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今日のこの日の為に、僕がどれだけの苦労を払って頑張ってきたかなんてことはこの際どうでもいい。
そうさ、結局は大切な人が喜んでくれたら。それだけで満足なのだ、僕は。
例え、それが、

「いきますよ〜ラブマシーンさん!」
「こい!ケンジ!」

折角の二人っきりの時間をよく分からない内に現れたコブに邪魔されていたとしても。





――話は数時間前に遡る。
その日のカズマは浮かれていた。誰の目から見ても張り切って浮かれていた。その理由というのが、ケンジと一緒に本当に久しぶりの二人だけの休日を過ごせる、ということからだ。
今日の休みをもぎ取るために佳主馬から言われた条件は中々にハードなものであったが(レコードのタイム更新の下限を聞いたとき、佳主馬の目は少しも笑っていなかった)、それも愛しい彼との逢瀬の為、とカズマは頑張った。闘志を剥き出しにして駆け抜けたここ数日間を思い出してカズマは感慨に耽る。
心の底からよくやった、と自分を褒めてやりたい。
叩きだしたタイムに佳主馬も文句なく頷いてくれたし、大手を振って今日を迎えられたことにカズマは今朝起きてからもずっと浮かれていたのだ。
呼び鈴が鳴って、光速に近い速さで迎えに出た玄関先に可愛らしい笑顔で立っている愛しい人の姿を見たとき、カズマはうっかり涙ぐみそうになった。
昨日までの努力が報われた瞬間だ。カズマがケンジに向かって手を伸ばし、久しぶりの熱い抱擁をかわそうとした正にそのとき、もう一度呼び鈴が鳴ったのだ。
そのまま放置しても良かったのだが、ケンジの前でそんなみっともなく余裕の無いところは見せたくない。
内心では歯軋りしながらも、表面上は努めて冷静な紳士を保って玄関を開けたとき、カズマは数秒前までの自分を呪いたくなった。

何故、そのまま無視しなかったのだろうか、と。



「本当に、本当に本当にっ!心の底からすみません!」
土下座の勢いで頭を床に擦りつけるのは、カズマの恋人と同じ名前を持つ、自分にとっても良き友人であるケンジで。問題は寧ろその隣にいて俯いているケンジのエプロンを握ったまま離さないでいる、ラブマシーンにあった。
「……おい、ラブマシーン」
「なんだ、カズマ」
口調はいつも通りだ。そこに問題は無い。だが普段の落ち着いた声では無い、子ども特有の高く、少し舌足らずな声で自分の名を呼ぶラブマシーンに、カズマは眩暈がした。
「……何でお前、縮んでいるんだ」
それもただ縮んだわけではない。身体のどのパーツも一様に子どもサイズになっている。分かりやすく有体に言えば、ラブマシーンは子どもになっていた。
「これにはふかいわけがあるんだ」
「その姿で胸を張るな。チビ」
うんうん、と頷く姿は、子どもらしい仕草ではない。そのギャップがまたなんとなく腹立たしいのは何故だ。
「ケ、ケンジさん、取り敢えず顔を上げてください〜!」
「ごめんね、ケンジ君、本当にごめんなさい……!」
そしてまたこちらでは、頭を下げたままのケンジをなんとか引き上げようと必死になっているケンジがいて、重苦しい溜息を何とか飲み込んだカズマは腹を括った。
このままでは埒が明かない。混迷を極めてきた玄関先で、カズマは取り敢えず、と二人を家の中に招き入れた。
ソファーに座ったケンジの隣には当然の様に小さいラブマシーンが座っている。
ケンジが淹れてくれたジュースを飲みながら出されたクッキーを美味しそうに頬張っているラブマシーンは、ソファーと床の間で小さい足をパタパタと忙しなく動かしている。その姿は、まあ可愛いと言えなくもない。カズマですらそう思うのだから、隣のケンジの心中や如何ばかりか。さっきから肩が小刻みに動いているのは耐えているのだろう、と思う。多分、色々なことに。
カズマはそっと見なかったことにした。

「それで、どうしてこうなったんでしょうか」
カズマの声に、ケンジは顔を上げた。考えていた顔色では無かったところに、ケンジの冷静さを見たが、続く説明には項垂れるしかなかった。
「実は、例によって例の如く、というしかない感じで原因はあの『わ』から始まって『け』で終わる人にあるんですが」

――ああ、やっぱり。

内心で呟いた言葉は賢明にも飲み込んだ。

「あの人が、ここ最近仕事の合間に何かやってるなあ、とは思っていたんです。でもまさかこのときのタイミングでそれを完成させるなんて、謀ったとしか言いようがないっていうか、いえ今更言ったところでもう後の祭りなんですけど気持ちも分からないでもないですけど、それにしたって本当にいつかあの人背後から人に刺されても文句言えないと思うんですよなんだったらボクが今からやって、いや駄目だ。それじゃ間に合わない……」
狂気と冷静の狭間でせめぎ合っているケンジの理性が危うい均衡を保っている。薄暗い瞳の色に背筋を寒くしながら、カズマはなるべく明るい声を出そうとして正直な言葉を口にした。
「……ケンジさん、大分参ってますね」
カズマの声にケンジは軽く頭を振ってから、はあ、と息を吸いこんだ。
「すみません、話が折れました。ええと、掻い摘んで説明しますと、大馬鹿侘助さんの本人談ではシャレで作ったプログラムを偶然触ってしまったラブマシーンさんが子ども化してしまったという訳でして」
「何でまた、そんなものを」
「どうしようもない、理由なんですよ」
「どうしようもない?」
ばつが悪い顔をしているケンジは、ラブマシーンの頭を撫でながら呟いた。
「ラブマシーンさんが、子どもらしくいられたのって、一年にも満たなかったから。……それをちょっと取り戻してやろうって考えたらしいんです」
ただの親ばかです、と苦笑しているケンジの声は優しい音だった。
そうですか、とカズマも似たような顔で笑う。
「ちょっと考えただけでそれを実際に作ってしまう辺りは本当にどうしようもないんですけどね」
しかし途端にひやり、とした声で言い切ったケンジはラブマシーンの口元がクッキーの食べかすで汚れているのを見てハンカチで拭ってやりながら、それで、と切り出した。
「お二人にお願いしたいのは今日一日だけでいいんです。ラブマシーンさんを預かって頂けませんか?っていうことでして」
「ええ?!」
「ボクたちが、ですか?」
大きな尻尾をぽんと膨らませたケンジが円らな瞳をラブマシーンに向けた。
「そうです」
「で、でもどうして?ケンジさん自身が面倒を見ていた方がいいんじゃ」
「そうなんですけど、そうもいかないのっぴきならない事情がありまして」
「……事情とは」
「カズマさん」
「はい」
「明後日、OZの新しいサービスとセキュリティシステムのお披露目があるのはご存知ですよね」
勿論知っている。そのことを知らないアバターはこのOZにいないのではないか、というくらいに前々から大々的に告知されていたことだ。確かここ最近、目の前の二人はそのお披露目会に向けて日夜仕事に明け暮れていたらしいことを、隣のケンジから聞いていた。
仕事が一段落したら、久しぶりにケンジさんがホットケーキを作ってくれるんです、と喜んでいたのを覚えている。
「今現在、急ピッチでその準備を進めているのですが、肝心のセキュリティ部門の要であるラブマシーンさんがこんな状況で、はっきり言って間に合うかどうか、今まさに瀬戸際なんです」
「え、でもこいつ、」
「侘助さんの徹底っぷりが嫌になるのはこういうときですよね」
ケンジの顔は笑っているのだがその目がまったく笑っていない。
「今のラブマシーンさんの記憶は本人そのままなんですが、彼本来の特性である彼が今までに積み上げてきた容量の方は全て初期化されているんです」
「……それは、」
つまり、ここにいるラブマシーンには今できることが正に何も無い、と言う。
「……それって、マズイんじゃ」
「ええ、マズイです」
ケンジの目を正面から見ることができないなんて、初めて、……でもないな、とカズマは遠い目をした。
「だから侘助さんには本来の仕事はきっちりこなして貰いながら、ラブマシーンさんが元に戻るためのプログラムを構築して貰っているところで」
「……一緒に作って無かったんですか」
「さすがに侘助さんもこれを使うのはお披露目会が終わったあとにしようと思っていたらしいんです。でも本当に偶々、ラブマシーンさんがそれと知らずに侘助さんがプロテクト掛ける前の剥き出しのそれに触れてしまったものだから」
「おいコラ、人工知能」
「なんだ、カズマ」
「セキュリティ部門の要がそんなんでいいのか!」
「しかたない、といいわけはしないぞ。ガードを解除した状態のうえで、シールドもなにもなしにあれをかたづけようとおもってに気軽にふれてしまったのはワタシだからな」
「丁度他のセキュリティの検査作業が終わったあとで、気が抜けていたとも言えなくないんですが、ボクが気付いたときにはもう遅くって」
タイミングが悪かった、と言えばそうかもしれないが。
「それにしたって間が悪すぎる……」
「まったくだ」
「お前な、最低限のシールドぐらい張ってろよ!」
「そう思ったのはさわったあとだった」
「馬鹿か!」
思わず突っ込んでしまってから、カズマは溜息を吐いた。
ケンジがハンカチをエプロンに仕舞いながら口を開く。
「それで、なんとか明後日に間に合わせるために、これからボクたちは仕事にかかりきりになります。元に戻すための準備は侘助さんに今日中になんとかさせますので、それまでラブマシーンさんを預かって頂けませんか?明日までにラブマシーンさんに戻って貰わないと、当日非常に困ったことになるので」
「でも、いいんですか?」
ケンジの言葉にケンジは苦笑する。
「うん、今のラブマシーンさんをボクたちが目の前にすると、今やってる仕事なんて本当にどうでもよくなっちゃうから。ここに来るまでだって侘助さんをどうにか振り切ってきたくらいだし。ボクもいつも以上に構いたくてしょうがないって風のラブマシーンさんを見ていると自分の欲に負けそうになっちゃうから」
それじゃ困るから、とケンジは立ち上がった。
「今日のことは後で必ず埋め合わせします。だからお願いします」
深々と頭を下げたケンジに、ソファーから飛び降りたケンジが近付いた。
「任せてください、ケンジさん。ケンジさんほどできないとは思いますが、ボクたちでラブマシーンさんをしっかりお預かりします」
「ケンジ君……」
「お仕事頑張ってください。それで終わったら、ケンジさんのホットケーキ食べさせてくださいね?」
「何枚でも、喜んで焼くよ」
有り難う、ケンジ君、と二人がふわふわと笑っている姿を眺めつつ、カズマはラブマシーンの頭を掴んだ。
「なんだ、カズマ」
「少しは反省しろよ、お前」
「している」
「本当かよ?」
「ああ」
ラブマシーンの目はケンジから一時も離れていない。カズマは小さく鼻を鳴らしながらラブマシーンの頭を乱暴に撫でた。
「懐かしいな」
そんなに過去のことでは無いはずなのに、ラブマシーンのこの姿は随分と久しぶりに見たように思う。あのときと唯一違うのは、今のラブマシーンには言葉があるということだけだ。
「カズマ」
「何だよ」
「この姿でいると、普段見えないところが見えて、見えていたところが見えなくなるんだな」
透き通った目がカズマを見ている。そうだな、とカズマは呟いた。



「それじゃ、ボクはこれでお暇します」
「気をつけて、ケンジさん」
「はい、本当にごめんなさい、ラブマシーンさんをお願いします」
「大丈夫ですよ、ケンジさん、任せて下さい!」
小さな胸をドンと張った友人に、ケンジは笑顔を見せた。
「ケンジ」
出て行こうとしたケンジのエプロンを小さく掴んだラブマシーンに、ケンジは膝を屈めて視線を合わせる。
「ラブマシーンさん」
「ケンジ」
名前を呼ぶだけでそれ以上をどう言おうか悩んでいるラブマシーンをケンジは両腕で抱き締めた。
「直ぐに、帰ってこれるように頑張ります」
「うん」
姿につられるのか、どうしても口調が幼い。ケンジはラブマシーンを離して立ち上がった。
「さ、ラブマシーンさん、ボクと向こうで遊びましょうか」
「うん」
ケンジとラブマシーンが手を繋いで離れていくのを目で追ってからカズマとケンジは向かい合った。
「さて、カズマさん」
「はい」
「これからボクは仕事に戻る訳ですが、アナタに渡しておきたいものがあります」
「何ですか?」
「これをお願いします」
「……これは、」
どこに仕舞っていたのか、ケンジが懐から取り出されたそれは、
「侘助さん作の、超高性能なビデオカメラです」
「な、なんでこんなものを」
「決まっているじゃないですか」
何を言う、とケンジは瞳に力を込める。
「今のラブマシーンさんを余すこと無く撮って頂くためですよ」
「ケンジさん、目が」

本気と書いて、マジと読む感じになっている。

「しょうがないんです、ボクはこれから仕事に戻らなければなりません。本当に、今回は結構本気で時間が無くってギリギリもいいところなんです。こんなときに限ってあんな美味し、いえ、大変なことになるなんで誰が想像したでしょう。ええ、でもそんなことを言っている間にも時間は刻一刻と過ぎていきます本当に一秒だって無駄にできないんですこうしている間にも予定はどんどんどんどんズレ込んでいくという、まさに負の連鎖です」
「……その、お疲れ様です」
「そこでカズマさんの出番です」
「何故僕が」
「分かりませんか、カズマさん」
「何がですか」
ケンジは手の中のカメラを神聖なものであるかのように恭しく持ち上げた。
「ラブマシーンさんを撮る、ということは」
すう、とケンジが息を吸う。
「ラブマシーンさんの隣で面倒を見てくれているケンジ君も一緒に映せるということです。正に一石二鳥。正当な理由で持って堂々とケンジ君の愛らしさを動画に収めることのできる又とないチャンスなんですよ」
そのときのカズマの身体中に走った衝撃を何と言おう。
カズマはケンジの手からカメラをしっかりと受け取った。視線で頷き合った二人は、互いの手を固く握り締める。
さすが、持つべきものは友だ。カズマは真剣な表情で言い切った。

「しっかりばっちり撮らせて頂きます」



――そうして冒頭に戻るわけなのだが。
二人が遊んでいる姿をひたすらカメラを回して撮っているキングの図、というのは傍から見ると如何なものか。サクマ辺りはなんてレアなんだ!と叫びそうだが。
そんなことを若干逃避しながら考えているカズマだったが、ラブマシーンと共に楽しそうに積み木を組み上げていくケンジの姿は素直に可愛い、としか言いようがなく。悔しいが。非常に悔しいことだが、この状況に感謝なんかしてしまったりしている自分に項垂れそうになったりしている。
「できたぞ!ケンジ!」
「やりましたね、ラブマシーンさん!」
「次はおしろをつくるぞケンジ!」
「では展開図が必要ですね!任せてください!」
「バルコニーもつくるぞ!」
「お城のてっぺんには旗が必需品ですね!」
「はたの色は何がいいかな」
「そうですねえ、確か赤い布があったと思いますよ」
「それをつかおう!」
「じゃ探してきますから、ラブマシーンさんはお城の全体図をこの紙に書いてください」
「わかった!」
「縮尺はお任せしますから!」

「……」

なんとなく、子どもらしい会話の中に、らしくない科白が飛び交っているようにも思ったが、カズマは気にしない方向でいくことに決めた。



なんやかんやと昼を回り、カズマが作ったナポリタンを三人で美味しく頂いたあと暫くしてから、椅子に座ったままのラブマシーンの頭が船を漕ぎだしたのに気付いて、カズマは腰を上げた。
がくり、と空の皿の上に顔を載せてしまう前に小さい身体をひょいと持ち上げる。
「……カズマ?」
「おう、お腹ぱんぱんだな。美味かったか?」
「ん、おいしかったぞ」
「そうか。そりゃ良かった」
「かたづけ、てつだうぞ」
「いいよ、お前は他に仕事がある」
「しごと?」
「子どもは寝るのも仕事の内だ」
リビングにある日当たりの良いソファーの上に横たえてやると、ラブマシーンは目を擦りながら何かを言おうとしていた。
「後で聞くから。お前は寝てろ」
目の上に掌を置くと、そう時間が経たない間に小さな寝息が聞こえてきた。そっと掌を外すとラブマシーンの寝顔が見える。
「……間抜けな顔だな」
喉の奥で笑ってからラブマシーンの身体に毛布をかけてやる。
さて、片付けるか、と立ち上がると、こちらを見つめる視線にぶつかった。
「ケンジさん?」
それはケンジの視線であり、その手にはさっきまで自分が回していたビデオカメラがあった。カメラを構えたままのケンジの表情はここからだと良く見えない。
「あ、すみません、後は僕が」
「カズマさん」
ケンジの声にカズマは思わず目を開く。
彼の、ケンジが自分の名を呼んだ声が、ひたすら甘く聞こえたからだ。
まるで、二人きりで会うときの様に。
それを自覚した途端、カズマの背中に甘い痺れが走った。恐る恐るケンジに近付いて行く。
その身体に手を伸ばせば触れられる、という距離になって、ケンジの手からカメラが下ろされた。
ピッ、とスイッチが切られた音は随分前に聞こえていた。
向かい合ったままの互いの視線は、誰から見ても熱を孕んでいる。
「ケンジさん」
「ずるいなって、思ったんですよ」
「ずるい?」
「カズマさんばかり、ボクのことを撮っていて」
「そ、それはケンジさんに」
「ラブマシーンさんを撮ってって頼まれたにしては、カメラの位置が随分とボクの方にも傾いていた様に思いますけど」
「……すみません」
「なんで謝るんです?」
「あなたを黙って撮っていたから」
「別に、そんなことに怒っているわけじゃないんですよ」
言ったでしょう、ずるい、と。
ケンジの目が面白そうに細められた。

「ボクだって、アナタを撮りたいんですよ」

ケンジの言葉にカズマは目を開く。
堪らずに目の前の身体を抱き締めると、直ぐに自分の肩に彼の手が回された。
「ねえ、カズマさん」
「……何ですか」

「ちょっとだけ、いいですよね?」

どこか照れくさそうに、けれどどこまでも期待を孕んだその視線に向けて、カズマは恭しく頭を垂れ、目の前の愛しい人の小さな耳に齧りついた。






20121216
妹ちゃんへ!リクエストありがと!