時々、ずきん、と心臓が抉られるように痛むのは何故だろう。…ううん、その理由なんて端からわかってた。なのに、私はそれを認める勇気のひとかけらさえ持っていなかったんだ。




「佐久間さん、エプロン」
「え?」

 クリーニング出したんですね、と私が指差すと、佐久間さんは目をきらきら輝かせながらエプロンの裾を摘まんでみせた。濃紺地に白字で店名の書かれた、私のバイト先の唯一のユニフォームだ。

「おっ、中野ちゃん気付いた!? ねー、これクリーニングしたみたいに綺麗っしょ? でも実はクリーニングに出したんじゃなくて家で洗ってもらったんだよ」

 佐久間さんは、私がバイトしている古本屋さんの社員さんだ。本当に成人男性なのかと問いたくなるくらいお気楽で(良く言えば天真爛漫とでも言うのだろうか)それでいて仕事はそれなりにソツなくこなす(来春からは店長に昇格するらしい、なんて噂も飛び交う程に)不思議な人。
 四人きょうだいの長女で、昔から「菜々子ちゃんに任せておけば安心ね」「菜々子ちゃんはしっかり者だから助かるわ」なんて言われて育った(むしろ弟妹を育てた?)せいか、この不思議な人と初めて会った時は、なんだかヘラヘラした頼り甲斐のなさそうな人だと怪しんでいたのだけれど。一緒に仕事をするようになってからは、思った以上に頼れる先輩なんだと気付いて、…それからの私は、なんだか複雑な気持ちで日々を過ごしている。


「佐久間さんて実家住みでしたっけ」

 私の問いに、佐久間さんが不思議そうに首を傾げる。

「ん? 住民票は実家に残ったまんまだけど、今はほっとんど真白さんちに居着いちゃってるから。…なして?」
「いや、今『エプロン洗ってもらった』って言ってたから。一人暮らしだったら自分で洗うしかないのにな、と」
「ああ、エプロン洗ってくれたのは真白さん。俺の服とか洗ってくれた事なんて今まで一度もなかったからビックリしたけどね、もう死ぬ程嬉しかった!」
「…へえ」

 冬の子どもみたいに頬を赤くして言う佐久間さんから、私はふいっと顔をそむけた。ああ、モヤモヤする。佐久間さんなんて単なる職場の先輩に過ぎない。なのに、なのに。沸き上がるこのモヤモヤは何なんだろうか。

 『真白さん』。佐久間さんと会話をすると必ず出てくる名前だ。

 鬱陶しい程に名前が挙がるその人物は一体何者なのかと聞いた時、佐久間さんは『彼女』とは答えなかった(勿論『妻』とも)。ただ眩しげに目を細め、心底嬉しそうに「俺が世界一好きな人!」と言い放ったのを、当時バイトに入りたてだった私は未だによく憶えている。

「バイトさんから『エプロン汚れてますよ』って叱られたんだって真白さんに話したらね、昨夜のうちに洗って今朝アイロンかけて渡してくれたんだー」
「そのバイトさんとはもしや私ですか」
「そうだよ? そんな事ズバッとビシッと言ってくれんのなんて中野ちゃんしかいないじゃん?」

 ありがとね、と、佐久間さんはあったかい陽射しみたいにニカッと笑う。私はそそくさと背を向けると、うずたかく積み上げられた本たちの整理に取り掛かった。


「あ」
「何、どしたの中野ちゃん」
「いえ。買取りした文庫本にこれが挟まってたんです。しおり代わりにしてたのかな」

 私は、ページとページのあいだに挟まっていた葉っぱを指先で持ち上げた。楓だろうか。橙のような黄色のような、柔らかな秋の色に染まった星形の葉っぱ。

「あー、たまにあるよね、しおりの忘れ物」
「そうなんですか」
「俺、諭吉さん見つけたことあるもん」
「ユキチサンて、まさか一万円札?」
「そ。ヘソクリのつもりで挟んだのを忘れちゃったのか、次に読む人への贈り物のつもりなのかは知らないけど。とりあえず見つけたら警察に届けるんだけど、持ち主が見つかることはほぼないからねぇ。結局は警察に受け取りに行って、会社に上納することになるんだよ。募金活動とかに当てるらしい」

 へえ、と頷きながら楓の葉をぱらりと捲ってみる。

「何か書いてあるじゃん」
「……す、き……」

 秋色の葉っぱに書かれた言葉を、私は拾うように読み上げた。控えめで慎ましやかな、小さな小さな文字。声にして届ける事の出来なかった想いだろうか。

「しおりで告白?」

 私の手元を覗き込んだ佐久間さんが、好奇心に満ちた少年のような表情で私を見つめる。私は指先で楓をくるくる弄びながら呟いた。

「好き、って伝えたくても…もしかしたら声に出せなかったの、かも」
「え? そーゆーもん? 伝えちゃった方がスッキリしない?」

 きょとん、と、佐久間さんが目を見開く。何だろう、なんだかイライラしてしまう。胸の底が、焦げ付くようにじりじりと熱くなる。

「みんながみんな佐久間さんみたいに直球勝負じゃないんです! 好きでも勇気が出せなかったり、言いたくてもそういう状況じゃなかったり、人それぞれ色々あるんですから!」
「…中野ちゃん?」
「あ、いえ…、ごめんなさい何でもないです」

 私は、するりと楓の葉っぱをエプロンのポケットにしまいこむと、佐久間さんに向かってお鍋の隅で煮崩れた春菊みたいにぐしゃりと笑ってみせた。何か言いたげな佐久間さんを置き去りにして、作業に没頭する(、フリをした)。

「…あのさ、中野ちゃん」

 ぽん、と頭に手が置かれて。

「俺、こんなだから見えてる世界が狭いらしくて。真白さんにもよく怒られるんだ。佐久間は他人の世界が見えてない、佐久間のまっすぐさは時々人を傷つける、って。…だから…俺の言い方とかやり方で中野ちゃんに嫌な思いさせてたらごめん。ホントに、ごめん」

 俯いたまま動けずにいる私に、佐久間さんは「懺悔終了!」と悪戯っぽく言って、箒とちり取りを手に掃除をしにカウンターを出ていってしまった。

 私は、ぎゅう、と、ポケットの上から楓の葉っぱを押さえつけた。
 キミをしおりにした人は、きっと私と似てるんだ。でも、「すき」と文字に出来ただけ、キミの元持ち主の方が立派だね。私なんて、自分の気持ちを言いたくて言えなくて…そもそもこの気持ちが何なのか、自覚する勇気すら持てないで立ち止まったまんまだ。

「…すき」

 別に、難しい事じゃないのに。「佐久間さんが好き」。それだけなのに。私はポケットに手を入れて、楓の葉っぱにだけ聞こえるように笑い声を漏らした。ひっそりと、声を落として。

-END-

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