Sweetest Goodbye・2




黄瀬の母は料理がとても上手らしい。直接本人に会ってその腕前を披露されたことが無いので火神には分からないが、黒子が言うには一度食べたら忘れられない味、ということだ。
そして一人息子である黄瀬はと言えば、その母の味で今までずっと育ってきた訳なのだから当然舌も肥えているし、その料理の腕前についても母に似て相当なものがある。こちらは良く黄瀬の料理を口にする機会があるので火神も知っていることだ。持ち前の模倣能力を如何なく発揮して、主に母が仕事で忙しいときなどにその腕を振るっているらしい。
そしてそんな黄瀬はお菓子作りも上手いのだ、と黒子は言った。甘いものが好きな母の為に何か作れないか、と思ったのが最初らしく、偶々モデルの仕事の最中に控え室に置いてあった誰かの置き忘れのお菓子作りの本を黄瀬が見たときから、彼は母の為に、と様々なお菓子を作り始めたそうだ。最初こそ上手くいかないこともあったがそこは気力と努力でカバーした黄瀬は、料理上手な母をも唸らせる程のお菓子作りの腕前を取得したのだった。
その恩恵を与る幸運を黄瀬の母以外に得たのは桃井が最初だった。作り過ぎてしまったので、と女の子である桃井に渡したクッキーが紫原の手にも渡り、そこから何処でこれを買ったのか、と問い詰められた桃井が黄瀬の手作りだということを伝えた。紫原はそこから黄瀬に頻繁にお菓子をねだるようになった。
それ以来母に作るときには二人の分も合わせて大目に作るようにすることにした黄瀬は、自分のお菓子を頬張って至極幸せな顔をしてくれる紫原と桃井に嬉しくなって、母に作る以外にもちょくちょく作ってくれるようになったらしい。極偶にそのおこぼれを貰うことができた黒子や青峰、緑間に赤司は、紫原や桃井の様に素直に欲しい、と言えない微妙な年頃だったこともあり、美味しそうに食べる二人とそれを嬉しそうに見ている黄瀬の三人を離れた位置から眺めつつ表面には出さずに羨ましがっていたのだそうだ。
だが、一年に一度だけ、黄瀬から直接お菓子を貰える日があった。それが二月のイベントの一つ。製菓会社の陰謀と名高いバレンタインである。
その日だけは黄瀬はキセキの全員にチョコレートを作って持ってきてくれた。ぶっきらぼうな顔で受け取りながらも内心ではガッツポーズを作って喜んでいたのだというから、全くもって素直になれない年頃というのは面倒である(事情を知っている紫原と桃井の二人は四人とも早く素直になればいいのにねえ、とのほほんと笑っていた)。
中学二年はそれでもちゃんと受け取れた。
だが一年後の三年時に黄瀬本人から直接受け取ることができなかったのが青峰と黒子の二人だった。
その年は黄瀬は青峰の分は桃井に託し、桃井から青峰に渡された。黒子の分は黄瀬は彼の靴箱にそっと入れておいた。名前も何も書かなかったのだが、黒子にはそれが黄瀬のものであると直ぐに分かったらしい。部活を止めてしまった後皆の前から姿を消してしまっていた黒子は、そのチョコのお礼が言えないでいたことに後で随分と後悔をしたらしい。
そして今年。去年も色々あったが一年のときに比べれば随分と落ち着いた高校二年目のバレンタイン。去年はWCの後での黄瀬の膝の怪我など諸々の所為で気付けば三月になってしまっていたのだが、今年は違う。去年と、そして一昨年の分も含めて黄瀬からの心の籠ったチョコレートを頂こうと、そして三年分のお礼も込めてホワイトデーには心尽くしを、と息巻いていた黒子は、それとなくバレンタインの予定を黄瀬から聞いて、あわよくばチョコレートの催促をさり気無く伝えようとしたのだが、そのときの黄瀬からの返答にどん底まで落ち込むことになる。

「……その理由が君ですよ、火神君」
「なげーな、話」
火神のぼやきを聞いた黒子の手元のシェイクのカップが微妙にひしゃげてしまったように見える。
「誰の所為ですか。誰の所為でこんな話しを長々と語ることになったと言うのですか」
「俺の所為か?」
「他にありません」
ぴしゃりと言い切った黒子に火神は肩を竦めて溜息を吐いた。
「俺が何したって?」
「何もしていないとは言わせないですよ」
君でしょう、と黒子は言う。
「黄瀬君が、『火神っちが嫌だって言うから、今年は皆に俺からのチョコは無くってもいいっスか?』なんて、黄瀬君が、僕に、言ったんですよ?」
飲み切ったらしいシェイクのカップが黒子の手の中で原型を留めていない。
あれがガラス瓶とかだったらすげーなあ、なんて見当違いのことを考えていた火神は黒子の隣の青峰からの射るような視線にげんなりした。
「それで?俺にわざわざ文句言いに来たって?」
「そうですよ。黄瀬君から公然とチョコレートを貰える唯一の日に、君の我儘の所為でそれが無くなってしまうだなんて、誰が許しても、僕が許しません」
と、言われても、と火神は口を開いた。
「じゃあ黒子、お前がもし黄瀬と付き合ってて、……いや、この場合青峰がいいのか?青峰がお前以外の男にチョコやるって言ったらお前どう思うよ」
言いながらその光景をうっかり想像してしまった火神は気分を悪くした顔をして、目の前の黒子は途中から耳を押さえて話を聞かないようにしていた。
「……火神君」
「悪かったよ」
「恐ろしいことを言わないでください。例え冗談でも何の視覚と聴覚の暴力ですか。信じられません」
そこまで言うか、と思いつつも黒子の隣の青峰も似たような顔をしているので火神はもう一度素直に謝っておいた。
「そういうのは黄瀬君で想像してください。そういうのは。間違っても僕とか、あまつさえ青峰君で想像させないでください。死人が出ます」
「……おい、テツ」
「なんですか青峰君。いいから君は黙っててください」
ぴしゃりと言い切った黒子の瞳は強い。お前ら付き合ってんじゃねえのかよ、と喉元まで出かかった言葉は賢明にも飲み込んだ火神だった。
酷い言われようだが、まあ強ち冗談でもない。火神は一つ頷いてから、それで、とまた話し出した。
「じゃあ、……っていうか嫌だけど、俺は嫌なんだけど。何で黄瀬で想像させんだよ、お前ら」
「黄瀬君で想像した方が遥かに心身的な安息が得られます」
それは尤もだ、と思ってしまった火神だった。
「黄瀬がお前と付き合っていたとして、自分以外の男にチョコ渡すってなったら、どう思うよ」
「泣いて縋って止めて貰います」
きっぱりと言い切った黒子の清々しい程の顔に火神はだよなあ、と頷いた。黒子の隣の青峰は「俺は足腰立たなくして一日動けなくさせてやる」等とほざいているのでテーブルの下で思い切り足を踏んでやった。
「そうだろう?だから俺が言うのの何が悪いってんだ」
何しろ火神と黄瀬は付き合っているのだ。
その切っ掛けが目の前の黒子と青峰だったのだが、その二人は未だに頑なまでに火神を黄瀬の恋人だと認めていない。
「君がどう思おうと、黄瀬君は僕らのものです」
黒子の言葉に火神の眉間に皺が寄る。一触即発の様な空気の中で、まあまあ、と宥める声が落ちた。
「気持ちは分かるけどね、ここ公共の場。お前らケンカすんなら外に行けよ」
顔は笑いながら、しかし瞳はちっとも笑っていない高尾が間に入った。
「……悪い」
「すみません」
揃って謝った二人に満足そうに頷いた高尾は、さて、と口を開いた。
「黒子の気持ちも、火神の気持ちも分かるけどね、一番は涼ちゃん本人の気持ちでしょ?俺らがどうこう言ったとしても、涼ちゃんは涼ちゃんで考えて動いてると思うよ」
尤もな意見に火神、黒子に青峰は口を噤む。
「ねえ?真ちゃん」
「俺に振るな」
それまでずっと黙っていた緑間がこのとき初めて口を開いた。
高尾と緑間の二人は火神と黄瀬の交際を概ね容認している。高尾に至っては今より前はやはり火神のことを認めたがらなかったのだが、黄瀬の説得のおかげで最近になって随分と協力的になってくれた。
「まーたまたぁ、そんなこと言っちゃって。涼ちゃんがこの前作ってくれたチーズケーキ、すんげー喜んで食べてたくせに」
「……五月蠅いのだよ」
「年に一度くらい素直になれよー?」
緑間をからかうように笑う高尾が外に視線を向けたとき、ハッとして立ち上がり外に向かって大きく手を振りだした。皆が揃って視線を向ければ、道の向こうから黄瀬が歩いてくるのが見える。高尾に気付いたのか笑顔で手を振り返した黄瀬は歩調を少し速めた様だ。
店内に入ったのを確認する前に火神は席を立つ。
「迎えに行ってくる」
それだけ言ってまだ入り口の方にいた黄瀬に近付いた火神は、黄瀬と一言二言会話をした後二人揃って歩いてきた。
「皆、お久しぶりっス!」
モデルの仕事の後の所為か、普段とは少しだけ違う髪型をして黄瀬は笑顔を向ける。化粧を落としてきたのは分かったが、仄かに香る嗅いだ事のない香水の匂いに彼の頑張りを思った。
「お疲れ様です、黄瀬君。仕事の後にすみません」
「いいんスよ、黒子っち!俺も皆に会いたかったから」
ほわほわと笑う黄瀬の頭を撫でようとした黒子の手は、黄瀬に届く前に火神の手によって遮られた。
「火神君」
「何だ」
「男の嫉妬は見苦しいですよ」
「お前がそれを言うな」
黄瀬に聞こえない様に小声で交わす二人の会話は、高尾と話している黄瀬には聞こえていない。
「お疲れー、涼ちゃん!何か飲む?」
「あ、大丈夫っス。この後予定あるから」
「これから?」
まさかまた仕事か?と目を剥いた高尾に黄瀬の頬がうっすらと染まったのが見えた。
ああ、と気付いた高尾は、お熱いことで、と黄瀬の耳元で冷やかす。
「だからその前に皆に渡したくて」
「え?」
鞄をごそごそと漁る黄瀬は、五人の視線を集めながらテーブルの上に可愛らしくラッピングされた袋を五つ置いた。
「はい、これは青峰っちの分!」
青いテープが巻かれている袋を青峰に渡すと、青峰は近い人間にしか分からない程度に微笑みながらそれをしっかりと受け取った。
「……どーもな」
「はい、これはカズ君の分」
オレンジのテープが巻かれた袋は高尾に。高尾は受け取りながら黄瀬に抱き付いた。
「ありがとっ!涼ちゃん!」
「どーいたしましてっス!」
そして次に黄瀬が手に取ったのは緑色のテープの巻かれた袋。
「はい、緑間っち。受け取ってくれると嬉しいっス」
黄瀬が差し出した袋を大事に受け取った緑間は、無言で黄瀬の頭を撫ぜた。
「それで、これは黒子っちの分っス」
最後に残った水色のテープの巻かれた袋を黒子に差し出すと、黄瀬は黒子の名前をもう一度呼んだ。
「黒子っち、受け取ってくれるっスか?」
「黄瀬君」
黒子の手が黄瀬に伸びる。袋を受け取った黒子は黄瀬の目を見てしっかりと唇を動かした。
「有り難うございます、黄瀬君。大事に食べますね」
「ふふ、ぱぱっと食べちゃっていいっスよ」
「そんな勿体ないことしませんよ」
「黒子っちってば」
照れた様に笑う黄瀬に、黒子は惜しみない愛情を伝えるような視線を真っ直ぐに向けている。その姿を見て不機嫌になるな、と言う方が無理な話で。火神は黄瀬の肩を掴むと優しく自分の方に引き寄せた。
「火神っち?」
「……俺のは?」
拗ねたような顔をする火神を見上げて、黄瀬は火神の頬に手を添えた。
「火神っちの分はちゃんと別にあるっスよ。さっき先に火神っちの家に置いてきちゃったんス。後で食べようね」
頬に触れている黄瀬の手を取ると、火神はその滑らかな手のひらに口付けた。
「ちょっと、火神君!」
「火神、てめえ!」
目の前でやられた甘い会話と所作に黒子と青峰がいきり立ったが、火神は黄瀬の手を取ったまま静かに立ち上がり、黄瀬と共にテーブルから離れた。
「それじゃ、そういう訳だから」
勝ち誇った様な顔を黒子と青峰に向けた火神は、二人が何か言う前に黄瀬の手をひいて店を出て行った。
去り際に黄瀬がまたね!と慌てた様に言うのにしっかりと手を振り返したのは高尾ただ一人だった。








「ただいまあ」
「おう、お帰り」
「火神っちも、お帰り!」
「ただいま」
火神の家に着いてからの玄関先でのやり取り。二人が付き合う様になって、ここに黄瀬を呼ぶようになってから暫くしてできた習慣だ。お互いにお帰りとただいま、を伝えて、それから軽くキスを交わす。
小さな音を立てて離れた唇に、黄瀬は照れた様に微笑んだ。
「あのね、火神っちのチョコはこれっス!フォンダンショコラって言ってね、あっためてから食べると更に美味しいんだけど、今直ぐ食べる?」
キッチンに置いてあった赤いリボンの巻かれた箱を見せた黄瀬がそう言って皿を用意しようとするのを火神は止めた。
「黄瀬」
「火神っち?……あの、ごめんね」
「? 何が」
「黒子っちたちにチョコあげたの、火神っち嫌だって言ってたのに」
「ああ、そのことか」
「最初は、本当にあげないって思ってたんだけどね、だけど年に一回だけ、皆に渡せるものだから、感謝って気持ちをいっぱい込めてどうしても渡したかったんス」
眉を下げて、それでも火神の瞳をしっかりと見詰めて言う黄瀬に、火神は分かってるよ、と笑って黄瀬の額に口付けた。
「そんなお前だから、俺はお前を選んだんだ」
「火神っち」
ありがとう、大好き、と微笑む黄瀬に、火神はさり気無く黄瀬の身体を引き寄せながら口を開く。
「なあ、黄瀬」
「なんスか?」
「俺、甘いもん食いたいんだ」
「うん?だから、こうして用意を……」
だから離して、と暗に言う黄瀬に火神は至近距離で笑顔を見せる。

「甘くって、美味くって、可愛くって、キレイで、何度でも、それこそ今直ぐに食べたいものなんだけど?」

分かるか?と黄瀬に何度も口付けて言う火神に、黄瀬の頬が赤く染まる。
「……火神っちのえっち」
「いーんだよ、Hで結構」
「無駄に発音いいのがムカツク」
「はは、そりゃどーも!」
「わっ!」
火神は黄瀬の腰を抱き寄せて僅かに床から浮かせると、そのまま歩き出した。
向かう先は勿論――

「シャワー浴びてきて良かったっス」
「俺は浴びて無くても構わないぜ?」
黄瀬の首筋に鼻を埋めながらくんくんと鼻を鳴らす火神に小さく笑いながら、下ろされたベッドの上で黄瀬は火神に向かって両手を広げた。

「召し上がれ?」

遠慮なく、と呟いた火神の声はゆっくりと締まったドアの音に掻き消されてしまった。








20130214
ハッピーバレンタイン!






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