「…百合の薫りがする」

 さやけき雨音の中で眠る少年を見つめ、藍がひっそりと呟いた。その額に手のひらを滑り込ませる。
 瞬間、焦がれるような熱が掌に伝わり身体じゅうに駆け巡った。藍が眉を寄せ口を歪めるのを見て、銀は咄嗟にその手を掴んで少年の額から引き剥がした。

「藍、大丈夫か」
「平気、ちょっと吃驚しただけ。夢を『覗く』のは僕の仕事だしね」
「そうなんだけどさ、見てるとこっちまで痛い気がすんだよな」
「…心配してくれたの?」
「煩いな、早く済ませようぜ」

 ふいっと顔を逸らしてぶっきらぼうに言い放ったのが、銀の下手くそな照れ隠しである事も藍はじゅうぶん承知の上だ。長い付き合いなのだ。

「とりあえず喰うか?さっきのお前の様子だと、この子が背負い続けるには荷が重い夢みたいだし」
「そうだね。頼んだよ、銀」

 藍が言うと、返事の代わりに銀は口端を持ち上げて笑って寄越した。

 そうして、銀が何事かを呟きながら瞼を閉ざすと、その手中に淡い燐光を放つ鈴が現れた。辺りを、柔らかな青の光が包み込む。

 …凛、

 銀の手の動きに合わせて震えた鈴が、儚げながら涼やかな音を響かせたかと思うと、途端、かたかたと小刻みに窓枠が揺れ始め、寝台に眠る少年の身体も痙攣を起こしたように二、三度びくりと震えた。

「…!」

 再び鈴が鳴り響く。ぱあんと硝子が弾けたような清らかな音と共に、青い閃光が舞い散り、螢火のようにふわふわと少年の周りを遊泳する。藍が手を翳すと、その青い螢火は蝶となって彼の指先に次々に集った。

「一丁上がり」

 ふ、と笑った銀の手元から鈴が消えたと同時に、藍の指先をくすぐっていた蝶達も一羽、また一羽と薄闇の中に融けてゆく。青い光が静かに消えゆく世界を、雨音だけがまたゆるゆると満たそうとしていた。



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