あるところの平和で平凡な町に、それはそれは綺麗な男の子がいました。まだ幼年にも関わらず、その顔立ちは甘くそして繊細な、まさに珠のようなと呼ぶのが相応しい様子。皆が男の子を可愛がり、男の子は幸せいっぱいに育ちました。
ところが、そんな幸福は長くは続きませんでした。男の子の母親が若くして身罷ったのです。最期の夜、母親はか弱い息で遺言を残しました。――男の子の頭に鉢を被せてくれ。
不思議な遺言でしたが、愛する妻のため、父親は言うとおり、男の子の頭に鉢を被せました。
母親は満足して息絶えました。皆が悲しみに咽ぶなか、重ねて大変なことが起こりました。
男の子の頭に被せた鉢が取れないのです。男の子の綺麗な顔は重たい鉢に遮られ、頭ばかりが大きくなんとも滑稽な姿。しめやかな場は一気に大混乱に陥り、父親は慌てて男の子を医者に見せました。
しかし、鉢は異様なほど硬く、欠けもせず切れもせず。外そうと引っ張れば男の子の頭にひどい痛みが走るのです。ですから仕方なく、男の子はそのままの姿で過ごすしかないのでした。
父親はそんな不幸を嘆き、毎日泣いて暮らしました。
男の子の頭の鉢は、いつになっても取れませんでした。男の子が成長しても、鉢は不思議なことにぴったりと張り付いたちょうどの大きさを保ち続けました。きつくならず、当然緩くもならず、まるで鉢も一緒に成長しているかのような。
昔は可愛がられた男の子は、すっかり近所で変人扱いされるようになりました。慈しんでくれるのは父親だけです。
年月が過ぎ、そんな孤独な男の子は少年になりました。




はちかづき王子






01.
彼が現れると、空気が一瞬に凪いでしまう。そして、静かな海の波のような囁きが広がっていく。
「見て、オイカワサンだ……」
そう、彼の名前はオイカワサン。この悪意を含む慇懃無礼な呼び方を、知らない者はいない。全ては彼の異様な姿が原因だ。
「あの、鉢」
「前見えてんの?」
「気持ち悪い」
ゆらゆらと重そうな頭。鉢を被った歪なシルエットが通り過ぎる。
そこにいる生徒が廊下を歩くオイカワサンの後ろ姿を目で追って、心ない言葉を吐く。嘲笑と、湧き出る気持ち悪い優越の端が見え隠れ。
そんな光景を苦々しく見詰める生徒が一人だけいた。影山飛雄。彼はこの空気が我慢ならない。
飛雄が不機嫌を露わに歩くと、周りの生徒はバラバラと散って行った。飛雄はフンと鼻を鳴らす。
奴らに唾を吐きつけたい気分だ。
特別オイカワサンを庇っているつもりはない。彼と話したこともない。
ただ、捻れているようでその実、竹を割ったような性格の飛雄にとって、全くもって胸糞悪いと思うしかない状況だった。
皆が同じ制服に身を包み、同じドラマと音楽を知っていて、言葉遣いまで気をつけて過ごす学校生活。皆が大きな波に埋もれて平凡になろうとしている。そこで人とズレたり突出したりすると弊害がやってくる。そういう集団の暗黙のルールのようなものが、飛雄はとても嫌いだ。面倒だ。
確かに、人間関係を上手に作るためにある程度の協調性は必要だ。しかし、彼らがやっていることはただの迫害だ。
人と少しでも違うのは悪いこと?
オイカワサンはかなり特殊な部類だが、飛雄は彼のことを、馬鹿にして集団から排除する気分には全くなれなかった。
そんな気質が祟って、飛雄も校内では大概変わり者扱いされてしまっているのだ。しかし、そのことを別に気にしてはいなかった。





02.
トスが上がる。フワリといった表現が相応しい。美しいトスの向こう側には誰もいない。ボールはトントンと跳ねて転がっていった。
一人きりの体育館。影山飛雄だけの練習は粛々とした雰囲気さえ感じる。一心にボールだけを見詰める目や、支える長い指の手。宵の口となる時間帯にあっても、飛雄のジャージの衿元は汗に濡れている。
飛雄はこの時間が1番好きだ。部活が終わった後の、誰もいないこの空間は落ち着く。息遣いから挙動の気配まで、聞こえるのは全て自分だけのもの。誰も立ち入らせたことはない。
しかし今日、飛雄は初めてそれを許した。体育館の半開きの扉に向かって、声をかけたのだ。
「誰かいるんでしょう」
シンとした空間に声が響き渡り、ややあって人影が扉の向こうから現れた。その奇抜なシルエットに、飛雄は誰なのかを瞬時に悟って片眉を上げた。「及川先輩?」
意外な人物だった。
ここ数日、飛雄の個人練習を覗き見る何者かの存在には気付いていた。あまりにも連日視線を感じるので、てっきりバレー部の誰かだと思っていたのに、飛雄の予想は綺麗に裏切られ、なんの接点もない有名な先輩がやって来たのだ。
驚きを隠せない飛雄に、無口な及川。二人の間にボールが音もなく転がった。
「……、……」
「…………」
心地良いと思っていた空間が気まずさに塗り潰されて、飛雄は彼を呼び寄せたことを後悔した。何か、喋ってくれればいいのに。覗いていた訳などを。
飛雄は饒舌なわけじゃないので、こういう場面が苦手だったのだ。
「……何か」
結局無愛想になってしまった問い掛けに、及川が若干怯んだように身を引いた。どうも及川は人に対して必要以上に構えている気がする。当然かもしれない。
飛雄は、口調と表情を意識できる範囲で改めることにした。目の前の彼を「オイカワサン」と呼んで嘲笑う連中と一緒にされたくなかったのだ。
「……いつも、見てましたよね」
険のない飛雄の様子に、及川がふと目線を上げた――ように見えた。及川の顔は頑丈な鉢で覆われているから、ちょっとした動作や雰囲気で全てを感じなければならない。
「バレー、好きですか?」
飛雄は足元のボールを拾い上げた。それを掲げて見せた。及川は何も言わない。
「だってずっと眺めてたでしょう」
ポン、と放った。綺麗な放物線を描いてボールは、飛雄の手から及川の手に移った。
飛雄は及川を見詰めてひとつ頷く。
「一緒に練習しません?」
こく、と及川の首が傾いた。





03.
投げて返して、最初はそんな簡単な動作だった。
飛雄は三年間バレー部に所属するチームのレギュラーメンバーだが、及川は何の部活にも入っていない。しかし、及川のボール捌きは意外にも熟れていて、トスのリレーもすぐに出来るようになった。
飛雄は少し驚いた。バレー練習を飽きもせず見詰めていたから、きっと球技が好きなのかもとは思っていたが、予想以上に上手い。
バレー馬鹿の飛雄は、なんだか嬉しかった。



その日から、部活が終わった後、飛雄の個人練習には及川が加わるようになった。誰にも秘密だ。
毎日会っていると、最初の頃より及川の小さな感情の動きが分かるようになってきた。鉢の裏の、微かに微笑んだ口元が透けて見えるような気がして。
二人の関係は、急速とも言っていい早さで変わっていた。会話をする時間より、黙ってボールをやり取りする時間の方がずっと長い。それでもお互いのことを何となく分かっていた。
ほわほわした綿を踏むような不安定で不思議な関係。
「及川先輩、本当に上手いんですね」
飛雄は時々感嘆させられた。
今のところ、練習で一番の衝撃は及川のサーブだ。見たことがないくらい強烈で、しかも正確だった。
「うちのチームの誰よりもすごいです!」
興奮した飛雄がそう褒めちぎると、及川は照れ臭そうに顔を伏せて、それから飛雄を見て。
「ありがとう」
及川の声を聞いたのはその時が初めてだった。普通の少年と何も変わらない、澄んだ音だった。



及川と居ると、心がふわりと温まる。飛雄は考える。
どうしてだろう――どうしてだろう。





04.
その日は朝から変な気分がしていた。
学校に行くと、空気が浮ついている。いつもと違う。ざわめきが不穏な、嵐の前の波のよう。視線が刺さる。
気持ち悪い、いつも以上だ。
飛雄は口をへの字にして、むっつりとして歩く。
不思議なことに、飛雄が目線をやるとその気持ち悪い空気は霧散するのだ。何事もなかったことを「装って」。
クラスでも、部活でも、それは一日中続いた。
その頃になると、流石の飛雄も気が付いた。この空気、飛雄を中心に渦巻いている。何かしただろうかと考えても、答えは出なかった。
飛雄は苛立っている。
チーム練習で、微妙に噛み合わない呼吸。明らかな非がこちらにあるならともかく、思い当たる節がないのだから、ストレスが溜まる。
「……おい」
練習中、普段と違って飛雄に話しかけてこないチームメイトに声をかけた。それまでぼそぼそ話し合っていたチームメイトはいきなり姿勢を正して、揃って飛雄に顔を向ける。「疚しいことがあります」と告白するようなものだった。
「……俺、なんかしたか」
聞くと、気まずそうに押し黙るチームメイト。目線が交わって、最終的に、全てが飛雄に向いた。
「……言いたいこと、言えよ」
それでも躊躇うようだったので、飛雄は痺れを切らした。「俺のことなんだろ」
「……見た奴がいるって話なんだけど」
一番前の奴が口を開く。要領を得ない話しはじめにイライラが募る。
「……」
「お前さ、いつも部活終わった後も一人で練習してくじゃん……最近『オイカワサン』と一緒にしてるって、……本当?」



飛雄はポカンとして目を開いた。
最初は、なんだそんなことか、と思った。もっと深刻な内容を想像していたのに。
何か悪いことがあるのだろうか。及川と一緒に練習して、不都合なことが。
「それがどうしたんだよ」
飛雄がそう言うと、俄かにその場がざわめいた。
「嘘、ホントかよ」「有り得ないじゃん」「俺は半信半疑だったのに」
口々に言い合うメンバーの言葉。“あの『オイカワサン』と練習なんて、気味が悪くてできない。”
飛雄はカッと頭に血が上ってしまった。
「何が悪いんだよっ」
気が付けば、チームメイトに向かって声を荒らげていた。
飛雄は知っている。及川の声の優しいこと、バレーが上手いこと、空気が暖かいこと。こいつらは何にも知らない!
憤る飛雄を、チームメイトは異物を見るような胡乱な目で見詰めた。一人が言う。
「何が悪いとかじゃないんだよ。『オイカワサン』だからいけないんだ。理由なんてないんだ。お前も、あの人と関わるのは止めた方がいいよ」
にべもない。
飛雄は今度は呆然としてしまった。
人と少しでも違うのは悪いこと。誰もが皆平凡になろうとしている。暗黙のルールはがんじがらめに皆を縛り付けている。それを飛雄は嫌悪していた。皆同じなんて鬱陶しいと思っていた。
及川さんだからいけないなんて、そんなことあるはずないじゃないか……。
飛雄ばかりがそう思っても、周りは違うのだ。



飛雄は及川に会いたかった。無性に会いたくて仕方がなかった。
悔しくて少し泣いた。
及川を疎む皆が、それをどうにも出来なくて皆の背中を見送った自分が、悔しくて憎らしい。
一人きりになった体育館で、及川を待った。
転がったままのボール。飛雄の手は今日はそれを拾い上げない。暗澹たる窓の外と誰も訪れない扉。
及川は来なかった。





05.
くる日もくる日も、飛雄は及川を待っていた。皆に変な目で見られても、暗くなって学校が閉まる時間まで体育館に一人で立っていた。それでも現れない及川に、飛雄は。
「どうして来てくれなくなったんですか」
ある日、及川のクラスを訪ねた。及川と向き合い開口一番そう言った飛雄を、教室の面々は驚愕の眼差しで見詰めていた。
「……」
及川は何も言わない。鉢を被った頭がフイと反らされた。
「……及川さんっ」
痺れを切らした飛雄が、その肩に手を伸ばす。
しかし、手は払いのけられた。
「え……」パシッという乾いた音と、呆然とした飛雄の声が、やけに静かな教室に響いた。
「及川さん?」
……あんなに優しかったのに。仲良くなれたと思ったのに。
行き場を失った手が空中で躊躇う。もう一度及川に手を伸ばすべきかどうか。
その間に、及川は席を立つ。行ってしまう。後ろ姿が飛雄を拒絶していた。
「……なんで?」
どうしてこうなったのだろう。
飛雄の足は動かない。追い掛けるべきだと思って足がピクリと引き攣るが、一歩も進まなかった。
及川本人の明確な意思表示は、飛雄をとても傷付けた。
ボールのやり取りで分かるようになったと思っていた及川の感情も見えなくなった。真っ暗だ。





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