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奮闘、手料理戦(終話)


「何をやっているのだ、私は……」
 盛大なため息が聞こえてくる。
 これならフルコースが何回作れるかと思わせるほどの食材に、舞は芝村としては大変に珍しい表情――困惑した表情を浮かべて立ち尽くしていた。
 その場の勢いとはいえ、手料理などというものとはとんと縁がなかったところに、分量も目的も定めずに手当たり次第に買い込んだのだから、これはもうどうしようもないのだが。
 ――いいではないか、インスタントだろうが何だろうが食事は食事だ。何をそんなに私はうろたえているのだ?
 原因ははっきりしている。瀬戸口のあの一言だ。
『姫さんの分は速水が作ってくれるから……』
 この言葉は、二重の意味で舞の心に深く刺さりこんでいた。
 一つは、さっきからさんざっぱら悩んでいるので説明の要もあるまい。
「ま、まったく、瀬戸口のたわけめが……。わ、私と速水とは戦闘におけるパートナーであり、あの、その、そんなことをしているわけでは、その……」
 誰に言うともなくごにょごにょと理屈を並べ立てていたが、実際に深刻なのはもう一つのほうだったのではあるまいか?
 余人に指摘されるまでもなく、舞には家事能力というものがきれいサッパリ欠けていた。普段の戦闘能力との差異もはなはだしいが、これは本人も認めているとおり、そんなことに注力する機会も時間もなかったというのが大きいので、今までは特に気にもしていなかった。
 それが、彼女の意識上に上ってきたのは、やはり速水が原因であるというべきであろうか。彼が実に高い家事決戦能力(命名:芝村舞)を保持していた事が明らかだったからだ。
 初めて彼のサンドイッチを見た時の驚愕は相当なものだった。材料はごくありきたりの物でしかないのに、それが見事な調和を保っており、実にうまそうに見えた。
 それに、彼が訓練の合間などに持って来るクッキーなどのお菓子も彼の手作りだという。それを初めて食べた時の驚愕は今でも忘れられない。
 それに比べて、やむを得ないこととはいえ己の能力を振り返らざるを得ない舞であった。
 努力の人でもある彼女にしてみれば、それは大いに恥じるべき事実であった。無論研究に余念はなかったが、いまだ成果ははかばかしくない。
 結局、瀬戸口の一言は彼女の内心忸怩たる部分を思いっきり逆撫でしたに等しい。それより何より腹の立つのは、自分でもうっかりと「それはうまそうだ」と思ってしまったことだった。
「馬鹿な! 芝村舞よ、おまえは何を考えているのだ。己の為すべきことに余人の助力を期待するなど、恥だとは思わぬか!」
 だれもいない部屋で独演会よろしく声を張り上げた舞だったが、ふと、それが静かになった。
 一瞬その情景を想像してしまったらしい。
 おいしそうに湯気を立てている数々の料理。
 それらが美しく盛り付けされ、食されるのを待っている。
 そしてその向こうには速水の笑顔が……。
「わああああっ!!」
 ――な、な、なぜそこで速水が出てくるのだっ!?
 完熟トマトに負けないほどに顔を紅くしながら、パタパタと何かを追い払うように手を振っていた舞だったが、やがてぽつりと呟くように言った。
「……そ、そなたのせいだ! そなたのせいで私は全く心休まることがないではないか。……いや待て、これはいい機会かも知れぬ。私とて努力をしてきたつもりだ。今こそその成果を確かめるべき時ではないか? 待っておれ速水! そなたの挑戦、確かに受けた! フハハハハハ!」
 いつの間に挑戦したことになったのか?
 いや、それ以前にまだ同じ土俵に上がっていないことに気が付いているのかどうか。
 何やら怪しいオーラを発散しつつ仁王立ちになった舞の笑い声は、アパート中にこだました。
 他に誰も住んでいなくて幸いである。
 余談ながら、速水と何でもないのなら、そこまでムキにならなくてもと言うのは野暮だろうか?

   ***

「とはいうものの、だ……。まずは情報収集をせぬことにはな」
 愛用のコンピュータを起動させると、直ちにデータベースの検索にかかる。
 ただし、なにせもととなる食材は、目的など何も決めずに買い込んでぐちゃぐちゃ絶好調という状態だったので、その調査は難渋を極めた。
 それでも、ある条件を追加して絞り込んでいくことで、いくつかの候補が浮かび上がり、やがて確定した。
 クリームシチューとグリーンサラダ。
 ……あの膨大に買い込んだ食材は一体なんだったのかと思わせるメニューだが、ある条件――舞自身のスキル――を考えた場合、コンピュータとしてはきわめて妥当な計算をしたともいえる。
「……ま、まあいい。多種多様に豪華なものを作ればいいというものでもないからな。要は完成しさえすればいいのだ」
 いきなり志が低くなっていることに気がつきつつも、そのあたりには目をつぶってともかく実践にかかることにした舞であった。

Lesson1 〜包丁〜

「えー、人差し指を包丁の背に乗せるようにして持つ、と……こ、こうか?」
 とりあえず簡単に出来そうなサラダから始めようと、コンピュータを台所まで引っ張ってきて参照しながら包丁を持ってみた。
 はっきり言って非常に危なっかしい。
 普段使っていれば理解できることだが、包丁というものは持ち慣れないとなんとも安定感がないというか、不安を誘う代物ではある。
 なにしろ、立派な凶器なのだから。
 本来ならこのような場合には、菜切り包丁を使って柄をしっかり握り締めて持つ方式のほうがいいのだが、万能包丁しかなかったので、基本に忠実に攻めるつもりのようだ。
「で、キュウリを薄く切るのだな……。左手の人差し指をこう当てて、それに包丁を当てて、切る」
 トン。
「少し人差し指を動かして、また切る」
 トン。
 非常にゆっくりと、しかも厚さが不ぞろいではあるが、それでもキュウリの薄切りが出来上がっていく。
「何だ、意外と簡単ではないか。これなら……」
 と思った次の瞬間、
 ト……。
「痛いっ!」
 反射的に指を口に含むと金属の味がした。見ると、ぷっくりと赤い玉が出来上がり、それが見る見る大きくなっていく。
 連続して薄切りを作るときに、人差し指は適当なタイミングで移動させなければならないのだが、慣れないと大抵ここで指を切るのだ。
「ま、負けるものか!」
 指にバンソウコウを巻いて、果敢に再挑戦するものの、程なくしてまたも悲鳴を上げることになる。
 ともかくも切り終わったとき、舞の両手はバンソウコウの花盛りとなっていた。

Lesson2 〜炒め〜 

 悪戦苦闘の上キュウリとトマトを切り終え(レタスは手でちぎった)、とにもかくにもサラダらしきものは完成したことで舞は少しだけ自信を取り戻していた。
 指示通りサラダにラップをして冷蔵庫にしまうと、いよいよメインのクリームシチューに取りかかる事にした。
「皮むき……」
 いきなりつまづいている。
 理想はくるくると剥いていくことなのだろうが、この点については舞は実践主義で行くことにした。すなわち、鉛筆を削る要領で少しずつ皮を「剥いでいく」ことにしたのである。
 これは意外な成功を収め、さしたるトラブルもなく終了することに成功する。
「ふむ、実践こそはよい教授ということだな」
 ……どさくさにまぎれて爪まで削ってしまったのは、トラブルのうちに入らないらしい。
 それらを適当な大きさに切り、肉も同じ要領で切り分ける。
「次は……肉を炒めて焦げ目をつける、か。一緒に煮込めばいいのではないか?」
 ……それじゃ、うまみが逃げちゃいます。
 とりあえず両手鍋を火にかけ、そこにバターを放り込む。少し分量が多すぎる気もするが、無視することにした。
「煙が出てきたら、肉を放り込む……」
 そんなことを言ってる間にバターが焦げ始め、盛大に煙が立ち昇り始めたので、舞はおっかなびっくりで肉を掴むと、かなりの高さから鍋に放り入れた。

 ばちばちばちばちっ!!

「ひゃあっ!? あ、熱いっ!」
 鍋を暖めすぎたのと、肉の水気を切らなかったせいで油が一斉に跳ね上がる。たちまち手の数ヶ所にやけどを負ってしまった。
「こ、これではまるで一斉砲撃ではないか……」
 舞はほんの少しだけ泣きたくなったが、再び意を決すると鍋に近寄り、そっと揺すった。再び跳ね上がる油たち。
 果敢にもそれに抵抗しつつ、どうにか肉の全面に焦げ目をつけることに成功した舞だったが、その前途の多難さにため息が出るのは仕方がなかった。

 ちなみに、野菜を入れたときはもっとひどかったそうな。

Lesson3 〜調味〜

「塩を、大さじ一……、一体どのくらいの分量なのだ? 全く、なぜこの資料は正確に分量を書かんのだ! ……む、三グラムか、よし」
 舞はピンセットを取り上げると、三グラムの分銅をつまみ上げた。それから反対側に慎重に塩を注ぎ込む。
「もう少し……よし」
 舞はその成果に満足すると、塩を鍋に放り込んだ。
 ……どうでもいいが、なぜ理科実験用のはかりがここにあるのだろうか?
「次に、牛乳を……」
 冷蔵庫からパックを取り出すと、ビーカーに牛乳を注いでいく。
「ドレッシングの調合は、油二、酢を一の割合で、そこに塩胡椒を少々……だからっ、何グラムだ!?」
 文句を言いながらも、材料が次々とフラスコに注ぎ込まれていった。舞はそれを軽く振ると、器にあける。
 この料理は化学実験だったのか、そう言いたくなるような光景であった。 

Lesson4 〜煮込み〜

 非常に不安満載の料理ではあるものの、手順に忠実に従えばそれでもどうにかさまになってくるものだ。
 舞苦心の作であるクリームシチューは、焦がしバターの匂いも香ばしく、いささか黄色というよりは茶色に近い色を浮かべながら、あちこちに皮の残る野菜が食される瞬間を待つがごとくゆらゆらと漂っていた。
 ……訂正する。何事も例外はあるものだ。
 こうなると、いっそ匂いだけはそれなりにうまそうに思えるのも空しかった。
 完成予想図よりかなりかけ離れたその姿に、舞はいささかひるんだが、ここまで来ればもう後には引けなかった。
「と、ともかく、これで後はしばらく煮込めば完成する、はずだ……。し、しばし待つとしよう」
 先ほど残った牛乳をコップに注ぐと、舞はそれを持ってソファーへと座り込んだ。牛乳は出しっ放しにしていたせいでぬるかった。
 座り込むと同時に今までの緊張感がほぐれたのか、どっと疲れが襲いかかってきた。
「い、いかん、完成するまでは……。だ、だが……。少しだけ休むとしようか……」
 言い終える暇もあらばこそ、舞はずるするとソファーにへたり込むと、あっという間に夢の世界へと落ち込んでいった。
 台所では、強火にかけられた鍋の中で、シチューたるべきものたちが踊り狂っていた。

   ***

「結局、出てきちゃった……」
 夜もやや遅くなった頃、両手鍋を持ちながら、速水は舞の家へと向かっていた。鍋には目張りがされているが、そのすきまからうまそうな匂いがこぼれだしている。
 さんざん逡巡しはしたものの、彼女の顔を今一度みたいという誘惑に抗しきれなかったのだ。シチューはいわば撒き餌のようなものだった。
「芝村、怒るかなあ……。でも、前にクッキーをおいしいって言ってくれたし……」
 まだ幾分か悩みながら最後の角を曲がると、舞のアパートが見えてきた。彼女の部屋には明かりがともっていた。
「あ、良かった。まだ起きて……?」
 何か様子が変だった。台所とおぼしきあたりから黒い煙が上がっているのがかすかに見える。
「芝村っ!?」
 速水は自分でも意外なほどの大声を出すと、一目散に階段を駆け上がった。

   ***

 どこかで、何かがはぜるような音が聞こえた。舞はその音にうっすらと目を開く。
「何だ、今の音は……? む、やけに暗いな」
 まだ半ば夢うつつなのか、寝ぼけ眼で辺りを見回した。確かにどことなく薄墨がかかったようにぼんやりとして、そこかしこに焦げ臭い香りが……。
「……何だと!?」
 いっぺんに意識が覚醒した。舞はがばっと跳ね起きると、そのままの勢いで台所に飛び込んだ。
「!!」
 そこで舞が見たものは、シチューのあまりにも変わり果てた姿だった。黒こげになった鍋の中で、かつてシチューと呼ばれしものの残骸がぶすぶすと嫌な音を立てて盛大に煙を吐き出している。
「い、いかんっ!」
 つい冷静さを忘れて鍋を掴んだからたまらない。
「熱いっ!!」
 カランカランと派手な音を立てて鍋が転がり、中身を周囲にぶちまける。あたりは手のつけられない状態になりつつあった。
 あまりのことに舞が呆然としていると、ドアの方から今一番聞きたくない声が聞こえてきた。
「し、芝村!? 一体何があったの?」
 背筋が冷たくなった。
「な、何でもない! 何でもないのだ!」
 反射的に怒鳴ったものの、説得力などあるわけがない。
 ――い、今入ってこられたら……!
 そう思う間もあらばこそ、ドアが勢いよく開けられて速水が飛び込んできた。
 どうやら、先ほどは食材をは帯びこむのに夢中で鍵をかけ忘れたらしい。
「し、芝村、大丈夫!? うわっ、どうしたのこれ!?」
 驚愕と呆れのない混ざった声で叫ぶ速水に、舞は力なく一言、
「料理だ……」
と呟いた。

   ***

「はい、おまちどうさま」
「う、うむ……」
 落ち着かなげな様子でテーブルについた舞の前に、速水が持ってきたクリームシチューがコトリと置かれた。傍らにはどうにか助かったサラダも置かれている。
 バターの香りもかぐわしく、肉と野菜が実にほどよく煮込まれたそれは、見るものの食指を動かさずにはおれないような魅力に溢れていた。
「さあ、冷めないうちにどうぞ」
「う、うむ」
 舞はスプーンを取ると、そっとシチューをすくい上げて口へと運んだ。クリームのよい香りに続いてジャガイモが入り込み、口の中でほろりと崩れる。
「……うまい」
「本当? よかった」
 速水がにっこりと微笑むのを見て、舞は小さくため息をついた。
「どうしたの?」
「……なんとも情けないことだ。自分が戦闘以外は確かにいまだ及ばぬことは多いのは知っているつもりだった。だが、これほどとは思いもしなかった……」
「大丈夫だよ。こんなのは慣れだって」
「そういうものなのか……。しかし、情けないことだ」
 速水の慰めもあまり効果はないようで、舞はかえってしゅんとしてしまった。
 彼女の意外な一面を見た速水はしばらく何かを考え込んでいたが、やがて優しい声でこう切り出した。
「あのさ、よければ僕が料理、教えようか?」
「本当か? しかし、その……」
「芝村に負けはない、努力は恥だが何もしないよりはいい、でしょ?」
「う、うむ、その通りだ……」
 普段自分が言っていることを逆に言われて、舞はなんと答えればいいのか分からなかったが、やがて何事かを決意した表情で言った。
「そうだな、なれば頼むとしよう。ただここで悩んでも何も前進はせんからな」
 見返してやりたいと思った対象に教わるなど、本来なら屈辱以外の何物でもなかろうが、不思議と舞に不快感はなかった。
 ただし、真剣な表情でこう付け加えるのは忘れなかったが。
「……分かっていると思うが、そなたなればこそと見込んでのことだぞ? このことは他言無用だ」
「分かってるって、じゃあ、早速今日――日曜日だけからやろうか?」
「うむ、よかろう」
 ようやく舞に笑顔が戻ってきた。微笑を返しながら、速水は心の中で呟いた。
 ――これも、デートになるのかなあ?

   ***

 舞が速水心づくしのシチューを食べ終わり、紅茶を飲んでいると、速水が何かを思い出した表情になって、くすりと笑った。
「どうした?」
「いや、大したことじゃないんだけど……」
 ――そうして今まで気がつかなかったんだろう?
「君の部屋に入ったのはこれが初めてだったんだな、とおもってさ」
「あ……」
 その言葉に、舞は改めて現状を思い出した。
「台所はいいとして、他の所が、なんていうか、その……」
 そういえば、隣室へのふすまは閉じていなかった気がする。そこにあるのは……。
 舞の満面がたちまち朱に染まった。
「そ、そなた見たなっ! 忘れろ、今すぐ忘れろ。思い出すことなど認めん、却下だ、不許可だ、検閲する! さもなくば無理やり削除してくれる!」
「そ、そんな無茶なぁ」
 突然の舞の豹変に、弁明する暇もなく、舞は臨界点をあっさり突破した。
「うるさいっ、無茶も何もあるか!」
 直後、部屋の中から何かが盛大に飛び交う音が聞こえてきて、それはしばらくおさまる事はなかった。

 この日から、速水が足しげく通う姿が見られるように見られるようになったという。その際には食材を山のように抱えていたそうな。

 え? それから二人はどうなったかって?

 さあて、それについては何とも。
 ただ、この日を境にほんの少し、舞が笑顔を見せる回数は多くなったとの事である。
(おわり)


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