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楯となりて





1999年5月14日 0900時
 生徒会連合九州軍総司令部 九陸令第109号

1.熊本県南部配備の全軍は、14日0300時をもって現陣地を放棄、第2次防衛陣地まで後退を開始せり。
  退却部隊一覧(略)
  第2次防衛陣地配置図(略)

2.臨編独立第1戦車連隊は、保有せる全戦力をもって八代平野南部に進出。敵の進出を可能な限り遅延せしめ、もって主力の後退を援護すべし。
  配置図
  (1)臨編独立第1戦車連隊 八代郡日奈久地区 大坪川ライン
  (以下略)

3.貴隊は現地点に幻獣を拘束、5月18日0000時まで各該当地点の幻獣通過を阻止せよ。
  (1)臨編独立第1戦車連隊 球磨川ライン
  (以下略)

4.支援戦力(略)

5.補給段列(略)

6.敵情
  敵は小型幻獣を主力とする軍団であり、推定総数130000。それが数百〜数千の集団に分裂しつつ北上するものと予想される。貴隊に対しては約2〜30000が向かうものと推定される。
  偵察結果(略)
  侵攻状況図(略)

7.各遅滞防御部隊
  人類のために勇敢なれ。

   ***

 重苦しい色をした空からは、地上の物全てを濡らし尽くすべく冷たい雨が降り、遠くから陰々たる砲声が妙に歪んだ音を響き渡らせる。その中を傷つきよろめくようにして敗残兵の群れがあるものは車両で、またあるものは徒歩で、雨水と泥の飛沫を飛び散らせながら北へと向かっていた。
 力尽き、道端に座り込んで動けなくなってしまった学兵に声をかけるものもなく、仮にあったとしても自らが戦友を支えるだけの体力を有しているものもいなかった。中には泥の中に倒れこんでしまったまま再び起き上がらない者もいる。
 1999年5月15日(土)。九州放棄の決定が下されて以後、戦局は悪化の一途をたどるばかりだった。
 4月下旬より徐々にその兆候が認められ、5月に入ってからはグラフの折れ線を急な右肩上がりへと変化させていった幻獣の大量実体化は、それまで僅かながら人類側有利で推移していた戦況を一挙にひっくり返してしまった。
 戦線は各所で打ち破られ、指揮系統は寸断。その混乱の中でなおも各部隊は勇敢に戦いはしたが、衆寡敵せず次々に各個撃破の好餌となっていくばかりだった。
 生徒会連合は熊本県南部の全軍に急ぎ退却を下命、第二防衛陣地に拠って防衛戦闘を展開すべしとの訓を発したが、混乱状態からなかなか立ち直ることの出来なかった各部隊は、さらに多くの兵力を失うこととなった。
 彼――蜷川忠明(にながわ ただあき)百翼長も、その巨体を装甲車の狭苦しい兵員室に収めながら、退却の道をゆく1人であった。蜷川は兵員室に作りつけの硬い椅子に座りながらじっと床の一点を見つめている。そうしているとあの忌わしい記憶が徐々に蘇ってきた。

   ***

 戦況の変化はほんの一瞬だった。
 それまで掩体壕に拠りながらやや優位に戦闘を推し進めていた蜷川の分隊は、そのすぐ後に押し寄せてきた信じられない数の幻獣の突進を目の当たりにした。蜷川があまりの事に呆然として命令を出せないでいるうちに、その異形の津波はたちまち彼らのいる掩体壕へと近づいてくる。
 どうにか蜷川が迎撃命令を下したときにはすでに最初の接触が始まっており、蜷川自身も何がなんだかわからない乱戦の中へと投げ込まれた。それでも彼は可能な限り周囲の状況を把握しようと努め、可能ならば反撃の機会を窺おうとしていたが、小型幻獣との乱戦の中に中型幻獣がなだれ込んできた所で全ては限界に達した。
 ミノタウロスによって一瞬で崩されてしまった掩体壕。キメラの集中射撃によって体を吹き飛ばされ、あるいは踏み潰される戦友たち。泥の中に紅い文様を描きながら蠢いていた彼らの眼はやがて光を失い、泥の中に沈んでいく。
 蜷川はそのような光景を見てもどうする事も出来ず、自らが生き延びる事に全力を傾けなければならなかった。だが、とうとう追い詰められ、ミノタウロスの拳が今にも振るわれようとしていた。
 その時突然周囲が真っ赤に染まり、彼は掩体壕の底に打ち倒され気を失った……。

 そんな光景がふと目の前に蘇り、蜷川は強く目をつぶった。
 だが、無駄だった。
 記憶はより一層の鮮明さをもって執拗なまでに彼を責め立てる。

   ***

 再び気がついたのは戦車の上だった。
 砲塔の後部に半ば縛り付けられるようにして体を固定されていた彼は、傍らに彼の部下が付き添っていてくれたのに気がついた。彼らは分隊長が意識を取り戻した事を心から喜んだが、その表情はどうしようもなく暗かった。
 彼らが語るところによると、まさに部隊全滅と言う瀬戸際でようやく戦車部隊が戦場に間に合い、彼らが放った主砲弾でミノタウロスが粉砕された隙に生存者は脱出に成功したそうだ。その戦車が今彼が乗っているこの戦車だと言う事も教えられた。
 頑固者と言う意味の熊本弁「モッコス」から名づけられた小型駆逐戦車「モコス」は、その名称とは裏腹に全体的にまるっこい、力強さよりはむしろ愛嬌を感じさせる姿をしている。ホバーの排気音をやかましく響かせながら、その割にはゆっくりとした速度で戦場から遠ざかっていた。
 蜷川の所属していた小隊は総勢40名のうち小隊長を含む戦死18名・行方不明13名。彼の分隊の生存者は蜷川自身を含めて総勢10名中3名だった。

   ***

 逃避を無駄と悟った蜷川は人いきれのこもった室内に耐えられない何かを感じたかのように上部ハッチを開け、車体上へと身体を乗り出した。冷たい雨が容赦なく身体を叩くが車中にこもっているよりはまだましのような気がした。
 このような雨の中でも、同じく車外に身を乗り出す事で律儀に任務を果たしていた装甲車の車長が驚いたように振り返ったが、蜷川である事を見とめると小さく息をつき、また前方を凝視し始めた。車体上は本来人がいるようには出来ていないから、気をつけないと放り出される可能性がある。蜷川は足をハッチに引っ掛ける事でどうにか安定を保つとその場にうずくまった。
 待機状態にしてあるウォードレスがひどく重い。すでに着用から8時間を越えているから通常ならとっくに外していなければならないのだが、時間がそれを許してくれなかった。一度補給しなければまともに戦う事も出来ない。
 ――もう一度戦う?
 蜷川は自嘲気味に呟く。この敗残部隊で? 無理だ。せいぜい囮に使うのが関の山だろうな……。

 一時集合場所に到着したとき、彼に与えられた任務は小隊全員の臨編独立第1戦車連隊への転属命令だった。

   ***

 今にも腹を擦るかと思われるような低空をゆっくりと這いずるような影が暗闇の中を移動していく。
 丸っこい砲塔に楯と突き上げる拳のマークを書きこんだ「アイアンシールド小隊」所属のモコス2型は、同じく撤退の道を急ぐ2両とともに一路北上を続けていた。
 撤退直前にスカウトの小隊を助けたときには、まだ他の小隊を含め8両が生き残っていたのだが、その後連続して発生した遭遇戦で次々と被弾、結局3両だけになってしまった。残骸はその砲身を今も最後の敵に向けたまま、撤退路沿いにその姿をさらしている。共に戦死した戦友たちの墓標として。
「車長。ホバーの調子が良くありません、2番が時々息をつきます」
 ドライバーの秋沢裕次(あきざわ ゆうじ)十翼長が報告すると、車長――米本浩一(よねもと こういち)百翼長は心持ち眉をきつめにしかめたまま頷いた。
「復旧の可能性は?」
「無理ですね、ノズルそのものがいかれています。オーバーホールでもしないと……」
 秋沢はそう言ってはみたものの、現状ではそんな事は望めないのはよく分かっていた。ある戦車を修理しようとした場合、必要なものは修理設備と安全な後方地域、そして時間であるが、撤退戦はその全てを奪い去ってしまう。
 結果、大した損傷もないけど動けなくなった戦車はその場に放置していくしかない。これは撃破されたのと何ら変わりなくなってしまう。幸い彼の戦車はまだ移動できるが、それもいつまで続く事か……。
「燃料もあまり残ってないですからね、どっかで補給車を捕まえないと……」
「ああ、そうだな」
 秋沢に頷いておいて、米本は砲室に向き直った。
「残弾は?」
「徹甲弾8発、榴弾5発です。それと例の奴が5発」
 装填手の前田健二(まえだ けんじ)十翼長が答える。モコスには士魂号L型のように自動装填装置などついてはいない。
 燃料や残弾は後の2両も同じようなものだった。本来米本はただの2号車車長にすぎなかったのに、中隊及び小隊本部の指揮車や補給車までがそっくり全滅してしまった今、最先任である彼がたった3両の中隊の指揮官みたいなことをやっていた。
 ――後1回戦はできるか。
 前田に頷きながら米本はそう思ったが、それは同時に後1回戦えば叩き潰されるだけ、と言う事を意味している。不調なホバーの不協和音がやけに耳障りだった。
 ――玉砕ってのは趣味じゃないんだよなあ。さて、どうするか……。
 と、その時道路脇に数両のモコスが停車……というより擱座しているのが見えた。見たところ大きな外傷は無いが、人影も無い。
「止めろ!」
 突然の命令に秋沢が慌てて急ブレーキをかける。前部ノズルから盛大な排気を行いながら、やや前のめりになってモコスはその場に停車した。後続車両が次々に停車する中、米本は急いで飛び降りると擱座したモコスに近寄り、素早く中をあらためた。
 原因はすぐにわかった。車内は真っ赤に染め上げられていたのだ。恐らくミサイルを受けたときに内部装甲が剥離、車内を跳ねまわったのだろう。車内に残されているかつて人間だったものは無視して、秋沢は弾薬と燃料を確認した。後の2両はそれぞれエンジンルームとドライバー席を撃ち抜かれている事も分かった。
 つまり、3両とも戦えるが動けない、というわけだった。
 米本は短く黙祷をする。
「車長……?」
 おそるおそると言った具合に中を覗きこんできた秋沢を振りかえると、米本は矢継ぎ早に命令を下す。
「他の連中も呼んで来い。こいつらにはまだ燃料と弾薬がある、俺たちのモコスに載せかえるぞ」
「えっ、でも……」
「かまわん。すでに動けない戦車にこんなものを積んであっても無駄だ。どうせなら俺たちが生き延びるために使わせてもらおう。その方がこいつらの供養にもなるさ」
「……了解しました」
 まだいささかためらいがちではあったが、秋沢は後ろを振り返ると後続の連中に直ちに作業に入るように言った。これで、もうしばらくは何をするにも不自由はしまい。

 米本のもとに臨編独立第1戦車連隊への転属命令が届いたのは、その作業がほとんど終わって、中隊全員で黙祷をささげているときだった。

   ***

 5月16日(日)1430時。
「第1陣掩体壕、掘削完了! おい、補強用の木材を持って来い!」
「地雷散布完了! 各員は第1陣前方1000mに入らないよう注意……」
「ドーザー! こっちだ、ここを掘削してくれ!」
「燃料及び弾薬、第2班到着! 各部隊は不足分を速やかに受領せよ!」
 皆が忙しくたち回って野戦陣地を急造していく。壕を掘り、これまで使用されてこなかった地雷が大量に散布される。今までは一般市民のことを考慮して使用が控えられていたが、どうせ熊本を放棄するのだから無用な遠慮はしないと言う事らしい。それにここ――八代平原南部の日奈久地区は、先の「八代平原攻防戦」で完全に破壊されて、あたりにはわずかばかりの廃墟が残っているだけだったから、いっそ気楽とも言えた。
(それでも将来のことを考えて、全ての地雷は時限装置がセットされてはいるが)
 ドーザーブレードを前面に装着した数少ない士魂号L型があたりをたちまち掘り返し、その後を工兵やスカウトたちがさらに形を整えていく。邪魔な建物等はダイナマイトで次々に爆破され、瓦礫はそのまま遮蔽物として置かれていく。
 蜷川も今や1個分隊にまで減少した小隊を率いて陣地構築に勤しんでいた。今彼が作っているのは戦車用の退避壕(戦車壕)だった。ここに車体を埋めて砲塔だけ出して射撃を行うのである。
 士魂号L型が無造作に掘り返した後に工兵が爆薬をセットする。
「発破ー!」
 合図と共に爆炎が上がる。煙も収まらないうちにスカウトたちがとりつき、たちまちに一定の深さと幅を持った戦車壕に仕立て上げていく。車体に弾が当たらないだけでも防御効果は相当なものになるのだ。
 土砂をどけ、周辺を土嚢で固めていると、後方から大きなホバー音が近づいてくる。モコスだ。どこか調子が悪いのか時々不協和音が混じる。
 戦車壕の手前で停止すると、車長らしい人物が降りてきた。どうやら自分で壕の出来を確かめるつもりらしい。蜷川が敬礼すると、彼の部下も一斉にそれに従う。
 車長も答礼した。階級章を見ると蜷川と同じ百翼長だ。
 と、驚いた事に、蜷川が報告しようとするより速く相手が話し掛けて来た。
「やあ、あんたか! どうやら無事だったようだな。まさかこんなところで再開するとは思わなかったがな」
 よくよく相手を見ると、退却時の戦車の車長だった。
「あ! あのときの……。あのときは名乗りもせずに失礼しました。『ロンリーウルフ』小隊第2分隊長の蜷川百翼長です」
「ああ、どうもご丁寧に……、『アイアンシールド』小隊所属、米本百翼長だ」
 米本はそう言いながら、お互いに装飾過剰な小隊名だな、と笑った。
 蜷川も苦笑しながら、あれからの経緯をザッと話す。
「そうか、じゃあ、あんたらも足止めに引き抜かれたってわけか……」
「あんたらも、って……米本さんも?」
「ああ、臨編独立第1戦車連隊とかいう怪しげなモノに編入されて、ここで幻獣を食いとめろとさ。ウワサじゃ同じような連隊があと3、4臨時に編成されて、それぞれ主要街道沿いに配備されたらしいな」
「そんなに……」
 蜷川は目を見開いた。いくら主力を援護するためとはいえ、そんなに戦力を割いてしまったら……。
 蜷川のそんな表情を見て、米本が苦笑しながら言った。
「まあ、そんな顔をしなさんな。……ここだけの話だけどな、八代市内にまだ数千人の一般市民が残っているそうなんだ。そいつらをなんとか救出できる態勢が整うまでどうにかしろって事らしいぜ。詳しい話はまたあとで話すから、とりあえず戦車壕を見せてくれないかな?」
 米本の提案に我に返った蜷川は、慌てて戦車壕へと彼を案内した。

   ***

 あらかた陣地構築も完了し、各戦車壕へとモコスがもぐりこみ終えたころ、辺りはとっぷりと日が暮れていた。幻獣の進行速度から推定するに、直接の接触は明日未明頃になると予測されたので、早めに夕食を取り休憩するように通達が出された。
 交代で見張りに立たなければいけないとはいえ、とりあえず命の危険が無い安堵感に包まれながら、各自自衛軍から支給された軽包装糧食2号(レトルトパック)を開いて食事の準備をはじめた。
 蜷川は部下たちに食事をとるように言うと、自分はレーションパックを持ったまま最前線へと向かった。見張りの交代にはまだ時間があるが何となく1人になりたかったのだ。隊員たちも隊長の心理を慮ってか、何も言わなかった。
 蜷川は無言で第1陣(大坪川)沿いに歩いていく。ふと空を見上げると、さっきまであんなにひどかった雨も今はすっかりあがり、いつのまにか星が顔を出していた。
 きれいだった。幻獣の侵攻により、人類の生産活動の大部分が停止させられた結果、太古の昔と変わらぬ美しい星空が復活したのはなんとも皮肉だったが。
 そうやってぼうっとしていると、またあの悪夢が蘇ってきそうになって蜷川は思わず前屈みになり自分の体を抱きしめるようにしていた。
 しばらくそうやっていると、ようやく緊張がほどけてきた。
 そこに、誰かが呼ぶ声がした。
「よう、そんなところで何やってんだ? 良かったらこっち来て一緒に飯でも食わないか?」
 慌てて振り向くと、そこには米村がレーションのパックを手に提げたまま微笑んでいた。
 米本に連れられて戦車壕のところまでやってきた蜷川は、他の戦車クルー達と一緒に夕食を摂る事になった。お互い、軽く目で会釈しあう。
 湯で温めたレトルトパックを開けて、容器に移し替える。今日のメニューは鶏飯に味付き牛肉、それに自衛軍レーションの最高傑作と言われるタクアン漬けだった。
 めいめいにお茶が配られると、少し遅めの夕食が始まった。しばらくは皆何も言わずに黙々と平らげていたが、やがて前田が口を開いた。
「結局、どのくらいの戦力が集まったんですか?」
「んー、戦車は士魂号L型が確か6両いるけど、そいつらは遊撃予備だって聞いたから……、主力は俺たちのを含めてモコスが約40両ってとこだな。1個大隊編成で『連隊』とはよく言ったもんだ」
 米本が苦笑しながらそう答えると、蜷川がぼそりと付け加える。
「おそらく、スカウトも勘定にいれての事でしょう。スカウトが総勢186名、臨時中隊ぐらいにはなりますから」
「それでも全然足らんな……、まあ、俺たちはどっちにしても拠点防御にしか使えないから別に構わんのだが、そっちは将来まだまだ必要な場面があるだろうに?」
 米本がそう言うと、蜷川は寂しそうに笑った。
「まあ、仕方がないでしょう。正直な所、あっちこっちの敗残兵が集まってでっち上げられた中隊ですから、どこまで戦えるか……」
「それを言ったらこっちも同じさ、損傷車両まで引っ張り出してるんだからな。まあ、支援火力がそれなりにあるのが救いといえば救いだが……」
 段々話が暗い方向になりかけているのを感じた米本が話題を変えようとするが、それを遮るように突然蜷川が言った。
「生き残れるのかな……俺たち」
 一瞬、座が静まり返る。
「……指揮官にはあるまじき発言だな、それは」
 蜷川が顔を上げると、米本が真剣な表情でこちらを見つめていた。
「蜷川さん、俺たちは強制徴募の学兵とはいえ軍人には違いない。そして、今更いうまでも無いが命令が下されれば俺たちに『否』はないんだ。俺たちがここで頑張る事で主力が反撃態勢を整える事ができ、市民がより多く脱出する事が出来る。それだけだ」
 そこまで言ったあと、米本は急に表情を崩した。
「まあ、そこまでは建前ってことで……、蜷川さん、あんたも市民の援護自体には文句はなさそうだよな?」
「え?ええ……」
 何を言い出すのかと蜷川は思ったが、沈黙する事で先を促した。
「顔も名前も知らないどこかの誰かの為に命をかける。まあ、普段なら恥かしくって言えたもんじゃないが、こんな時ぐらいはいいだろう……」
 何となく照れくさげに米本が言った。ちょっと区切ってから話を続ける。
「正直、俺たちはいい。もともと拠点防衛の為の戦車だし、足が遅すぎて本隊には追随できん。ここで味方の援護をするのが最も役に立つ。だがな、あんたたちは機動戦車に随伴すれば攻撃戦力にもなりうる。ここで無駄に果てていい訳が無い。どっちにしろ逆らえん命令ならば、可能な限り戦力を温存すべきだ。安心しなよ、あんたたちは俺たちが守ってやる。ただ戦車は視界が狭い。出来たらあんたたちも俺たちを守ってくれよ、そうしたら可能な限り生きて帰してやる」
 米本は笑いながらそういった。だが瞳にはある種の決意が宿っているのを蜷川は確かに見た。
「米本さん……」
「そう心配しないで下さいよ。俺たちだってそう簡単にくたばるつもりはないですから」
 秋沢が後を引きとっていう。
「『モコス』の名前は伊達じゃないですよ」
 前田も笑いながら言った。
 みると、他のクルーも皆笑っている。
「ま、そう言うわけだ。明日は頑張ろうぜ」
 米本の声に、蜷川は黙って頭を下げた。彼らも無言で微笑んでいた。
 蜷川は、彼らの笑顔を生涯忘れまいと思った。

   ***

 5月17日(月)0515時。
「敵襲ー!!」
 夜明け前の薄闇をついて、歩哨の絶叫が響き渡る。監視センサーからの報告が順次入ってきた。
「敵先頭集団までの距離約4500m。小型幻獣が中心、推定数約1800。第2陣、中型幻獣を中心に約3500。距離約6000m……」
「各スカウトは第1陣掩体壕にて待機! モコスはダッグ・イン戦法にて迎撃する。スカウトは戦車の支援を怠るな!」
「輸送部隊は最終陣後方に待機!」
「支援砲撃を只今要請中!」
「合戦準備!」
 急速に応戦準備が整っていく。
 掩体壕は、モコスのいる戦車壕を中心に(少し間隔を空けて)両翼に展開するような構造になっている。それが第1陣(大坪川)・第2陣(後方500m)・最終陣(日奈久大坪町−敷川内町境・ほとんど単なる穴だが)の3段構造になっており、可能な所は交通壕で結ばれている。これらを利用して可能な限り抵抗をはかるのだ。
「各員掩体壕内で待機! 近接戦になったらモコスの側面に絶対に敵を近づかせるな!」
 蜷川の声が壕内に響き渡る。部下たちは蜷川が昨日より元気を取り戻した事に安堵しつつ、一斉に散開していく。指揮官が腑抜けになってしまっていては彼らとしても甚だ具合が悪いのだ。
「あと5分で先頭集団が地雷原にさしかかります……」
 斥候隊からの報告が入る。思わず全員が銃を握り締めなおす。やがて、最初の1体が地雷原に踏みこんだ。
 轟音とともにゴブリンがバラバラになって吹き飛んだ。幻獣たちは次々に地雷原に踏みこんできては吹き飛ばされていく。
 これならなんとかなるのではないか……。そう思い始めた学兵達の期待は次の瞬間あっさりと砕かれた。突然先頭集団がさらにスピードを上げて突進してきたのだ。もちろん次から次へと吹き飛ばされていくのだが、奴らは霧散して消えゆく仲間の死体を踏み越えながらさらに突進を繰り返す。おそらく数百体は吹き飛んだと思われた後、地雷原の第1陣は数ヶ所で突破されていた。幻獣はそのまま地雷原の第2陣に突っ込んでくる。
 さすがにスピードはだいぶ落ちたが、こんな無茶をやられてはさほど長くはもたない。距離1500mあたりの時点で司令部はモコスに迎撃を下命した。
「よし、出番だ! 目標幻獣先頭集団! 地雷原を突破しつつある奴を中心に撃破せよ!」
 米本の指令に、各車めいめいに照準を合わせ始めた。モコスの砲塔は旋回式ではないので、砲身は左右5度くらいしか動かない。射界に幻獣を収められなかったモコスはホバーを吹かして、泥の飛沫を盛大に吹き上げながら車体の向きを変える。
「初弾装填、弾種榴弾。距離1400……、用意、テーッ!!」
 米本の命令と共にモコスの120mm砲が唸りをあげた。曳光式の砲弾は闇夜の中にも鮮やかに敵に向かって飛んでいく。
 着弾。
 榴弾の炸裂が直撃を受けたものはおろか周囲の幻獣を巻きこんでいるのが確認できた。戦車壕に配備された38両のモコス2型のうち、射界に幻獣を捉える事の出来た20数台が次々に砲撃を行い、したたかに痛撃をあたえるも、数百数千と言うオーダーで襲いかかる幻獣にはなかなか抗しえないでいた。
 その頃、ようやく要請していた支援砲撃が到着し始めていた。第1陣は、県立八代南高校付近に展開した生徒会連合直轄の独立第1・第2野戦砲兵大隊(曲射砲32門)の一斉射撃だった。キュルキュルという独特の砲撃音を響かせながら、曲射砲弾が陣地の上空を通り過ぎ、先頭集団の後方辺りで盛大に爆発を引き起こす。ただし、弾薬不足から1回の攻撃は1門あたり3発に制限されている。それでも約300体の幻獣が爆散していた。
 第2陣は球磨川スポーツ公園跡地付近に展開した自衛軍の独立第4砲兵大隊の155mm榴弾砲だった。これも同じく約300体ほどを吹き飛ばしている。
 第3陣は同じく自衛軍独立第2・第3多連装ロケット中隊の誘導型多連装ロケットによる地雷散布だ。発射されたロケット弾は、1発あたり数十の小型地雷を散布していく。これが先頭集団と第二集団の間に散布され、第2集団の侵攻速度を大きく減殺した。
 この頃になると、連隊独自の砲兵戦力も戦闘に加入し始めた。と言ってもそんな大げさなものではなく、砲塔を外したモコス1型に倉庫でほこりをかぶっていた120mm迫撃砲を搭載したモコス1型改(6両)が射撃を開始したというだけのことである。それでもピンポイントで射撃できるそれは、(誰も使ってなかったが故に)弾薬が豊富である事もあいまって確実に敵を撃破していった。
「小型地雷散布を確認! 敵第二集団移動速度が落ちます! 先頭集団残存約400!」
 いまだ大群であるには違いないが、どうにかやや現実的な数値にまで落ちてきた敵先頭集団はとうとうスカウトの交戦可能距離に入ってきた。
「歩兵各部隊、応戦準備! 距離800で攻撃開始!」
 蜷川が命令を下すと、同時に多弾頭ロケットポッドや多目的ミサイルポッドを装備したスカウトが射撃準備に入る。多目的ミサイルなどは射程10kmを超すが、遠距離は支援部隊に任せ、確実に撃破するためにあえてこの距離まで射撃を行わせなかったのだ。
 慌しい雰囲気の中、蜷川は攻撃準備が刻々と完成していく様を確認していた。いつのまにか元の小隊に匹敵する人数の指揮まで任されてしまったことには、いささかどころではない皮肉を感じていたが。
「多弾頭ロケット、安全装置解除。後方確認……発射準備よろし!」
「多目的ミサイル、レーダー作動、目標ロックオン……同じく発射準備よろし!」
「用意……撃てッ!!」
 号令一下、蜷川の小隊を含め約20発のロケット弾がまず発射され、一斉に上昇していった。少し遅れて多目的ミサイルが十数発同時に炎の尾を引きながら飛び去っていく。
 急上昇したロケット弾は高度400で方向を変え一斉に子弾を分離。急降下して幻獣に襲いかかった。連続した爆発が起こる。それに覆い被さるようにして多目的ミサイルがその牙をむいて襲いかかる。先頭集団の辺りは爆炎で沸き返っていた。
 だが、蜷川は安心しなかった。直ちに第2派の迎撃準備を下命する。
「小隊機関銃並びに短滑空砲、前へ! 距離500で攻撃開始!」
 命令と共に4丁の94式小隊機関銃と120mm短滑空砲が射撃準備に入る。
 続いて蜷川は他の兵員にも命令を下す。
「40mm高射機関砲は距離300で、その他は距離200で射撃開始だ!」
「了解!」
 慌しくその他の銃器を装備したスカウトが射撃準備に入る。その時、観測を行っていた学兵からの報告が入った。
「幻獣、なおも接近中。まもなく距離500に到達します……」
「今の聞いたな? 用意……撃てッ!!」
 ようやく明け始めた空の下、12.7mmガトリング機銃の咆哮と120mm滑空砲の砲撃音が一斉に響き渡った。すでに周囲は余計な建造物は破壊され尽くしており、射線をさえぎるものはいなかった。小隊機関銃を持つスカウトは、強大な反動に全身を突っ張って姿勢を保持し、硬化テクタイト製の12.7mm弾をばらまいた。120mm砲も負けじとその砲門も焼きつけよとばかりに撃ち放つ。
 先頭集団に襲いかかった12.7mm弾はゴブリンの頭部を吹き飛ばし、ゴブリンリーダーを地に転倒させた。また、120mm砲弾は敵集団の中に飛び込むと、数体まとめて引き裂いていく。
 声ならぬ幻獣の叫びと砲弾やミサイルの爆炎で、辺りは地獄と化していた。その間にもモコスは間断ない射撃を繰り返し、次々に有効弾を浴びせていた。
 先頭集団で第1陣陣地までまともにたどり着けた幻獣はいなかった。
 陣地の中にわずかに安堵の空気が流れた。
 だが、そのわずかの隙間を縫うように第2集団が接近を開始する。急遽散布した地雷もすでにその足を止めるには十分な力を持っていなかった。
 再び交戦距離に接近した幻獣たちに対し、スカウトも果敢な攻撃を繰り返すが、今度は何といっても数が違いすぎた。そのうちにロケット弾もミサイルも全弾撃ち尽くした。
 支援攻撃にしても、曲射砲が危険を覚悟で陣前300mに撃ち込んだのを最後に停止している。それでさえ流れ弾が陣内に2発着弾し、数名が死傷している。
 蜷川は、近接兵器を持つ全員に対して迎撃準備を命じた。あちこちでアサルトや軽機関銃の撃鉄音が響き渡る。手榴弾を大量に準備するものもいた。
「距離200で一斉射撃する……。まだ撃つなよ……」
 蜷川は慎重に間合いをはかる。モコスの砲撃音だけがやけに響いた。
「用意……、撃てッ!!」
 その途端、数十丁のアサルトライフル、軽機関銃、小隊機関銃、40mm高射機関砲が一斉に火を吹いた。大小さまざまの弾丸が幻獣に襲いかかる。弾丸を浴びた幻獣はまるで木の葉が吹き散らされるがごとく次々に打ち倒されていった。
 蜷川としては、本来機動攻撃が身上のスカウトに力任せの攻撃はあまりさせたくはなかったのだが、遮蔽物になりそうなものが存在しないこの陣地付近ではこうするより仕方がなかった。せめて陣から出ないようにして敵の攻撃を避けるようにするしかなかった。
 だが、この距離になると敵からの攻撃も熾烈さを増してくる。レーザーやミサイルが次々と着弾し始める。
 ある掩体壕にはゴルゴーンの生体ミサイルが着弾し、中にいたスカウト5名を吹き飛ばした。それでも生き延びたものもいたが、彼らはその命が絶えるまで、およそ人間が発するとは思えないような絶叫を上げながら地を転げまわっていた。
 まさに手榴弾を投げようとしていたあるスカウトが、キメラのレーザーに首から上を吹き飛ばされる。彼の体はそのまま壕内に崩れ落ち――安全ピンの外れた手榴弾が手からこぼれ落ちた。
 炸裂。そして、誘爆。
 彼は手榴弾で自らを火葬してしまった。同じ壕内にいた数名の仲間と共に。
 それでもスカウトたちは懸命に射撃を続けた。数で圧倒的な差がある以上、格闘戦になればこちらに勝ち目はないからだ。それでも幻獣は1m、また1mと陣地に接近してくる。

   ***

「車長!幻獣との距離が200を切りました!」
 ドライバー用のペリスコープを覗いていた秋沢の報告に、米本は予備にとっておいた砲弾を使用する決意を固めた。
「前田、例の奴を準備しろ。使うぞ」
「! ……了解!」
 前田は素早く後ろに向き直ると、胸元から特殊キーを引っ張り出し、それをロッカーに差し込んだ。ロッカーのドアが鈍い音を立てて開く。前田はその中から慎重に砲弾ケースを引きずり出す。
「車長、装弾準備完了!」
「よし、いつでも使えるように……」
「車長!幻獣が急接近!掩体壕に隣接します!」
 秋沢の緊迫した声に米本は素早く反応する。
「前田、装填急げえッ!!」
 大慌てで前田が装弾し終わるのももどかしく、秋沢に車体を急回頭させるとためらいもなく引き金を引いた。
 シュンッ。
 なにやら妙におとなしい砲撃音だけが響いた。

「幻獣、急速接近!」
 蜷川らの懸命の射撃を無視するかのように幻獣が急迫する。もちろん、その間にも次々と打ち倒されているのだが、全体の流れはもはや押しとどめようもない。
 また、あの悪夢が蘇りかけたころ、右側からなにか無数の小さいものが幻獣に襲いかかった。すると不思議なことが起こった。あれほど威勢良く突っ込んできた幻獣たちが次々と倒れていくではないか。何が起こったのか分からないまま、再び小さいものが降り注ぐ。
『おい、生きているか!?』
 突然レシーバーに米本の声が響き渡った。
『今、フレシット・ショットを使用した。5発しかないからそんなに支援はできんが……、今のうちに態勢を立て直してくれ!』
「了解。米本さん、ありがとう……」
『いいってことよ』
 米本の笑い声。
 フレシット・ショットは針状の散弾をつめた弾のことである。その針の先端には青酸化合物が詰め込んであり、まるでショットガンのように飛び出した針は相手に命中しさえすれば致命的効果を及ぼすのである。幻獣に生物・化学兵器が有効であることから開発された新型弾である。
(もっとも、実験段階だからこそ配給されたのかもしれないが)
 ともかく、それで一瞬ではあるが余裕が生まれた。
 そしてかわりにモコスに危機がおとずれることになった。

 先に言ったとおり、モコスは微調整以外の砲の左右旋回はできないから、車体自身を回してやらなければならない。そして、左翼の蜷川達を支援するということは弱い側面をさらすことになり……。
「!!」
 それに真っ先に気がついたのは右翼陣にいたスカウトたち数名だった。連絡していたのでは間に合わない。彼らは陣を飛び出すと今まさにモコスに襲いかかろうとしていたミノタウロスに跳びかかった……。

 彼らが第一陣を放棄したのはそれから4時間後だった。

   ***

 5月17日(月)2115時
 すべてが限界に近づいていた。
 第1陣を放棄した後は、500m後方の第2陣に拠って抵抗を続けるも、第1陣とは違い川という天然障害物がなかったためにそれまでとは比べ物にならない損害を出した。それでも幻獣に無視できない損害を与え、しばしば撤退に追いこむまでにいたっていた。
 だが、第2陣も損害がひどく、4度目に幻獣が撤退した隙をついて最終陣への撤退を実行。最後の抵抗を試みることになった。
 最終陣に撤退することができたのは士魂号L型が3両、モコス1型改が2両、2型が14両、スカウトが動かすことができる重傷者を含め106名、脱出した戦車兵が23名だった。

 動かすことができない者は、各自の判断に任された。

「幻獣第2集団は増援を受けた模様、再び進撃を開始しつつあり!」
「側面防御はスカウトのみとし、全モコスは正面防御に当たれ!」
 すでに側面に火力を配備する余裕は失われていた。
「いいかっ! ここが正念場だ。ここを抜かれたら後がないんだぞ! 今こそ実力を見せてやれッ!!」
「了解ッ!!」
 陣容衰えたりとはいえモコス隊の指揮はすこぶる高かった。すでに限界に達している体に鞭打って迎撃準備を進めていく。
 それにしても、と米本は思った。
 ――あのとき、スカウトが助けてくれなかったら、ここにこうしていることはできなかったな。
 ……結局、彼らを助けることはできなかったが。
 胸のうずきと共に米本は心の中でそっと詫びをいれた。

   ***

 一方、スカウトたちもここを先途と迎撃準備に余念がなかった。負傷者のうめき声をあえて無視するように銃に弾倉をセットしていく。しかし、すでに全ての重火器は弾薬切れで放棄されており、手元にあるのは軽機関銃とアサルトライフル、わずかばかりの40mm高射機関砲と手榴弾だけだった。
 それでもわずかに残る希望にすがるように、誰もが生への執念を諦めはしなかった。だが、入ってくる報告は重苦しいものばかりだった。
「後方の自衛軍独立第4砲兵大隊より入電……『われ残段僅少、これ以上の支援は不可能により後退す』以上です……」
「同じく自衛軍自衛軍独立第2・第3多連装ロケット中隊も後退を開始しました!」
「やむを得ないな。すでに彼らには本来の任務以上の無理をしてもらっているしな……」
 蜷川はそうは言ったものの、内心は泣き叫びたいような心境だった。だが、1人でも多く生きて帰るためにここで泣き言をいうわけにはいかなかった。なるべく平静な声を出すよう努力しながら通信兵に訊ねる。
「曲射砲はどうなった?」
「残弾は残り少ないそうですが……、最後の1発まで支援するとのことです」
「そうか……」
 ――すまない……。
 蜷川はそっと手を合わせた。
「幻獣、突進を開始。突っ込んでくる!」
 瞬間に意識を常態に戻した蜷川は迎撃命令を下した。スカウトの中隊本部は第2陣撤退時に全滅していたので、とうとう蜷川が中隊全体の面倒を見ることになってしまった。
「目標、先頭の幻獣、弾種榴弾、小隊一斉射撃……撃てえッ!!」
 米本の号令と共に、生き残ったモコス全てが小隊ごとに同一目標に向けて主砲を放った。炸裂する砲弾。飛び散る破片が幻獣たちを切り裂いた。曲射砲も文字通り最後の1弾まで敵に叩きつけるべく猛射を繰り返す。
 だが、幻獣たちも黙ってはいない、レーザーの一斉射撃が飛んできてモコスをしたたかに打ち据えた。耐えきれなくなった1両が爆発し、あたりに装甲や人間だったものを撒き散らす。もう1両は火を吹き、中から飛び出た兵士は全身を炎に包まれ、短い死の踊りを強制させられる。
 だが、それでもモコスは踏みとどまる。主砲は敵を睨み据え、逆撃の刃を叩きつけた。砲塔を破壊されたあるモコスはわざと戦車壕を出て敵に横腹を向け、スカウトたちの楯となった。次々にレーザーが命中し、打ち砕かれるモコス。その脇からスカウトたちがアサルトライフルを乱射した……。
 すでに完全な格闘戦距離になったことを理解した蜷川は、軽機関銃を投げ捨てると手榴弾と超硬度カトラスを持って目の前のミノタウロスに突進した。指揮官がそんなことをすべきではないのは理解していたが、すでに戦況はそんな悠長なことを許すレベルではなくなっていたのだ。ミノタウロスは新たな敵の接近を認識すると、その右手を叩きつけるように蜷川に突き出した。
 蜷川は素早く避けるとそのまま右手に取り付くようにして体を駆け上り、渾身の力をこめてカトラスをミノタウロスの肩口にめり込ませ、そのまま横になぎ払った。声なき苦悶の叫びを上げながらミノタウロスが蜷川を振り払おうとする。
 蜷川はしっかりとしがみついたまま手榴弾の安全ピンを抜くと、肩の傷口へと押し込み、そのまま跳び退った。
 4秒後、手榴弾は正確に炸裂し、ミノタウロスは真っ二つに裂けた。
 その戦果を確認もせず蜷川は掩体壕へと舞い戻り、次の獲物を物色し始める。
 最終陣のあちこちで、弾薬の尽きたスカウトたちが蜷川と同じような肉薄攻撃を行って幻獣を打ち倒し、また打ち倒されていった。

 またもや幻獣が撤退したとき、その場に生き残っていたのはモコス2型5両、スカウト47名、脱出した戦車兵11名を残すのみとなっていた。

   ***

「幻獣、撤退!!」
 荒い息と共に秋沢が報告すると、米本もいささか気だるげに返事をかえす。
 いや、気だるいのではない。さっきから何かが頭に引っかかっているのだ。
 ――一体何だ……? いや、今はともかくわずかでも補給と休養を行ってなんとか作戦期限までもたせなければ……期限まで……期限?
「期限だと?」
 思わず声が出る。何かが急速に頭の中で組みあがっていった。急いで時間を確認する。
 22時50分。
 突然米本は笑い出した。あまりに大きな声だったので、秋沢も前田も米本が狂ったのかとギョッとした目で振り向いた。
 米本はそれから少しの間笑いつづけていたが、不意に笑いを収めるとこれ以上ない真剣な表情で蜷川を呼び出した。

   ***

 蜷川は、荒い息を吐きながら損害報告を聞いていた。表情は暗い。
 ついに曲射砲部隊も撤退を開始した旨、報告があった。
 だめだ。このままではとてももたない。
 すでに銃を持っているものは数えるほどしかいなかった。手榴弾すら不足しつつある。もう1回敵を受け止めたら、今度こそ揉み潰されてしまうだろう。
 ――やはり、無理だったのか? せめてあと少し時間が稼げれば……。
だが、その可能性は限りなく小さくなりそうだった。
 またもや悪夢が蜷川を捕らえようとしていた時、救いの声がレシーバーから響く。
『おい、蜷川さん。俺だ、米本だ! 聞こえるか?』
「あ、ああ。聞こえるけど、一体どうしたんです?」
 蜷川は、米本の声がやけに明るいのをいぶかしみながら返事を返す。
『あんたたちスカウトは撤退を開始しろ、すぐにだ!』
「何だって、正気ですか!? まだ作戦終了まで……」
『その条件を満たしたから撤退しろといってるんだよ!』
 蜷川は何が何だかわからなかった。米本が再び説明をし始める。
『いいか? 俺たちに与えられた任務は何だ?』
「遅滞防御戦闘、ですよね?」
『そうだ。そしてその命令には『18日0000時まで球磨川の幻獣渡河を阻止しろとあったはずだ!』
 ようやく蜷川にも飲みこめてきた。ということは、つまり……。
「今から再度侵攻してきても、幻獣たちは絶対に0時までに渡河できない、ということですね?」
『そうだ! ここと球磨川の間は5km以上ある。今までの例から再度侵攻がかかるまでに30分はあるから、それからじゃ奴らの移動スピードでは絶対に間に合わないんだ! 俺たちは任務を果たしたんだよ!』
 蜷川は思わずよろけた。慌てて周囲の部下が彼を支える。
 無理もない。今の今まで絶望に包まれていたのが突然突破口が開けたのだから。蜷川はありったけの声を張り上げて命令した。
「撤退準備にかかれ! 後退して本体と合流する! 作戦は完了したんだ!!」
 掩体壕のあちこちから歓声が上がった。

   ***

 外からもれ聞こえる歓声を聞きながら、米本が静かに言った。
「秋沢、確か生き残りの戦車兵の中に中学生がいたっけな?」
「ええ、323号車の3名が、確か13になったばかりのはずです」
「そうか」
 やや考えながら、米沢が静かに言う。
「そいつらと戦車を失った奴らはな、ドライバーとしてトラックに派遣しろ。向こうに着いたら現地部隊の指揮下に入るように言い含めて、な。決してこちらに戻ってこさせるな」
「分かりました」
 秋沢が微笑みながら通信を送った。
 米本が今思い出したかのように、だが幾分わざとらしく言葉を続ける。
「そういえば、お前らも14になったばっかだったよなあ……」
「車長、俺は仲間外れにされるのが大嫌いでしてね。そいつは勘弁してください」
 秋沢がくるりと振り向くと、にっこりと微笑んだ。
「秋沢……」
「俺も同じですよ。いまさら降りろなんて無しですよ」
 前田も砲室から笑いながら答えた。
「お前ら……、分かったよ、好きにしな」
 苦笑交じりに米本が答える。だが、その目には涙が光っていた。
「後の連中もお供したいって言ってます。よろしく頼みますよ、”連隊長”」
「ああ……」
 そう言うと、米本はハッチを開けて上半身を表に出した。2人には米本がこんなことをつぶやくのが聞こえた。
「霧が出てきたか……、あいつらにはおあつらえ向きだな……」

 後方に置かれていたため辛うじて無事だった大型トラックが3台、既に暖機運転を完了して待機していた。不思議に思った蜷川がドライバーに訊ねると、米本の命令で機動力に劣るスカウトを一足先に後方に送り届けるよう命令を受けた、とのことだった。モコスは後衛をつとめつつ撤退する、と。
 言われてみればもっともだったので、蜷川はさしたる疑念も持たずに負傷者を優先してそれぞれのトラックに分乗させた。やや霧が濃くなり始めたころ、3台の大型トラックは次々に国道3号線を北上し始めた。
 と、その時、後方から聞き慣れた音楽が聞こえてきた。
 砲弾の炸裂音、幻獣の突進する足音が奏でる戦場音楽が。
 と同時に、霧の向こうに閃光らしきものがぼんやりと見える。
 愕然とした蜷川は急いで米本を呼び出す。
「米本さん、こちら蜷川! い、一体何があったんですか!?」
『こちら米本。幻獣どもの再編が予想以上に早かったらしい。我が隊はこれを阻止すべくこの場にとどまって戦闘を続行する』
「何だって!?」
 蜷川は耳を疑った。
「だ、だって、もう大丈夫だって……!」
『もう少し時間がかかってくれれば完璧だったんだがな。今のままだと時間前に球磨川に到達される恐れがある。そういうことだ』
「な、ならば僕たちも戦闘に参加して……!」
 言い募ろうとした蜷川の声を米本が遮る。
『駄目だ! あんたらにはこれからも戦い続けてもらわなきゃならん。言っただろう? 戦力を温存する必要があると。可能な限り生きて帰してやると』
 蜷川の眼からは既に涙が滂沱とあふれていた。彼は思わず絶叫していた。
「嘘つき!! あんたらは簡単にくたばらないんじゃなかったのか!? 『モコス』の名を裏切るのか!?」
『嘘をつくつもりはないさ。生きて帰るつもりではいるよ。まあ、再び逢えるかどうかは知らんがな……。じゃあな!!』
「米本さん! 米本さんっ!!」
 慌てて蜷川が叫ぶが、既に通信は切れていた。

   ***

『米本さん! 米本さんっ!!……』
 まだ何か言っている通信を無理やりオフにすると、米本は全車に対して張りのある声で命令を下した。
「臨編独立第1戦車連隊、攻撃開始!」
 4両のモコスが、己の意地を証明すべく一斉に発砲した。

 蜷川は荷台から米本たちがいるはずの方向に目を凝らしたが、既にそちらは深い霧に包まれつつあり辛うじて砲声と発砲炎が確認できるだけだった。
 蜷川はあふれる涙をぬぐおうともせず戦場を見つめつづけていたが、やがてゆっくりと敬礼をした。周囲にいた学兵たちも彼に倣う。
 全ては霧の中に包まれていった……。

   ***

(歴史概況)
 ……かくして、九州中部戦線における戦闘は人類側の九州からの撤退という形で幕を閉じた。その損害は特に学兵において甚大であり、学兵の総参加兵力142560名(中学生の強制徴募含む)に対して、戦死68325名、行方不明34533名を記録している。これは実に総参加兵力の72%にあたり、いかに激戦であったかを物語っている。また、九州全体での民間人の犠牲者は実に84万名にも及び、当時の戦争指導がいかに杜撰なものであったかの証明でもある。
 この中で特筆すべきは、後に「熊本撤退戦」と呼ばれる一連の九州脱出作戦の初期において、八代市の民間人9600名を救出すべく遅滞防御戦闘を展開した生徒会連合の臨編独立第1戦車連隊である。彼らの活躍なかりせば、彼らは1人として脱出できなかったはずである。そう、彼らは愚かな戦争指導部の命令の下、戦力の8割近くを失いながらも「非戦闘員を守る」という軍隊の本分を全うしたのである……。
(田坂道治 著『第三次防衛戦 概況』第2版(学識研究社・2037年発行)より抜粋)

   ***

  独特のホバーの排気音を残しながら、モコスは歴史の彼方へと消えた。
  『頑固者』の名のごとく、己の意地を最後まで通し、そして物言わぬ骸となった。
  そして、彼らを守るべく戦ったスカウトたちも、また。

  蜷川忠明百翼長。
  米本浩一百翼長。
  2人のその後について、歴史は沈黙している……。
(おわり)


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