All That You Are





恋は、するのではなく、
落ちるものであると
その日、初めて知ったのだ






良き友人である、と周囲にもはっきりと言えるくらいに親しくしているのは、他校でありながらもひょんなきっかけから付き合いを続けている彼、黄瀬涼太とのことだ。
相棒の緑間を通さずとも、気付けば互いに連絡を頻繁に交わし、休日が重なるともなると直ぐにどちらかから約束を取り付けて遊びに繰り出す。まるで旧知の友の様な気安さが互いにあり、話せば膨らむ会話にいつも止まらなくなっては、時間が過ぎるのが早過ぎる、と互いの肩を叩いては笑いあっていた。
そんな黄瀬と、久しぶりに遊びに出掛けたある日のことだった。
高尾は待ち合わせに時間きっちりで現れた黄瀬と共にお互いの近況報告をしつつ今日の目的であるスポーツショップへ向かった。そろそろ新しいバッシュが欲しい、という高尾に黄瀬も、じゃあ俺も見るだけ見ようかな、と賛同してくれたのだ。常連と言ってもいいくらいには頻繁に通っているその店のシューズが並んでいる一角に、勝手知ったるとばかりに一直線に向かう。
並んでいるシューズの中から自分の気に入りのメーカーの新作が目に入り、高尾がしげしげと手に取りながら商品を確かめていると、黄瀬が横から覗き込んできた。
「あ、それ今度出た新しいのっスね」
「うん、そうなんだよねー」
「あれ?それにしないんスか?」
「うーん、ちょっと考え中」
デザインはいい。履き心地も申し分ない。だが、色が気になった。
「この色だとさ、秀徳のユニと微妙に合わないよなーと思って」
「あー、確かに」
「でも、確かこのシリーズの新作、この色しかまだ出てなかったんだよなー」
「そうなんスか?」
「これから他のカラーバリエーションが出るんだって。先行で出たのがこれ。今日はそっちが出る前に先に出てるやつを見ておきたかったんだ。……うん、やっぱこれいいわ。出たら買お」
「次のはもう発売日決まってるんスか?」
「や、まだだった気がする。近日中ってのをどっかで聞いた気がするなあ」
「そっか、早く出るといいっスね」
「うん、って涼ちゃんは?」
「あ、俺はこれにするっス」
黄瀬が手に持っているのは白地に水色のラインが入っているデザインのものだった。
「おお、海常のユニに合いそう」
「でっしょ?さっき見付けて、思わず一目惚れしちゃったっス!」
そう言ってキラキラと笑ってみせた黄瀬を間近で見てしまった高尾は、その笑顔を見つめながらゆっくりと目を開いた。
あれ?と高尾は首を傾げる。黄瀬の笑顔はいつも見ている。それこそ会う度に見ている彼の笑顔が、今日は何故かそのまま通り過ぎずに高尾の中でいつまでも残った。
「じゃ、俺買って来るっスね!カズ君は、……カズ君?」
「っあ、」
「どうかしたっスか?顔赤いよ?」
黄瀬が気遣わし気に自分を見てくれていることに気付きながら、高尾は無意識に掴んでしまった黄瀬の腕から手を離せなくなっていた。
「そ、その」
「うん」
「あ、いや、違う、いや違く、ない」
「カズ君、具合悪いんじゃないっスか?」
「え、いや違、」
「ダメ、出よう」
「りょ、涼ちゃんっ」
黄瀬は手に持っていたシューズを直ぐに棚に戻すと、高尾に掴まれたままの手を逆に掴み直して歩き出した。
「ごめんね、もっと早くに気付けば良かった」
「いや、涼ちゃん違うって」
「違くないっス」
自動ドアが開いて外の空気が髪を吹き抜けていく。
「涼ちゃんってば!俺なら大丈夫だから!ほらさっきのシューズ、涼ちゃん買うつもりだったんでしょ?戻ろうよ」
「ダメ」
「涼ちゃん、あのさ」
「カズ君」
歩いていた足をぴたりと止めた黄瀬にぶつかりそうになって慌てて立ち止まる。と、振り返った黄瀬は、高尾を真っ直ぐに見詰めて言った。
「シューズはいつでも見れるけど、カズ君は違う」
「え、」
「俺はカズ君の方が大事」
くしゃ、と笑って黄瀬はまた前を向こうとした。それを高尾は止める。

「涼ちゃん」

黄瀬を呼ぶ。それがこんなにも喉が渇くくらいに緊張したことなんて、今までに無かったことだった。心臓があり得ないくらいに早鐘を打つ。顔も黄瀬が気付いたくらいだから、きっとまだ赤いままだろう。首筋の動脈を流れる血液が沸騰しているんじゃないかと思うくらいに、高尾は全身を覆う圧倒的な熱に足元が震えた。
「ヤバイかも、俺」
「カズ君、直ぐ病院に、」
「俺、」

「俺、涼ちゃんが好きだ」

自分の口から出たことに、高尾自身が一番驚いていた。だが同時に胸の中ですとんと落ちたその言葉が、そのまま納得できる答えだったから、高尾は笑いそうになった。
「涼ちゃん、俺、涼ちゃんが好きなんだよ。友だちじゃなくって、ちゃんと恋愛してお付き合いしたいって意味で」
こうなったら開き直ると言うか。隠すまでもなく、自分の気持ちをそのまま伝えてしまったことに後で頭を抱えたくなるかもしれないし、それ以上に後悔することになるかもしれないけれど、それでも高尾は黄瀬に嘘を吐いたりすることだけはしたくなかった。
さっき、黄瀬が自分を見てくれた様に、高尾も黄瀬を真っ直ぐに見詰める。周りに人がいなくて良かった、とこっそり思いながら高尾は待った。
黄瀬の返答がなんであれ、自分はちゃんと受けとめようと。
「カズ君」
「うん」
「俺さ、」
「うん」
「俺、どうしよ」
「涼ちゃん?」
「カズ君、」
高尾の目の前で、黄瀬の顔がいつの間にか真っ赤に染まっている。泣きだしそうに瞳が潤んで、今にも零れそうだ。まるで、さっきまでの自分の様だ、と高尾は思って、その瞬間心臓がばくんと跳ねた。
「涼、ちゃ、」
「俺、俺も、」

俺も、カズ君が好き

それは擦れて、とても小さい声の告白だったけれど、傍にいた高尾にはしっかりと届いた。
掴んだ手をしっかりとつかみ直すと相手も同じ力で握り返してくれる。それが馬鹿みたいに幸せだと思った。





こうして晴れて恋人同士となった後も、二人の関係には表面上にそこまでの変化は無かった。最初こそ、高尾、そして意外なことに黄瀬もお互いにこれが初めてちゃんとしたお付き合いすることになる、ということで初々しさと気恥ずかしさもあったのだが、一番には相手を大切にしたい、という想いが強く、友人でいたときと同じ様に二人の間は穏やかであった。
ただそこに、時々違う熱が生まれるようにはなった。
二人だけのとき、手を繋いで、相手の目を真っ直ぐ見る。
それがキスの合図だ。
人の身体の内で一番柔らかいだろう場所に触れ合わせるだけで、それだけで幸せで笑顔に崩れる。お互いの時間が会えば直ぐに会いに行くのも変わらない。ただずっと距離が近くなった。手を伸ばさなくても直ぐに触れ合えるくらいの距離で、二人は並ぶ。一心に自分を見つめてくれる瞳に、これ以上ない幸福感を得る。
それだけでも、十分に満足だった。それは嘘じゃない。
そう、そのときまでは、それが本当のことだったのだ。



「涼太、お前どれにするよ?」
「んー、キチローはどれにする?」
「俺がお前に聞いてんのに何でお前が俺に聞いてくるんだよ」
「えー、だって。俺これが食べたい」
「食べればいいじゃねえか」
「でもね、こっちも食べたいんス」
「両方食えばいいじゃねえか」
「でもそれじゃ多いんス」
「……お前な」
「うん、だからさ、キチロー、これにしない?」
「お前が食べたいだけだろ!それ!」
「うん!だからキチローも食べよう!」
「拒否権無しか!」
「いいじゃん、決まって無かったんでしょ?半分こしよ?」
「……ったく、仕方ねえな」
「わーい!キチローかっこいい!」
「取って付けたように言うな!アホ!」
「アホって言う方がアホなんスよー」
「……俺やっぱりこれ止める」
「えええええ!キチロー一度決めたことを変えるなんて男らしくないっス!笠松先輩が聞いたら泣くっスよ!」
「泣かねえよ!?お前は笠松先輩をどう見てるんだ!!」
「え?海常のお父さん?」
「……それ、絶対に先輩に言うなよ」
「? なんで?」
「いいから言うなよ!?」
「分かったっスー。はい、キチロー」
「ん、ありがとっておいこれ!」
「キチローの分も買っておいたっスよー」
「お前が食いたかったやつだろ、これ!」
「うん、だからお金は要らない」
「馬鹿野郎。金は出す。俺も食うんだから」
「え?だって」
「二度も言わすな」
「……キチロー、かっこいいよ」
「うるせえよ」
黄瀬が渡した鯛焼きを眉をしかめながらかぶりついている加藤は僅かだが頬が赤い。それが寒さのせいだけじゃないのが分かる。
高尾は飲んでいたジュースの缶が手元で軽くひしゃげる音に舌打ちしたくなった。
「……高尾」
「なに、真ちゃん」
「お前に余裕が無いのは珍しいな」
「……五月蠅いよ」
隣に並んで、こちらはお汁粉をいつものように飲んでいる緑間は、視線を黄瀬たちに向けた後、高尾にもう一度視線を戻してから溜息を吐いた。
「高尾、あれは普通にじゃれているだけだ」
「分かってるよ」
分かっている。そんなことは分かっているのだ。今までだってこういうことは何回もあったし、実際に目の前で何度も見ていたのだから。

今日は秀徳、そして海常も互いに午後の練習が無かった為、それならストバスに行こう、という流れになったのだ。高尾は緑間を、黄瀬は加藤をそれぞれ連れ出して合流したのが一時間前。四人揃ってコートの中で汗を流し、少し小腹が空いた、ということで近くにあった屋台の鯛焼き屋に黄瀬が駆け込んで、その後を加藤が追って行った。そこでのやりとりがさっきまでのあれだったのだが、高尾は二人の会話をずっと聞いている内に機嫌がどんどんと下降していくことに気付いていたが、何も言えなかった。
黄瀬と加藤は同じ高校だ。そして加藤は黄瀬の友人だ。真っ直ぐではっきりとした物言いをしながらも、相手を思いやる気持ちが会話の節々から聞き取れる加藤の言葉は、黄瀬にとって何より得難いものだろう。同性の友人が出来にくいのだ、と苦笑していた黄瀬を高尾は知っている。だからこの状況は寧ろ喜ばしいことなのだ。
それなのに、今まではこんなことを思ったことが無かったのに。今の高尾には二人の会話を聞いていられなかった。
それは正しく、嫉妬と呼べる感情の為に。

「そんなに、俺分かりやすい?」
相棒を見上げつつ口を開けば、緑間はふん、と鼻を鳴らして眼鏡を上げ直した。
「俺が気付くくらいはな」
それはつまり、相当だ、という事だ。
高尾は肩を落とした。重苦しい溜息まで出てくるにあたって、思わず苦笑がこぼれる。
「……余裕のある男って思ってたんだけど。俺」
「どこがだ」
「ですよねー」
間髪入れずの返答に、それ以上何も言えない。
「……なっさけねー」
恋人の友人にまで嫉妬してしまうくらい、自分には心に余裕が無かったのか。
気付いてしまったことに高尾はその場にしゃがみ込みたくなった。と、そのときだった。
「カズ君」
上から落ちてきた優しい声に、高尾は反射的に顔を上げる。
そこにいたのは自分を見て微笑んでいる黄瀬の顔で。高尾は一瞬息を忘れた。
「あのね、二人にも買ってきたんス。鯛焼き、食べない?」
緑間っちには小倉ね、と黄瀬が緑間に鯛焼きを渡し、当然なのだよ、と緑間はそれを受け取っている。
「はい、カズ君の分。ちゃんとカスタードにしたっスからね」
ふにゃり、と笑って黄瀬が高尾に鯛焼きを差し出す。口の前に持ってこられた鯛焼きを、高尾はぼんやりと口を開けて頬張った。
口の中に優しく広がる甘さに、心の角張っていたところがやんわりと解れていくように感じる。
「……涼ちゃん」
「なーに?カズ君」
ふわふわと、キラキラと笑う黄瀬の顔は、二人のときだけに見せてくれる特別な笑顔だ。
……それに気付いただけで、ここまで簡単に浮上する自分の心に、呆れと情けなさを思う。だけど、それ以上に、今自分がしなければならないのは、

「大好きだよ」

腕を伸ばして黄瀬の頭を引き寄せる。少し前屈みになった黄瀬の驚き開いた瞳の色が、キレイだ、と高尾は思いながら目を瞑った。

「〜〜っ!」
真っ赤になった黄瀬に向かって、悪戯に成功した、と言わんばかりの笑みを向ける。
「涼ちゃんのここに、ついてたからさ、クリーム」
手入れの行き届いた黄瀬の唇に人差し指を当てる。ふに、と頼りない感覚が伝わってきて、それだけでもう一度してしまいたくなるのを何とか押さえた。
「カ、カズ君っ!」
首まで真っ赤に染めて、涙目になっている黄瀬が高尾を見つめている。
そうだ、どれだけ黄瀬が友人と仲良くしたって、この顔は、黄瀬のこの顔は恋人の高尾にしか作れないものなのだ。
「御馳走様、涼ちゃん」
自分の口を舌で舐めるところを見せてやれば、さっきよりももっと赤くなった黄瀬がいる。

ああ、何だ。これじゃ俺たち、もっと先に進むの案外早いかもなあ?

まだ自分たちには早いんじゃないかと思っていたのだが、どうやら自分は案外堪え性が無いらしい。早速、今度二人だけのときに、黄瀬にお願いしてみよう、と高尾は上機嫌で笑った。



「……お前たち。イチャつくのならば人目のつかないところでやるのだよ!」
「うっわあ、真ちゃんからイチャつくなんて言葉が出てくるとは思わなかったなー俺!」
「ふざけるな!高尾!」
「大丈夫だって!ちゃんと真ちゃんが周りに見えないように身体張ってくれてたから大丈夫だよ!」
「気付いてたのならそこで止めろ!俺を巻き込むのではないのだよ!」
「いいじゃん!相棒でしょ!」
「お前と相棒になった覚えはないのだよ!」
「ひっど!ひどいよ真ちゃん!俺泣いちゃうよ!?」
「勝手に泣け!」
「真ちゃんのば―か!」
「高尾おおおおお!!」



「……おい涼太、俺がトイレ行ってる間に何があったんだ?」
ぎゃいぎゃいと騒ぐ二人と、座り込んでいる一人の傍に加藤は近付いた。
「キチロー……」
座り込んでいるせいでいつもとは視線の位置が逆転している。見下ろす位置にいる黄瀬に新鮮だな、と思いながら加藤が何だ、と口を開くと、黄瀬が長い腕を伸ばして加藤の腰に抱きついた。
「……おい、涼太。お前何してる」
「うううキチロー、俺死んじゃうっス〜」
「っな!?何だ何があった!?おい涼太!大丈夫か!?言え!何があったんだよ!?」
慌てて黄瀬を引き剥がそうとする加藤を離さないように必死になって腕の力を込めながら、黄瀬は赤くなったまま戻らない顔の熱を何とか冷まそうと、加藤の腹に頭を擦り付けながら内心で叫んでいた。

(もうっ!全部カズ君のせいっスよ!)

後でちゃんと責任取って貰おうと決めた黄瀬は、別の意味で責任を取って貰うことになることを、このときはまだ知らないのであった。








20130123
栗様、リクエスト有り難うございました!