課長とにー。後編


え、え、え、え?
今間違いなくリョータって聞こえた。
「に、にー?!」
驚きにソファから転げるように落ちてしまう俺に、
「リョータ!」って、にーが抱きついてくる。
やっぱりにーだ。
え、なんでこいつ喋ってるんだ?!
いままでにゃーしか言ってなかったよな?!
すんすんと鼻を擦りつけるように俺の胸元に顔をうずめてぎゅーっと抱きいているにーに疑問が頭のなかに蔓延する。
「お前、なんでしゃ……」
「……その子は……?」
にーに聞こうとした瞬間、すっかり忘れていた存在―――課長の声が響いた。
ぎょっとして慌ててにーを離す。
だけど「リョータ!」とまたしがみついてくるにーに俺は引き攣りながら課長に顔を向けた。
「……弟です」
とっさに思いつく嘘なんてそれくらいしかない。
課長は「弟さん……」と呟くとソファから勢いよく立ちあがってにーに向かって頭を下げた。
「か、課長?」
「こんな夜分遅くにお邪魔して申し訳ありません。弟くんを起こしてしまい面目ないです。失礼しました」
ぽかん、とする俺と、まったくもって聞いてないだろうにーに数秒頭を下げ続けた課長は、
「田中、世話になったな」
と言うなり玄関へと向かった。
「え?」
「お邪魔しました」
「は?」
え、ちょ、課長!?
バタン、と閉まるドアにポカンとしてしまう。
いやだって、課長―――鞄忘れてます。
それにソファ下に課長のものだろう財布が落ちている。忘れてますけど。
颯爽と出ていったけどかなり酔っていたはずだし、なにより終電もないし、タクシー乗るにしてもやっぱり鞄がないとヤバイんじゃないか?
財布ここ落ちてるぞ?
「おい、にーちょっと離れて。課長忘れ物してるから持っていってくるからさ」
鞄を指さして言えば、にーは一瞬きょとんとつぶらな瞳を瞬かせたけど、
「リョータ!」
さらにぎゅぎゅーっと抱きついてきて離れない。
「なんだよ、どうしたんだよ。にー?」
いつにもまして甘えたなにーの顔を覗き込むと、じいっと俺の顔を見つめ返すにー。
そしてすっとにーが顔を近づけてくる。
ふっと唇にかかる吐息。
にーが目を閉じて、長くてばさばさと多い睫毛が揺れる。
え、あ―――。
舐め、じゃない、まるでキス―――。
瞬間、ピンポーンとインターフォンがなった。
意識がそっちにいって玄関へと視線を向けたとき唇の端ににーの唇が触れた。
「リョータ」
不満そうな声をあげるにーに俺はちょっと待て、とストップかけて玄関に向かう。
にーは離れることはなくてしがみついたままだったから引きずるようにして玄関ドアを開けた。
そこには。
「……すまない。鞄を忘れて」
日頃会社では見ることないだろう。しょぼんとうなだれた課長がいた。
「……あの課長。今日はもう遅いですし、うちに泊っていってください」
「いやしかし」
「なんか課長危なっかしいから。ね?」
笑って言葉をかければ、俺を見る課長の顔がほんのりと赤らんだような気がする。
「リョータ!」
へら、っと課長結構可愛いなって思った瞬間、にーの叫びとともにぶちゅーっとにーにキスされた。
「……」
「……」
数秒のキス。
慌ててにーをひきはがす俺と、呆然と立ち尽くしている課長。
「あ、あの、こいつ、めっちゃくちゃブラコンなんです! あの、深い意味はないんで!」
焦りながら必死で誤魔化す俺に課長はわかってくれたのかどうか、ああ、とだけ返事した。
「とりあえず、ね。今日は泊まってください」
一体どうしたんだ、にーのやつ。
そんなことを思いながらも課長にもう一度言えば、課長はしばらく逡巡したあとお邪魔しますと部屋に入った。
「課長ベッド使ってください」
「ソファで大丈夫だ」
「でも」
「本当に、大丈夫だ」
やっぱ相当酔っているらしい課長はふらふらとソファに座りこむと、バタンと糸が切れたように倒れて寝息を立てはじめた。
「……早っ!」
某のび○かよ!って思わず内心ツッコミながら俺も眠気を感じてあくびを噛み締めた。
「もう寝るか」
一気に疲労感が湧いてきて、いまだに抱きついているにーと一緒にベッドに向かう。
そして俺も倒れ込むようにして横になった。
あ、そういや―――ネコ耳。
ふさっと頬にあたるネコ耳を感じて、課長に気づかれなかったか心配になったけど、酔っ払っていたし大丈夫だろうと結論する。
温かいにーの身体に俺はうとうとと、数分後には寝息を立てていた。

―――――――
―――――
―――

翌朝。
早朝、物音がしたような気がして目覚めれば俺の腕の中には身体を丸めた子猫のにー。
大きくあくびして伸びをしてからリビングに行くとソファに課長の姿はなかった。
『世話になった。ありがとう』
達筆でそう書かれたメモがひとつテーブルに残されていて。
俺はもう一度大きくあくびをして俺はまたベッドに戻り二度寝したのだった。


*おわり*

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