よみもの



2.西の離宮は危険なところ




 今回の募集は、勇者様と皇女様の嫡子であられるリィシン様のご成婚に際する人員増員でした。

 これはここだけの話ですが……いえ、皇都民の間では実しやかに囁かれていましたけれども、リィシン様はいずれ、皇族として皇城にお住まいになるそうです。ですから、離宮で使用人たちにスキルを身に付けさせ、使用人ごとお引越しをすることになります。そのため今回の募集ではかなりの人数が採用になっていました。

 リィシン様の皇族への復籍については、各方面で大分揉めたそうですが、そのあたりのお話はまたいずれ詳しくお話しようと思います。

 
 そんなこんなで離宮でのお仕事が始まりました。新人侍女である私の最初の職場は洗濯場です。

 洗濯場は辛い仕事でした。

 皇都は中央大陸にありますから、気候は温暖で雪が降ることはありません。しかし雨の少ない乾燥地帯ですから、水仕事をしていると肌荒れが酷いのです。この半年で指先にひび割れが出来てしまいました。先輩方から肌荒れによく効く軟膏を貰ったりしてなんとか仕事をこなす日々です。

「精霊様がお隠れになられてから、家事が大変で困るわねぇ」

 一緒に仕事をしている年嵩の先輩がそう漏らしています。

 私は戦後生まれですので経験はありませんが、戦前はこの星の民なら誰でも持つ魔力を対価に、精霊のお力で家事を助けてもらえていたそうです。竈の火をつけるときには火の精霊ティナが。水仕事のときには水の精霊ウィスカが、というように。
 その人が持つ魔力量によって差はあったそうですが、小さな火を灯したり、コップに水を溜めたり、なんてことは大抵の人が出来ることでした。

 それが、勇者様が魔王を倒されたとき、一緒に戦ってくれた精霊たちが力を使い果たし、長い眠りについてしまったのです。それだけ魔王の力が強く、凄まじい戦いだったのでしょう。今は復興していますが、最終決戦の地となったこの皇都も大打撃を受けて瓦礫の山となっていたそうですから。
 戦後二十五年経った今でも精霊が私たちに姿を見せることはありません。早いうちから惑星王直々に『精霊に頼らない生活基盤を整えるように』とお達しがありましたが、精霊の力に頼っていた民の間ではしばらく混乱があったそうです。今は落ち着いていますけれどね。

 すべての民が精霊の姿を見ることはなくなりましたが、皇族の皆様と勇者様は別です。

 精霊の加護を受け、精霊の女王を召喚出来る盟約を結んでいるユグドラシェルの血族の方々と、精霊王に認められた勇者様だけは、精霊の女王を召喚することが出来るそうです。

 唯一精霊のお力を借りることが出来る方々。

 その希少性が更に彼らを神格化させ、色々と、問題が上がっているそうですが……。



 洗濯物を籠に入れ、先輩と一緒に干し場へと歩いていると、臙脂色のドレスに身を包んだ女性が前方からやってきました。

 臙脂色のドレスを纏っているのは女官の方です。私たちの職場を取り仕切っている偉い方ですので、私たちは籠を抱えたまま廊下の端に寄り、軽く目礼しました。仕事中はこの礼で大丈夫なはずです。

 それなのに、その方は私の前で足を止めました。

 何か粗相でもしただろうかと、窺うように視線を上げると、射るように鋭い視線とぶつかって心臓が飛び跳ねました。

「あ、あの、女官長様、この子が何か?」

 先輩も厳しい視線に気づいたのか、そう声をかけてくださいます。わあ、女官長様でしたか。何故そんな偉い方が私の前で厳しい目をしているのか。冷や汗が出ます。

「仕事中に失礼、ヴェルーナ。この子はフューラー商会の娘、マリオン=フューラーで間違いありませんか?」

「はい、間違いありません」

 先輩が頷いたのを見て、女官長様も頷き、私を正面から見据えました。

「マリオン=フューラー。今日付けで貴女はノギク妃殿下付きの女官となります。ヴェルーナ、急な話で申し訳ありませんね。後の人事は頼めますか?」

「は、はい、畏まりました」

「ではマリオン、ノギク様の元へ案内しますからついていらっしゃい」

 表情筋を動かさずにそう告げる女官長に、私の頭はすぐについていきませんでした。

「……で、ですが、洗濯物が……」

 ぐるぐる回る脳内が弾き出した言葉は、良く考えればどうでもいいことでした。ここで働く者にとって、優先順位は明らかに洗濯物よりもノギク様ですから。

「そんなものは私が預かるから。妃殿下をお待たせしては駄目よ、行きなさいマリオン」

 先輩が慌てたように私の背中を叩いたので、私はオロオロしながらも頷いて、籠を下に置きました。

「では参りますよ」

 臙脂色のドレスを翻し、先に歩き出す女官長。その背を慌てて追いかけてから、振り返って先輩に頭を下げました。先輩は驚いた顔をしながらも、柔和な笑みを浮かべて「がんばって」と手を振ってくれました。




 この離宮は市井の中にありますので、風が吹くとそれに乗って街中の喧騒が流れてきます。それを耳に入れながら、女官長の後を追って長い廊下を歩いていきます。

 私たちが働いている西塔から、ノギク様のいらっしゃる本館へ続く回廊を渡り、更に歩いていきますと、女官長様がチラリとこちらを振り向きました。

「貴女にも、急なお話で申し訳ありませんね、マリオン」

「いえ……ですが、私などでよろしいのでしょうか?」

「問題ありません。貴女のことはミネルヴァ女史も推薦されていましたし……それに。ここに来てから、何匹の鼠を刈りましたか?」

 ミネルヴァとは、私に様々な武術を教えてくれたお師匠様です。女官長は師匠と面識があるのでしょうか。
 そんなことを思っていると、私を見る女官長の瞳が鋭く光ります。先程私を鋭く見つめていた目と同じです。……ああ、成程、そういうことですか。

「三匹、刈りました」

「この半年、この城に潜り込んだ鼠は五匹。そのうちの三匹を貴女が刈っています。その腕を買ったのですよ」

「ありがとうございます。ということは、私の役目はノギク妃殿下の護衛、ですね」

「そうですね。妃殿下はまったく魔力を持ちませんので、魔道具などの攻撃は効きにくい体質ですが、物理攻撃への対処はまったく出来ないと考えてください。貴女は毒の知識もあると聞いていますが」

「ミルトゥワで発見されている毒はすべて叩き込んでいます。それからカルディナーラ星とマルク星の毒もいくつか対処出来ます」

「よろしい。毒見役も任せます。解毒薬を渡しますから常に持ち歩きなさい。いずれ、同盟惑星で扱っている毒のすべてを覚えてもらいますよ」

「はい」

「ノギク様付きの女官は貴女を含めて三名。専属侍女は五名、騎士は十名付いていますので、今日中に顔を覚えなさい。シフトについては、顔合わせの後に話し合いますからね」

「はい、分かりました」

 私がここへ来て半年。

 勇者様のお城に忍び込む馬鹿で恩知らずな輩などいないだろうと思っていましたが、どうやら民に無駄な心配をさせないように情報操作していたようです。

 私が捕らえた三匹のうち二匹は、単なる街のゴロツキといった風でしたが、あとの一匹は訓練された暗殺者でした。捕まえてすぐ、どこからともなく現れた騎士様たちに連行されていったので、キツイ尋問を受けたのだと思いますが、どこの家に雇われたのか……。


 私は改めて女官長を見ます。

 貴族の女性然りとした、ピンと伸びた背筋に、長いドレスの裾も体の一部だとでも言うような美しい足運び。少しの隙も見逃さない鋭い視線……。

 窓の外を見れば、季節ごとに咲く花と木が並んでいて、どの部屋からも美しく見えるように庭師が丁寧に世話をしています。剪定鋏を持って歩く彼らは、その力強さを現すかのような筋肉が、服の上からでも分かるくらいに盛り上がっています。

 よく見れば厨房の料理人たちも、すれ違う侍女たちも、先程まで私の職場であった洗濯場の先輩たちも。

 みんなみんな、おかしいほどに身のこなしが洗練されています。

「……ここで働く人たちって、みんな“そう”なのですか」

 思わずそう訊ねると、女官長は柔らかな笑みを向けてくださいました。

「貴女はこの中でも特に優秀だと認められ、妃殿下付きとなるのですよ。自分の力を誇りに思いなさい」

 成程。

 成程です。

 これは母が落とされるわけです。

 やけに平民出身の職員が多いので、きっと勇者フェイレイ様に配慮しているのだろうと思っていましたが、これは違います。ここで働くには、ナイフとフォークくらいしか手に取れないお貴族様には無理です。叩き上げの兵士でないと生きていけません。

 侍女にこんな知識必要あるのかと、疑問に思いながら勉強や訓練をこなしてきましたが、これは母に感謝するべきなのでしょう。おかげで妃殿下付きという名誉にあずかることが出来たのですから。
 


 青い絨毯の敷かれた廊下を進んでいくと、リィシン様の執務室前に辿り着きました。

「ノギク様はこちらにいらっしゃいます」

「はい」

 私は緊張しながら頷きました。遠目には何度か拝見しましたが、ノギク様を間近で見るのはこれが始めてです。執務室ということは、リィシン様もいらっしゃるのでしょう。現人神である皇族の方。そんな尊いお方と言葉を交わせるのかと思うと、心臓が胸を突き破って飛び出してきそうになります。

「……マリオン、最初に注意しておきますが」

 女官長が改まって言います。私はピッと背筋を伸ばしました。

「ノギク様がリィシン様とご一緒のときは、扉をノックした後、必ず五秒待ちなさい。良いですか、よほどの緊急事態でもなければ、必ず守りなさい」

「はい、分かりました。……あの、何故と、お聞きしてもよろしいでしょうか」

 女官長は両開きの扉をじっと見据えながら、そっと息を零されました。

「貴女のような成人前の女性には、刺激が強いからです」

「はぁ」

 無礼にも、気の抜けた声を出してしまいました。よく分かりませんが、女官長の言うことには従っておいた方が良いはずです。扉を開けるのはノックをしてから五秒後、これ絶対、と脳内にメモを残します。

 その間に女官長が扉を二回ノックしました。

「女官長コーネリア、入ります」

 大きめの声でそう宣言すると、中からガタゴトと、何やら物音がしました。

 それから五秒待って、女官長は扉を開けます。

 すっと室内に足を踏み入れた女官長に、私も伏し目がちにしながら続きます。身分の高い方を直接見るのは不敬になりますから。

「リィシン殿下、ノギク妃殿下、本日は新しく妃殿下付きの女官となるマリオン=フューラーを連れてまいりました」

 女官長に紹介されたので、私は目を伏せたまま一歩前に出て、両手を胸の前で組み、片足を引いて膝をつきました。皇族の御前ですから、この礼になります。

「マリオン=フューラーでございます。本日よりノギク妃殿下に誠心誠意お仕えさせていただきます。どうぞ宜しくお願いいたします」

「ああ、うん」

 すぐに男性の低い声が返ってきました。これはリィシン殿下のお声だと、緊張に身が固くなりました。

「マリちんだね、よろしくね〜」

 次いで、緊張を解すような、高過ぎない優しい声が聞こえてきました。これがノギク妃殿下のお声でしょう。

 ……ですが、『マリちん』、とは?

 ふと疑問に思い、少しばかり顔を上げてしまいました。

 広い部屋の少し奥まったところに、大きな執務机があります。そこに赤い髪の美丈夫な青年が座っていました。そのお隣に、線の細い可憐で美しい女性が立っています。ハーフアップに結われた綺麗な亜麻色の髪が何故だか少し乱れていて、ドレスの肩紐も、緩んでいる……ような。

 にっこりと愛らしく微笑んでいるノギク妃殿下の頬はほんのりと赤く染まっています。

 おや、と少しだけ首を傾げて、何故だか乱れている妃殿下を見ていると、慌てたようにリィシン様が立ち上がりました。そしてノギク様の解れかかっている肩紐を結び直します。……そんなリィシン様の赤い髪や服も少し乱れているような。

 それに気づいたらしいノギク様が、微笑みを返しながらリィシン様の髪や服を直し出しました。

 なんだかお二人の世界だ、と感じれば、はっと我に返ったらしいリィシン様がゴホン、と咳をしながら机に座りなおし、ふいと顔を反らされました。それを見て、ノギク様は肩を竦めて茶目っ気のある微笑を浮かべられます。お二人とも顔が赤いです。

 女官長の目が非常に生暖かくなりました。



 ……あー、はい。



 一連の動作から、なんとなく分かりました。

 私、まだ婚約者も彼氏もない、成人前の子どもではありますが。流石に今のは分かりました。そうですか、だから五秒待たないといけないのですね。新婚さんですものね。これは五秒と言わず、十秒くらい待って差し上げた方がよろしいのではないでしょうか。ノギク様はともかく、リィシン様が物凄く気まずそうです。

 ですが、仲が良いのは宜しいことです。

 この感じですと、お世継ぎもすぐに誕生なさるでしょうね。ええ、目出度い話です。目出度い話ですから、いい加減熱を引きなさい、私の顔。









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