暗がりと指先 このまま眼が見えなくなっても、 音が聞こえなくなっても、 手足が動かなくなっても、 それでも、いいと、 今、自分はとても幸せだ、と、 「…ケンジ」 「…だ…じょう、ブ、でスよ、ラブ…まシ、ン、さん」 自分の存在はとても希薄だと、こんな時思う。マスターとの繋がりを自ら断ち切ってしまったのだから、本来であればとっくに消去されていてもおかしくは無い。それでもここにいる事を許されたのは、彼の為だ。彼の為に自分はいる。なのにこの低落。あまりの情けなさに今すぐ自分の存在を消し去りたいとケンジは本気で思った。 今日ケンジは一人で行動していた。ラブマシーンが侘助と再調整をかけている時はケンジは自由に行動が出来ることになっている。それだって籠の鳥とあまり変わらない範囲なのだが。 一人でぼんやりしていた時に、たまたま遭遇したのが、夏のあの戦いの最中、ラブマシーンによって取りこまれてしまったアバターの集団だった。 今でこそ、ラブマシーンの存在は少しずつ認められ、彼を取り巻く環境も良い方向に向かってきている。だが、自分は別だ。ケンジの姿はあの時のまま、OZの世界を混乱に巻き込んだ張本人として、今でも一部に思いこまれている。それだって確かな情報では無いにしても、巻き込まれた者にしては嘘ではないからだ。 気がついた時はもう遅かった。 両腕を掴まれて身動きが取れないようにされた後に、連れていかれた場所が自分の活動制限区域外だった。反抗すらせず、大人しくしていたケンジだったが、その事に気付いて慌てた。このまま進んでは、自分は元より周りの彼らがどうなるか分からない。どうにか止めようとしたが、彼らは止まらなかった。自分の言葉に耳を貸すことをしない。どうする事も出来ず、その線を越えてしまった瞬間、ケンジの身体に電流が走った。青い光が自分の身体を突きぬけていく激痛に意識が飛びそうになる。なんとか周りの彼らに衝撃がいかないよう、離れようと身体を動かそうとしたが出来なかった。 そのまま下へ自分が落下していく事が分かっても、指の一本すら動かす事が出来ない。見上げた視界の片隅で、驚いたように動かない彼らの背後から、彼が、ラブマシーンが飛んできたように見えた。それを確認しようとして、もう一度見上げようとした視界は既に開くことは出来なかった。何もかもが手のひらから零れていくような感触を最後に、自分の身体が静かに抱きあげられるのをケンジは感じた。 次に気がついた時に、ケンジは自分が寝かされていることを知った。此処が何処だか分からない。視界が暗く閉じたままになっているため、周囲の確認が出来なかった。誰か、と声を出そうとして、それすら困難な事に気付く。途方にくれていると、誰かが自分の頬に触れている事が分かった。腕を上げてそれを確認しようとしても、腕が上がらない。先程から音が拾えない事にも気がついた。どうやら自分は今、声も、音も、身体の自由すら奪われている事を知った。これが境界線を越えた罰か、と自嘲しようにも表情すら動かせそうにない。分かるのは自分に触れているこの手だけだ。 (おおきくて、あたたかい) こんな風に自分に触れる事があるのは、自分の知る限り彼一人だ。 (ラブマシーンさん) きっと彼なのだろうと思う。触れる手はどこまでも優しく、まるで壊れ物を扱うかのようで、ケンジはそんな風に触れなくていい、と叫びたくなった。どうしようもない愚かな自分が招いた、これは罰なのだから、彼が気にすることは何一つないのだと言いたい。 それでも優しい彼は納得しないだろうことも分かって、何も出来ない今の自分に腹が立つ。 悔しくて、悲しくて、このまま消えてしまいたい、とケンジが思ったその時、頬に何かが当たるのを感じた。 水の様な、あたたかな何かが、雨のように自分の頬に落ちてくる。 ケンジは触れている手が震えている事に気付いた。そしてこのあたたかいものが、ラブマシーンの涙だということが分かった。 彼が泣いている。 それが自分の所為だと知って、胸に湧き上がるこの感情の何と醜い事か。 どうして自分は優しい彼を悲しませるような事をしてしまったのか。あの時何が何でも逃げきれば良かったと、後悔をしてももう遅い。自分の所為で彼が泣いている現実は変わらない。 せめて声を出すだけでも、と喉の力を振り絞ろうとしたその時、ケンジの耳が僅かに音を拾う事が出来た。 「…ケンジ」 それは彼が自分の名前を呼ぶ声だった。 (どうして今、そんな声で呼ぶんですか) なにも出来ない自分がもどかしい。それでも何とか口を開いて、彼の名を呼んだ。 「ラ、ブ、…ましー、ン、さン、」 彼の手の震えが止まった。その直ぐ後、遠くの方で誰かを呼ぶ声が微かに聞こえる。侘助を呼んだのだろうか、と考えるケンジの身体が大きな何かに包まれた。 ラブマシーンがケンジを抱きしめたのだ。 これ以上無いくらい彼の存在を近くに感じる。ケンジは駄目だ、と思った。これ以上彼に近づいてはいけないと、この温度に慣れてはならないと思う。けれどそれと同時に胸を締め付ける嬉しさがこの時ケンジの中で勝ってしまった。 (今、だけ、だから) 動かない身体を言い訳にして、ケンジは身体の力を抜いた。このまま彼の腕の中で消える事が出来たら、とても幸せなのに、と思いながら。 …………… そこが一番安心出来る場所だった |