◆壁ドン(フォーチュンシリーズ)



自分を呼ぶ低く、甘い声に振り向くと、軽く肩を押されて壁際に追いやられ、至近距離から見つめられた。

目の前にあるのは、神が遣わした天使かと見紛うばかりに均整の取れた美貌。

しかし、遠くからは時間を忘れて見入ってしまう容貌も、間近で視線を合わせたら最後、心を奪い去られてしまう悪魔のような瞳である。そんな煌く相貌に見つめられたりしたら逃げたくなってしまう。

視線を下げれば、ボタンの開いたシャツから覗く、綺麗な首筋と鎖骨が目に入った。

「神楽……」

逃げる視線を引き戻す形の良い唇に、緊張のために喉がひゅっと鳴った。

恐る恐る視線を上げると、優しげに細められた切れ長の瞳と目が合う。

全身の肌が粟立つ。

「神楽」

もう一度、名を呼ばれて。

“彼”は、小鹿のように体を震わせた──。





──正しい光景を、映し出してみよう。


ここは櫻井聖、そして和泉神楽が同居するマンションのリビング。

神楽は上半身裸に半ズボンというラフな格好で、金髪の頭をポリポリ掻きながら漫画雑誌を手にぶら下げて、眠そうに歩いていたところだった。

「神楽」

そこに、相棒からの声がかかる。

「んあ?」

ダルそうに振り向いた神楽は、とん、と肩を押されて壁際に追いやられた。

そして。


ドゴオオオオオオッ! ……と、凄まじい音を立てて、顔の真横の壁に拳で穴が開けられた。寝惚けていた頭は瞬時に覚醒、パラパラと破片の落ちる壁に突き刺さる相棒の腕に戦慄、目の前の美少年の微笑みに恐怖。

「……神楽」

聖は最高潮の笑みを湛えていた。

麗しい美少年の微笑みである。何物にも代え難い至宝の輝きである。

しかし残念ながら、普段表情の乏しい彼がこのような麗しい微笑みを浮かべるときは、最高潮の怒りに達しているときなのであった。

一体何をしただろうか。

神楽は頭の中にある本日の出来事を高速でスキャンした。



目覚まし時計があまりにも煩くて壊してしまったことか(いやしかし、そもそもあの目覚まし時計を買ったのは神楽自身だ)。

それとも皿洗いが適当だったからか(いやしかし、それはその場で「オマエは俺の母親か」と怒鳴りたくなるくらい細々と注意されたはずだ)。

課題を終わらせずにゲームばかりしていたからか(いやしかし、あの時聖は夏期講習に行っていていなかったはずだ)。

洗濯時に柔軟剤を入れ忘れたことか(いやしかし、聖に怒られる前に自分で「やっちまったぁ! ごわごわだああ!」と叫んだはずだ)。



「神楽」

視線を落として考え込んでいた神楽は、もう一度名前を呼ばれ、はっと視線を上げた。

相変わらず美しい微笑に、神楽の全身の肌が粟立つ。

「李苑の作ったプリン、俺の分も食べただろう」

(それかー!!!!)

すっかり頭の中から抜け落ちていた今朝の出来事。

寝起きで小腹を空かせた少年は、昨日の夜に「明日のおやつにどうぞ」と李苑が冷蔵庫に入れていったプリンをペロリと平らげ、もうちょっと欲しいという欲求を抑えきれず、相棒の分もおいしくいただいてしまいましたとさ。

「……な、何の話だよ」

そう惚けた瞬間、反対側の顔の横の壁にも聖の拳が突き刺さった。正に逃げ場なし。最強の『壁ドン』の完成である。

「惚けても無駄だ。唇についてるカラメルソース。その色は昨日李苑が作ったプリンのカラメルの色と符合する。したがって犯人はお前だ」

証拠は挙がっているらしい。もう言い逃れは出来ない。

「……く、食いました。食ったけどよぉ……そこまで怒ることじゃねぇだろ……」

ダラダラと背中に嫌な汗を掻きながら、恐る恐る聖を見る。

視界に飛び込んできた超美麗笑顔に、ひいっ、と心臓が悲鳴を上げた。

「り、李苑呼んでくればいいんだろ。もう一回作ってもらえば」

「馬鹿か」

美しい微笑みのまま、聖は言う。

「李苑に手間をかけさせるな」

「じゃ、じゃあ俺が作ってやろうか」

「味噌汁のダシ取るのに生のサンマ一匹丸ごと入れるヤツがか」

「じゃあ、そこのコンビニで買ってきてやるから……」

聖の美麗笑顔は収まらない。むしろ美麗さに更に磨きがかかり、その眩しさに神楽の視界が白んでいく。



ヤベエ。

こいつ本気で 殺 る 気  だ  っ  …… !






数十年後、某異世界の少女に『偉大なるS(グランドサディスト)』の称号を贈られる聖のお仕置きは、その名に恥じない容赦ないものであった……。












でも李苑と真吏に叱られ、ちょっとやり過ぎたと反省したり、恥ずかしかったりする聖。後で李苑にプリンを作ってもらい、結局は幸せ者だったりするのだけれど。









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