タクシーを降りると、運転手が言っていた通り、目の前には見渡す限り田圃が続くのどかな景色が広がっていた。

 奈々は、時間も時間だけに(いつものごとくタイトスケジュールで動いていたら、最後に訪れる予定だった此処に着いたのが夕方になってしまったのだ)暮れなずむ景色の中、崇と二人きりの参拝になってしまうのではないかと思っていたのだが、見れば、目的の神社への一本道を、家族連れや浴衣姿のカップルなどがちらほらと歩いている。

 日の傾きかけた西の空は仄かな橙色に染まり、カラコロ響く下駄の音が涼やかだ。これまで来たこともない場所なのに何故かノスタルジアを感じながら、奈々は崇の後に続いた。


「ああ、今夜は六月灯か」
「何ですか? ろくがつどう?」

 崇の呟きに、奈々は思わず鸚鵡返しに聞き返した。耳慣れない言葉だ。

「六月灯というのは、江戸時代の旧暦六月六日、島津家一九代当主島津光久公が新昌院(しんしょういん)――現在の鹿児島市新照院町にあった上山寺新照院に観音堂を建立し供養のために灯籠を点したのが始まりとされている。以後、それに倣って民衆も灯籠を作り寺社に寄進するようになり、それが『六月灯』として広まったようだ。
 もっとも、現在では参道に灯籠がズラリと吊るされ、その門前で出店が並んだり花火が上がったりする。どちらかというと夏祭りの様相を呈しているらしいけれど」
「でもタタルさん、此処はそのお寺ではないですよね?」
「そうだね。旧暦六月は人や牛馬の病気が流行する時期であり、田には害虫が発生する時季でもある。そこで、神に願をかけて拝むというのが古くからの作法だったんだ。そのように、六月は神に願う事が多いので、毎晩のように灯を点して拝み続ける『六月の灯明上げ』という習わしがあった。そこから現在の『六月灯』に発展したと小野重明さんは説いているんだが、とにかく、この時期は島津氏が治めていた地域の多くの神社や寺で六月灯が行われるそうだ。どうやら此処も今夜がそうらしい」

 そんな事を話しながら歩くうち、暮れて薄紫色に沈む空に灯籠が点されはじめた。子どもの筆跡で絵や文字が描かれた灯籠は、手作りならではの柔らかな明かりが可愛らしくもあり幻想的でもある。

「奈々くん、」
「えっ?」

 幾つもの灯籠を見上げながら歩いていた奈々だったが、ふいに思いがけない力強さで腕を引き寄せられ、奈々は驚いて崇を見つめた。その脇を、数人の男の子たちがはしゃぎながら勢いよく駆け抜けていく。ぶつかれば今頃、彼らが手にしていたかき氷が奈々の服を派手に濡らしていた事だろう。

「しまったな、今朝新聞を読んだ時きちんと催事の頁も見ておけば良かった。これじゃあゆっくり参拝出来そうにない」

 と言いながらも崇は、一人ぶつぶつと「これが丹後局の腰掛石か」だの「なるほど薩摩日光と称されるだけはある」だのと、どうやら満喫しているらしい。そんな崇の様子に奈々はホッと胸を撫で下ろした。

「タタルさん」
「ん?」
「さっきはありがとうございました」

 何が、と素っ気なく答える崇に、奈々はくすっと笑って隣を歩く。

「何でもないです」

 そう答えて奈々がやおら掴んだ手を、崇は何も言わずそっと握り返した。夏の宵、微温んだ風が、二人の間を通り抜けていく。

「あ、金魚すくい」

 水色のビニールプールに、赤い尾を揺らしながら優雅に金魚が泳いでいる。子どもの頃、沙織とすくった金魚の数を競ったっけ…と思い出に浸りつつ奈々が立ち止まると、崇が風情のない口調で言った。

「奈々くんがやるのは自由だけれど、上手く掬えたところで東京に持って帰るのはなかなか難しいぞ」
「もう、ちょっと懐かしがってみただけですよ。…そうだ、それなら」

 奈々は頬を膨らませて言うと、崇の手を引いて風鈴の出店の前に立った。扇風機で煽られた風鈴は、震えるたび透き徹った音色を響かせている。

「私、これにします」
「風鈴?」
「はい。タタルさんと一緒に旅行した記念に、自分へのお土産です。毎年、夏にはこれを窓に吊るすようにしておけば、この音を聞く度に今日の事を思い出せますから」

 奈々がお店の人に風鈴を包んでもらいながらにっこり笑って言うと、崇は困ったように頭を掻いて呟いた。

「…まったく君は」
「え? 何ですか?」
「これから俺と出掛ける度に記念に何か買うようにしていたら、そのうち君の部屋じゅう土産物で溢れ返るようになってしまうじゃないか」

 奈々は、崇の言葉に一瞬きょとんとして、それから嬉しさに緩む表情を隠しきれないまま崇の手をもう一度きゅっと握り直した。

「大丈夫。そうなったら、沙織の部屋にも置かせてもらうようにします」
「…そんな事になったら俺が沙織くんに文句を言われそうで嫌なんだが」

 崇の本気で嫌がるような口調に、奈々はぷっと吹き出した。

 やがて世界に、密やかに夜の帳が舞い降りる。賑やかな祭り囃子の音を背に、二人は手を繋いでのんびりと漫ろ歩いたのだった。

ーENDー

▼いやはや地元ネタやっちゃいました! もしタタルさんと奈々ちゃんが我が地元にやって来たら、の巻です(笑)。
 鹿児島では七月に入ると毎週(いや毎日?)のように神社やお寺で『六月灯』という行事が催されます。今まで深く由来や縁起を考えずにお祭り気分で出掛けていましたが、これを機にちょっと調べてみたりなんかして。面白かったです。ちなみに、今回モデルにさせて頂いたのは「薩摩日光」こと花尾神社です! 緑滴る由緒正しき神社で、娘ちんの安産祈願とお宮詣りと七五三はこちらでお願いしました。のどかで落ち着いた素敵な場所にあります。でも六月灯をやってるかどうかは知りません(適当!)。
 そんな訳で、相変わらず仲良しこよしなタタ奈々なのでした(*^^*)しかしお二人さん、今夜は何処に泊まるんだろう…(ごっきゅん)←



人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -