シークレットシークレット



いつだって足りない
どうしたって、圧倒的に
欠乏している







試験が近くなると、学校が終わった後にどちらかの家に訪れて勉強をするのがいつからかの習慣になっていた。この前が黄瀬の家だったので、今日は自分の家に来ている。その勉強の合間、黄瀬がふいに俺を呼んだ。
「ねえ、緑間っち」
テーブルの上に肘をついてその上に顔を乗せた状態で黄瀬がこちらを見ている。
「あのさ。メガネ、貸してくれるっスか?」
「……何故だ。お前には必要ないものだろう」
そう正論を言ってみるのだが、生憎相手には伝わらない。にこにこと何が嬉しいのか笑顔を見せてこちらを見つめたまま動こうとしなかった。
はあ、と溜息を吐く。メガネのフレームに手をかけて、それをゆっくりと外す。途端にぼやける視界の中で、取り敢えず黄瀬の前にメガネを置いてやった。
「これでいいのか」
「……」
「黄瀬?」
メガネが無い所為で自分の目の前ですらよく見えない。言われた通りに貸してやったというのに、礼すらないのはどういうことか。さっさと返してもらおうか、と考えていると、黄瀬の声が聞こえてきた。
「……本当に、貸してくれるとは、思ってなかったっス」
随分と失礼なことをいう口だ。見えていたらその口を摘まんでやったというのに、実に惜しい。メガネが返ってきたら直ぐにでもそれを実行してやろうと考えていると、目の前の黄瀬が動いたのがなんとなく見えた。
「っわ、すごい度が強い」
「……お前は、何をやっているのだよ」
自分の目が悪いことは黄瀬も知っているはずだというのに、今更そんなことを試して何がしたかったのか。そう言えば貸してくれ、とは言われたが、その用途については聞いていなかった。
「いやあ、ちょっと見てみたかったんスよ」
「何をだ」
そう聞けば、黄瀬の周りの空気が柔らかいものに変化したように感じた。

「緑間っちの、世界。見てみたいって思ったんス」

でも、これは俺には強過ぎるっスね、と小さい笑い声が聞こえてくる。

――悔しい、と思った。
今ほど、直ぐにこの目が良くなればいいと思ったことはない。
目の前の、黄瀬の顔が見たい。こんな歪んだ視界では無くて、もっとクリアな世界で笑う黄瀬が見たい。
何より強く思う。

「ありがと、緑間っち」
優しい仕草で、黄瀬がメガネをかけてくれた。途端に明瞭になる視界の中、黄瀬は目元を少しだけ赤く染めて笑顔を向けていた。
「……満足したか」
そう聞いてやれば、虚を突かれたのか、ぱちりと長い睫毛が瞬く。
「ふふ、うん、満足したっスよ」
ふわふわとした笑顔で、黄瀬は笑う。直ぐに手が届く近い距離で。
だから、こんな簡単に手が伸ばせるのだ。

「緑間っち?」

黄瀬の後ろ頭に手を当ててこちらに引き寄せると、かしゃん、とメガネがぶつかる音がした。
「……みどりま、っち?」
たどたどしく名前を呼ばれて、間近に見える黄瀬の顔を見つめてやった。
「貸し出し料を貰っても?」
黄瀬の目が大きく開いた。その直ぐ後に目が閉じられる。
至近距離で、顔を傾ければ直ぐに届く。唇の先に触れた熱に体温が僅かに上がった。
ちゅ、と小さく音がして唇が僅かに離れる。そのまま離れて行こうとする黄瀬を片手で止めて、もう一度口付けた。
「ふっ、み、どりま、」
「きせ」
足りない。
これだけでは、到底足りない。緩んで開いた唇の隙間に舌を潜り込ませる。ぴくりと黄瀬の肩が跳ねたのに気付いて、そのままひたすら口の中を探った。
間にある机がテーブルが邪魔だ。音を立てないように退かしたつもりだったが、手加減ができなくてテーブルの上に乗っていた教科書が何冊か落ちた音がしたがもう構っていられなかった。
必死で縋りついてくる黄瀬の手が、緑間のシャツを掴んでいる。その手が僅かに震えているのが分かって、緑間は黄瀬の手の上に自分の手を重ねた。
ぎゅうと握る。
「は、ふぁ」
熱い吐息に腰が痺れた。そのままベッドに行こうとしたのだが、黄瀬の手が緑間の顔を押さえて口付けを離してしまう。
「おい、黄瀬」
自分も相当熱い息を吐いている。お互いの熱にいよいよまずい、と思っていたら、黄瀬が赤く染まった顔のまま、緑間を見上げていた。
「だ、だめっスよ、緑間っち。今日は勉強の日っス。ちゃんとやっておかないと、緑間っちは大丈夫かもだけど、俺がだめなんだから」
「……お前、そんなに頭悪くないだろう」
「そう緑間っちに言って貰えるのは嬉しいっスけどね、正直今回はあんまり自信ないんス。仕事が結構間に入っちゃってたから。予習しきれてないとことか、赤司っちにも聞いたりして現文とかは大丈夫だと思うんだけど、数学系が」
「……」
「だ、だから、終わったら。試験終わったら、その今日の分も合わせていっぱいしていいから、だから今日は」
「本当だな」
「え」
「今の言葉忘れるなよ」
「は」
「ではさっさと進めるぞ。早くページを開け」
「あ、はい」
え、あれ?
頻りに首を傾げつつも素直に教科書を開いている黄瀬の耳元で、熱に浮かされたような声で囁いてやった。

「……試験が終わったら、覚悟しておけよ」

途端にこれ以上ないくらいに顔を赤くして涙目になった黄瀬は、咄嗟に手元にあった教科書で顔を隠した。

「……緑間っちも」

くぐもって聞こえた黄瀬の声に顔を上げれば、怨めしそうで、だけどどこまでも甘い瞳で、黄瀬は宣言した。

「緑間っちも、覚悟してくださいっスよ?」

以前から馬鹿だ馬鹿だとは思っていたが(頭の出来の意味合いではなくて)、ここまでだったとは。溜息を吐いて教科書に視線を落とす。
そうでもなければ今直ぐにでも手を出しかねない。
「煽るな」
「誰の所為っスか」
「俺だとでも言うのか」
「さあ、どうっスかね」

ノートに書き込んでいく音が小さく部屋に満ちていく。ちらと黄瀬に視線を向ければ、その耳が僅かに赤くなっていた。
その鮮やかな色に、ああ、今直ぐに噛みつきたい、と思ったのは、誰にも秘密だ。










20120919 (20121118修正)





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