ユーガットメール





そのことを思い出したのは、彼からのメールを貰ったときのことだった。



『涼ちゃんさ、ちゃんと大事にされてる?』


不意に、別の高校だけれど気の合う親しい友人の声が頭の中で再生されたのは、部活の練習時間が終わって皆でロッカーに引き上げたときのことで、まだ時間が多少あったものだからもう少し自主練をしてから上がろうと思い、母に今日も遅くなる旨を伝えようとスマートフォンを手に取った正にそのときだった。
「黄瀬、お前今日も残っていくのか?」
笠松の声に視線を上げた黄瀬は、いつものように声を出そうとしてそれを失敗した。
「あ、……や、今日は帰ります」
「そうか。まあ、お前は根を詰め過ぎるからな、偶には大人しく帰れよ」
「はい、スンマセン」
「謝れってんじゃねえんだよ」
「はい、センパイ」
凛々しい眉を顰めた頼もしいキャプテンの姿に、黄瀬はほんのりと笑った。
「じゃあ、帰りどっか寄ってくか?」
隣にいた森山の声に、小堀や、森山、他のメンバーが賛同する中で、黄瀬は小さく首を横に振った。
「スンマセン、今日は俺、ダメなんで、また今度誘ってください」
「そうなのか?残念だな」
本当に言葉の通りに残念な顔をしてくれる皆に苦笑と共に頭を軽く下げて、準備を終えた黄瀬は鞄を肩にかけて立ち上がった。
「それじゃ、お先です。お疲れ様でした」
気をつけて帰れよ、と背中に先輩や同級生たちの声を貰いながら、大きく肯定の返事を廊下で叫んだ。
そのまま急いで駅に向かう。今ならまだ一本早い電車に乗れる。自然と駆け足になった足をそのままに、黄瀬はスマートフォンを取り出して母に電話をかけた。
「母さん、今日さ、」
電話越しの息子の言葉に快く返事を返してくれた母に感謝をして、黄瀬は通話を切った。そのまま、今度はメール作成画面を開く。
(……え、と、)
目の前の信号が赤に変わりそうだ。慌てて前を向いて急いで横断歩道を駆け抜ける。
今は一分一秒でも時間を無駄にしたくない。メールは電車に乗ってからにしよう、と決めて、黄瀬は走る方に集中することにした。



「……っ、間に合ったっ!」
ギリギリで飛び乗った電車は、黄瀬が閉まり始めた扉の隙間に身体を滑り込ませた途端に扉が閉まり、ゆっくりと駅のホームから走り出す。
普段から走り込んでいる距離に比べたら、学校から駅の道のりはそこまで遠くもない。だが、部活の後だということで、消耗した体力分を肩で何度か息をして取り戻そうとする。最後に大きく息を吐き出すと、黄瀬は額の汗を袖で拭った。
この時間帯は、乗客がそこそこ乗っている。それでも朝のラッシュほどではない人の中で、黄瀬はポケットにしまっていたスマートフォンを取り出した。
「……さて、と」
さっき閉じたばかりのメールの画面を開く。ロッカー室で見た、自分に届いた一本のメールをもう一度呼び出して、黄瀬は目を細めた。
「……」
軽い所作でメールを打つ。送信ボタンを押してメールが送られるアニメーションが画面から消えたのを確認してから、黄瀬は一度目を閉じた。そして目の奥でメールの送り主と、その隣にいつもいる友人の映像を結びながらいつかの会話を思い出した。



つい先日のことだったか、高尾と一緒に買い物に出かけたときのことだ。黄瀬はモデルを生業にしているだけあって、その服選びに関してのセンスも相当なものがある。高尾もそれなりだが、黄瀬からのアドバイスは得るものが多い、と好んで黄瀬を買い物に誘ってくれるのだ。その日もそんな感じに二人で出掛け、満足のいくものがお互いに買うことができたあと、休憩、と入ったマジバーガーで向かい合って座って今日の成果を話し合っている最中で、高尾がふと口にしたのだ。
『ねえ、涼ちゃん』
『んー、なんスか?』
『うんと、さ』
『うん』
『涼ちゃんさ、ちゃんと大事にされてる?』
高尾のその言葉が誰を指しているのか正しく理解した黄瀬は、何故彼がそんなことを自分に聞いてきたのか首を傾げた。
『カズ君?』
疑問系で名前を呼べば、何となく顔を顰めた高尾がいる。
『あー、ごめん、変な事聞いた』
『や、そんなことないっスけど、突然どうしたの?』
もしかして緑間に何かあったのか、と黄瀬は不安になった。
今目の前で自分と話している友人高尾の、その相棒である緑間と自分は、所謂恋人同士だ。そのことを知っているのは極一部の人間に限られていて、高尾もその一人だ。知られた経過は今回は省くにしても、高尾は二人の関係を知ってからはさり気無く気を使って、自分たちをフォローしてくれるようになった。それにいつも感謝している身としては、そんな風に自分たちが聞かれるようなことがあったとしたら、その理由が聞きたいと思った。
『真ちゃんに何かあった訳じゃないよ、それは安心して。……ただ、さ』
『ただ?』
言い辛そうな高尾に黄瀬は大人しく待っていると、ぼそぼそと普段の高尾の快活な声とは間逆の声で言葉が落とされた。
『ただ、その涼ちゃんと真ちゃん見てるとさ、なんかあんまりいつもと同じっていうか、涼ちゃんに対する真ちゃんの態度が、なんか甘くないっていうか、寧ろ厳しいっていうか、あんなんで涼ちゃん大丈夫なのか、とかちゃんと、その、コイビトとして大事にされてるのかなって、』
心配になって、と小さい小さい声で呟いた高尾に、黄瀬は表情を緩めた。
『カーズー君』
『……なに』
ほんの少し拗ねた顔の高尾が可愛くて、黄瀬は思い切り高尾を抱きしめたくなった。
ここが外でなくて、人前でもなくて、彼と自分二人だけだったら、きっと実行していただろうなあ、と頭で考えながら、黄瀬は口を開く。
『ありがと』
だからその代わりに言葉に代える。笑顔に乗せる。自分は幸せなのだと。これ以上無いほど、幸せなのだ、と。伝わって欲しい。こればかりは言葉だけで表現できないから。
『……泣かされたら、俺に直ぐに言ってよ』
どうやら、伝わったらしいことは、高尾の赤く染まった頬が教えてくれた。
『うん』
目の前の優しい友人に、さてこのお礼はどんなものがいいだろうか、と黄瀬は考える。やっぱり相棒の意見も必要だ、と思い付いて、今度緑間に聞いてみよう、と思ったのだ。



そんなことを思い出しながら、まだ緑間に聞いていなかったな、と流れていく窓の景色を眺めながら黄瀬は細く息を吐く。あと数駅。いつもなら気にならない距離と時間がこんなときほどもどかしい。
早く、早く、と逸る気持ちを押さえこんで、黄瀬はもう一度目を閉じた。





駅について、黄瀬は急いで扉から滑り抜けた。人の波を軽く避けつつ、改札に向かう。定期を読み取る軽い音を確認しないで、黄瀬がまた走りだそうとしたとき、改札を出て直ぐの所に立っている時計塔の下に立っている人物が目に入った。
「……っ」
名前を呼ぼうと黄瀬が近付く前に、その人は先に歩き出してしまった。自分を置いていくその背中を暫く見送ってから、黄瀬はそっとその後をつけた。
賑やかな駅前通りを抜けて、段々と人が少なくなっていく住宅街に入り込む。暗い道の中で、ぽつぽつと立っている外灯の灯りが足元に長い影を作っていた。五メートルくらいの距離を開けて、前を歩く背中を黄瀬は眺める。
広い背中。少しずつ逞しくなっていく身体。あれから自分も成長しているけれど、まだまだ彼程背は伸びて来ないし、身体つきにも顕著な変化が見られない。羨望も交じった視線に彼が気付いた訳でもないだろうが、その足がぴたりと止まったので、黄瀬は急いで足を前に動かす。
やっと、ただ背中を眺めるだけの位置ではなくて、その隣に並ぶことができた。
「……」
横に並んで、顔を見上げる。眼鏡のレンズ越しの彼の瞳はいつもと同じで、だけど少しだけいつもより弱い。
無言で差し出されたのは、彼の手。いつもだったらちゃんとテーピングに包まれた手だが、今日はそれが無い。剥き出しのそれが彼の気持ちそのままの様に見えて、黄瀬は自分にできる一番優しい触れかたでその手を掴んだ。ゆっくりと指を絡ませるように握ると、同じ力で握りこまれる。
伝わってくる熱に、胸が掴まれた。泣きたくなるような気持ちが湧きあがって、黄瀬は慌てて目に力を込めた。
そのまま二人は無言で歩き出す。黄瀬の家までの僅かの距離、その間、二人の手は一度も離されることはなかった。



玄関を開けるときには手は離される。離すときに名残惜しさにいつも溜息を吐きたくなるが、それはなんとか根性で止めた。
家では母が夕飯を作って待っていてくれた。電話で伝えた通り、緑間の分もちゃんと用意してくれている。うがい、手洗い、と家に帰ってからのお約束をちゃんと守ったあと、三人で席について、いただきます、と手を合わす。
黄瀬の今日一日の話に母が笑いながら頷き、緑間も夕飯をゆっくりと咀嚼しながら相槌を打ってくれた。
デザートのブドウは部屋で食べる、と母に断って、黄瀬と緑間は黄瀬の部屋に向かう。黄瀬の手にはちゃんとブドウがあるが、これを食べるのは暫く後になりそうだな、と考えていた。
部屋の扉を開ける。長身の二人が屈まないで入れる部屋の扉は、緑間の身体が部屋に入った瞬間にきちんと閉められた。
その瞬間、緑間の手が黄瀬に伸びる。黄瀬はブドウを落とさないように自分の机に置いてから、緑間の前で両手を開いた。引かれる様に身体が緑間の腕の中に納まる。
ぎゅう、と力強く抱き締められて、黄瀬は満足の息を吐き出した。



中々毎日会うことが叶わない日々の中で不安にならないわけじゃない。それでも互いに互いのことは一番に信じている。決して切れない、と誰に言うでもなく繋がっている絆があると分かっているから。
だけどそれだけじゃ足りず、そして補えなかったのは、圧倒的で物理的な二人の距離だった。
同じ学校でいられた中学のときと比較したら比べ物にならないくらいに、高校に入ってからの二人の距離は開いてしまっている。精神的にはいつだって繋がっていられると思っているけれど、直ぐに手を伸ばして、相手に触れることができる距離にいられないことがこんなにも互いを不安定にさせるなんて、思ってもみなかったのだ。
高校に入ってから三カ月もしないでその事実に気付いた二人は、しっかりと話し合った。
そして決めたのだ。
相手に会いたくなったら、変に我慢はしないこと。だけどそうは言っても互いに多忙で、上手くスケジュールを調整できずに擦れ違うことが少なくなかった今までの経験から、会いたくても会えない、そういうときは我慢できるギリギリ限界まで耐えるようにすること。
けど、それでも耐えきれなくなったら、メールを送る。
ただ一言、『会いたい』と書いて送るのだ。
そのメールが来たら、そのときはお互いどんなに忙しくても遠慮はしないで、でもちゃんと相手の意思を確認してから、必ず会うようにしようと。
普段の勉強会や、高尾や他の仲間も交えて会うときは、普段通りにすること。
その代わり、二人きりのときだけは、遠慮しないでお互いを思い切り甘やかすこと。
それが黄瀬と緑間で決めた二人のルールだった。
だから高尾は黄瀬にあんなことを聞いたんだろうな、と緑間の肩に額を擦りつけながら黄瀬は考えていた。他人の目があるときは、緑間は完璧なまでに自分を律することができる人だ。
対する自分はその辺りがどうにも上手くなくて、つい、溢れる想いのままに緑間に触れようとしてしまうから彼に怒られる。
その分は、後で二人きりになったときにもうお腹いっぱいです、と思うくらいに十二分に補充して貰えるのだけれど。
そんなことは当然高尾は知らない。そして知らせることは、多分これからも無い。
だって、こんな緑間がいるってことは、やっぱり自分だけが知っておきたいと思うからだ。

「……きせ」

耳に吹き込まれる溶けそうなほどの声に、嬉しくて、幸せで、黄瀬はいっそう緑間を抱き締める手に力を込める。
そうすれば緑間も同じ、いやそれ以上の力で黄瀬を求めてくれるから。

「みどりまっち」

自分も負けないくらいの甘い、甘い声で、黄瀬は愛しい人の名前を呼んだ。







20121011(20121209修正)





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