Sweetest Goodbye・3





「なんで言わなかったんだよ」

怒っているようで、その実多分、怒っていない。
むしろこれは、
「……拗ねてる?」
思ったことを素直に口にすれば目の前の恋人はなんとも言い難い顔をして、その意外なほど端正な横顔をこちらに見せた。
「拗ねてねえ」
「ふうん?」
「拗ねてねえからな」
「うん」
「これは、そのあれだ」
「どれっスか?」
「……黄瀬」
からかうのはここまでにした方が良い様だ。
黄瀬は笑みの浮かぶ顔をそのままに火神に手を伸ばした。
「それで?火神っちのご機嫌はどうしてこんなに悪いんスかね?」
伸ばした腕をそのまま火神の首に回して引き寄せる。ぎゅう、としっかりと抱きこめば、火神は小さく鼻を鳴らした後に黄瀬の身体を左手だけで引き寄せた。
「……この前の、日曜」
「うん」
「黒子と、あとキセキの奴らと、お前会うって約束してただろ」
「うん、丁度その日が皆空いてるからって。……あれ、俺火神っちにちゃんと言ったっスよね?」

それは今日よりも少しだけ前の話。
折角の機会だし東京に集合しようか、と赤司から唐突にメールが届いたのだ。何でも偶々調べてみたら(皆に直接聞いてみたら、では無いのが赤司の怖いところである)この日は皆の予定が丁度空いていたらしい。
これから最終学年に上がるともなると、それぞれがいっそう忙しくなっておいそれと会いにも行けない状況になる。それでなくても赤司、そして紫原は遠方にいるのだ。そんな中で偶然にも皆の予定が空いているという稀有な日があったのであれば、何は無くとも駆け付ける!と喜んでメールを送ったのは黄瀬だけでは無い筈だ。
約束の日を指折り数えてはカレンダーを眺めてふわふわと笑う黄瀬に、火神は仕方なさそうな顔で笑っていた。

「聞いてた。それはいいんだ」
キセキの皆と黄瀬が会う約束をするときは、黄瀬は必ず火神に連絡をして了承を貰ってからにしている。それは火神と黄瀬が付き合うようになってからずっと続いている習慣だ。
黄瀬にとってはキセキの皆は大切な友人たちだし、それ以下は元より、それ以上になることは無い、としっかり火神に伝えているのだが、火神にとってはそうでは無いらしい(その理由が黒子と青峰の所為に他ならないのがなんとも言えないが)。
自分のことが信用無いのだ、という訳ではないのは火神を見ていれば分かる。だからこそ火神の不安が少しでも消えるのであればと、黄瀬は毎回ちゃんと火神に確認してから皆と約束するようにしているし、今回の件も赤司にメールを送る前にちゃんと火神にも聞いていたのだが、一体何がいけなかったのだろうか?
黄瀬が首を傾げて考えていると、火神は黄瀬の頭を撫ぜながら小さな声を出した。
「お返し」
「へ?」
何て?と黄瀬が間抜けた声を上げると、火神が黄瀬の頭を撫でた手をそのまま自分の胸板に押し付けるようにして顔を上げないようにさせてしまう。
苦しくはないけれど火神にしては珍しい行動に、黄瀬がさっきの火神の言葉をもう一度考えた。
『お返し』と火神は言った。
しかしそれが何のことなのか見当もつかない。黄瀬がうんうんと頭を悩ませて答えを導き出す前に、火神は口を開いた。
「お前、キセキの奴らから、バレンタインデーのお返し貰ったんだろ」
「……あ、ああ!それのことっスか!」
火神が差す『お返し』の意味がやっと分かって黄瀬は肩の力を抜いた。



そう、先日の日曜日にキセキの皆が集合したのは、黄瀬が知らなかった意味がもう一つあったのだ。
待ちに待った当日。皆で集まるときにいつも使う公園に指定された時間より少し早く向かった黄瀬は、集合場所に自分よりも先に皆が揃っていたことに驚き慌てて駆け寄ると、そこでそれ以上のサプライズが待っていた。
遅れてすんません!と謝りながら近付く黄瀬に、待っていた皆は背後に隠していた手を一斉に黄瀬の前に差し出す。丁寧に包装された色とりどりの包みを見て思わずその場で立ち止まり、驚きに目を開いて皆を見回す黄瀬を、黒子が呼んだ。
『黄瀬君』
『く、黒子っち、これって?』
『分かりませんか?』
『え、ええ?』
『僕たちから君に、ホワイトデーのお返しですよ』
そう言って黒子が優しく微笑んでくれたものだから、黄瀬が感動の余り思いっきり抱き付いたのも仕方のないことだろう。
皆からのお返しはそれぞれの個性が溢れたもので(紫原のお菓子詰め合わせは流石に量が多過ぎたので、後で皆で一緒に食べた)、どれも本当に嬉しくて、一人一人から渡される度に黄瀬は心から喜んだ。
その後いつもの様に皆でバスケを楽しんだ休憩の合間に黒子と並んでベンチに座っていた黄瀬が今日のことにもう一度礼を言うと、こっそりと黒子が教えてくれた。
いつもならこんな風に皆で集まるとき、黄瀬が一番に近い順番で待ち合わせ場所に着くのだが、このときばかりは赤司の計らいで黄瀬には少しだけ遅くした待ち合わせ時間を伝えていたらしい(それにも関らずギリギリで到着した青峰には、後でしっかりと赤司と黒子の二人から制裁が与えられたのだがそのことは当然黄瀬は知らない)。
誰から黄瀬君に渡すのか、その順番を決めるためだったんですけど本当に大変だったんですよ、と苦笑する黒子に、黄瀬はもう一度抱き付いて、皆大好きっス!とその場で叫んだのだった。



「あれはびっくりしたっス!まさか皆があんなこと考えてくれてたなんて全然知らなかったから」
黄瀬はちゃんとバレンタインデーに赤司と紫原にもチョコを贈っていた。二人からの感謝のメールが黄瀬に届いていたのは知っていたが、その後にあんな風にカウンターを食らうことになるとは火神は思っていなかったのだ。
「何で教えてくれなかったんだよ」
「ええ?だって皆がお返しくれるなんて話、俺聞いて無かったんスもん」
「違えよ」
そっちじゃない、と火神は呟く。
「ホワイトデー、お前教えてくれなかったじゃねえか」
「え、あ、ああー……」
だって、それは、と黄瀬は思わず目を開いた。
先月のバレンタインデーに黄瀬は手作りのチョコを火神に渡していたのだが、その後二人で共に夜を過ごした翌日の朝、黄瀬は火神から一輪の花を貰っていたのだ。
アメリカではチョコよりもこっちが主流なのだ、と火神に教えて貰って、鮮やかに咲いた一輪の赤い薔薇を黄瀬は驚きながらも喜んで受け取った。
本当は花束にしたかったが、今の自分が持っている金は親から貰っているものだ。だから自分で稼げるようになったら、こんなのよりもっと立派な花束をお前にやるからな、と黄瀬の目を見てしっかりと約束してくれた火神は本当にかっこよかった、と高尾にこっそりと惚気てしまったのは最近の話だ。
だから黄瀬は火神からお返し、と言うよりバレンタインのチョコよりももっと嬉しいものを貰ってしまっていたのだから、ホワイトデーに火神から何か貰える何てことはそもそも考えてもいなかったのだ。
「で、でも火神っち、ホワイトデーのこと知らなかったでしょ?」
「黒子に聞いた」
帰国子女である火神は日本の文化の面については疎いことも多い。その度に火神に教えてやっていたのだが、ホワイトデーについてはうっかり失念していた。
本当に心底から不本意そうに言う火神に、黄瀬は苦笑しかできない。
「お前がアイツらに喜ばされてる画像を見せつけられながらな」
「そ、それは、えっと……」
何と返したものだろうか。謝るのも違う気がするし、かと言ってこのまま玄関先で二人靴を履いたままでいるのもいかがなものか。折角久しぶりに二人きりで会えたのだから、黄瀬としてはもっとちゃんと火神を甘やかしたいし、甘やかされたいのだ。
「んーと、あ、そうだ」
「黄瀬?」
「ねえ、火神っち、お返し、俺にしたい?」
「……したい」
腕の力を少しだけ緩めた火神が黄瀬の顔を覗き込む。その顔を可愛いなあ、と内心で思いながら黄瀬は目を細めた。

「ふふ。ね、火神っち、それじゃあさ、」







「……それで、どうしてこういうことになってんだ?」
「んー、火神っち、かゆいとこはございませんかー?」
「人の話聞けよ」
「聞いてる聞いてる」
「嘘吐け」
「俺、嘘吐かないっスよ」
「知ってるよ」
諦めた様に肩の力を抜く火神に背後に回っている黄瀬はくすくすと笑いながら指先にほんの少し力を込めた。
「気持ちい?」
「ん、お前上手いな」
「良くして貰ってるスタイリストさんにね、前に教えて貰ったことがあったんスよ」
「そうか」
互いの声が反響して響いている。
今二人はバスルームにいた。
火神は湯船につかり、黄瀬はそこから頭だけ出している火神の髪を洗っていた。白い泡が火神の赤い髪と混ざり合っている。その光景を眺めながら黄瀬は口元を緩めた。
「なんでこれがお返しになるんだよ?」
火神の質問に黄瀬は手を動かしながら唇を開く。
「俺ね、火神っちの髪好きなんスよ」
もちろん、髪だけじゃないけどね?とちゃんと付け足して指先に絶妙な力加減を加えていく。
「それで?」
振り返ろうとした火神を泡だらけの手で止めて、黄瀬はシャワーに手を伸ばす。
「動物ってさ、頭触られるの、警戒すること多いでしょ」
まあ、人にも言えることだけど、と続けながら黄瀬はシャワーノズルを掴む。
「頭って、急所が多いから。だけどそれをこうやって無防備に預けて貰えるのって、それってすごい信頼されてるってことでしょ?火神っちに安心して貰えるんだなって思うと」
それが嬉しいのだ、と黄瀬は笑った。
シャワーの湯加減を確かめてから、ゆっくりを泡を落としていく。さあさあと排水溝に流れていく泡がバスルームのぼんやりとした光に僅かに光っていた。
「つーかさ」
「うん?」
「それ、結局お前が俺にお返ししてんじゃねえか」
「違うっスよ?」
「どこが違うんだよ」
シャワーを止める。
それと同時に火神が湯船の中で身体ごと黄瀬に向き直った。
火神は全裸だが、黄瀬はシャツにハーフパンツを履いている。湯気で少し湿ったシャツに肌の色が透けて見えて火神は今見たものを視界から飛ばす様に首を左右に振る。
「わ、ちょ、まだ拭いてないのに」
動物の様に水気を切る仕草に、黄瀬はけらけらと笑う。その顔を見詰めながら火神は黄瀬に手を伸ばした。
「黄瀬」
「火神っち?」
「今晩はお前の好きなもの作ってやるよ」
「ええ?もうお返しは貰ったっスよ?」
「ちげ―よ、これはお返しじゃない」
「え?」
「俺がお前にしてやりたいだけだ」
ざばり、と湯船から立ち上がった火神は呆けた顔をしている黄瀬の横を通りながら言った。
「用意してる。お前もちゃんと風呂入れよ」
去り際に黄瀬の頭を優しく撫でていくのも忘れない。
火神の背中がドアの向こうに行ってしまうと、パタンと閉まった音がバスルームに響いた。
「〜〜っ」
黄瀬はちゃんとドアが閉まったことを確認してから、膝の上の手のひらを握り締めて、真っ赤に染まった顔を俯ける。
(あああ、もう、火神っちのバカ!)
本人が聞いていたら、バカとは何だ、と怒られそうだが声に出していないだけ許して欲しい。何しろ口を開いてしまったら最後、近所迷惑も顧みずに叫び声を上げそうだったのだから。







「なんか、してやられた感じっス」
「お互い様だろーが」
でも、なんか悔しい、と黄瀬が布団に顔を埋めながらぼそぼそと呟いている。
夕飯を食べ終わり二人で片付けをした後、今は並んでベッドに寝転んでいる。
明日は二人とも朝練があるので夜更かしはできない。早く寝るに限るのだが、どうにも黄瀬は納得できない様だった。
「俺ばっかり得してる気がするっス」
「んなことねーよ?」
「むー」
至近距離で見える黄瀬の顔は不貞腐れている、というよりは照れている、の方が合っていた。
可愛いな、と思いながら口には出さないでおく。そろそろと頭を撫でてやると、猫の様に喉を鳴らしてみせる仕草をしてから黄瀬はゆったりと目を細めた。
「火神っち」
「何だ」
「大好きっスよ」
その一言と共に唇が温かく覆われた。直ぐに離れて行ったそれに思わず追いかけようとしたが、手のひらがそれ以上を塞いでくる。
「……オイ、こら」
「だーめ、これ以上したら我慢できなくなるっしょ?」
そうだ、明日はお互い早いのだ。これ以上は駄目だ。そう、分かってはいるのだが、
「それなら何でキスしたんだよ、お前……」
天井を仰いで呻く火神に、黄瀬は笑う。諸刃の剣なのは承知の上だ。本当はそれ以上もしたいけれど、優先すべきを間違えるようなことだけは絶対しない。それが二人が付き合うことを決めてから最初に約束したことでもあったから。
それでも今キスがしたいと思った。ほんのちょっとならいいかな、と思って本当に軽く触れ合せただけだったのだけれど、余計に火が点いてしまったかもしれない。失敗したか、と内心で苦笑していたのだが、そのとき急に黄瀬の頭の中であることが閃いた。
「ね、火神っち」
「何だ?」
上半身を起こした黄瀬が火神を覗き込む。
「今度さ、うちと、誠凛と、桐皇と秀徳の四校合同の練習試合があるでしょ?」
「ああ、あるな」
「それでさ、勝った方が負けた方の言うこと、何でも聞くっての、どう?」
「は?」
何だそれは?と火神が目を開けば、目の前の恋人はさもいい案が浮かんだ、とばかりに目を輝かせている。
勝った方が、負けた方の言うことを――それはつまり。
「……黄瀬」
「自信ない?火神っち」
「誰に言ってんだ?」
勝ってやる。
例え相手がバケモノ揃いのキセキの世代だろうとなんだろうと絶対に勝ってやる。
「男に二言は無いな、黄瀬」
「勿論、無いっスよ!」
額を突き合わせて互いの目を覗き込む。瞳の中に煌めく光が薄暗い部屋の中でも良く見えた。
「そこまで言うんなら、ちゃんと覚悟しておけよ?」
「そっくりそのまま返すっスよ?火神っち」
互いに宣戦布告をして不敵な笑みを揃って浮かべる。近過ぎる距離が今は何より心地良かった。
「さて、と」
枕元に手を伸ばして黄瀬はスマートフォンで時間を確認した。
「明日、何時から?」
「俺は六時からだな」
「じゃ、目覚ましセットしておくっスね」
「ああ」
素早く操作して画面を閉じると、黄瀬は火神の隣に潜り込む。
それから黄瀬は火神の鼻先にキスを軽く落とし、火神は黄瀬の額にキスを落とす。
「おやすみ、火神っち」
「おやすみ、黄瀬」
それはとても小さな声だったが、直ぐ傍にいる二人には互いにちゃんと届いた。
互いの体温に心から安心できる。ゆったりと眠りの世界に浸かっていく二人は、このときの二人の賭けが黄瀬の口から高尾に伝わり、それからあっという間に緑間、黒子、青峰の耳に入ることになった結果、四校合同練習試合がとんでもない事態を巻き起こすことになることを、まだ知る由も無かったのだった。






20130323






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