血統書つきの猫みたいになめらかな黒髪。綺麗なかたちの後頭部。銀縁の華奢な眼鏡の奥の、くるんとまるい双眸。蒼(そう)くん、と呼ばれて振り返る物腰柔らかな仕草。そして何より、見るひとすべてをきゅんとさせてしまう、仔犬のように邪気のないきらきらの笑顔。

 そう、彼は完璧だ。


「昨日の委員会、蒼くんがまとめてくれたからすぐ終わっちゃったね」
「あー、来年度の役員決めね。役員なんてめんどくさくて誰もやりたがらなかったけど…」
「あの笑顔で『先輩じゃなきゃ務まらないと思うんです』なんて言われたら、ねえ?」
「断れないよねぇ。その先輩もすぐさま頷いちゃってたもん。でも役員になれば蒼くんと一緒にいる時間増えるしちょっと羨ましいかも」
「じゃあアンタが立候補すれば良かったじゃん」

 やだー、と明るい笑い声をあげながらすれ違うクラスメイトを横目に、わたしは視聴覚準備室へと向かった。



「蒼?」

 昼休みの喧騒遠く、誰もいない視聴覚準備室は電気も点けられずぼんやりと薄暗い。

「……何」

 ぶっきらぼうな口調で、心底面倒くさそうに彼は上体を起こした。眼鏡を外したその顔に、噂のきらきらした笑みは微塵も浮かんでいない。

「また寝てたの? こんなとこで」
「ん」

 追っかけられるのがウザくて隠れてた、と呟いて、蒼はぼんやりしたまま寝癖のついた髪をわしわしと掻いた。黒猫みたいな綺麗な髪が台無しだ。

「蒼が誰にでも良い顔して見せるからでしょ。相変わらずわたし以外にはきらきらにこにこしちゃってさ」
「だって茜に笑顔を振り撒く理由がないから」
「べ、別にいいわよ、あんな嘘っぱちの笑顔なんか今更見たくないし」

 だって、わたしは、ほんとうの蒼を知っているから。

「そんな事より茜、髪なおして」
「な、なんでわたしが」
「こんなとこまで僕を探しにくるくらい暇なんでしょ? 昼休みが終わるまでに職員室に顔出さなきゃいけないんだよ。寝癖付けたまんまじゃ格好悪いっしょ」
「そ、そんなの知らないよ! てゆうか暇で探しにきたわけじゃないし、」
「わかってる。僕に会いたかったんでしょ茜は」

 きらきら、ではなく、にやにや、と言ったほうがしっくりくる笑みを投げかけられて、わたしは言葉に詰まってしまう。でも、蒼の髪に触れるのを許されるなんて、胸が痛いくらい嬉しいのだ。わたしはポケットから櫛を取り出して、蒼の髪に、そっと触れた。

「ねえ蒼、今日は一緒に帰れるかな…?」

 いい匂いの黒髪。思わず鼻先を埋めてしまいたくなるのをどうにか堪えながら尋ねると、蒼がくるりと向き直って笑った。

「生徒会が終わるまで茜がふて腐れずにいい子で待ってられたら、一緒に帰ってあげなくもないけど?」
「何よその言い草」
「…待てる待てないどっち」

 ゆらりと蒼の顔が近づいて、わたしは思わず「ま、待ちます」と答えてしまう。

「おりこうさん」

 そして、頭がくらくらするような優しいキスが降ってきた。くちびるが離れてからも、しばらくはぼうっと蒼に見入ってしまう。

「何? もっと?」

 八方美人の仮面を剥いだ蒼は、実は面倒くさがりで、ちょっと意地悪で。仔犬みたいなきらきら笑顔からはきっと誰も想像できないはず。
 それは、わたししか知らない蒼。わたししか触れることのできない蒼の黒い髪。温かなくちびる。
 わたしは不敵に笑う蒼を見上げて言った。

「…じゃあ、あと一回だけ」

 珍しいね、と艶っぽく目を細める蒼の気配を感じながら、わたしはそっと瞼を伏せた。

-END-

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