彩雪



その日は何が変わるでもない、
特別でもない、ありふれた日常のひとつ。
そんな一日になるはずだった。








「黒子、先に上がるぞ」
「はい、お疲れ様です、火神君」
「お前もな。あんまり遅くなるとカントクに怒られるぞ」
「分かってます」
じゃあな、と最後に一声だけかけて、火神は帰っていった。普段なら自分と共に上がる彼だが、今日はアメリカにいる父親から連絡が来るとかで常よりも早めに切り上げていた。
体育館から去っていく背中を見るともなしに見詰めた後、黒子は手に持ったボールを放り投げた。
入る筈のそれはゴールから僅かに外れて床に落ちる。
自分以外の誰もいない体育館の床に、その音はよく響いた。

「……」

頬を流れる汗をシャツの袖で拭う。ふう、と一息ついてから、黒子は転がっていったボールを拾いに足を動かした。
キュ、と床と擦れる音。照明を消してしまった半面のコートの上、転がっているボールを拾い上げようとして、ふと耳が音を拾った。
カタン、と小さな音。誰か忘れ物だろうか、と振り返った黒子の目に入ってきたのは、

「……黄瀬君?」

呼ばれた相手は僅かに驚いた様な顔をして、けれどそのあと直ぐに破顔した。

「黒子っち」

彼だけが呼ぶ自分のあだ名は、体育館に静かに落ちる。
入口のところでこちらを見たまま動かない黄瀬に、黒子は自分から近付くことにした。
「どうしたんですか、こんな時間に」
「あ、うん」
「黄瀬君、部活は?」
「終わらせてから来たっスよ?」
「そうですか」
「さぼってなんて無いっス」
「それは心配してません」
「ふふ、うん」
間近で見上げる彼は、整った顔で少しだけ困った様に笑っている。何かあったのだろうか、と黒子は考えて、手に持ったままだったボールを思い出した。
「黄瀬君」
「はいっス」
「僕はこれから片付けしますので、どこかで待っていて貰えますか?」
「あ、手伝うっスよ!」
いや、それは、と断ろうとしたのだが、黄瀬はもうボールが入った籠に向かって素早く走っていってしまった。
「俺こっちやるから、黒子っちはゴール仕舞って」
こういうときの黄瀬は聞く耳を余りもたない。まあいいか、と黒子は切り替えた。さっさと片付けてしまうことに異論は無い。
転がっているボールをひょいひょいと籠に放っている黄瀬の姿を視界の端に留めて、黒子は小さく笑んだ。
一人でいたときの体育館はやけに広く感じたが、黄瀬一人が来ただけで急に狭まった気がしてしまう。黄瀬がこちらを振り返る前に、黒子は足を動かした。





「手伝って貰って、すみませんでした」
「いいんスよ、大したことしてないし」
「それもそうですね」
「うっ」
黒子っち、ひどい、という嘆きが聞こえた気がしたが気にしない。二人並んで歩く帰り道、黄瀬は黒子の隣でいつもの様に笑っていた。
「ところで、どうして今日は来たんですか?」
信号待ちの間、ふと落ちた沈黙の中で黒子がそう尋ねると黄瀬は、ああ、と小さく声を落とした。
「うんと、ね。きっと多分黒子っちのことだから、言ってないんだろうなって思って」
「はあ」
「そういうの、でも俺は悔しいっていうか、寂しいっていうか」
「何がですか?」
「多分そういうの、黒子っちは、黒子っちだからって知ってるけど、だけど俺はさ、俺はやっぱり言いたくって」
「黄瀬君、何の話で、」

信号が変わった。進まないと、と思うのだが、黒子の足は動かない。こちらを見ている黄瀬の顔は街灯が届かなくて良く見えない。
黄瀬君、と呼ぼうとした黒子の口は、それ以上動かなかった。

「黒子っち」

黄瀬が黒子を呼ぶ。
甘やかで、優しい声で。
その声が、彼が自分を呼ぶその声が、黒子は何より好きだった。
黄瀬の両手は何かを包んでいるように見えた。その手がそっと黒子の頭上に持ち上げられる。何かを捧げるような、そんな神妙な顔をしている黄瀬は、黒子の頭の真上でパッとその手を開いた。

「――っ」

瞬間、目の前をはらはらと何かが舞い落ちていく。目を開いて確認すると、それらは色紙の様だった。1センチ四方に切り取られた色とりどりの色紙が、黄瀬の手のひらから黒子へと舞い降りてくる。

青、
赤、
緑、
紫、
桃、
そして、黄

(――皆の、色)

「……今度の週末、赤司っちに紫原っち、こっちに来るんだ。だからそのときにちゃんとまた改めてやろうって決めてたんだけど、当日の今日、何にも無いのはやっぱり寂しいって思って、皆の分も合わせて、俺が先に伝えにきたんスよ」
きっと黒子っちは周りの人には言ってないって思ったから、と黄瀬は苦笑する。
「黒子っちに会う前に、火神っちとちょうど会って。そのとき少し話したんだけど、火神っち知ってたよ、今日が何の日か。誠凛の皆も勿論知ってて、いつ黒子っちが言ってくれるかって待ってたみたいだけど黒子っち一言も言わなかったから、一日遅れだけど明日皆で盛大に祝ってやるって。嫌がってもやってやるから首洗って待ってろよって伝えてくれって言われたっス」
はらり、はらり、と色紙が落ちていく。風がそれを攫って、二人の間でひらひらと舞う。
「――俺もね、去年できなかったから、今年はその分も挽回したくって。そしたらさ、皆も同じこと言ってたんスよ。……俺、それがすごく嬉しくって」

ね、黒子っち。

黄瀬は笑う。
色紙が雪の様に舞う中で。
キラキラと、光の様に。


「誕生日おめでとう、黒子っち」


(――ああ、)


僅かに頬を染めた黄瀬が、びっくりした?とこちらを見ながら目を細めている。
二人の間の距離は一歩も無い。その距離を、黒子は手を伸ばすことで無かったことにした。

「黒子っち?」
手を掴まれた黄瀬が黒子を呼ぶ。その唇が次に動く前に、黒子は黄瀬を呼んだ。

「黄瀬君、僕今欲しいものがあるんです」
「え、な、何スか?!」
黄瀬は身を乗り出して黒子の手を逆に握り締める。
「黒子っちの欲しいもの、皆で色々たくさんいっぱい考えて、黒子っち多分自分からはそういうの何も言わないからって思って、だからこっちで選んだんスけど、あ、勿論変なものじゃないっスよ?ちゃんとしたプレゼント用意してあるっスから。でも、何か欲しいものがあるんなら、是非それ教えて欲しいっス!」
次までに用意しておくから!と叫ぶ黄瀬に、黒子は首を横に振った。
「今直ぐ、欲しいんです」
「え、えええ、そ、そんな、ちょっと待って黒子っち、俺何にも用意してない、」

「黄瀬君」

おろおろと瞳に涙を浮かべる黄瀬の頬に、黒子は手を伸ばした。

「黒子っち?」
「僕が欲しいものは、」
「うん」
「君の時間です」
「……え?」
「今日、残すところあと数時間ですが、その間の君の時間を、僕にください」

黄瀬の目が驚いた様に開かれる。ぱちり、と瞬きの音が聞こえそうな距離で、黄瀬はぼんやりと呟いた。

「……そんなんで、いいの?」
「それが、いいんです」

しっかりと言い切れば、黄瀬の顔が蕩けた。

「あげる。全部あげるっス。俺ごと全部。だから貰って」
「全部は要りません」
「ええっ!?」
一転泣きそうな顔を作る黄瀬の滑らかな頬をさらりと撫でる。
「だから半分ください」
「……半分?」
「君が半分くれたら、僕も半分あげます。そうしたら丁度いいでしょう」
「……半分こっスか?」
「ええ、良いと思いますよ」
どうですか?と視線で問いかければ、黄瀬はこくりと頷く。
「へへ、黒子っちと半分こなんて、ゼイタクっス」
「……それは僕の科白ですよ」
「何か言った?黒子っち」
「いいえ、何も」
「ね、黒子っち」
「はい、なんですか」
「誕生日、おめでとうっス」
「さっきも聞きましたよ」
「うん、さっきのは皆の分っス。今のは俺の分」
「そうですか」
「うん、そうっスよ」
「有り難うございます」
「うん」

信号がまた変わって、今度こそ二人は歩き出した。黒子は肩に載っていた色紙を指で摘まむと、黄瀬から見えない位置でその紙に小さく口付ける。
そのままポケットに大事に仕舞ったその紙の色が自分の斜め前を歩いている彼の色であることは、黒子だけの秘密だ。













20130131
黒子っち君、お誕生日おめでとう。黄瀬君とお幸せに!






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