きいろのきつねとみどりのたぬき・2





「きぃさま?きぃさま?……どこですか?きぃさま……」
いくら呼べども応えは返って来ない。足下の枯れ葉ががさりと大げさな音を立てて、黒子はぎゅっと目を瞑る。
「……きぃさま」
たった一人の闇の中で黒子はたったひとりの大事なひとの名前をそれだけは取りこぼさない様に必死に飲み込んだ。


***


黒子は今日、黄瀬と二人で散歩に出掛けたのだ。春になったばかりでぽかぽかと温かい日差しの中を黄瀬と二人だけで歩くことは黒子にとって何より嬉しかった。自分のまだ小さい手を取って、迷子にならないようにちゃんと掴まっていてね、と何度も黄瀬に念を押されていたのでしっぽを振りつつ何度も頷いた。
そうして出掛けた森の中、年に一度しか咲かないという大樹の桜を眺めながら黄瀬手ずからの特製弁当をお腹いっぱいにたいらげ、満足から眠くなってうとうとと目を擦っていた黒子に、黄瀬はちょっとお昼寝しようか、と笑って黒子を腕に抱き込んでくれた。背中をぽんぽんと一定の感覚で撫ぜられてあっという間に眠りについてから今どれくらいの時間が過ぎたのだろう。ふと目が覚めた黒子が目を開けて最初に見たのは黒子の大切なひとではなく、自分ひとりだけの空間だった。はらはらと目の前を散っていく桜の花びらを目に入れつつ、黒子は急いで起き上がる。その際、自分の背からはらりと落ちたのは黄瀬の使っていた肩掛けだった。慎重に掴み匂いを嗅いでみると間違いなく黄瀬の匂いが残っている。だが周りをどんなに見渡しても黄瀬の姿は見つけられない。
黄瀬が自分をひとりで置いてどこかに行ってしまうなんてことは考えられない。
「きぃさま」
まさか、黄瀬に何かあったのではないだろうか。
黒子は青ざめた。
緑間が今日は朝から何かの会合に出て行くというので昨日から準備をして早朝に二人で見送ったのだ。今が何時だか分からないが緑間が帰ってくる時間では無いだろう。ひょっとしたら泊まりになるかもしれないとため息を吐いていたのだ。
ということは黄瀬を守るのは自分しかいないのだ。緑間が留守の間は自分が黄瀬を守るのだ、と誓っていたのにも関わらずこの体たらく。黒子はこぼれそうになる涙を気合いで止めて黄瀬の肩掛けを大切に畳むと自分の懐に慎重に仕舞った。
「待っていてください、きぃさま」
ぎゅう、と拳を握り込んで黒子は一息に駆けだした。



行きに黄瀬と二人で散歩したときは楽しくて嬉しくて周りの春景色よりも隣で自分の手を引いてくれる黄瀬の姿ばかりに目が向いてしまっていた。ここが何処なのか、自分が今何処に向かっているのか、黒子には分からない。だけれど、標は残されている。
「……きぃさまっ」
黄瀬の優しい匂い。今日は沈丁花の匂いを使ってみたのだ、と黒子に嗅がせてくれた黄瀬の纏う香りを必死に追いかける。自分は狗だ。鼻が利く。そのことをこれほどまでに感謝したことはなかった。
がさがさと茂みの中を突き抜けて走る。途中袖が藪に引っかかって破れてしまったり、足下の石に気付かずに蹴躓いて思い切り倒れてしまって両手と両膝に擦過傷を作ってしまったが、そんなことは今の黒子には些細なことだ。
黄瀬を見つける。
それだけを念じて、黒子はひたすらに駆けた。
そうしてどれだけ走っただろう。息は切れ切れになり、何度も倒れそうになりながらそれでも黒子は走り続けた。ぜいぜいと呼吸が苦しい。がくがくと膝が震えてもう一歩も歩けないと俯きそうになる度、思い出すのは黄瀬の顔だった。

『おいで』

そう言って優しく自分を抱き上げて笑ってくれた黄瀬の顔を。

ここに来るまで、黄瀬に拾われるまでの自分は本当に生きている意味を見いだせない様な生き方をしていた。
ここならきっと楽に逝ける。
そう思って踏み込んだ山の中で黄瀬に出会わなければ、きっと自分はただ矮小な一生を誰にも気付かれないままひっそりと終えていたことだろう。生きる意味を、自分の意義を、そして全て黒子が諦めて取りこぼしてきたものを黄瀬はひとつずつ拾っては黒子に教えてくれたのだ。
「……ぃさ、ま」
例え喉が枯れても。
足が壊れて走れなくなっても。
黒子は黄瀬の傍にいると決めた。
黄瀬を守ると決めた。
「きぃさま……っ」
匂いが強くなってきたのが分かる。黒子は目の前の茨の茂みの中へ戸惑うこと無く踏み出した。頬を、額を、耳を、首筋を、鋭利な棘が容赦なく切りつけてきても黒子の足は止まらない。もう直ぐ、あと少しで辿りつく。黒子の大切なひとが待っている。
「……っ」
瞼の上を切ってしまい目が開けられなくなった。それでも鼻は使える。鼻だけを頼りに黒子はどんどん進んでいく。
そして、

「黒子っち……っ!」

茨を越えた、と思った瞬間、求め続けた匂いが黒子の身体を包み込んでくれた。
ああ、黄瀬だ。
目が開けられない自分だが、それでも黄瀬の匂いは分かる。その声も。黄瀬だけが呼んでくれる黒子の呼び名。頬を触れているのは黄瀬の手だろうか。ああ、自分の血で汚れてしまう。こんなぼろぼろの自分では黄瀬に触れられない、と最後の力を込めて黄瀬から離れようとしたのだが、黄瀬がそれを許してくれなかった。ぎゅうぎゅうと決して離さない、という力を込めて黄瀬は黒子を抱き締め続ける。
「黒子っち、黒子っち、ごめんね、今すぐ治すから」
ゆっくりと切れた瞼の上をなぞっていく感触を黒子は受け入れた。何故か黄瀬の背後が五月蠅い気がするがよく聞こえない。
「はい、いいよ黒子っち。もう目は開けられるから」
黄瀬の声にゆっくりと目を開けると、黄瀬の笑顔が黒子の目に飛び込んできた。
「き ぃ さ、」
「まだ喋らなくていいから。大丈夫、もう大丈夫だから、黒子っち」
ほろ、と黄瀬の目からこぼれた涙が黒子の頬に落ちた。そこからじわじわと身体中に熱が広がっていく。視線を自分の手に落とすとさっきまでぼろぼろになって血だらけになっていた手が、足が、元通りに治っていく様子が見れた。
「きぃさま、きぃさまは」
「黒子っち?」
「きぃさまはご無事ですか。お怪我はありませんか。ごめんなさい、ぼくはあなたを守ると決めていたのに、あなたを見失ってしまって本当に、」
謝って許してくれるものではないかもしれない。だけれど黒子にはもうそれしかできなかった。何度も何度も謝っていると、黄瀬がくしゃりと顔をしかめる。
そんな顔でも美しいと思ってしまうのはどうしてだろう。
「ばか、黒子っちの、ばかっ」
それだけ言って、黄瀬は黒子の身体をもう一度抱き締めると、今度はそのままわんわんと泣き出してしまった。
これに驚いたのは黒子の方で、やはりどこか怪我をしたのか、どこか痛いのか、とそればかりが不安になって必死に黄瀬を確認しようとして、でもいくら手を伸ばそうとしても黄瀬が黒子を抱き込んだままでそれができないため黒子も黒子で泣きそうになる、という悪循環に陥った。

「おいおい、それくらいにしておけよ、黄瀬」

急に聞こえた声に黒子は声のした方に顔を向けると、そこには見たことのない偉丈夫が立っていた。浅黒い肌と深い青の髪。
誰だろう、と首を傾げているとその偉丈夫が黒子の顔をのぞきこんできた。
「ふーん、黄瀬に聞いてた通り、お前小っちゃいなー」
「……小さいって」
「俺の膝まで届くのか?こんな小っせー狗っころ、なんでお前が拾ったの不思議だったんだが、まあ分かったわ」
きょとん、と目を開いていると、目の前に大きな黒い手が伸びてきた。
「悪かったな。ちょっと試したかったんだよ」
いうと、黒い大きな手が自分の小さい頭をぐりぐりと撫でてくる。
「ちょ、青峰っち!やめて!黒子っちの頭がとれちゃうから!」
「あー?これくらいで取れるかよ」
「取れちゃうっス!青峰っちがやったら取れちゃうっス!」
「俺に加減ができねえっていうのかよ?あ?」
「何度も何度も物を壊しまくって赤司っちに怒られてるひとが言うセリフじゃないっス!」
「……てめ、黄瀬の癖に……」
「いいもん!今度赤司っちに言いつけてやるんスからね!」
「おっま、今回のことは俺が単独で計画した訳じゃねえし紫原や火神だって」
「あの」
いつまで続くのか分からないやり取りを止めるのは申し訳ないがこれ以上は平行線だろうと黒子は声を挟んだ。
今までの会話から黄瀬とこのひとが知り合いなのは分かった。
だが、誰なのか、自分は知らない。ヒトでは無い。ヒトはここには入れない。だから自分たちと同じ様な存在であるのだろうが、恐らく比べ物にならないくらいにもっと上の存在だ。
青い頭髪の上、角の様な何かが見える。だが鬼ではない。なんだろう。一体、このひとは誰なんだろう?
「きぃさま。この方は」
「いいっス。黒子っちは知らなくても全然困らないひとだからいいっス!」
「おいこら」
「それより、いいんスか?そろそろ帰らないと不味いんじゃないの?」
「……お前、可愛くねえ」
「可愛くなくて結構っス!」
「え、きぃさまは可愛いですよ?可愛いというよりはどちらかと言うと綺麗ですが」
「……」
「……」
「あれ、ぼく何か変なこといいましたか?」
「こいつ、侮れねえわ……おい、黄瀬」
「ちょっと待って。ちょっとそっとしておいて……」
「ああん?お前容姿のことなんざ褒められ慣れてんだろ?何今更照れてんだ」
「身内に言われるのは違うのおおお!」
「そういうもんか?」
「もううるさい!早く帰って!」
「はいはい、じゃ、また来るわ。今度はあれ作っておけよ。五目いなり。お前が作ったあれ久々に食いたい」
「来るな!」
「じゃーな、お前も」
くしゃ、と頭を撫でられて、気付いたらもう青いあのひとは居なくなっていた。結局あのひとは誰だったのだろう。悪いひとでは無い様だったが。
「……きぃさま、」
「帰ろうね、黒子っち」
「……はい」
聞かれたくないのだろう、という気配を感じて黒子は口を噤む。

『また来るわ』

でも何故かあの青いひととはまた近い内に会うことになるのだろうと予感だけはしていたのだ。




20140409
緑間っち出てこないわ〜というお話ですみません。でも緑黄ですから。はい。
黒子っちを試してみたかったひとたちと、試された黒子っちと、不本意ながら巻き込まれた黄瀬君のお話でした。






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