色仕掛け






人生においての岐路に立たされていると思う。





(やっぱり、絶対に無理ですって、こんなの…!)

心の底から泣きたい心地でケンジは今扉の前に立っている。この扉一枚向こうには、彼が自分を待っているのだ。

(ボクが、望んだのは、こういう事も、それは多少あったりしましたが、でも、だからって…)

未だ決心がつかずにその扉を開けることが出来ない。原因は恐らく、ケンジの今の格好にある。

(………Yシャツ一枚、なんて…)

カズマとケンジの助言を受けて、今ケンジはこの格好で彼に一世一代の告白、もとい、夜這いをかけようか、という場面にあるのだ。ケンジの身長だと丁度Yシャツの裾が太ももの中間辺りで切れている。心許ないその長さにぎゅうと裾を掴んだままケンジの身体は固まってしまった。

(…やっぱり、無理です!)

やめよう、と一歩扉から足を引こうとしたが、今日のケンジとの会話が耳の奥で再生された。


(『相手が好きならどんなに見苦しくたって足掻いて、足掻いて手に入れるものなんです!』)


「でも、でもケンジ君、ボクは…」

「ケンジ?」
無意識に口に出してしまったその声が聞こえたのだろう。扉の向こうから自分を呼びかける彼の声が聞こえてケンジは頭が真っ白になってしまった。
「どうしたんだ、ケンジ、遅いから心配した……………」
軽い音がして扉が開く。その先にいる彼が自分の姿を見付けて固まった。ケンジもケンジで言葉が出てこない。お互い見詰め合ったまま二人の間に重い沈黙が落ちた。
どれくらいの時間が経ったか、それは一瞬でもあったし、もっと長い間だったかもしれない。先にこの状況から抜け出したのはやはりというかケンジの方が先だった。
「ご、ごめんなさい、お風呂を、その、掃除していたら、ちょっと遅くなってしまって…そ、それで、あのその時パジャマを濡らしてしまって、それで代わりにこれを、あの、ボクやっぱりちゃんと着替えてきま」
最後まで言い切る前にラブマシーンの前から走って逃げようとしたケンジの腕をラブマシーンの大きな手が掴んだ。そのまま部屋の中へ引き入れられたケンジは、さっきまで自分が入るのを躊躇っていた扉があっさりと閉まっていくのを視界の隅で確認した。
扉が閉まった音が微かに聞こえて、小さな闇の世界が部屋の中に広がった。ケンジは自分の身体を包む存在に息が止まりそうになった。
「………ラブマシーンさん…?」
自分を抱きしめたまま動かない彼の名前を恐る恐る呼んでみる。言葉のかわりに腕の力が少しだけ強くなったように感じた。
相手の存在を極近くで感じて、ケンジの心はそれだけで満たされていってしまった。

(このまま、こうしてずっと、いられたら、)

身体の力を少しずつ抜いて、ケンジはラブマシーンに身を任せた。すると、彼が僅かに動いた事を感じて、ケンジが振り返ろうとしたその瞬間、部屋に明かりがついた。その眩しさに一瞬顔を顰めたケンジは、暫くしてから明かりに慣れてきた目をラブマシーンに向けた。ぼんやりと滲む視界の先に彼がいて、覗きこむようにじっと自分を見詰めている。
何も言わずその視線を受け止めていたケンジに、ラブマシーンがその目を見ながらゆっくりと名前を呼んだ。
「…ケンジ、」
「はい」
自分でも驚くほど自然に、そして静かに返した返事にケンジは内心で自分に驚いていた。
「…許してくれとは、言わない」
「ラブマシーンさん?」
何を言っているのか、と尋ねようとしたケンジの言葉を言わせまいと、ラブマシーンの腕がケンジをもう一度抱き締めた。
「…でも、もうどうしようもない事が、分かった」
「………ラブマシーン、さん」
「ケンジ、」
この時になってようやっと、二人の想いは同じであったのだろうとケンジは気付いた。ラブマシーンがその先を言う前にケンジは思い切って彼の首に抱きついた。
「…っ、ケンジ?」
驚いて自分の名前を呼ぶ彼にケンジは泣きそうになった。
「…ボクは、臆病で、…でも、これがボクの精一杯なんです」
「ケンジ、ワタシは、」
「ラブマシーンさん、」
ケンジは抱きついたまま彼の首筋をちろりと舌で舐めた。思い切り跳ねた彼の肩にそのまま頭を擦り付けてケンジは言った。





「…明かり、消してくれませんか?」









……………
『うんとキスして、わたしをハイにして』→『暗くなるまでまって』→拍手文(log 2)、と続いたこのシリーズ、これにて完結(?)です。
去年の冬に作ったペーパーに載せた小話でした。







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