(冷たい冬が僕らを親密にさせる)


 鼠色の雲が幾重にも垂れ込めた空。今夜あたり雪になるかもしれませんと、朝の天気予報で言っていたのが現実になってしまいそうな空模様だ。時折、ガタガタと窓を震わせる強い風。教室は寒い。まして放課後の、僕と君だけの教室は酷く寒い。

「…あってる、かな?」

 不安そうに見上げる椎原さんに、僕はにっこり笑ってみせた。

「残念。あと一歩」
「え…ええっ、どこどこ? だってaが2でbが7だから式はあってるよね? てコトはグラフの書き方も違うの? …あああ、もうダメだあー」

 項垂れて机に突っ伏した椎原さんの髪に僕はそっと触れる。顎のラインで切り揃えられたしゃんと真っ直ぐな黒髪。前に僕が「綺麗なおかっぱ頭だね」と言ったら、「こーゆうのはボブって言うんだよ!」と叱られた。どっちみち、椎原さんに似合ってて可愛いなと思うから、呼び方なんて何でもいいんだけど。

 椎原さんは3年生になってからの季節外れの転入生だ。でも、あっという間に僕なんかよりずっと上手にクラスになじんでしまった、僕とは真反対の位置にいるような女の子だ。そんな椎原さんと、いつからか何気なく話をするようになって、それから僕が椎原さんの苦手な数学を教えるようになって。
 そして僕は、気付けば椎原さんの一挙手一投足を目で追ってしまったり、不意に視線がぶつかって心臓が止まりそうになったり、メールの一言一句で一喜一憂したり、所謂『恋する男子』になってしまったのだった。


「椎原さん?」

 ちらりと椎原さんが首を傾げて僕を見やった。泡が弾けるように、ぱちんと目が合う。

「ごめんね、斎藤君」
「…はい?」

 突然の椎原さんの言葉を理解できず、僕はきょとんとした顔で聞き返した。

「あたし、せっかく斎藤君に勉強教えてもらってるのに…入試落ちちゃったら申し訳ないなって」

 のろのろと起き上がって、椎原さんは頬杖をついた。制服の上に羽織ったカーディガンの袖を、これでもかと引っ張り上げて指をしまい込んでいる(そういえば、こうしないと指先がかじかんで凍えて死んじゃう、と言っていたっけ)。

 狭い机に広げられた参考書とノート、椎原さんのガチャガチャと色とりどりのペンが入った筆箱や、落書きされたホッカイロ。向かい合わせでくっつきそうな僕らの膝。すぐ目の前にある椎原さんの真っ白なほっぺた、笑ったり悄気たり、くるくると忙しく動き回る大きな瞳。


「ねえ椎原さん」
「ん?」
「好きだよ」

 つい言ってしまってから、僕は自分でも相当ビックリした。告白、とやらをしておきながら、僕は多分、酷く間抜けな顔をしていたと思う。
 一方の椎原さんと言えば、さっきまで寒さのせいか透き通るように真っ白だったほっぺたを真っ赤に染め上げている。

「………うあっ、え、いや、なんて? 今、斎藤君なんて言った?」

 椎原さんの、『わたわた』とか『あわあわ』なんて擬音が空間から沸いて出そうな程の動揺っぷりに、今更ながら僕もつられて動揺してしまう。

「あ、あの、ごめん。常日頃思ってた事がつい零れ落ちちゃったみたいで」

 ――ああ、もっとちゃんと言いたかったのに。僕がどれくらい椎原さんを好きなのか、どんなところが好きなのか、もっと、ちゃんと。
 でも椎原さんは、僕の後悔なんてお構い無しに、顔を手で覆い隠しながら呟いた。

「…斎藤君、常日頃、そう思ってくれてたんだ?」
「うん」
「あたしのこと、好き、って?」
「そうだよ」

 開き直って頷く僕を、指の隙間から椎原さんが見つめる。

「迷惑?」
「ち、違うよ、すっごくすっごく嬉しくて今ちょっと頭が混乱しちゃってるけど! そうじゃなくて、ね。あたしたち、高校離ればなれになっちゃうでしょ? あたしはS高の商業科で斎藤君はT高だから…」

 だからあたし、どうせ離ればなれになっちゃうならこれ以上好きになるの我慢しようって思ってたのに! と未だ顔を両手で覆ったままモゴモゴ言っている椎原さんの腕を掴んで僕は言った。

「椎原さん今何て?」
「あたしたち高校は離ればなれでしょ、って」
「違う、その後」
「…これ以上、好きになるのは我慢しよう、……?」

 椎原さんの言葉に、僕の心臓は口から飛び出してしまうんじゃないかと思う程跳ね上がった。

「つまり椎原さんは現時点で少なからず僕の事が好きって事だよね?」
「う、うん」
「なら良かった。…あのさ、もう一度ちゃんと言っておくけど、僕は椎原さんが好きだよ。たまに自分でもどうかと思うくらい、好き」

 僕のストレートな言い種に、椎原さんは「ううう恥ずかしい」と唸ったきり俯いた。なんだか肩の荷が降りたようでスッキリした僕は、ふうっと大きく深呼吸した。真冬の冷たい空気が、肺を身体を満たしていく。

「ところで椎原さん。どうして僕がT高に行く事になってるのかは知らないけど…僕の第一志望は一年の頃からS高の普通科文理コースだよ」
「え? だって頭がいい人はみんなT高に行くんでしょ、この市内の場合」
「それ、何処情報?」

 …あたしの独断と偏見、とゴニョゴニョ呟いた椎原さんの顔を覗き込んで、僕はつい笑ってしまう(だって困ったような拗ねたような表情があんまり可愛かったから!)。

「確かに椎原さんの第一志望の商業科と校舎は離れてるけど…。でも、遠距離恋愛って程じゃ、ないよね?」
「そう、だね」
「じゃあ椎原さん、入試には死んでも合格してもらうからね。…という訳で、さっきの問題やり直し」

 パッと腕を放すと、椎原さんはポカンと口を開けて僕を凝視した。そして、うあはははは、と小惑星が弾けるような声で爆笑した。

「斎藤君って、斎藤君って、いつでも斎藤君のまんまなんだね!」
「え?」
「ううん、何でもない。はい。真面目に問題解き直します」

 ひとしきり笑い終わって、また問題集とにらめっこを始めた椎原さんを見ながら僕は考えていた。

 そりゃあ、両想いって判明したからには勉強なんてしてる場合じゃないかなって僕も思うけど。ただ、お互い好きだってわかったのはいいとして、付き合うだの彼氏だ彼女だとなると、どうすればいいのか僕にはよくわからない。
 とりあえず、両想いの男子と女子は何はなくとも一緒に帰るというのが定石らしい。それくらいは僕だって一応知っている。確かに今日の帰り道は雪でも降りだしそうに寒いみたいだし、寒がりの椎原さんと手のひとつも繋いで帰れたら、最高に幸せかもしれない、なんて。

「参ったなぁ、好きすぎる…」

 僕が思わず漏らした一言に、ぴくりと反応して椎原さんが挙手した。

「斎藤先生!」
「はい、椎原さん」
「やっぱり今日は集中できません! 明日からちゃんと勉強して絶対絶対S高受かってみせるから、今日だけ、せめて今日だけは勉強より恋愛を優先させて下さいっ!」

 椅子を蹴るように立ち上がった椎原さんに「僕もそれがいいと思います」と答えつつ、どうしようもなく逸る鼓動を抑えるのに必死になっていた僕であった。




-END-



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