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その1


 1999年3月31日(水)。
 九州中部戦線全体が騒乱に包まれている中、5121小隊が正式に戦闘加入してから約10日が過ぎた。
 配属当初に周囲で囁かれていた「お荷物」「寄せ集め」「問題児の吹き溜まり」といった評価をよそに、初陣にして戦果26、被撃墜は0という記録を打ちたてて各部隊を驚嘆させたのも記憶に新しい。
(他の部隊では、初陣で戦死者が出るのは珍しくなかった)
 それから数回の出撃においても、多数の被弾・破損・機体の放棄までは避けられなかったものの、1人の命も失うことなくどうにか切り抜け、今や5121の名は有望株最先端としてその評価はとどまるところを知らず上昇していった。
 その評価に別におごり高ぶったわけでもないだろうが、それによって小隊メンバーはわずかながらもこの戦争を戦い抜く自信を抱き始めていたようだ。
 ただ、その自信の影で皆が忘れかけている一つの法則があった。
 曰く、災難は忘れた頃にやってくる。

   ***

 大粒の激しい雨が戦場に降り注ぐ。空にはどんよりとした黒雲が立ち込め、まだ日が落ちるまでには間があるはずなのに、辺りは薄墨を流したかのように暗かった。その中にシルエットと化した廃墟がけぶるさまは、どことなく墓場を連想させる。
 その中を、1人の学兵が身体を低くした姿勢のまま、遮蔽物から遮蔽物へダッシュを繰り返していた。女性専用ウォードレスである久遠、それも装甲の厚さからして戦車兵のようだ。フェイスガードのために顔まではわからない。
 その後ろには互尊――これも戦車兵仕様――が、やや遅れながら後をついていく。
 いまだ弱まる気配を見せない雨はあちこちにぬかるみを作り出し、彼女たちはともすればそれに足を取られそうになりつつも、低い姿勢を崩すことだけはなかった。その足取りは水溜りを避けるようにしながらも可能な限り素早く、ただし遮蔽物へと身をこすりつけるようにしながら移動している。戦場で泥にまみれ、姿勢を低くすることの意味を熟知している証拠だ。学兵とはいえ、それなりの訓練を受けていると思わせるものがあった。
 油断なく周囲に視線を配し――特に後方に――サブマシンガンを抱きかかえるように持ちながらなおも疾駆する。フェイスガード内ではコンピュータ処理された外部映像と戦術情報システム(TIS)が提供する脅威情報が網膜投影されていた。
 現在のところ、周囲に幻獣の存在を示す反応は感知できないが、それで安心するわけにはいかない。本来戦場において確度の高い情報を提供してくれるはずのTISが役に立っていないからだ。
 故障ではない。あまりにひどい雨のせいでレーザー通信が使えず、相変わらず電波の状態が悪いのか無線通信も使用できない。このため指揮車や他の友軍との連絡がとれず、ウォードレス自身のセンサーしか使用できないのだ。しかもそのセンサーも感度が今一つで、せいぜい「目で見るよりまし」というレベルまで落ちてしまっている。
 彼女は軽く舌打ちをすると、改めて周囲を見渡した。と、崩れかけているビルが目にとまる。入り口のドアは壊されているが、それ以外は比較的頑丈そうで今すぐに倒壊する雰囲気もない。態勢を立て直すにはいいかもしれない。
 問題は、今いるところからそこまで何の遮蔽物もないということだ。距離は100メートル弱というところだが途中で攻撃を受ければひとたまりもない。
 とはいうものの、このままやみくもに走り回ってもらちがあかない。ともかく一度状況を把握する必要があった。
 久遠は後ろを振り向くと、ようやく追いついてきた互尊に対してビルを指差し、それから自分を指差した。自分がまず行くから援護しろ、という意味だ。互尊が引きとめようとするが、軽く手を払われると黙って頷いた。
 念のためもう一度周囲を確認すると、彼女は筋力レベルを最大にして物陰から飛び出した。派手ではあるが、暴露時間は短いほどいい。
 建物が見る見る近づいてくる。50メートル、30メートル、20メートル――。
 最後のジャンプで、今や単なる穴になっている入り口からそのまま転げ込むように中に入り込んだ。
 床を転がりながら素早く銃を構え直して膝立ちに起き上がり、ゆっくりと中の様子を確認する。何もいない。
 そのままうつ伏せの姿勢になり、入り口の床ギリギリから顔と銃口をわずかに覗かせる。どうやら何事もなかったようだ。
 かすかに安堵の息をつくと、外に向かって軽く手招きする。
 互尊がどこかふらついた足取りでこちらに向かって駆けてくる。それを見つめる彼女の瞳はフェイスガードに隠されていたが、いらだたしげな、だがどこか案ずるような光をたたえていた。
 転がるように互尊がサブマシンガンを抱えたまま飛び込んできたのを確認して、久遠は再び壁の陰へと引っ込んだ。そこで初めてフェイスガードを跳ね上げ、顎のアジャスターに手をかける。
 ヘルメットを乱暴にむしり取り、投げ捨てるように放り出す。これでセンサーの情報は一時的に使えなくなってしまうが、この雨ではどのみち同じ事だった。
 豊かな長い黒髪がこぼれ出て緩やかに流れるが、汗のせいで一部はべっとりと額に張り付いている。女性兵士――芝村舞はそれをうるさそうにかきあげた。廃墟特有の空気が、このときばかりは場違いなぐらいに涼しく、心地よいと感じられる。
 ヘルメットの下から現れた顔は美少女といって差し支えないが、その瞳は、先ほどまでとは違い、見るものを戸惑わせるほどの強力な意志に溢れていた。
「遅いぞ、厚志……。私の後ろを離れるなと言っておいたではないか」
 先ほどからそのまま大の字に寝転がったままの互尊に視線を向けながら、彼女は言った。
「ご、ごめん……。思ったより手間取っちゃった……」
 大の字になったまま、くぐもった声で互尊――速水厚志が答える。やがて彼ものろのろとした動作でヘルメットを脱いだ。舞と同じく玉の汗を額に浮かべている。暗がりではっきりとはしないが、心なしか顔色も悪いようだ。
 舞はその様子を見て、「立てるか?」と静かな声で聞いた。
「大丈夫……」
 速水は顔をしかめながら上体を起こす。舞はあるいはここで気が付くべきだったのかもしれないが、彼女自身の疲労度もすでにかなりのものであったので、そこまで気の回る余裕はなかった。
 入り口からやや奥まった所、外から見えない一室に移動した2人は、外に光が漏れないようにしてからペンライトをつけた。中はがらんとしていて、わずかに埃をかぶった机が一つ、隅っこに忘れ去られたように置かれているだけだった。放棄されてからだいぶ経つらしい。
「いったん状況を把握せねばならん。周囲を確認する。そなたはここにいて地図を用意しておくがよい」
 速水の返事を待たずに舞は再び汗まみれのヘルメットをつけて、上への階段を探し始める。ヘルメットのなかに染みついた汗がうっとおしくて仕方がないが贅沢も言えなかった。
 あちこちにひびの入ったそれは程なく見つかった。
 窓に身を晒さないようにしてゆっくりと上がっていく。ドレスの足裏にはめ込まれている硬質ゴムのおかげで足音はほとんど響かない。
 4〜5階も上ったところで唐突に階段が切れた。さらに上もあるようだが階段が崩れていて簡単に登れそうにない。
 廊下に目をやると妙に明るかった。覗き込んで納得する。壁の一面がほとんど吹き飛ばされ、そこから光と雨が入り込んでいるのだ。
 強制的にオープンに変えられたフロアに低い姿勢で出る。雨はいまだひどく、ウォードレスを容赦なく叩くが舞はそんなものは気にしない。壁の縁から慎重に頭を突き出すと、ヘルメット備え付けのスコープで周囲を観察し、ランドマークを見つけ出す。方位と概算距離を素早く記録し、再び低い姿勢のまま階段へと戻った。
 部屋に戻って来た舞はしずくをザッと払うと地図を確認し、今見たランドマークを探し出し現在位置を推定していく。いささか大まかな計算だが、友軍や5121小隊の撤退ラインまでは最短で約3キロと出た。
 軽く息をつき、眉根を寄せて考え込む。
 士魂号ならどうということもない距離だが、間には幻獣がうようよしているはずだ。おまけにこちらはスカウトですらない、ただの戦車兵だ。装甲の厚さひとつとっても本職とは雲泥の差がある。
「これから、どうしよう?」
 速水が途方にくれたような声を出すのを、舞は、
「たわけ、何を弱気になっておる! 決まっておろう、小隊、あるいは友軍との合流を図るのだ。簡単なことではないか!」と小声で叱りつけた。
 もっとも、彼女にしてからがそんな簡単に実現できるとは毛頭考えていなかったけれども。

   ***

 大体、何故彼らがこんなところで泥にまみれなければならなかったか?
 そもそもの原因は彼らの戦場での立ち回りにあった。といっても、これは必ずしも一方的に責を負わせるべきではない、不幸な偶然に端を発していた。
 今から数時間前、彼らが戦場に到着したのは幻獣が実体化する20分ほど前だった。その頃は空はどんよりとしていたものの比較的明るく、視界も決して悪くなかった。
 指揮車は攻勢開始線のほぼ中央に陣取っており、幻獣が出現するときを静かに待っていた。1番機と2番機は右翼に、3番機は左翼に展開している。1番機が切り込み、2番機がそのやや後方から長物(ライフルやバズーカなど)で援護する。そして3番機が彼らが開けた穴から突入してミサイルをばら撒く――最近徐々に定着しつつあるフォーメーションだ。
 実際はこれだと1番機に攻撃が集中する傾向があるので(現に、今までの損害の6割ぐらいは1番機が負っている)他のフォーメーションも研究中なのだが、そんな未来の成果に期待していても仕方がない。彼らは今持っている腕と戦術で精一杯対応するしかなかった。

「指揮車より全機へ、幻獣実体化予想時刻まで10分を切った。各自最終チェックを怠るな。フォーメーションはいつもの通り。壬生屋さん、頼みます」
『了解しました!』
 かすかに緊張した声がノイズ混じりで答える。古武道の師範格とはいえ、戦場での緊張はまた別だ。
「滝川君、フォローは任せましたよ」
『了解! 任せ……ください!』
 こちらは打って変わって威勢のいい声。だがこれも恐れと表裏一体の強がりであることは皆が知っている。
 だがそれでいい。蛮勇は困るが、いざと言うときに空元気ぐらいは出せなければどうしようもないからだ。
 善行は微苦笑を浮かべたが、先ほどよりノイズが大きくなっているのは少し気になった。
 そのことをかすかに気にとめつつ、スイッチを切り替える。
「速水君、芝村さん。聞こえますか? 準備はいいですか?」
『はい。やや感度が悪いけど……えます! 各部異常なし、即時全力発揮可能……』
『問題ない。いつでもよいぞ』
 いつも思うことだが、速水と舞の返事には妙な気負いがほとんど感じられなかった。もちろん2人とも緊張はするに違いないが、それが表に出てこないのだ。たいした度胸というべきか、それとも戦場の本当の恐ろしさがまだ理解できていないのか……。
 ――まあ、いいでしょう。即席の彼らに今これ以上を望むのは贅沢というものですからね。後は経験が教えてくれるでしょう。
 できればそんな「経験」を味わう瞬間など来ないほうがいいのだが、それは指揮官が口にすべきことではなかった。
 だからマイクに向かっては「分かりました」というにとどめた。
『……こちら若宮、スカウト2名……配備完了しました。……出撃準備よろし!』
『……異常ない』
 スカウトたちから通信が入る。彼らは3番機のやや後方に陣取っていた。これもいつものことだが、若宮の戦場を幾度もくぐり抜けたものだけが出せるあのふてぶてしいまでの落ち着いた声と、寡黙な来須の呟くような、だが落ち着いた報告は聞く者に妙な安堵感を与える。善行ですらそう感じるのだから、皆にとっては何をかいわんや、である。
 事実、先ほどまで張り詰め過ぎていたくらいの緊張感が、ほんの少しよい具合に緩む。来須はともかく、若宮はその辺りまで計算しての発声に違いなかった。そのくらいの芸当が出来なければ小隊付き戦士は勤まらない。
 その瞬間を捕らえて善行が素早く命令した。
「実体化5分前。士魂号全機ならびにスカウト、即時戦闘待機と為せ! 以後の指示はオペレーターが行なう。人類に勝利を!」
 多少通信状態が良くないのが気にかかった。追加で指示を下す。
「通信状態の悪化に備えて、以後は通信の確保に留意せよ。なお、レーザー通信系は常に使用可能な状態でスタンバイするように。以上」
 各々了解の返事。
「瀬戸口君、戦術指揮統制機を呼び出してください。支援砲撃を要請します」
 了解という声と共に、瀬戸口が後方の空中で待機しているはずの戦術指揮管制機を呼び出す。
 今、戦場という名の舞台における開幕ベルが高らかに鳴らされた。

 いつもであったら、このくらいのノイズはちょっとしたインシデントとして処理されていたであろうが、後の資料の中には、このとき小隊司令はもっとこの現象に留意すべきであったと批判するものもある。
 だが、後知恵をもってならなんとでも好きなように言える。例え誰であれ、全く予想もされていないような事態にはそうそう対応できないものである。

   ***

「あ、ヤバイな……」
 そんな呟きが善行の耳に流れ込んできた。
 後ろを振り向くと、瀬戸口が難しい顔のままコンソールとにらみ合っている。どこかと会話をしているようだが、さきほどより電波状態が更に悪化しつつあるようで相当苦労しているようだ。
「了解。情報提供に感謝する……あ、切れちまった……」
 やがて、どうにか通信を終えた瀬戸口が振り向くと言った。
「司令、気象情報です。この戦区の気圧が急速に低下中。かなり激しい雨になる可能性があるそうです」
 それを聞いて、善行はわずかに考え込む姿勢を見せた。
 戦闘における雨はろくな事がない。視界が遮られるし足元も悪くなる。それに何よりあまりに激しい雨ではセンサー系が妨害される恐れがある。
 レーダーはまあ相当ひどい雨でもなければ大丈夫だろうが、レーザーを使った通信や距離測定は、レーザー光線そのものが雨粒で散乱させられてしまうので役に立たなくなる可能性が高い。さらには赤外線センサーも全ての物体が一様に冷やされてしまうので温度差を感知しにくくなる。
 結果、お互いが気がつかないままに近距離の遭遇戦を強いられる可能性が高くなり、損害も受けやすくなる。
 いわば天然の煙幕弾に覆われるようなものだ。まあ、敵のレーザーやセンサー(その実態はあまり明らかではないが)も威力や感度が落ちる可能性があるのが救いといえば救いだが。
「全員に今の情報を転送してください。留意するようにと。……通話状態が悪いようならレーザー通信も併用しなさい」
「了解」
 そう言うと瀬戸口はコンソールに向き直り、情報を転送し始める。
「嫌な時に降りますね……」
 思わず呟きが漏れる。
 その時、はるか上空を脱線寸前の急行列車が驀進するような音が通り過ぎていった。
 先ほど要請した支援砲撃の曲射砲弾が通過していく音だ。
「幻獣、実体化を開始しました……うわっ!?」
「きゃあっ!」
 幻獣情報を転送しかけていた瀬戸口が顔をしかめると、レシーバーを慌てて離した。ののみも同様にレシーバーを放りだし、耳を押さえている。
「どうしました!」
「ふえぇ、しれー、のいずがすごいの……」
「いきなりノイズがひどくなりやがった。全周波帯域に大規模な電子妨害! 誰だ、こんな所でジャミングをかけた馬鹿は?」
 それを聞いた善行は、不思議そうな、だが硬い声で告げた。
「……一体、誰がそんなものをかけるんですか?」
「あ」
 言われてみればその通りである。今のところ、この戦区には友軍は進出してきていない。そして、ここで唯一電子戦能力を持つのはこの指揮車なのだ。
「瀬戸口君、ECCM(対電子妨害)発動。敵が未知の戦術を使用する可能性がある。可能な限り発信源を割り出しなさい!」
「了解! ののみ、頼んだ!」
「りょーかい! たいでんしぼうがいしすてむ、さどう!」
 ののみの声と共に多少ノイズは減少したが、それでも相変わらず通信状態は良くない。敵味方の位置を示す戦区マップにも無数の線が入り込んでいる。レーダー電波も撹乱されているのだ。
 ――一体、何が起きているんだ?
 善行は人知れず焦慮に身を焼く思いだった。
(つづく)


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