抜山蓋世 「だから、最初に俺は言ったぞ」 出来の悪い弟にそう言って聞かせる兄のような顔で笠松が視線を明後日の方に向ければ、普段からの温和な表情を崩さないまま、しかしどこか苦笑気味に小堀も続いた。 「まあ、実際に経験してみないことには、分からないものかもしれないけれどね?」 その小堀の言葉を項垂れながら聞いていた一年生数名は、それフォローになってないです、と突っ込みすら入れられない状況にあった。 何故なら、 「先輩、これ監督と早川先輩から、……」 「早川先輩は監督に呼ばれて後から……って、なにこれ」 部室の入口付近で思わず立ち止まった立花と黄瀬に、小堀がやあ、と声をかける。 「小堀先輩、これ、どういう状況ですか?」 「なんでみんなorzってなってんスか?」 「いやあ、話せば長くなるような、長くもならないような……」 「原因はあれだ」 曖昧に笑う小堀の横から笠松が呆れたような顔を隠さずに視線だけで促した先にいたのは、 「お前ら、なんでこれで分からないんだ?」 涼しげな目元をさらさらとした前髪から惜しげもなく晒しながら目の前で項垂れたまま回復できないでいる後輩たちに疑問の声を投げかけている森山の姿があった。 それを見た瞬間、黄瀬は「うあー」と小さく声を上げ、立花はそっと視線を逸らし見なかったことにした。 今海常では試験時期の真っ最中である。試験前一週間は文科系、体育系と問わずに部活動を控え、試験に向けて勉強に取り組まなくてはならない。例外的に免除を受けた者は担当顧問に許可を貰って部活に励むことも可能であるのだが、それは圧倒的に数が少ない部類に入る。 その少ないはずの例外に当てはまっているのが、海常高校の栄えあるバスケットボール部のレギュラーを始め幾人かであり、今日もまた教室で残っての勉強会をしている同級生に笑顔で手を振って部室に駆け込もうとした黄瀬と立花は(加藤も一緒に行こうとしたのだが、これだけは教えてから行ってくれ!と縋り付かれて仕方なく教室に残っている)、途中で二年の早川に声をかけられて立ち止まった。 「黄瀬、立花!ちょうど良かった!」 「あれ?早川先輩」 「何かあったんですか?」 「いや、オ(レ)も部活に行くとこ(ろ)だったんだが、そこで監督に呼ば(れ)たんでちょっとお前(ら)に頼みたいことがあ(る)んだ!」 「何スか?」 「今日な、部室で勉強会や(る)んだって笠松先輩か(ら)伝言来たんで、こ(れ)持って先にいってく(れ)!」 そういって早川が指差した先の机の上には様々な飲料水がずらりと並んでいた。 「差し入れっスか?こんなにたくさん!?」 「監督か(ら)の寄付だ!」 「分かりました。後は俺たちで持っていきます」 「早川先輩は早く監督のとこに行ってくださいっス!」 「ああ、すまん!」 じゃ、頼む!と手を上げてバタバタと走っていった早川を見送ってから、黄瀬と立花は顔を見合わせた。 「さーて、それじゃあ」 「どっちが多く持つか、ジャンケンっス!」 3対1で黄瀬に軍配が上がり、それでもお互いに両手にたくさんの飲料水を持ってがさがさと袋を揺らしながら運んだ二人が辿り着いた部室で見たものが、 「先輩、これ監督と早川先輩から、……」 「早川先輩は監督に呼ばれて後から……って、なにこれ」 ホワイトボードの前で仁王立ちしている森山の前で死屍累々と項垂れているチームメイトの姿だったのだ。 「森山先輩に教わるって、なんて無謀なことを……」 黄瀬が溜息を吐きながら部室の机の上に飲料水を並べていく。立花もそれを手伝いながら、何とも言えない視線を笠松と小堀に向けた。 「いや、一応止めたんだよ」 「こいつらが聞かなかっただけだ」 「まあ、そうでしょうね」 ふう、と小さく息を吐き、立花は森山に視線を移した。 視線の先、手に持った参考書をぺらぺらと遊ぶように捲っている森山は、なんと学年主席である。それを黄瀬と立花、加藤の三人が知ったのは、偶々部室に無造作に置かれていた森山の全国模試の試験結果からだった。 部室の机の上にあったそれを何気なく手に取った黄瀬が思わず叫んだのは無理からぬことで、そこに書いてあった全国順位が先頭から数えた方が早い、という数字だったのに固まった一年三人は、その後に入ってきた小堀を急いで捕まえて真相を質してみると、森山が頭脳明晰であるという確固たる実証を聞かせられたのだった。 それから三人の森山を見る目が多少変わったのだが、しばらくしてそれはあっさり戻ることになる。 「おーい、黄瀬、立花!お前たちもこいつらに何とか言ってやってくれよ」 「ちょっと、先輩!なんて無茶ぶりっスか!」 「俺たちには無理です」 「なんでだよ?」 なんでと言われて、なんて言えばいいと言うのだ。 「森山の頭の中身には誰もついていけないから、勉強教わるのは止めた方がいいって俺は最初にちゃんと言ったぞ」 正にその通りな正論をあっさり言ってのけた笠松に、黄瀬と立花は揃って頭を垂れた。 「まあ、その通りなんスけどね……」 orzのポーズのまま動かないチームメイトたちの背中をぽんぽんと叩きながら、森山を除いた4人はとりあえず動けないでいる皆を動かすことに専念した。 暫くしてから何とか普段の様子に戻ってきたチームメイトは森山から少しでも離れようと部室の隅に固まっている。それを横目に見ながら、黄瀬は森山に声をかけた。このまま放っておくと面倒なことになるのが、この森山であるからだ。 「先輩ー、皆に何教えてあげてたんスか?」 「何って、数学だよ。俺は俺が分かりやすいと思う方法で教えてやったんだが」 「よりによって数学っスか……」 これは駄目だ、と黄瀬はあっさりと匙を投げた。 「『問題を見るだろ?そうすると勝手に頭の中に公式が出てくるから後はその通りに解けばいい』ってのは、教えるってことにならないと思うっスよ」 「何でだ」 「それを森山先輩に教えるのはとても時間がかかる気がするので無理です」 「立花、お前までそんなことを……!」 ガーンと音が背後に見えそうな森山に、黄瀬は鞄から取り出した雑誌をそっと渡した。 「……黄瀬、これは」 「森山先輩が喜んで見そうだなーと思って持って来たんス」 森山の目の前にあるのは、『彼女を作るための失敗しない五〇の方法』と書かれた雑誌だった。 「黄瀬!お前だけだ!俺のことを分かってくれるのは!」 ガシッと黄瀬の肩を引き寄せた森山に、黄瀬は若干遠い目をしながらおざなりに返事をする。 上機嫌で雑誌をめくる森山に聞こえない様に、黄瀬と立花、笠松と小堀は机の傍に集まった。 「二人がいたのに、森山先輩が止められなかったんスか?」 「しょうがねーだろ。俺たちが来たときには、もうあの状況だったんだから」 笠松が溜息を吐きながら言えば、小堀は面目ない、と笑う。 「この前の試験のときの三年の学年順位を見た一年生がね、森山の順位を見て是非教わろうって思ったらしくって」 「それは、そうですね。結果だけ見れば」 そう、結果だけなら文句は無い。ただその過程がアレなのだ。 「なんとかと天才は紙一重って言葉を、俺は高校で実際に体験する羽目になるとは思ってもいなかったぜ」 笠松の言葉がそのまんまその場にいた全員の意見だったのは言うまでもない。 その後遅れてきた加藤も、部室の状況を見て直ぐ様回れ右しようとしたのだが、黄瀬と立花にあっさりと捕まり、結局その後は森山を除いたメンバーで勉強会が行われることになったのだった。 早川ら二年生も遅れて合流し(二年生は合同HRがあった)、そこまで広くもない部室の机で膝を突き合わせながら教科書とにらめっこしているチームメイトに、追加で早川が持ってきた監督からの差し入れの煎餅を配りながら加藤は溜息をこっそりと吐いた。 黄瀬も何だかんだで参加して今は小堀に古文を聞いている。 その二人を眺めつつ、加藤は空いている席を探そうとすると、笠松が入口近くにいつの間にか立っていて、加藤を呼んだ。 「加藤、ちょっといいか」 「はい!」 憧れの笠松に呼ばれて、加藤は背筋を伸ばして笠松に急いで近付いた。ちょっと、と廊下に出て、暫く歩いてから笠松は振り返った。 「悪かったな、自主練する予定だったんだろ、お前ら」 「いえ、自分の試験勉強の見直しにもなりますから」 「まあ、それもそうなんだろうけどよ。……でもそれだけじゃないだろ?」 笠松が小さく笑いながら、加藤を見る。 「アイツに、黄瀬に置いてかれない様に、お前らが頑張ってるの知っているからさ」 笠松の言葉に、加藤は目を開く。 「……知ってたんですか」 「見てりゃ分かるさ。黄瀬はあれで頭も悪くないからな。試験免除の対象にアイツがなるってことは、その分バスケができるってことだ。そんなアイツに置いてかれないようにするには、アイツと同じくらいに頭もできないと無理だからな」 俯いた加藤の頭を、笠松はぽん、と撫でた。 「良くやってるよ、お前らも」 加藤は必死で歯を食いしばった。 自分たちのこともちゃんと見ていてくれた。それだけでない、こうして激励も貰うことができた。 掠れそうな声で、それでも加藤はなんとか口を動かした。 「でも、でも、一番頑張ってるのは、アイツですから」 顔を上げて笑った加藤に、笠松は少しだけ驚いた様な顔を見せ、それからくしゃりと笑って加藤の頭を思い切り撫で回した。 「はー、お腹空いたー」 「そうだなー」 「小堀先輩、教えてくれて有り難うございました」 「どういたしまして。でも俺で良かったのか?」 「小堀先輩の教え方分かりやすいっスもん」 「それは、嬉しい、かな?」 「先輩絶対兄弟いそう」 「はは、良く言われるなあ、それ」 皆で揃って歩く帰り道、穏やかに笑いながら黄瀬と小堀が会話しているのを背後に聞きながら、立花と森山は黄瀬が持ってきた雑誌について検証していた。 「この記事をどう思う、立花」 「森山先輩はどうです?」 「俺か?俺は映画も良いが、動物園とかでも雰囲気は作れると思うんだ」 「そうですね、でもプラネタリウムっていうのもありだと思いますよ」 「っ!立花、お前は分かっている!」 「有り難うございます」 「よし、立花!次の休みに俺とナンパに行くぞ!」 「先輩!オ(レ)も行きたいっす!」 「良いぞ、早川!これさえあれば、明日の俺たちに向かうところ敵無しだ!」 わいわいと盛りあがる背後に眉を顰めながら、笠松はがなる。 「お前ら!部活できなくて体力有り余ってるかもしれないが、もうちょっと大人しく歩けねえのか!」 「笠松!お前の声の方が煩いぞ!」 森山の突っ込みに、笠松の鞄が飛んだ。 「あっぶねえな!当たったらどうする!俺の顔に!」 「知るか!爆ぜろ!」 「鞄が当たっただけじゃ爆ぜないぞ、笠松」 「知ってるわ!まともに返すな!」 いつもの様に三年生組がコントを(と言うと静かに殴られる)繰り広げているのを眺めていた加藤は、いつの間にか隣にいた黄瀬が笑っているのを見て思わず黄瀬を呼んだ。 「涼太」 「ん?なーに、キチロー」 「いや、その、なんだ」 お前が静かに笑っていたから、とも言えず、唸る加藤に、黄瀬はゆっくりと唇を動かした。 「なんかさ、いいなあって思って」 「何がだよ?」 加藤の疑問に、黄瀬は加藤の目を見て少し照れた様に笑った。 「こういうの。学校の帰り道に皆で揃って騒いでさ、馬鹿みたいなことでも大声で笑ったりするのって」 なんか、いいよね、と黄瀬が小さく告白したその瞬間、二人の背後で盛大な腹の虫が鳴った。 「「……早川先輩」」 「すまん!」 堂々と立ったまま腹を鳴らしている早川に、黄瀬と加藤は顔を見合わせ、それから盛大に笑い声を上げた。 「こっからなら、あそこの角のラーメン屋が一番近いっスね!」 「そーだな、俺チャーシュー大盛りにする!」 「オ(レ)は、コーンいっぱいい(れる)ぞ!」 「俺は海苔かな」 「へーた、渋いね」 「そうか?」 「センパーイ!ラーメン行きましょー!」 黄瀬の声に笠松、森山、小堀の顔がこちらを向く。そして揃って笑いながらおう!と返事を寄こした。 「久しぶりだな、あそこ行くの」 「いつももう少し先の牛丼に行っちゃうからなー」 「なんつーか、肉食べたくなるんだよな」 先輩!早く!と先に行く後輩たちに急かされる。と、ゆっくりと歩き出した笠松の背中を叩いた森山と小堀は、そのまま駆け出した。 「ちょ、おい?」 「喜べお前ら!今日は笠松が奢ってくれるって!」 「はあっ!?」 「笠松、ご馳走さまー」 森山の言葉に笠松が何かを言う前に、小堀が続けてそんなことを言うので、笠松は急いで駆け出した。 「笠松より遅れたヤツは奢ってくれないってさ!」 「えええ!何スかそれ!森山先輩ずるいっス!」 「い、いいのかな?」 「加藤、偶には先輩に甘えるのもいいんじゃないかな?」 「うおおおお!ラーメンーっ!!!」 「早川、うるせえっ!!」 「って、待て!お前ら!!!」 大きな笑い声と、地面を駆ける足音が響く。 暫くこの道は使えないな、と内心で肩を落としながら、先を行くチームメイトを追いかける笠松の顔は言葉とは裏腹にどうしようもなく笑顔だった。 20130121 餅子さま、リクエスト有り難うございました! |