメイクしてあげる」
「……どう見ても変だろ、それ」

「とびきりかわいくしてあげるのにぃ」と笑えば、公平はタオルで目元を覆って、「うるせーよ」と言っていた。







「公平!」何度も名前を呼んで、走って、それでも公平は見つからなかった。たった少し、「ここで待っててね」と言って私がアイスを買ってきている間に、公平はいなくなった。最初はふざけているのかと思って公園の中を探したが、見つからない。もしかして近くの別の公園に行ったのではと探しても、見つからない。もしかして、事故に遭ったんじゃないか。ひゅっと息を吸った。

公平は結局、少し遠くの駄菓子屋の近くで見つかった。私が「アイス」と言ったことを覚えていたのか、駄菓子屋に向かったのだと思ったらしい。公園に出ているワゴンで買うと言ったのにと、当時の私は多少腹も立った。今思えばあんなに小さい子にどこで買うかなんてわからないだろうに。一人で泣いていた公平に、私もなんだか緊張が解けたみたいに一緒になって泣いてしまった。驚いた駄菓子屋のおばちゃんが飛び出してきて、事情を把握するとすっかり溶けてしまったアイスの代わりだと、棒アイスをくれた。結局そのときはタダでアイスがもらえたことが嬉しくて、子供の私たちは怖かったことなど忘れて、機嫌よく帰った。私よりも小さな公平の手を握って、今度こそ迷子にならないように。





「いらっしゃいませ」

つまらないことを思い出してしまった。ああまったく、久しぶりに弟のあんな顔を見たからだ。きらきらとした店内でちくしょうと思っているのは、きっと私だけに違いない。

昔からそうだ。公平はよく迷子になって、私はそれを探していた。おつかいのときは、私が公平の手を握っていた。から揚げの最後の一つは、公平が食べていた。それは公平がどこかで一番になろうとなるまいと、変わらない事実だ。腹立たしいことに、奴は私の弟だから。

もしも公平がどこか遠くに行ってしまっても。私はやっぱりあの日のように、「帰るよ」とその手を引くのだろう。

「これ、ください」

だって、ほら。私、お姉ちゃんだから。







帰ってきた公平は、定位置であるソファの上に寝転んでテレビを見ていた。私は食事を取るテーブルのほうに座って、友人と連絡を取っていた。コマーシャルに入り、公平が立ち上がる。食器棚からコップを取り出したので、お茶を注ぎに来たらしい。私は素知らぬ顔をしながら、フリックで文字を打ち続けていた。

「あっ」あるものを発見したらしい公平が驚いた様子で私を呼んだ。思惑通りに手にしていたみかんゼリーににやりとすると、「どうしたんだよこれ、お歳暮まだだろ」と言ってきた。あんな大量にみかんゼリーだけなんて、お歳暮なわけがあるか。

生意気な弟は多分、なんで泣いていたのかを家族に言うことはないだろう。昔のように母に泣きつくことも、父にこっそり打ち明けることも。なんと生意気なのだろうか。公平のくせに。

「バイト先の人がくれた」

だからとりあえずは、好物を差し入れるくらいで済ませといてやる。二人で一緒に、おいしいものを食べるくらいで。あの日聞いた悲しい声も、赤く腫れた目も、それでちゃらにしといてやる。優しいお姉ちゃんに感謝しな。ああちくしょう。私のバイト代。

まろやかに綻びはじめる
prev next