この手をとって







目の前に差し出された手のひらの大きさと温かさは、
私が一番知っている

私だけが知っている







「何でだ?」
納得がいかない、という意味が含まれた疑問の声にも、ケンジは何も答えなかった。
「その話はもう終わりにしましょう。先に進みませんから」
それだけ言って、ケンジはラブマシーンに背を向ける。これ以上答えることはしない、とその小さな背中が言っている様で、ラブマシーンは伸ばしかけた手をゆっくりと握り込んで下ろすしかなかった。







ポン、ポン、とどこかで花火が開く音が聞こえる。
今日、31日はHalloweenだ。OZ中もかぼちゃやコウモリ、ドクロやオバケ等の飾り付けがなされて、橙色の空に黒のカーテンが掛けられた。ジョンとヨーコからは、今日だけはキャンディとチョコレートの雨が落ちてくる。時々落ちてくるそれらを拾いながら、アバターの皆もそれぞれに仮装をして、思い思いに今日のイベントを楽しんでいる様だ。
どこか浮かれた様な空気が満たされたOZの世界の中心にある管理棟の一番上に、ラブマシーンは一人で立っていた。OZを上から見下ろして、楽しそうなアバター達を眺めながら小さく息を吐く。
「よ、ラブマシーンみっけ」
と、呑気な声が背後からかけられて、ラブマシーンは聞き覚えのあるその声に振り向いた。
「……サクマか?」
「ピンポン、正解。俺だよ」
声から判断するしかないくらい、今日のサクマは個性的な格好をしていた。
「それは、カズマ、か?」
ゴーグルに、赤いジャケット。キング・カズマのトレードマークであるそれらをドット化させて身に付けているサクマは、頭身の所為か妙に愛嬌があってそれなりに似合っていた。
「そー。キングの格好は人気だからな。一度やっておきたかったんだ」
自慢げに胸を張ってみせたサクマは、そうだ、とラブマシーンに改めて向かい合った。
「ラブマシーン、トリック オア トリート!」
「ああ、それではこれを」
ラブマシーンはその場に屈んでサクマの目線に合わせると、懐から小さな箱を差し出した。
「今年は何?」
「さあ、ワタシは確認していないが、侘助が何やら楽しそうにしていたのは知っている」
「侘助さんが絡んでいるとなると、こりゃ手強いなー」
佐久間にも頑張れって言っておこう、とサクマが箱を眺めながらラブマシーンを見た。
「俺が最初?」
「いや、先にケンジたちが来たぞ」
「あいつ、見当たらないと思ったら先に来てたのかよ」
ブツブツと文句を言いながらサクマは手の中の箱をひらりと放り投げて反対の手で受け止めた。
「ま、数に限りがあるんだもんなー」
「毎年早い者勝ちだからな」
サクマの手の中にある箱を見詰めながらラブマシーンは笑った。
Halloweenの一日だけ、OZからアバター達に向けて様々な趣向を凝らした限定のプレゼントが出されるのだが、そこにラブマシーンも一役買っているのだ。かくれんぼと鬼ごっこの要領だが、Halloweenの今日、ラブマシーンを見付けて半径1メートル以内に近付き、『Trick or Treat』と言えれば、ラブマシーンからプレゼントが渡される。小さな箱の形をしたそれは、開けると問題が出題される様にプログラムが組まれていて、それを期日内に解いて正解を出すと、レアアイテムが貰える仕組みなのだ。ただ、これには数に制限があり、更にはその出題される問題の難しさにクリアするには難易度が高い。何より相手はラブマシーンだ。見付けるのもそうだが、1メートル以内に近付くにも至難の業だ。だがその分アイテムのレア度も高く人気のあるゲームの一つなのだ。
「まあ、チートだよなあ、ラブマシーン相手にしなきゃいけないんだから」
「流石に手加減はしているぞ?」
「それがなきゃ、俺なんかは一生捕まえられないよ」
今日の為にステルス機能プログラムまで佐久間が作って付けてくれたんだぜと、と笑ったサクマはさて、と首を動かした。
「まだここにいるのか?」
「いや、そろそろ動く。いつまでもここにいる訳にもいかないからな」
「ケンジは?」
その名前を聞いて、ラブマシーンの肩が分かりやすく跳ねた。
「ケンジは、来ない」
「何だよ、アイツまたか?」
しょうがないヤツだ、とサクマが笑ってラブマシーンを見る。
「気にすんなよ、ラブマシーン」
「……なあ、サクマ」
「なに?」
「ケンジが来ないのは、ワタシに原因があるんだろうか」
ラブマシーンの言葉に、サクマの目のドットが驚きに動いた。
「……なんだ、お前気付いてなかったのか」
「何にだ?」
「アイツが、Halloweenのイベントに参加しない理由」
「……理由があるのか?」
今朝話した時のケンジの背中を思い出す。自分には何も言ってくれなかったケンジの事を。
その理由をサクマは知っているのだとしたら、自分は何としても知りたい。何故この日だけは、ケンジが積極的に協力してくれないのかを。
「簡単な理由だよ、ラブマシーン」
「それが分からないから困っている」
「必死だねえ」
「ワタシが必死になる理由はケンジだけだ」
「……なんだかなあ。それで何で気付かないかな、お前も」
「教えてくれ、サクマ」
ラブマシーンに詰め寄られて、サクマは身体を置いて首だけくるりと一回転させた後に何でもない様に言った。
「あのな、アイツは――」









くつくつと、鍋の中の具が煮込まれて音を立てている。その音を聞きながらケンジはかき回す手を止めて溜息を吐いた。
そろそろ今日が終わる時間だ。今年も何とかラブマシーンからの誘いの言葉を振り切ったけれど、年々断るのが難しくなっている事を思ってケンジは肩を落とした。
「来年は、どうしようかな……」
今取り掛かっている仕事が終わらなくて無理だ、は去年使ってしまったけれど、これが一番有効な言いわけかもしれない。
言いわけと言ってしまっている辺りで、もう色々駄目なんだろうけれど。
「それでも、なあ、」
鍋の火を止めて、ケンジは蓋を閉めた。
その時だった。
コンコン、と玄関の扉をノックする音が聞こえたのだ。こんな時間に誰が?と疑問に思いつつ、ケンジは急いで扉に向かう。何か急ぎの案件でも出たのだろうか、と軽く返事を返しながらケンジは扉を開けた。
「お待たせしました、どなたで、」
しょうか、と続けようとしたケンジの声を、巻き起こった風がさらっていった。扉の隙間から風が吹き込んで、ケンジは思わず目を瞑る。
「……っ」
風は数秒にも満たない間におさまった。風が吹き込んで来ない事を確認して、そろそろと目を開けたケンジの視界の先には、黒いマントをはためかせ、黒いスーツを着たラブマシーンが立っていた。
「……ラ、ラブマシーン、さん」
「ケンジ、迎えに来た」
え、とケンジが声を出すまでもなく、ケンジの身体はラブマシーンの腕の中に簡単に捕まってしまった。
ケンジの背後で扉が閉まる音が聞こえた。その音が聞こえたと同時に、ケンジはラブマシーンと共に空に舞い上がっていた。
「……ラブマシーンさん、どうしたんですか、何かあったんですか?」
「何かとは?」
「ボクを迎えに来たんでしょう?侘助さんに呼ばれたんですか?」
「いや、違う」
「それじゃ、なんで」
ケンジがラブマシーンを見上げると、ラブマシーンはケンジを見ないで、ただケンジの身体に回した腕に力を込めた。
「……ラブマシーンさん?」
その力をいつもとは違うと感じながら、それ以上口を開かないラブマシーンに諦めて、ケンジはラブマシーンの胸に顔を寄せた。

「ケンジ」
どれくらいそうしていただろう。ラブマシーンから静かに名前を呼ばれてケンジは顔を上げた。そっと地面に降ろされて、ケンジは周りを見回した。
「……管理棟の上、ですか」
OZにいつの間にか来ていた様だ。空の色はもうほとんど夜の黒に塗りかえられている。日中は綺麗な橙色だったと、昼間に来たケンジから聞いていたケンジは、それが少しだけ残念に思った。
ばさり、とマントが翻る音がして、ラブマシーンはケンジから一歩だけ引いた場所に立って膝を折った。今日のラブマシーンはイベントに合わせて他のアバター達と同じ様に仮装している。去年は狼男だったが、今年は吸血鬼の格好だ。普段は見れない黒を着こなしたラブマシーンの姿に、ケンジは目を細める。似合っている、と素直に思う。でもそれを今日だけは素直に言えない自分がいる。ケンジはラブマシーンとの距離を詰めないまま、その場でただ立っていた。
「ケンジ、」
ラブマシーンが呼んだ。ケンジの目の前で、ラブマシーンは右手を差し出した。
差し出された手はそのまま動かない。ケンジはラブマシーンの顔と手を交互に見る。
「……ラブマシーンさん?」
「ケンジ」
小さく呼ぶと、ラブマシーンもまたケンジの名を呼んだ。
「あの、どうしたんですか」
ラブマシーンが何をしたいのか分からない。ケンジが白旗を上げて尋ねると、目の前の彼は優しく笑った。
「これから先、ワタシがこうして手を差し出すのは、ケンジだけだ」

自分の目の前に差し出された手をケンジはもう一度見る。
大きな手だ。
あたたかくて、
そして、
誰よりも優しい手であると、知っている。

ケンジは一歩踏み出した。その一歩だけで、彼の手に簡単に届いてしまった。ぎゅう、と握る。同じ力で握り返された。
「不安に思うなら、呼んでほしい。ワタシの手はここだ。ケンジの前にある。いつでも。どこでもだ」
ケンジが頷く。その耳が赤い事にラブマシーンは気付いて、でも何も言わずにケンジを抱き寄せた。
腕にすっぽりと納まったケンジの身体にラブマシーンは目を閉じた。そして後でサクマに感謝しよう、と胸の内だけで思いながらサクマとの会話を思い返す。



『ケンジのあれはな、ただのヤキモチだよ』
『ヤキモチ?』
『今日だけはさ、お前色んなとこからお呼びがかかるだろ?』
『まあ、ゲームの一環で、ワタシはただ逃げてるだけだが』
『それでも普段のお前と違って、近付きやすくなるじゃん。だからだよ』
『だから、とは?』
『うーん、例えばさ、ケンジが、俺たち以外の、お前の知らない他の誰かと仲良くしているのって、見ててどうよ』
『……』
『そういうことさ、ラブマシーン』
『ケンジが、本当に?』
『お前が気付かないだけだよ、アイツもお前に知られたくなくて何も言わないんだろうから。だから俺が言った事はナイショにしてくれな』
『……でも、それならどうしたらケンジは分かってくれるだろうか』
『分かってないわけじゃなくてさ、分かっててもどうしようもないんだろ』
『そういうものか』
『そういうものだよ、ラブマシーン』
にや、と笑ってサクマはラブマシーンの肩を叩いた。

『お前が思っている以上に、アイツはお前が好きで好きで、しょうがないんだからさ』





「ラブマシーンさん?」
腕の中のケンジがこちらを見上げている。何でもない、と目を見詰めてラブマシーンはケンジに言った。
「ケンジ、Trick or Treat?」
丸い目が大きく開いた。少しだけ戸惑う様に頬に赤みが差す。それからゆっくりと伸び上がってラブマシーンの耳元でケンジは囁いた。
「――」
その答えに満足そうにラブマシーンは笑って、ケンジを抱き締めたまま空に舞い上がった。




………………
111031

…Happy Halloween!という事でいつもの通りのラブケンが通ります。 












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