キミガネコニナルヒ






「甘やかしてあげる」

そう、二人だけの部屋の中にひっそりと落ちたその言葉は思いのほか甘やかであり、受け取る側の自分には僅かばかりのくすぐったさと、それ以外の言葉にし難い感情(それは決して不愉快では無い、その間逆のものだ)がふつりと湧いた。
「なんだ、いきなり」
訝しげに尋ねても、目の前の男はにこにこと笑ったまま自分に向かって手を伸ばしているだけだ。視線で聞いても同じこと。いいからおいで、と無言の圧力が己にかかってくるものだから、渋々と身体をそちらに動かしすしかなかった。
膝を突き合わせて向かい合う距離で、目の前の男――黄瀬は、すい、と手を伸ばしたかと思うと目前にいる自分の頬を触れるか、触れないか、の僅かな距離で掠める様に撫でてそのまま通り過ぎ、今度は後ろ頭を五本の指でしっかりと確認するように撫でた。……と思ったら些か強引な所作で急に引き寄せられた。
倒れ込みそうになるのを寸でで堪え、思わず寄ってしまった眉をそのままに顔を上げて黄瀬を見れば、黄瀬は二人だけのときにしか見せない溶けそうな笑顔を見せ、うっかりそれに見惚れている合間に自分の頭はあっさりと彼に抱え込まれ、そうしてそのままその膝の上にやんわりと載せられることになった。
「――おい、黄瀬」
「何スかー?」
「どういうことだ、これは」
「ん?何が?」
「だから、この体勢は、」
「膝枕っスよ」
「それくらい分かる。……なんで膝枕されているのだ、俺は」
眼鏡のブリッジを押し上げながらなるべく不機嫌に聞こえるように声を出すが、黄瀬は鼻歌でも歌いそうな程機嫌良く勝手に人の頭を撫でてくる。
魅せる為に丹念に手入れされた長く形の良い指の隙間を自分の髪が流れていく様を見ているのは何となく面映い。気を抜けば緩みそうになる表情筋を維持させる為に意識して眉間に力を入れていると、その眉間を黄瀬の指がつん、と突いた。
「緑間っち、眉間、皺」
単語だけで繋ぐ言葉が、むず痒くて仕方ない。
「誰の所為だ」
「俺の所為っスねえ」
分かっているなら、と起き上がろうとしたのだが、それは黄瀬の動き一つで止まってしまった。
ちゅ、と小さく音を立てて、己の額の上からゆっくりと離れていくのは黄瀬の唇だ。
「だーめ、動かないで」
くすくすと聞こえる笑い声が、耳をくすぐる。そうしてぼんやりしている間に眼鏡が外されてしまった。
「……おい」
「だって、危ないんだもん、眼鏡」
「危なくない、返せ」
「目を瞑ってればいいんスよー」
「嫌だ」
「なんで?」
「これではお前が見えないだろうが」

言ってしまってから思わず顔を覆いたくなったが、もう今更だ。
「……お前の顔が見えないのでは、俺には意味がないのだよ」
偶には素直になった方がいいって!と脳内に再生されたのは、底抜けに明るいチームメイトの顔と声だった。別にお前の意見を踏まえたわけではないのだよ、と今はいないその顔を目を瞑って頭の中から追い出すことにする。
「……緑間っち」
黄瀬の手のひらが目の前に置かれた。視界を塞がれて、これでは余計に何も見えないではないか、と文句を言おうとしたのだが、その前に黄瀬の声がほとりと落ちてきた。

「あのね、今日はね、緑間っち」
「ああ、何だ」
「今日はね、猫さんの日なんスよ」
「……猫?」
「そうっス。にゃんにゃんにゃんで。ほら」
「……それとこれの関係は何だ」
見えない所為でいっそう甘く響いて聞こえる黄瀬の声に口元が緩むのが分かったが、そのままにしておくことにした。

「この前ね、カズ君と話ししてたときに、緑間っちは猫だってカズ君が言ってて、俺もそれ聞いてそうだなって思ったんス。だから、今日は猫の日で、それで緑間っちが猫さんなら、俺は猫さんな緑間っちをたくさんたくさん甘やかしてあげなくちゃって思ったんスよ」

だからね、

「だから、今日はいっぱい、甘えていいよ」

手を伸ばさなくても直ぐに届く距離にある黄瀬の手を、そっと掴んだ。指を交差させてしっかりと握ると、同じ力で握り返される。
その手をひいて、自分の口元に運んだ。
まだ目は瞑ったままだが、分かる。
今触れているこれは人指し指だ。

「くすぐったいよ」
ふふ、と微かに笑う声に釣られて、恐らく自分も笑っているのだろう。

「甘えていいんだろう?」

後で今日のことをらしくない、と頭を抱えることになるかもしれないが、それはそのときだ。

「……うん、甘やかしてあげる」

部屋に入ったとき、最初に渡された言葉をもう一度受け止める。
それなら遠慮なんてすることは無いだろう。
目を開ける。やはり、ぼやけて不明瞭な視界の中、それでも分かるのはこいつの色だ。

「黄瀬」

さあ、存分に。

握っているのとは逆の手を伸ばして、黄瀬を引き寄せる。近付いてくる唇が次にどこに触れるのかなんてことは、考えなくても分かる答えだ。







20130223
過ぎてしまいましたが、猫の日おめでとう。






人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -