十秒もたった頃、女は俺を凝視していた目を机に置かれたカゴに向けた。続いて俺の手からぶらさがっている部屋の鍵を見て、小さくため息をついた。上げられた顔に最早動揺は無い。どこかあの白髪教師にも似ている気がした。

「坂田に頼まれたの?」

「そう、でさ」

見ただけで理解したのか。俺は驚きを顔に出さないようにしながら答えた。今度は大きくため息をつかれる。何だコレ。俺が悪いみたいじゃねーか。思わずムッとすると、女がふと俺の背後を指差した。閉めて、と言われて振り返ってみるとドアが開けっ放しになっている。そういえば閉めなかったな。ドアを閉めて女の方を見ればさっきまで持っていたギターは既にケースにしまわれていた。どこに隠してたんだそのケース。

「あたし、3-Aのみょうじなまえ。放送委員」

「んでもって『天使』の正体、だろ?」

俺が茶化すように言うと女もといみょうじは無言で眉を寄せた。倒れたままだった椅子を机に向けて座ると、俺の方にあった椅子を目でさした。大人しくそれに座る。みょうじと向かい合う形だ。

「まさかCDじゃなかったとはなァ。あれ、あんたが生で歌ってたんだろ?」

「他言無用」

あたりらしい。理由を聞いても答えない。他言無用、とだけ繰り返された。ふと疑問が湧き上がる。俺はためらうこともせずにそれを言葉にした。

「いつも歌ってるのって誰の曲だィ? 聞いたことねえ曲だけど」

返答はない。それでも誰の曲なのかは俺に分かりすぎる程伝わった。聞いたとたんにみょうじが急にそわそわしだしたからだ。さっきまで俺を真っ直ぐに見つめていた目がせわしなく動く。ドアの方を、手元を、また俺を。

「他言、無用」

やっとのことでみょうじがしぼりだした言葉は、やけに上擦った声で紡がれた。思わず喉元まで笑いがこみ上げてくる。どんなひねくれた奴かと思えば、意外に可愛いところもあるようだ。ほんのり赤く染まった頬が実年齢より少し幼いぐらいの印象を与える。そこでふと俺は、さっきみょうじが向かっていたマイクの近くにルーズリーフが置かれているのに気が付いた。普通のノート用ではなく楽譜らしい。側にはシャーペンと消しゴムも転がっている。

「それ、新曲ですかィ?」

「そう。でも、もう作らない」

そっとそれを手に取ったみょうじの顔を俺は思わず凝視した。何で、と聞いた自分の声がやけに頼りない。

「見つかったから」

事も無げにみょうじが言う。けれどその視線はじっと楽譜に注がれている。見ていれば分かった。こいつは歌うのが好きなんだ。

「そんなこと、言うんじゃねえ。どれだけの人間があんたの歌を楽しみにしてると思ってんでィ」

驚いたように俺を見るみょうじの視線を俺は真っ向から受け止めた。信じられないんなら俺が証拠だ。いつの間にか俺も『天使』を待ち焦がれる一人になっていたらしい。こいつの歌がこんなにも俺たちの心に根付いているのはきっと、こいつが歌を好きだからだ。こんな愛される歌なんてめったにありゃしない。

「あんたがもし、あたしのことを黙っててくれるなら、あたしは」

歌いたい、と唇が語った。俺はにんまりと笑って見せた。当たり前だ。こんな面白そうなこと見逃してたまるか。

「んじゃ、この間のやつ歌ってくだせェ。」

先週の奴、と言うとみょうじがきょとんとする。俺は一層深い笑みを浮かべた。

「口止め料、でさ」


タダとはいかねえ
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