見上げた空は





あの時、胸に過ぎったのは何だった?






「月が眩しい」
「うん、そうだね」

縁側に二人並んで月を眺めていた。今日も今日とて宴会のような夕食が終って、今は皆が思い思いの格好で寛いでいる。佳主馬は健二と共に賑やかな席を離れ、けれどそのままいつもの納屋まで行く気にもなれず、お互いに何となくその場から少しだけ離れた縁側の傍に落ち着いた。
今夜は空が良く晴れていた。見上げた夜空には月がその顔をよく見せている。

「ここは本当に星がよく見えるって思ったけど、今夜は特別に月がすごいね。僕こんなに月が明るいって知らなかった」

都会っ子らしい科白を健二は言って、照れくさそうに頭をかいた。その時の健二の仕草と柔らかい目元に佳主馬の視線は吸い寄せられた。
健二の瞳に映る月の影とその行方を無意識に追ってしまった佳主馬は不自然にならない程度にぎこちなく顔を健二から剥がした。そのまましばらくお互いが黙って静かな夜空を見上げていると、佳主馬の頭の片隅からいつかの場景が再生された。

(あれは、確か学校の現国の授業で・・・)

学校の授業中になんとなく聞き流していた、昔の日本の感性、美徳の話。生徒が教師の質問に答えた英文の訳し方を、教師は違う、と直させた。

(そんなんじゃ伝わらないってあの時思ったんだ)

そこまで考えて思い出したその内容に知らず佳主馬の頬はさっと染まる。

(馬鹿げてる、そんなこと今思い出して何になるって・・・)

長い前髪が今の自分を健二から隠してくれている事が佳主馬には救いだった。鈍い健二が今の佳主馬の状況に気付いているはずもない。それが安堵と落胆の両方の感情を佳主馬に起こさせた。

何時からか佳主馬の中に、か細く、けれど確実に息づく感情があった。それはすべて健二に関する事象が関係していることにも、その感情にどういった名前が付けられるのかも、佳主馬には分かっていた。とても不毛だと思う。気付いた瞬間にもうそれは蓋を閉めなくてはいけないものだったのだから。自覚した当初はあまりのことに呆気にとられ、暫く塞ぎこんだ。
けれど今、自分はこうして健二の隣にいる。

(僕も、大概諦め悪いからな・・・)

苦い笑みが佳主馬の顔に浮かぶ。健二は夏希が好きだ。夏希も健二を好きだ。二人は所謂両想いというやつで、自分が入り込める隙がこれっぽっちもある筈がないと知っていた。それでも、

「佳主馬君、」

健二が自分を呼ぶ。それだけで佳主馬の中でさざめく声が今にも喉から飛び出しそうになる。それは溢れるばかりに純粋な想いで、些細な切欠で佳主馬の心に波紋が広げるのだ。まるで湖面からぽかりと顔を覗かせるように魚の様に。
でも自分は、溺れる魚だ。

(諦めるなんて、出来っこないって気付かされるのはこんな時だ)

無理やり意識を切り替えて、佳主馬は健二に向き直った。だが、呼びかけたはずの健二は先ほどと変わらず夜空の月を眺めているままだった。さっきの自分を呼ぶ健二の声は聞き間違いだったのだろうか。確かに健二の声だったはずだが、思い返せば囁くような声の小ささに佳主馬は一瞬聞き間違えたかと思った。再度視線を健二の顔に向けると、当の本人ははまだ空を見たままだった。やはり聞き間違えか、と細く息を吐き出して元も位置に戻そうとした佳主馬の頭が次に続いた健二の声に固まった。



「月が、きれいだね」



心臓が跳ねた。
柔らかい、優しい健二の声が、無防備だった自分の耳に流れこんできた。頭の中の電気信号でその言葉の意味を佳主馬に伝える。
分かっている。彼は純真で、真っ直ぐで、だからこの言葉も、健二が今見たこの情景に対する言葉の意味そのままだという事も。それでもあの授業の時に聞いた話が、佳主馬の判断を鈍らせる。



「・・・うん、月が、きれいだ」



この言葉を自分が返す時にどれだけ心臓が早鐘を打っていたかなんて、健二は一生気付かないだろう。でもそれでもいいと、佳主馬は思った。この距離を壊すことを望む訳がないと自分に言い聞かせた。
いつの間にか手のひらに汗をかいていた。きつく手を握りしめることでそれを逃がさないようにして、佳主馬は健二を見た。

(でも、これくらいは許して欲しいんだ)

どうしたって諦めきれない恋心を、拾い上げることなんてしなくていい。それでも今のこの場所を自分は誰にも譲りたくないと心底から思う。まるで子供の我儘だ。知っていてもどうすることも出来ない自分は何と滑稽な事か。


「ありがとう」


だからその時に見た不意打ちのような健二のはにかむ笑顔に佳主馬は目を逸らすことが出来なかった。夜風が二人の間を通り過ぎていく。夏の終わりを知らせるかのようなそれが、佳主馬の心の琴線を揺らした。無意識に健二に向けて伸ばされる自分の腕を、佳主馬は止めようとしなかった。












……………
多分、こういうもだもだした事考えてる佳主馬君が好きなんです。
でもやっぱりキングな佳主馬君もいいと思います。
…今度書きます。








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