よみもの
5.妃殿下は破廉恥です
初めてのご公務随行を無事に終え、離宮に帰ってきました。
数日後、カサンドラ先輩と同じ勤務になったので、お兄様の話題が出てきました。話を聞いていると、兄妹仲はとても良好なようです。確かにエーリッヒ様は良いお兄さんオーラを出していました。けれども、あの黒い微笑みは……。
少し心配になったので、笑顔で刺客をメッタ刺しにしていたことを、それとなく伝えてみました。すると、カサンドラ先輩はああ、と笑いました。
「お兄様はリィシン様に心酔しているの。だから殿下に逆らおうとする人たちに少し厳しくなってしまわれるのね。純粋にお慕いしているだけですから貴女が心配することはありませんよ」
そ、そうですか、リィシン様が大好きなだけですか。それなら心配はいりませんかね……?
「そうそう、先日ご一緒した任務でお兄様が貴女のことをとても褒めていましたわ。投げナイフの腕が素晴らしいって」
「でもエーリッヒ様の方が腕が立つようでした。私はまだまだです」
「ふふふ、その謙遜するところがお気に召したようよ。真面目でいい子だって」
「お褒めに預かり光栄です」
「今度一緒に鍛錬しないかとおっしゃっていたわ」
「えっ、私などと一緒にですか?」
「主を護るための技【痴れ者をいかに苦しめて黙らせるかの技】を磨いていきたいのですって。お兄様がこんなことを言うのは珍しいのですよ。よほど気に入られたのね、マリオン」
「……」
なんでしょう。カサンドラ先輩の言葉にエーリッヒ様の麗しいお姿を思い浮かべたら、変な副音声が聞こえたような気がしましたが。……気のせいです。気のせいにしておいた方が精神衛生上良いような気がします。
エーリッヒ様のキラキラしい笑顔を振り払うように頭を振り、ノギク様の私室へ入ります。一つ目のお部屋、控えの間で待機している侍女さんたちに挨拶をし、次の間となる居間の扉を開けます。
ここ数日、リィシン様が別のご公務で東の大陸へお出かけですので、お一人で朝食を取られたノギク様は、ソファにぐったりと寝そべっていらっしゃいました。
「ノギク様、本日もお加減が優れないのですか……」
すぐにカサンドラ先輩がノギク様の前に跪き、お顔の色を確認します。
「んー。どこが悪いってことはないし、ご飯も食べれるんだけど……なんかやる気が出ないっていうか」
大きな溜息をついて、表情を曇らせるノギク様。
遺跡から戻られてから数日。ノギク様はずっとご気分が優れない様子なのです。風邪を召されたのでは、とリィシン様が心配して森の精霊フォレイスの女王を召喚し診ていただきましたが、《別に悪いところはないですよ》と言われました。
精霊の女王が大丈夫というのだから、本当に悪いところはないのでしょう。そうしますと、日々のご公務にお疲れになっているか、故郷を懐かしんでいらっしゃるか、そのあたりでしょうか。
「一度ご実家に帰られてのんびりなさっては、とリィシン様がおっしゃっているそうですよ。いかがなさいますか?」
通信機にて毎日ノギク様の様子を報告していたら、リィシン様からそのような指示が出ました。
「リィちん、大丈夫なの?」
「リィファ様には連絡するとのことですので。転移魔法陣は問題なく起動するかと」
この西の離宮の地下には、ノギク様の出身星へ繋がる転移魔法陣があります。これを起動出来るのはグリフィノーの名を持つ者だけです。他の誰が魔力を流しても反応しないように、リィファ様が術式を組んだそうです。私も魔力は高い方ですから、一応魔法陣の術式を視ることは出来るのですが……眺めてもさっぱり分かりません。さすが天才と誉れ高いリィファ様です。
「ここはお言葉に甘えて一度帰られてみてはいかがですか? 慣れ親しんだご実家で静養なされば、きっと気分も回復いたしますよ」
私もそう進言してみます。
ノギク様はしばらく「うーん」と考えていましたが、ゆるゆると首を横に振りました。
「ううん、帰らないでおくよ。シンくんがお仕事から帰ってきたら、ちゃんとお帰りなさいって言いたいしね」
にっこりと微笑むノギク様。なんといじらしいのでしょう。健気な我が主に、私とカサンドラ先輩は顔を見合わせて微笑み合いました。
「では気分を変えられるような遊びでもいたしましょうか」
「何か良いものはありませんかねぇ……」
この星には、ノギク様の言う『でぃーえす』とか、『ぷれすて』に該当する娯楽はありません。こちらの文明にそぐわない物は持ち込めないようになっていますし、そもそもこちらの動力──太陽光の光動力、そして魔力です──では動かないでしょうし。ノギク様の退屈凌ぎになるようなものがあるかどうか……。
カサンドラ先輩と子どもの頃にやった遊びを思い返してみますが、私、そういえば、ろくに遊びもしないで勉強をさせられていたのでした。どのようなものが楽しいのか、さっぱり分かりません。
カサンドラ先輩も、刺繍とか、手遊びくらいしか思いつかないようです。でも気分の優れないノギク様に、刺繍などの細かい作業をお勧めするのはどうかと、カサンドラ先輩も首を振ります。
どうしたものかと私たちが溜息をついたところで、ジッとノギク様に見つめられていることに気づきました。
ノギク様の視線は私──というか、私の胸に向いています。
「ノギク様?」
「……マリちん、年の割りに大きいよねぇ」
「はい?」
何が、と疑問に思う間も無く、体を起こされたノギク様は私の背後へと回り、そして抱きつくようにしてわしっと。……わしっと、私の胸を、鷲掴み、されました。
「うん、いい柔らかさ。和むわぁ」
「ひゃあああああ、ノギク様っ、何をなさるのですかあああああ」
経験のない破廉恥な行為をされまして、私、動揺しました。逃げようと体を捻るのですが、何故か逃れられない。嘘、まさか、ノギク様もウチの母同様の不思議スキルの持ち主ですか!
「カサンドラ先輩! たすけて、たすけてええええー」
「ノ、ノギク様、落ち着いてください、マリオンが困っています」
カサンドラ先輩もノギク様の奇行に動揺しているようです。オロオロと声をかけますが、ノギク様は何のその、と私の胸を思う存分堪能されています。いやあああああー!
「マリちん、この大きさだと、すぐに重力に負けちゃうよ」
「えっ? 重力に負ける?」
揉まれながら問い返すと、ノギク様は大仰に頷かれました。
「今からちゃんとしっかり持ち上げてあげないと、将来がっかりすることになるよ? こっちの世界って、ちゃんとしたブラってないよね。スポーツブラみたいなのか、コルセットか。マリちんは何つけてんの? コルセットだと硬いからこんなに弾力感じないよね、スポーツブラの方かな?」
「ふ、ふつうの、ですううー」
コルセットは貴族の令嬢くらいしかつけないので、平民の私はふつーのですうう。
そう訴えると、ノギク様は難しい顔をして私から離れました。
「前から思ってたんだけど、こっちの世界の下着、体型のこと考えて作られてないよね。レースついてたりリボンついてたりはするけど、色気ないし。コルセットはともかく、普通の下着はもっと色気があってもいいと思うんだよね。どう思う、キャス」
話を振られたカサンドラ先輩は、顔を真っ赤にされました。
「そ、そのようなことを申されましても……」
「キャスだって婚約者いるんでしょう? 脱がせたらガッチガチのコルセットじゃあ、ガッカリされるかもしれないよ?」
「そ! そのようなこと、ディルク様とはまだ致しておりません!」
ひいいい、カサンドラ先輩、動揺していらぬことまで喋ってますうううー!
「え、まだなの? もう婚約して十年って聞いたけど?」
「親同士が決めた婚約ですもの! それに、貴族の令嬢たるもの、婚姻を結ぶまでは純潔を散らしてはならぬと、お母様が、お母様がっ……」
ああっ、カサンドラ先輩が涙目です!
「そっか。初めてを捧げるのは初夜になるんだね。それはそれで素敵だね!」
ノギク様はにっこり微笑みました。そして。
「分かった。キャスの結婚祝いに下着を作ってあげる! 旦那さんに喜んでもらえるような、エグくて際どいの考えてあげるね。ついでにマリちんのと私のも作ろうね! ジュリーのも考えなくちゃ!」
「ええええええええ!」
カサンドラ先輩と私の叫び声が重なりました。その悲鳴を聞きつけ、控えの間にいた侍女さんたちや、部屋の外を警護してくれている騎士様たちが駆けつけてきてしまいました。
真っ赤になって抱き合っている私とカサンドラ先輩を不思議そうに見る侍女さんたちは、ノギク様に紙とペン、色んな布、その他色々探してくるように言いつけられました。騎士様たちは(今日に限ってお二人とも男性です)何が起きているのか分からず、首を傾げておられます。
そのうち紙とペンが用意されて、ノギク様がスラスラと絵を描いていきます。それではお尻が丸出しではないか、という下着です。それを見た侍女さんたちが悲鳴を上げました。騎士様のうちお一人は、顔を赤くして扉まで後退りました。カサンドラ先輩なんて卒倒しそうです。
「あー……ノギク様や」
ノギク様付きの騎士様の中で一番年長の、熊のように巨漢なギュンター様がポリポリと頭を掻いています。
「そういうデザインはですね、花街の女を思い起こさせるのでお嬢様方にはお勧め出来ませんなぁ」
「じゃあもう少しレースとか入れて、上品な感じに……これならどう?」
「ああ、それならいいんじゃないですか。一部の貴婦人の間では流行のデザインですよ」
「なんですって!?」
カサンドラ先輩が赤いのか青いのかよく分からない顔色で叫ばれました。
「貴婦人って、どの辺りの方々ですの!」
「そうですなぁ。侯爵家とか、伯爵家とか、その辺りの奥方の間では」
「こ……このような、は、恥ずかしいものを、ですかっ……」
「まあ、そうですねぇ。女性も熟してくると色々と冒険に出てみたくなるのでしょうなぁ」
ていうか、何故ギュンター様はそのような情報を持っているのですか。侍女さんたちが物凄い形相で貴方様を睨んでいますよ! 後ろのお若い騎士様など恐ろしいものを見るような目で見ていますよ!
「やっぱりこれってアリなんだ? なんだぁ、じゃあキャスが着ても大丈夫だよ。それならブラはこんな感じで、上に透け感のある素材のキャミとかどうかな。足が隠れるくらいに長くすれば上品だしかわいいよね?」
「ほう、ノギク様は中々男心を分かっていらっしゃる。俺としては、この辺に切り込みを入れて、臍をチラリと見せてもらえれば……」
「ふんふん、なるほどー」
だから何故ギュンター様は話を合わせられるのですか。あ、お若い騎士様が居たたまれなくなったようです。ギュンター様の腕を掴んで部屋の外に連れ出してしまわれました。
殿方がいなくなったところで、侍女さんがおずおずと話し出します。
「妃殿下、それはあまりにも刺激が強過ぎます……」
「カサンドラ様がおかわいそうです……」
「そうかなぁ」
女性陣の懇願に、ノギク様は腕を組んで首を傾げます。そのご様子から気分が良くなられたことが分かって安心いたしましたが、それでも……このデザインは斬新すぎて私たちには無理です……。
そう思っていましたら、先程出て行かれたギュンター様が扉を叩きました。
「妃殿下、シャルロッテ様がお越しになられましたよ」
その声に私たち一同、シャキンと背筋を伸ばして佇まいを直しました。
シャルロッテ皇女殿下。皇家の第一皇女様です。リィシン様の従妹にあたり、新設される公家のうちのひとつをシャルロッテ様の御子様が継ぐことが決定しています。
「先触れもなく訪ねてきて申し訳ありませんわ。ですが、シンから貴女の調子が良くないと訊いて心配になってしまいまして。元気の良さだけが取り得の貴女が一体どうしたというのです」
ピンクブロンドの巻き毛を揺らし、神々しいまでの美しさを持つシャルロッテ様は、御子様であるラファエル様の手を引いて来られました。ちょこちょこと一生懸命に歩く小さな御子様の登場に、場が和みました。
「あ、ロッティ、いいところに」
ノギク様はたった今描いていたデザイン画をシャルロッテ様に見せます。
「こんな感じの下着、ロッティはどう思う?」
和んだ空気が、一気に冷えました。ノギク様、皇女殿下にそのような破廉恥なものを──!
と、誰もが口から叫び声を上げる寸前で止めていたのですが、なんとシャルロッテ様はこう返されたのです。
「あら、素敵じゃない。貴女がデザインしたんですの?」
「えええええええ!」
失礼ながら、悲鳴を上げてしまいました。部屋の中にいた女官、侍女の全員が「申し訳ありません! 失礼をいたしました!」と頭を下げます。
ラファエル様をお膝を上の乗せてソファに座ったシャルロッテ様は、少し驚いたように目を見張りましたが、優雅な微笑みは崩しません。ノギクは嬉しそうに微笑みました。
「ホント? 良いカンジ?」
「ええ。貴女にこんな才能があるなんて知りませんでしたわ。……ちょっと、わたくしにも描いてくださらない?」
「うんいいよ! 良かったぁ、みんな駄目だって言うからちょっと心配だったんだぁ」
「あら、そうですの? でも母上はいつもこのような感じのものをお召しになられていましたから、わたくしも同じデザイナーに頼んでいるのですけれど……貴女たちはお気に召さないのかしら」
全員、反射的に首を横に振りました。
なんと、なんと、皇后陛下がお召しになっている! 皇后陛下がお召しになっている! 思わず二度脳内で確認してしまうほどの衝撃ですが、皇后陛下がお召しになっているデザインでした! それを否定することなど私たちに出来ましょうか!
「ノギク様、私、失礼なことを申しました、ノギク様のご好意を否定するようなことを何度も……!」
カサンドラ先輩が膝をつき、両手を胸に当てて頭を下げられました。
「ううん、いいんだよ別に。みんな着てるって分かったんなら、キャスも安心して着れるよね」
「もちろんでございます! もしディルク様に何か言われましたら、これはノギク様が私のためにデザインされたのだと胸を張ります! 皇后陛下のお墨付きだと!」
「うんうん、そう言えばきっと大丈夫だよ」
ええ、絶対に大丈夫ですね。
私たちは何度も頷きました。
「そういえば、マリちんの家って商会なんだよね。下着も扱ってるの?」
「はい、取り扱っています」
「じゃあ大丈夫だよね。ここにいるみんなの分の注文したいから、このデザイン画実家に送っておいて。色々細かい部分は文字だけの説明でも分かるかな?」
「わ……私の実家にお任せくださるのですか!?」
「うん。庶民向けにアレンジして売ってもいいよ」
「販売権利までウチに!」
大変なことになりました。ただでさえ忙しい我が家に、新たな商品登場です。父さん、マリウス、これでしばらくは商売に困りませんよ……!
ノギク様を心の中で拝んでいると、下着についてあれこれ話していた二人の殿下が、改まった様子でお話始めました。
「それで、調子が悪いのはどうしましたの? ……見た感じ、お元気そうですけれど」
「あ、うん。こうやって気分を盛り上げてればなんてことはないんだけど、たまーに何もする気がおきなくなっちゃって。やけに眠くなって転寝しちゃったりするんだ」
「先日遺跡に行ったそうですけれど、疲れが溜まっているのではなくて?」
「うーん、まあ、そうだとは思うんだけどね」
「他に気になる症状はありませんの?」
「んー……少し微熱っぽいくらい。そういえば、最近、お肉があんまり食べれないなぁ。前はチコリって酸っぱくて食べれなかったのに、好きになったり。年齢の曲がり角で味覚も変わったのかな?」
こてっと首を傾げたノギク様。
シャルロッテ様は笑みを消されました。
「……貴女、ここ最近、月のものはありまして?」
「へっ? ええと……あれ? うーんと……」
ノギク様は指折り数えています。
「ありゃ、三ヶ月くらいないかも?」
その発言に、皆がはっと息を呑みました。
「そこの女官! 今すぐ侍医を呼んできなさい!」
「はい!」
すぐにカサンドラ先輩が部屋を出て行きます。
「貴女、何故すぐに気づきませんの」
「う、うん、ごめん」
「シンもシンですわ。何故気づきませんの、あの唐変木!」
「せ、精霊様が、どこも悪くないとおっしゃられたからだと思います……」
「それはそうでしょう。正常な妊娠は病気ではありませんもの」
そう言われればそうです。精霊様にすれば妊娠は自然の摂理。病気のうちには入らないと思っているのでしょう。
何にしろ、城をあげてお祝いをしなければなりません。ノギク様がご懐妊です。万歳! 万歳! 御子様が誕生しますよ!
bkm
Index