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変貌


 一九九九年四月二二日(木) 一三四五時
  熊本市

 熊本市は、静かだった。
 まるで、一昨日の戦闘は夢であったのか、そう疑いたいぐらいに、この二日間は太陽は穏やかな恵みを存分に分け与え、やや気温が高くなってきたとはいえ、それでも充分に心地よい微風が傍らを駆け抜けていく。
 だが、戦いが単なる幻ではない証拠に、市内の何ヶ所かでは無残に破壊され、倒壊した住宅やビルが焼け焦げた姿をさらし、その中から時折、戦いから二日経ったというのに、いまだに消し炭のような遺体が担架に乗せて運び出されていた。
 それでも、生き残った者は自らの命があることを素直に喜び、焼け焦げた残骸を片付け、掃除をし、仮設ではあるが住居を建て直すべく槌を振るう。
 してみると、人類という生き物は意外としぶといものなのかもしれない。
 まあ、感心しているばかりで済むわけでもなく、為政者たちは戦時経済と罹災者の救護に頭を痛め、軍は次なる戦いに備え少しでも戦力を回復すべく、休養と補給、そして整備に余念がなかった。
 それはここ、五一二一小隊においても同じである。いや、先日の戦いで戦死者こそ出さなかったものの、士魂号単座型が二機廃棄寸前に追い込まれ、複座型も手ひどい損害を受け中破、スカウトたちのウォードレスはそろって廃棄となれば、戦力回復は急務であるばかりでなく、むしろ義務であった。
 結果、昨日こそちょっとした式典で時間が取れなかったものの、皆午後からはハンガーやグラウンドで訓練や整備に余念がなく、今日に至っては黒板に「本日自習」の文字がでかでかと書かれていた。

 同日同時刻
  小隊ハンガー

 ハンガー内は普段と変わらぬ喧騒に包まれていたが、その雰囲気は以前よりは――こう表現していいものならば――よほど穏やかなものとなっていた。
 損害は決して軽いものではなかったが、ともかくも一人も死なずに済んだのだ。熊本城の件があっただけに、その喜びは程度の差こそあれ、誰もが一様に感じていることであろう。
「二番機、右腕部人工筋肉換装完了。神経伝達系、試験に入ってください」
「おっしゃ! 待ってたぜ!」
 滝川は嬉しそうに叫ぶと、いそいそとコックピットにもぐりこんでいく。完全破壊こそ免れたものの、一時は交換か、とも言われただけに、「愛機」が復活していくさまは単純に嬉しいのだろう。他の機体も進行の程度はまちまちだが、徐々に本来の力を取り戻しつつあった。
 例外は、一番隅の四番整備台に待機している四番機――士翼号だけであった。先日の戦いで臨時起動された士翼号は、戦線に参入するやいなや、獅子奮迅とはこのことか、と思わせる機動と打撃力で小隊を崩壊の淵から救い上げた。損害が皆無だったわけではないが、それは他の機体と比べれば上っ面をはたかれたようなものでしかない。
 だが、士翼号は戦闘後にこまごまとした不具合が次々と発覚、点検項目は優に一〇〇を超えていた。
「この初期故障って奴が厄介なのよね、後から際限なく出てくるし、放っておけないし……」
 ――この機体そのものが試験機みたいなものですものね。
 資料を見る限り、このオーバースペックの塊は量産はおろか、よくぞ生産できたと思うくらいである。
 ――そもそも、生産できたのかしら……?
 そんな考えが一瞬頭の中をよぎったが、原はそれを慌てて頭から追い出した。
何も、これ以上の厄介事を自ら望んで抱え込む必要はない。
 ともあれ、修復だけならあっという間に終わっていた士翼号の整備がいまだ続いているのはそういった理由もあった。今は原と森が臨時四番機整備士として修復を行っている。
そしてそこには、士翼号パイロットに野戦任官された速水の姿もあった(後、正式任官)。
 速水の表情は明るかった。出撃直前まで彼を覆っていた陰鬱な雰囲気はかけらもなく、かつてぽややんと呼ばれた表情そのままかと思わせるような笑顔をみせることさえあった。
 であるにもかかわらず、周囲の面々はときおり作業の合間に彼を認めると、微妙な表情を浮かべるのだった。

「右胸部装甲板取り付け位置変更終了。ここの合いが悪かったのか……。原さん、固定願います」
「了解、接合部を五ミリ修正。……どう?」
「はい、大丈夫です」
「そう、じゃあ悪いけど私は向こうの様子を見てくるわ。続きよろしくね」
 頷く速水にひらひらと手を振ると、原はひらりと整備デッキに飛び降り、階段を下りていった。
 速水は一度立ち上がると軽く腰を伸ばしてから、士翼号を見上げた。士翼号はところどころ装甲板が外されており、メカニズムがのぞいているさまは、どことなく手術のようだ。
速水は耳に片方だけのヘッドフォンのようなものを装着して、付属のマイクにささやくように呼びかけた。
「それにしても、最初はびっくりしたよ。舞ったらいきなり驚かすんだから……」
『誰がだ。それにこの程度で驚いてどうする? ……とはいえ、私も音声機能を掌握するのに手間取った。驚かす形になったのは確かだな』
 レシーバー――士翼号とのコミュニケータからは、彼の愛する少女の声が、苦笑の気配と共に聞こえてきた。

周囲に敵弾が飛び交う中、速水は己の耳が信じられずに硬直していた。目はこれ以上ないほどに見開かれ、身体がまるで熱病にかかったようにぶるぶると震えている。
立ち止まった士翼号のそばに、また一発着弾した。コックピットがかすかに振動する。
『莫迦者! 戦場で突っ立っている奴があるか!』
 舞の一喝に、速水は反射的に叫んでいた。
「ま、舞! 舞、どこにいるの?」
『ここに、ずっといたぞ。ののみは気がついたようだがな』
「! じゃ、じゃあこれが、この士翼号が……?」
 速水は目玉がこぼれ落ちるのではないかと思うほどに目を大きく見開くと、絶句した。
『そういうことらしいな。無理もない、私ですらいささか疑わしいのだ。そなたが信じぬのも……』
「いや、信じる、信じるよ。よくは分からないけど、何か、感じるんだ。それにさっきから不思議だったんだ。この機動は確かに覚えがあった、それが舞なら納得もいくよ!」
『話は後だ。ともかく、私にも分からぬ事は色々あるが、とにかく私はここにいる。……信じるか?』
 おそらくは合成音声であろうが、どことなく照れくさげな気配が伝わってくる。速水は確信した。
 ――間違いない、舞だ。舞が帰ってきた!
 あふれる涙を拭おうともせず、力強く頷いた。
「うん……うん! 信じるよ、舞!」
『よろしい、なれば行くとしようか。……ぐずぐずするな厚志、行くぞ戦場へ、我らが故郷へ!』
「了解! 士翼号出力全開、敵中突破する!」
 かくして、ここに二人の絆は再び結び合わさったのである。
 その後の機動は急だった。士翼号は少し前かがみになったかと思うと、ふっ、と視界から消えた。キメラが目標を見失い、擬頭部をさまよわせる。
 突如、宙から青い影が舞い降りたかと思うと光が一閃した。超硬度大太刀に切り落とされた擬頭部がごろりと地に転がる。士翼号はそのまま地を這うように駆けると、ミノタウロスに太刀を突き通した。引き抜きざまに手近なゴブリンの胴をなぎ払う。ゴブリンは悲鳴をあげる間もなく霧散した。
「す、すげえ! あれが士翼号の本当の姿かよ?」
 若宮に半ば担がれるようにしながら後退する滝川が、感嘆のうめきをもらす。若宮すら一瞬動けなかったほどである。
 まるで青い翼を従えつつ、戦場を優雅に舞う士翼号。
 もちろん、無敵でもなければ不死身でもない士翼号は、数発の被弾を受けはしたが、ついに退くこともなく戦線を支え通したのだ。
 結果、速水の撃墜スコアは一五〇を超えた。

ふと速水が振り返ると、傍らのデッキを中村たち数人が歩いていた。速水が視線を向けると、いきなり緊張が走る。
「な、中村光弘、現在作業中であります。……い、急ぎの用がありますので、これにて失礼します!」
どことなくそそくさとした足取りで、彼のほうをなるべく見ないようにしつつ、歩き去っていった。
 速水の表情が少しだけ硬くなる。が、彼らを見送ると、やれやれと言いたげに肩をすくめ、息をついた。
 ふと振り向けば、いつの間にやら士翼号のカメラアイがじっと見下ろしている。
『厚志、気になるか?』
「……まあ、仕方ないよね」
苦笑した速水の胸元には、勲章が鈍い輝きを放っていた。
黄金剣翼突撃勲章。
より通りのいい名を用いるならば、アルガナ勲章とも言う。

 速水にとって、授賞式は退屈極まりなかった。
 県庁舎の大ホールで行われた式典には、県知事をはじめ、お歴々が神妙な表情で並んでいる。速水の席からは彼らの顔を充分に観察することが出来た。こちらを見て意外そうな表情を浮かべる者や、露骨に失望の色を浮かべた者もいた。
 ――まあ、そうだよね。
苦笑したいのをこらえつつ、速水もそう思った。第一自分自身でも、こんな所にいるのが何とも滑稽で仕方がないのだ。
 県知事はさきほどから演壇で盛んに演説をぶっている。一世一代の晴れ舞台と言わんばかりの力の入れようだ。
「……この新しい英雄は、我々日本国民、いや世界市民のために戦った! 誇り高いことであります。我々は英雄を生み出したのだ! 我々は英雄を生み出せるのだ! きっと後に続く若人が、次々と出ることでしょう。これこそが私が夢に見てきた教育の姿であり、民主主義の成果であるのです!」
――子供を戦場に立たせて、殺し合いの仕方を教えるのが理想の教育なのかなあ?
あくびをかみ殺しつつ、そんな皮肉のひとつも言いたくなるほどに、県知事の話には重みがなかった。
まるで昼食後の授業のような県知事の話を聞きながら、速水は表面だけは真剣に聞いているふりをしつつ、客席へと視線を泳がせた。
それが、ある一点でぴたりと止まる。
 比較的前列のほうに、小隊メンバーや教官たちが揃って着席していた。ほとんどが笑顔を浮かべていたから、多分祝ってくれてるんだろうな、と速水はぼんやりと思った。
 そう、その時小隊のメンバーは、確かに彼の復活と勲章授与を喜んでくれた。それは間違いない。
だが、その中に、今までとは違う何かが含まれているのに速水は気がついた。
 いや、気がつかざるを得なかったのだ。

「なんだかさ、お前……幻獣を殺すたびに、人間じゃなくなっていくみたいでさ……恐ぇよ」
 第一声がそれだった。
 授賞式が終わり、余った時間を整備に費やしていた速水がふと気づくと、背後に滝川がなにやら神妙な表情を浮かべて立っていた。
「どうしたの?」
「楽しそうだな、お前」
 滝川は表情を変えずに陰気な声で呟いた。
 そして、次に発せられたのが先の言葉だったのである。
 最初は、何のことを言われているのか分からなかった。
「何? どういうことさ、それ?」
 滝川は慌てたように首を振る。
「わりぃ。ただ、そう思ったんだよ。戦ってる最中に嬉しそうに笑っているように見えた時があってさ。それも、その、芝村が死んじまってからこっち、特にな……。きっと見間違いだろうけど、そう思っちまったんだ……」
 ――ああ、そうか。
 突然、何かがすとんと速水の胸の中にはまり込んだ。妙に得心した気分になる。
 滝川は――ひょっとしたら小隊のメンバーも――速水の復活と勲章授与を喜びつつ、先日の戦い振りと真実を知らないがゆえに、速水は戦いの中に慰めと――復讐の喜びを見いだしたのではないかと思ったのではなかろうか。
 復讐云々に関して言えば、それは全くの誤解である。
 彼女を死に至らしめたのは確かに幻獣の一撃だったが、それを招き寄せたのは自分の油断だったと速水自身が認めているからだ。心に打ち込まれた自戒という楔があっては、だれを恨む筋合いもあろうはずはなかった。
 だが、戦場に立つことがたまらなく楽しかったこと自体は間違いなかった。なぜか?
 戦場には士翼号と共に立つ、舞と一緒にいられるのだ。楽しくないわけがあろうか。
 機体から降りれば、今度は整備に余念がなかった。これも当然のことで、舞の依代(よりしろ)たる士翼号に万が一の不備もあってはならなかった。
 だが、それらはすべて周囲から見れば、舞を奪った仇敵である幻獣に死と破壊をもたらすべく、常に牙を研ぎ続けている飢狼のようにしか見えなかったのではないか。
 速水にしてみれば誤解もいいところだったが、戦闘後、そして受勲後の妙に恭しい、そしてどこか引けたような皆の言動は全てそれが原因だったのか、と、今なら理解できた。
 別に、面白くはないが。
「なにか、お前……いや、あんたが敵を殺すたびに、俺なんか話にならないくらい強いことに気付かされる。俺は、幻獣より恐い人の肩を、それと知らず叩いていたのかもって……」
 滝川の独白は、まだ続いていた。速水はそれを無感動に聞いている。
「その調子で殺し続けて、勲章貰いつづけて、人類最高の絢爛舞踏章を取って……それで……それで……あんた、一体何になるんだよ」
 ――舞との約束を果たすのさ。他に何があるの?
 そう、言おうかとも思ったが、やめておいた。
 今は理解してもらえるとも思えないし、言えばその他に色々と説明しなくてはならなくなる。
「あんたには何度も命を助けてもらってる。俺だって分かってる、あんたがいなきゃ、俺はとっくに死んじまってる。……けど、なぜだか最近、近くにいると恐いんだよ。あんたは笑うけど、次の瞬間には笑ったまま、俺を殺せる、って……」
 滝川はゴーグルをぐいと引き下げた。
「悪い……、怒らないでくれよ。あんたは俺達と住む世界が違うんだよ」
 ――そんな事ないのに、勝手に決めないでよ。
 だが、その思いを口にする前に滝川の姿は消えていた。

『……胸を張れ、厚志。そなたは事実上人間が手にしうる、最高の勲章を得たのだ。それは確かにそなたが目標に向けて歩んできた証でもある。……だが、そなたが気に病むのなら、その責任は私にもある。そうなるよう仕向けたのは、私だ』
「うん、いや、そうじゃない。忘れないで。僕は確かに自分の意志でこうなろうと決めたんだから。……気にならないと言えば嘘になるけど、でも、座っているばかりじゃどうにもならないのなら、歩いていこうと決めたんだ。だから、後悔はしていないよ」
『そうか……』
 しばしの沈黙の後、話題を変えるように速水は言った。
「でもさ……それはそれとしても、やっぱり舞のことは言っておいたほうが良いんじゃない? 駄目?」
『やめておけといったはずだ。そのような話を誰が信じるというのだ? 今のままが一番良いのだ』
 それは速水にも納得できなくもない。自分ですら舞の存在をあれほどはっきりと感じなければ、果たして信じたかどうか疑わしい。ましてや他のものに納得させるなど、どれほどの手間を尽くしても出来るものかどうかは疑わしかった。
「そうだね、それも仕方がないか……」
速水はあきらめきれぬ様子ながら、やれやれと座り込み、しばしあらぬ方を見つめていた。
「何をボーッとしてるんですか?」
 いささか無愛想な声に振り向けば、そこには森が立っていた。アルガナ受賞後も態度を変えずに話しかけてくるのは、彼女のほか数名といったところだ。
「みんな何考えてるんでしょうね。その勲章で何が変わると思ってるんでしょう……莫迦みたい」
「君は、平気なの?」
森がきっとなって速水を睨みつけた。
「今言ったのを聞いてなかったんですか? 別にあなたが変わったわけじゃないでしょう。それに……あなたが今に至るまでにどれだけ努力して、悩んで、苦しんだか知っているつもりです。少なくとも知ろうと努力しました。外面だけで判断するような事はしたくないですから」
「あ、ありがとう……」
「礼なんて結構です。そんなつもりじゃありません」
森はぷいとそっぽを向き、俯いてしまった。
「でも、あなたが本当に変わってなくて、元気になってくれて、私……」
「え?」
 そこで初めて自分が何か呟いているのに気がついたのか、森の顔が見る見る赤く染まっていく。
「な、なんでもありませんっ! と、ともかく私の言いたいのは、それだけ努力してるんだから、少しは休んだらどうかって事なんです。いいですね、パイロットは身体が基本なんですから!」
 そういうと、さっさとその場を立ち去ってしまった。速水はしばらく呆気に取られていたが、やがて小さく笑い出した。
『……随分とまめではないか』
「? 舞、どうしたの?」
『……なんでもない』
存在しないはずの胸が、なぜか、苦しかった。


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