今日はかに座が一位です。






「海常がいいです」



は?と首を傾げたくなったのは(というか実際に傾げている人間もいるのだけども)ここにいる自分以外の人間全員だろうなあ、と高尾は思った。まあ、思っただけでじゃあどうこうしようという気持ちに直ぐにならなかったのは、訳も何もあったものではないのだが。
「緑間、お前の意見は聞いてないんだけど?」
監督の中谷の言葉に緑間は何も返さない。それでも視線だけは外さずにいる緑間は、じ、と真っ直ぐな目線を向けた。
「……はあ、高尾」
「はい、なんすか」
「次の練習試合、相手校は海常ね」
「う、ええ?いいんすか?」
「緑間」
「はい」
「わがまま、一週間分ね」
「有り難うございます」
それだけ言うともう用は無い、とばかりに一礼した緑間はさっさと部室から出ていってしまった。
背筋を伸ばした背中を見送った後、高尾は監督に向き直る。
「一週間って、それでも十分破格の条件っすね」
「それで言う事聞いてくれるなら、まあ安いもんじゃない?」
それもそうか。と返すにはちょっと色々人生経験積んで無いわあ、と高尾は苦笑いで止める。
「まあ、相手にとって不足は無いけどねえ?」

なんで海常かな?

監督の独り言に何も返せず、高尾は今度の週末に対戦することに決まった海常のエースの姿を思い出していた。





一年前の激戦を潜り抜けた高尾たちが二年生に上がって迎えた今年の夏。その夏の本戦に向けての実践的な練習試合が組まれることになったのは半月以上前の話だった。監督がどこを対戦に選ぶのかは部内でも憶測しかされていなかったのだが、二年生にして副部長に任命された高尾はそれとなく部長と共に監督と話を交わしたりはしていたのだ。
その話を誰から聞いたのか知らないが、緑間の耳にも入っていたことについては驚かなかったが、こうして対戦校についての意見を直々に言ってくることになるとは、高尾も思っていなかった。
それも相手が、海常である。
確かに対戦地区としては別の枠になる海常とは都合の良い相手でもある。本当であったならば、恐らく監督としては誠凛を選ぶつもりでいたのだろうけれど、それは緑間の一言で無くなってしまった。
あの場にいて監督と緑間の話を聞いていた人間の中には、嫌な顔をするよりも寧ろ疑問に思った方が多かっただろう。
「ま、理由聞いても答えてくれねーだろうけどさ」
部活後の個人練習を一人黙々とこなしている緑間は、あの日からこっち大人しく過ごしている。それはまあ、そうだろう。監督との約束は一週間のわがまま禁止なのだから。
それでも、そうまでして海常を選んだ緑間の真意を見たい、と高尾は思っている。思っているのだが、我が校のエースは何も言わずに背中だけしか見せてくれない。
(全く、困ったもんだぜ)
一年前に比べたら、十分丸くなったとは思うのだけれど。
偶に見せる執着がどこに繋がっているのか知りたいと思うのは相棒として、というよりは彼の友人としてその隣にいる自分の知的好奇心からくる欲求によるものである。
そんなことを言おうものなら、馬鹿め、の一言が返ってくるだけだろうけれど。
(俺が何のために副部長受けたんだかなあ)
扱い難い絶対エースは今日も調子が良いらしい。
しかし、そろそろ帰る時間である。
「真ちゃん、そろそろ片付けしてー。体育館閉めるよ。明日が本番の練習試合なんだからさ」
「……分かったのだよ」
ネットに触れることなく落ちたボールが体育館の床でバウンドしている。それを拾いに足を動かす緑間の姿に、いつもこうなら面倒は無いだろうけれど、それだとやっぱりつまらないなあ、と考えてしまう自分は、どれだけ緑間に毒されているのだか、と考えて笑った。





そして明けた翌日。
海常高校の面々が到着する前に迎える側として色々と準備をする為、一足先に体育館に向かった高尾は体育館の入り口で一年と二年、そして三年の部員が揃って鈴生りになっているのに足を止めた。
「な、何してんすか?」
恐る恐る声を掛けた高尾に、その場にいた部員全員が揃って顔を向けた。
ちょっと怖い。
怪訝な顔をしている自覚はあったのだが、何が起きているのか分からない今の状況では表情も作れない。と、同じ学年のチームメイトが高尾を手招いた。声は出すな、のジェスチャー付きで。
何で?と疑問に思うも、自分の為に道を開けてくれる部員の壁を通り抜けて辿り着いた体育館の入り口から覗き込んだ先、高尾の目に飛び込んできた光景に思わず手に持っていたペットボトルを地面に落としそうになった。

「黄瀬、もう一本いくぞ」
「いいっスよー、何本でも。どんとこい!」
「余りはしゃいで本番で疲れても知らんぞ」
「そんな柔な体力じゃないっスよーっと!」
「甘いな」
「まーだ、ここからっスよ?」

キュ、キュ、とバッシュが擦れる音が聞こえてくる。その音の発信源であるコートの中央では、秀徳カラーのオレンジと、印象的な海常高校の青がじゃれるように1on1をしていた。
ダン!と強い音が響く。珍しい緑間のダンクに高尾を始めた秀徳メンバーはポカンと口を開いた。

「あーあ、もう。ダンクで決めるなんてらしくないっスよ」
「そんな気分だったのだよ」
「どんな気分スか?」
「そういう気分だ」

くすくす、と小さく笑う声が床に落ちる。汗が流れる頬をシャツの袖で拭った海常のエース――黄瀬は緑間を見上げて笑った。

「良いもの見せてくれて嬉しかったっス」

花が開くって、ああいうことを言うのだろう、と思うような笑顔。目撃してしまった何人かは必要以上に顔を赤らめている。かく言う自分もそれが伝染しそうで高尾は顔の熱を逃がそうと手で煽った。こちらに対して背を向けている緑間は、あの笑顔をあの距離で受けて、一体どんな顔をしているのだろう。
見たい、と思ったが、生憎それは叶わなかった。
「あ、あれ?」
ぱちり、と黄瀬の視線が高尾とぶつかってしまったのだ。
ヤバイ、と思ったときはもう遅い。
「……何をしているのだよ、そこで」
振り返った我らがエースは憮然とした顔を隠そうともしないいつもの様子で、思わず引き攣った声を出した何人かはさり気無く、且つ迅速にその場から避難していく。
「いや、何してるって、それ俺が聞きたいっていうか?」
「何がだ」
「何がって、」
高尾は黄瀬に視線を向ける。それに対して黄瀬が何か言おうと口を開いた瞬間、緑間は淡々と伝えた。
「黄瀬だ。お前も知っているだろう」
「そりゃあね?勿論知ってますけどね?」
俺たちが言いたい、そして聞きたいのはそういうことでは無くて。
「何で今日の練習試合の相手校のエースが約束の時間よりもかなり早いっていうのに、お前とバスケしてたんだよ」
うんうん、と高尾の周りの何人かが同じ様に頷いているのを眺めつつ、緑間は口を開いた。

「見た通りだ。先に連れて来たのだよ」

――うん、だからそれはね、答えだけどそうじゃないよね?

「緑間あああ!おっ前、別高のエース拉致してんじゃねえよおおお!?」
「何考えてんだあああ!!!」
「アホかあああ!!!」
「直ぐに返してこいいい!!!」
一斉に叫ぶ部員全員の心は一つだった。
「海常の皆さんっ うちのエースがすみませんっ!」
きっと今頃向こうは大騒ぎになってしまってるんじゃない?なんて考えて青褪めている高尾たちに、黄瀬は慌てて声を上げた。
「あ、だ、大丈夫っス!監督たちには先に行ってるって連絡してるから!……心配してもらってすみません」
済まなそうに頭を下げる黄瀬に、首を横に振る。
「いやいやいやいや、先に謝るのこっちだから!勝手に連れてきちゃって、てか連れて来られちゃって?兎に角ごめんねっ! 〜〜本当に真ちゃん!何考えてんの!?」
「高尾」
申し開きがあるのなら聞きましょう?と口が開くのを待っていると、それは案外あっさりと開いた。
「今日のかに座は一位なのだよ」
――へえ、それで?
「そういうことだ」
――よし、分かった。

「「「「「って分かるかあああ!!!」」」」」

その場に蹲って同じ様に叫ぶ部員の姿に連帯感ってこうやって育まれていくのかな、なんて現実逃避したくなった高尾だった。
「緑間っち、それじゃ説明になってないっスよ」
「む」
そうそう、言ってやって!この偏屈エース様に!
黄瀬が緑間に向かって仕方ない、というような顔をして笑っている。うっかりその笑顔に癒されてしまったのは不可抗力だと叫びたい。
「あの、えーっと、高尾君」
「は、はい?」
今まで試合会場とかで会ったり、偶にやるストバスなどで見たりしたときも思っていたが、本当にキレイな顔をしている。こうして至近距離で見るのはそう言えば機会が無かったな、と間近にある白皙の美貌をまじまじと見詰めていると、黄瀬がゆっくりと口を開いた。
「俺の顔、何か変?」
「あ、いや、キレイだなーって」
思っていたことがするっと口から飛び出てしまって、驚いたのは自分だった。目を丸くした黄瀬にいや、とかその、とか弁解しようにも一端飛び出た科白はもう飲み込めない。普段ならあんなに溌剌と動く口がこんなときに役に立たないなんて!と頭を抱えたくなった高尾の耳に小さな笑い声が聞こえてきた。顔を上げると、黄瀬がさも可笑しい、という様に肩を震わせている。
「ふ、ふふ、高尾君って面白いっスねえ」
そうやって笑う黄瀬が、とても可愛く見える。
呆けた顔をして黄瀬を見詰めていると、何かが黄瀬を引き寄せて黄瀬を周りから見えなくしてしまう。
「勝手に見るな」
その何か、は当然と言えば緑間だったのだが。
勝手にって、黄瀬君はお前のものかよ?と文句を言おうとしたのだが、咄嗟に口を噤む。何となく、それは言っちゃいけない言葉だと思ったのだ。
「緑間っち!もう…… あのね、高尾君」
緑間の背後からひょこんと顔だけ出した黄瀬は高尾に言った。
「あのね、俺は今日一日、緑間っちのラッキーアイテムなんスよ」
だから許してやって、という黄瀬に皆は取り敢えず頷いた。
っていうか、黄瀬君がラッキーアイテムって。おは朝、どんな無茶を言ったんだ。
そんな今日に限って、誰もおは朝を見ていなかった。何しろこちらには準備がある。いつもなら誰かしら時間が合えば見ているのだが。珍しいことが重なった。
「さっさと準備を始めないと間に合わなくなるのだよ」
皆を混乱させている張本人に正論を言われてしまうが、正直素直に頷きたくない。
しかしそうも言ってはいられない。
この落とし前は後でつける、と無言で頷き合った秀徳高校の面々は、急いで準備に取り掛かったのだった。





「「「ありがとうございましたっ」」」

恙無く練習試合は終了した。お互いの問題点や反省点などを話し合いながら高尾は緑間に気付かれないように視線を向ける。
緑間の隣には黄瀬がいた。二人が並んでいる姿はそれが当然、と言う様にぴたりとはまって見える。お互いに顔が整っているので余計にそう思うのだろうか。緑間は正統派の美形であるが、黄瀬は美人、という方がしっくりとくる。この位置からでは何を話しているのかまでは聞き取れない。だが、緑間の横顔は今まで見てきた中でも初めて見る様なものだった。
それにしても、と今日一日を思い返して高尾は溜息を吐きたくなった。朝から緑間によって拉致されてきた黄瀬は、ラッキーアイテムとして以上にその役目をしっかりと果たしていた。緑間が何か言う前にさり気無く先に動いてカバーしていた黄瀬は、海常の面々と合流してからも緑間の傍を極力離れなかった。正に痒いところに手が届く、というか。甲斐甲斐しい黄瀬の姿に羨ましい、と思った人間がどれだけいたかしれない(それを秀徳と海常で合算してしまうと、正に目も当てられない結果になるだろうことが難くない)。
もっとも驚いたのは昼食時で、時間が無くて余り凝ったものができなかった、と言いつつも見せて貰った黄瀬の手作り弁当は素晴らしい出来で、それを当然の様に受け取って食べている緑間に軽く殺意が浮かぶくらいであった(あとでこっそり黄瀬から貰った卵焼きがまた絶品であったのも一因である)。
「――おい、高尾」
また食べたいなあ、なんて考えつつ二人の様子を見ていた高尾にチームメイトがひそひそと声を掛けてきたので、高尾はのんびりと返事を返す。
「うーん、何?」
「いや、その。……緑間さあ」

「全員集合!」

それから先のチームメイトの言葉は主将の集合の声で結局聞くことは無かったし、高尾も続きを聞くのを忘れてしまったのだった。





「あれ、真ちゃん、今日は帰んの?」
練習試合の後だろうと何だろうと、関係なく個人練習をしていく緑間がもう帰る準備をしていることに高尾は驚いた。
「ああ、今日はこれで上がるのだよ」
さっさと背を向けて出口に向かって歩き出す緑間に、そう言えば、と高尾が声を掛けようとしたときだった。
「あ、緑間っち、終わった?」
「終わった。帰るぞ、黄瀬」
出口からひょこりと顔を出したのは黄瀬だった。緑間に視線を合わせたあと、その琥珀の瞳がこちらを見る。
「高尾君も、お疲れ様っス」
「あ、うん。お疲れ!」
バイバイ、と手を振る黄瀬につられて手を振った高尾は、そのまま二人が去っていくのを眺めていた。緑間の方が背が高いから黄瀬が緑間に視線を合わせようとすると少しだけ見上げるようになる。黄瀬の瞳は緑間だけを映していた。蕩ける様な色をした黄瀬の目に高尾は息が止まる。
何か黄瀬が言ったのだろう。緑間が何か返したことに黄瀬が笑っている。そして、緑間の指が伸びた。

――あ、

その指が、いつもテーピングされている指が剥き出しになっていた。その手で緑間は黄瀬に触れたのだ。触れた、と言っても手を繋いだだけだ。いやそれも語弊がある。
指を、絡めたのだ。互いの指をしっかりと。直ぐに解けそうで、けれどきっと、解けない強さで。
今がもう暗い時間で良かったと高尾は思った。明るい場所ではきっと見てはいけないものだった。
それだけ密やかで、甘やかな空気が二人を包んでいたから。

「あーあ、そういうことねえ」

ひょい、と投げたボールはしっかりとゴールに入った。
かに座は一位。
そして今日のラッキーアイテム。

「お膳立てがここまでできてると、いっそ怖いわ、おは朝」

普段から人事を尽くしてるから、こういうときに効果が発揮するのかねえ?
投げたい疑問を受け取って欲しい相手はもういない。二つの背中が消えていった道の向こうに視線を投げて、高尾は言えなかった言葉を呟いた。



「誕生日おめでと、真ちゃん」






20130707
お誕生日おめでとう、緑間君。本当にかに座が一位で笑っちゃいました。






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