禁欲のスヽメ この話は『真夜中の攻防』の続きになります。 いつだって好奇心の前には、こんな凝り固まった常識をぶら下げたって無意味ってもんだ 朝、目が覚めたラブマシーンは小さなノックの音に気がついて扉に向かった。こんな朝早くから誰が、とドアを開けると、そこには誰もいない――訳ではなく、視線を下ろした先に黄色い栗鼠がちょこんとお辞儀をしていた。 「暫くお世話になります」 「…ケンジ?どうしたんだ、こんな早くから。ケンジ、ケンジが、」 来た、と呼ぼうとしたラブマシーンの声を遮って、ケンジが奥から声をかけてきた。 「あ、おはようございます、ケンジ君」 「おはようございます、ケンジさん」 「首尾は?」 首尾?と首を傾げるラブマシーンの前で、ケンジがニコリと笑った。 「上々です」 なんとも清々しい笑顔なのに、何処か怖い雰囲気をケンジが僅かに漂わせたので、ラブマシーンは口をはさむ事が出来なかった。 「お疲れ様でした」 「こちらこそ、ご迷惑お掛けしました。それで、あの、ケンジさん。お願いが、」 「ほとぼりが冷めるまで、どうぞ好きなだけ居て下さい」 「…有難うございます」 「取りあえず朝食はいかがですか?」 「是非、頂きます」 「…ケンジ、」 「どうしました?ラブマシーンさん、さ、ご飯にしますよー。 今朝はですね、ケンジ君、リンゴジャムにアツアツのトーストと、ポタージュスープです」 「うわあ、とても美味しそうです!」 「…??」 結局ラブマシーンは二人の会話に最後まで入っていく事が出来なかった。 「じゃあ、行ってくる」 「はい、行ってらっしゃい。気をつけて」 玄関の戸口に立ってラブマシーンを見送るケンジの横に黄色の栗鼠の姿が一緒に映る。 「ラブマシーンさん、お願いが」 「何だ?ケンジ」 屈んでケンジに視線を合わせるラブマシーンにケンジは尻尾をピンと伸ばして言った。 「もしも、もしもですがOZの中でカズマさんを見かけたら…」 「呼んでくればいいのか?」 「いいえ?違います」 何故か周りに氷河地帯が見えた。首を傾げるラブマシーンにケンジは気にせず言った。 「暫く帰りませんので、よろしくお願いしますと、お伝えください」 「…???…分かった」 最後まで分からないラブマシーンを見送ってからケンジは栗鼠に向かって溜息を吐いた。 「ケンジ君、」 「…分かってます。でも、これはもう意地です」 決意を固めた瞳で拳に力を込めるケンジに、ああ、今回は少し長引きそうだな、とケンジは二度目の溜息を吐いた。 「ケンジさん、来てないか」 ラブマシーンがOZの管理棟目指して飛行中、見知った姿が横切った、と思ったらそれが急旋回して自分の目の前に現れた上、先の科白を開口一番に尋ねられた。なんだか今日は不思議な事が多い、と思いながらラブマシーンは一拍間を開けてから口を開いた。 「……伝言を頼まれている」 「僕に、か?」 「ああ」 その言葉に姿勢を正して自分を待っているカズマにラブマシーンは本日何度目か分からない首を傾げる所作をした。 「で、ケンジさんは、なんて」 「その前に聞いてもいいか、」 「何だ」 「何か、あったのか?」 ラブマシーンのその言葉にカズマの肩が跳ねた。 よく見ると、身体の彼方此方に怪我をしているようにも見える。 「…ケンカ、か?」 思った事をそのまま口にすると、カズマが自分を見る目が半分据わっていた。 「半分は自分の所為だ。もう半分はお前にある」 「ワタシが?何かしたか」 「何かした訳ではないが、発言が不味かった…」 そう言うなり思い切り肩を落として影を背負ったカズマに、ラブマシーンは慌てた。 「す、すまない、何を間違ったのだろう?」 「…違う、お前は多分悪くない」 その言葉の意味を考えない訳が無い事を、僕が見落としていただけだ、とカズマがぼやいた。 「言葉の意味?」 「何でもないよ、気にするな」 「件の女体盛りの事か?」 「…しっかり覚えているじゃないか」 「ケンジに昨日聞いたのだが、」 「(やっぱりか!)…それで、ケンジさんはなんて」 「ワタシにはまだ早いから、大人になったら教えてくれると」 その発言は自らが掘った墓穴に自分を入れた上で、更に上から土を盛るようなものだな、とカズマはその時のケンジの心中を想って項垂れた。 「すみませんでした…」 「カズマ?どうした」 純粋そのままの瞳で迫られたケンジは、きっとどうにか話の矛先を逸らせないか苦心した事だろう。だが、無理だったのだ。 そんな妥協点を与えてしまった時点で、ケンジの今後の運命が覗けそうなものだ。謝りたくなるのもしょうがない。きっかけは自分にある。 「自分の発言には今後十分気をつけるようにする…」 何故か悟りきった様な視線で遠くを見るカズマに、ラブマシーンが再度首を傾げようとしたその時、二人の間に通信が割り込んできた。 『ああ、ここにいたか、ラブマシーン』 「侘助、どうしたんだ?」 通信ボードから、侘助の顔が覗く。ラブマシーンに目を向けた後に隣にいるカズマに気付き声を掛けてきた。 『なんだ、キングも一緒だったのか。久しぶりだな』 「…どうも」 何か話があるのでは自分は邪魔か、とカズマが席を外そうとしたその時、ラブマシーンが話す言葉にカズマの動きは止まった。 「そういえば、侘助に聞きたいことがあるのだが」 そのラブマシーンの一言にカズマの身体が勝手に動いた。 「ちょっ、と待て!お前何を聞く気だ!?」 慌ててラブマシーンの肩を掴みこちらに顔を向けさせると、 「いいからこっちに来い!」 と、侘助に聞こえない位置まで移動して二人してしゃがみこんだ。 「…お前、何を聞こうとしていたんだ…?」 顔を突き合わせて話すカズマに、戸惑いながらラブマシーンが口を開いた。 「何を、と言われても、この間の点検の際に気がついた情報ネットワークのタイムラグについて、の話しだが…?」 「………そ、そうか、いやそれならいいんだ」 早とちりした自分が恥ずかしく、カズマはラブマシーンの肩からそっと手を外しながら在らぬ方向へ視線を投げた。 『何が、いいんだ?』 油断していた一瞬の隙を突かれて、真後ろから声を掛けられたカズマはその場で大声を上げそうになった。 「……っ!あ、あんた、どうして、そう…」 『ん〜?何の話だ?随分と愉しそうだが?』 「あんたには関係ない話だ…」 今ここで侘助に事の次第を聞かれるのはとても拙い。どうにか話を逸らす事が出来ないか、とカズマが内心冷汗を流しながら思案していると、ふと今気がついた、と言うようにラブマシーンに向かって侘助が言葉を投げた。 『そういや、お前が昨夜聞いてきた件に関しての解答だがな、』 (…昨夜…?) 話が逸れたか、とホッと胸を撫で下ろそうとしたカズマは、続く侘助の言葉に文字通り石になった。 『俺がどうこう教えるよりも、ケンジに聞いた方が手っ取り早いだろうから、ほれ、これを渡しておくから後はケンジに聞け』 そう言って侘助がラブマシーンに寄こしたものが、 「…何だ?コレは」 『あん?何だって、そりゃ生クリームの素だ』 「あああああんた!何だってそんなもんをおおお!!!!?」 思わず叫んだカズマに目を大きく開いた侘助があっけらかんと答えた。 『そんなもんって、いや、コイツが昨夜聞いてくるからよ?俺はヒントをやろうと思ってだな、』 聞きたくはない。聞きたくはないがここは聞いておかないと今後の自分の身も危うくなる事が分かってカズマは腹を括った。 「…何の、ヒント、だ?」 『何のって、…女体盛「分かったもう言わないで下さい!」 侘助の言葉を途中で遮ってカズマは頭を抱えたくなった。 「アンタ、教えたのか…」 『疑問に思ったらとことんまで追求したくなるからなあ、コイツ。いやあまさか、あんな事聞かれるとは思っちゃいなかったが、いや、これも教育の一環だろう?』 (ちっともそう思ってなんていやしないくせに…!) 脂下がった顔で自分を見ている侘助に思いっきり回し蹴りを食らわせたくなった。 『お前が教えたんだって?』 (ああ、もう何でもお見通しかよ!) 舌打ちしてから侘助に視線を向けるカズマの目は戦闘中もかくや、と言わんばかりの激しさだった。 『お盛んなのはいい事だがな、もうちょっと考えた方がいいぜ?』 「…身に沁みたよ…」 『まあ、でもこれはこれでお前にとってもちっとはプラスになるんじゃないか?』 何の事だ?とカズマが視線で尋ねると、侘助は悪びれも無く言った。 『アイツがケンジにアレ持って聞きに行けば、ケンジも対応せざるをえなくなるだろう?そしたら、お前の所のケンジは随分肩身が狭くなるだろうなあ』 そこまで知っているのか!?とカズマが目を見開くと侘助はそれに気付きながらもそのまま話しを続けた。 『そうすりゃ嫌でもお前の所に一端は戻らにゃならんだろう?お前がこの後アイツにくっついて家に行けば、』 そうすれば、 『仲直りでも何でも、お前ら二人でじっくり出来るんじゃないか?』 それはとても魅力的な案だとは思った。思った、が、 「…ケンジさんが、物凄く不憫じゃないか…?」 今頃何も知らず、ケンジとのんびりお茶でも飲んでいるであろうケンジを思ってカズマが歯切れ悪く呟くと、 『キング、知ってるか?』 「何を、だ?」 『恋愛においては疑うよりも騙すほうが先に立つのさ』 開いた口が塞がらないとはこの事で、言葉が頭に届いて理解したカズマが侘助に何か言うより前に、侘助はとっととこの場から去ってしまっていた。 「カズマ?どうした?」 「……あの人だけは敵に回したくない」 心底からの言葉を呟いて、カズマはラブマシーンの手に握られたソレを見た。 (…ケンジさん、すみません) 後で罵倒でも何でも受け入れる、とカズマは胸の中で固く誓って首を傾げるラブマシーンに言った。 「今日の帰り、お前の所に寄る」 「…それは、構わないのだが、ワタシはケンジからお前に伝言を…」 「いい、後で本人から聞く」 「そうか」 その後仕事がある、と言ってラブマシーンと別れたカズマは、今夜の作戦を一人で練る事にした。 「…ケンジさん、覚悟していて下さい…」 どちらのケンジにも向けられたその言葉に、遠く離れた場所で二つのくしゃみがそれに答えた。 『禁欲のスヽメ』 …………… 無駄に長くなりました… |